第3話:犠牲

 ジェンダー評論家として社会に出てからの十数年間、男性フェミニストである勝武元気は男性社会に抑圧された女性達の心に寄り添ってきた。いや、彼がそれより前からずっと世に蔓延る女性差別に対して疑問を抱き、(それが社会運動などといった大それたものではなく極めて個人的な行いであったにせよ)様々なアクションを行ってきた事を考えると、これまでの人生三十五年間の大半をフェミニストとして過ごしてきたと言っても決して過言ではない。しかしそんな彼のフェミニスト人生に、たった今、暗雲が立ち込めようとしていた。





 女性科学者、大保方春子が謎の男に誘拐されかけた日から約一週間後。彼女から『サニタリードライバーの解析が完了した』との報せを受けた勝武は、大保方邸を再び訪れるために電車に揺られていた。帰宅ラッシュの時間帯であることに加え、今日はよりにもよって金曜日。車内はいつも以上に混雑している。


「(臭っ!不快っ!)」


 そんな満員電車の中で、勝武は静かに憤っていた。その理由は、彼の両隣に立つ小太りの中年男性ふたりにあった。もう夏も終わりが近づいているとはいえ、日中はまだまだ暑い日も少なくない。その為、彼らの身体からは中年特有の加齢臭と汗の臭いが漂っていたのだ。日頃から女性に不快感を与えまいと体臭ケアに気を遣っている勝武にとって、このことが非常に腹立たしかったのである。

 とはいえここで不快感を口に出してもどうにもならないし、ただでさえ混雑によってギスギスした車内の空気が余計に悪くなってしまう。強い苛立ちを感じながらも、勝武はぐっと我慢した。

 

『新宿~、新宿~』


 それから数分後、駅員のアナウンスと同時に満員電車のドアが開く。どうやら先程の男性客ふたりはここが目的地だったらしく、降車する人々の波に揉まれながら去っていった。これによって悪臭の発生源がなくなり勝武は安堵の表情を浮かべたが、当然これはほんの束の間のこと。降車する者がいなくなった瞬間、今度は大量の乗客が勢いよく車内に雪崩れ込んでくる。


「(狭っ!不快っ!)」


 やはり声には出さないものの、次々と乗り込んでくる乗客たちに押し潰されそうになった勝武はえも言われぬ不快感を覚える。しかしこれは、今から起こる不運のほんの始まりに過ぎなかった。

 彼が自らに降りかかった真の災難に気づいたのは、乗客が車内に収まりドアが閉まったその時のこと。


「(えっ……これって……)」


 なんと、目の前に立っている女性の臀部が彼の下半身にピッタリとフィットしてしまったのである。しかもよりによって相手は見るからに未成年。この状況は勝武にとって非常にまずいものであった。例えばもし万が一、万が一ここで元気の元気が元気になってしまうような事があれば、間違いなく女性は彼を痴漢であると認識し、然るべきところに被害を訴えるだろう。そうなればおそらく刑罰か、軽くても多額の示談金を支払うことになるだろう。

 もっとも、勝武にとってそれ自体はそこまでの問題ではない。何よりも女性の気持ちを優先する正義の男性フェミニストにとっては、それが意図的な行為でないにせよ女性に不快感を与えた事に対して償いをするのは至極当然のことだからだ。真に恐ろしいのは誤解した第三者に『勝武元気は痴漢である』という風評を流され、自らのジェンダー評論家としての立場が危うくなってしまうことである。


「(落ち着くんだ元気、下手に動かなければ大丈夫……そうだ、こういう時は深呼吸だ)」


 私はフェミニストだ、女性の味方なんだ。そう言い聞かせながら、彼は深く息を吸い込んだ。





「(なんなのこの人……怖い……)」


 一方、勝武の前に立つ薄着の少女、水口香奈は困惑していた。身動きの取れない閉ざされた空間で、背後にピッタリと密着した男性が息を吸い始めたからだ。自分の後ろに立っているのがかの有名な男性フェミニストの勝武元気であることを知らない彼女は、その行為を『後ろの男が私髪の匂いを嗅いでいる』と解釈した。元気の元気が元気になっていないにも関わらず、である。なんとかこの状況から逃れるべく、水口は隣に立つ彼氏に小声で助けを求めた。


「ねぇ、まーくん」

「ん?」

「見て、後ろ」

「えっ、なになに?」


 身動きひとつ取るのも困難な車内で、視線を後ろに向けてアピールをする。しかし、彼には水口が何を言おうとしているのか理解する事が出来ない。彼女の高校の後輩でひとつ年下のこの少年、端正な顔立ちと誰にでも優しい性格が魅力的ではあるものの、どうにも察しの悪い所があった。


「ほら、あの人」

「あっ」


 そこまで言われてようやく彼女に起きている事柄に気がついたのか、少年は慌てて二人の間に入ろうとした。身動きを取るのも困難なほど混雑した車内なので、当然そうすれば他人の体を無理やり押し退ける形となる。事情を知らない周囲の乗客は少年を白い目で見たが、彼にとってはそんなことを気にしている場合ではなかった。





 これまで車内で感じた様々な不快感に無言で耐えてきた勝武であったが、仏のように広い心を持つ彼にも我慢の限界が訪れた。なんと見知らぬ男が彼の体に無理やり触れてきたのである。男同士であるとはいえこれは勝武からすれば立派な痴漢行為。卑劣で許されざる性暴力である。


「痛っ!不快っ!」

「えっ、えぇ……」


 勝武の反応に対し、男はなにやら困惑したような表情を浮かべている。自分の行いに無自覚な男に対し、勝武の怒りはより大きくなった。


「いま私の体に触ったでしょう!あなたは痴漢をしたんですよ!!」

「ち、ちょっと待ってくださいよ!痴漢はそっちじゃ「変身!!!!」」


ジャケットの胸ポケットに隠し持っていたサニタリードライバーを取り出し、勝武はウーマンマンに変身した。


『チェェェェンジッ!!サニタリィィィィ!!』


「女尊戦士ウーマンマン!見参!!」


※説明しよう!真の男性フェミニストがサニタリードライバーを装着すると、伝説の戦士ウーマンマンに変身することができるのだ!


「えっ!?なにあれ!?」

「なんか変身とか言ってたぞ……」

「仮面ライダーの撮影か?」


 突然の出来事にざわつく人々を意にも介さず、ウーマンマンは密着している男の胸ぐらを掴んで持ち上げる。


「うわああぁぁぁぁ!!!!助けて!助けてくれぇぇぇ!!!!」

「女性を苦しめる痴漢野郎め!罰を受けろ!ウーマンマンボンバーーーー!!!!」


 勇ましい掛け声と共に、ウーマンマンは掴んでいた男を思い切り前方に投げつけた。当然ながら、狭い車内でそのような事をすれば周りの乗客にまで被害が及ぶのは避けられない。しかしこれはミソジニーに染まりきった卑劣な性犯罪者を社会から排除するための致し方ない犠牲、所謂コラテラルダメージなのである。メジャーリーガーの放つ豪速球のような勢いで投げられた男は直線上に立つ乗客達を薙ぎ倒しながら車両の奥へ奥へと飛んでいき、最後には乗務員室のドアに激突した。


「まーーーくーーーーーーーん!!」


 突然の出来事により最愛の男性を失い悲痛な叫び声を上げている水口に、勝武は変身を解いてゆっくりと歩み寄る。


「いやっ!!来ないでっ!人殺し!!!!」

「彼氏を亡くして悲しむ君の気持ち、よくわかるよ。でもね、彼は性犯罪者だったんだ。あのまま付き合っていたら、もしかしたら今度は君が被害に遭っていたかもしれない。」

「…………」

「大丈夫、君はまだ若い。これからもっと素敵な男性と出逢うチャンスが沢山あるさ。君が幸せな恋に巡り会えることを祈っているよ(サワヤカスマイル)」

「は、はい……(キュンッ)」


『大崎~、大崎~』


「おっと、もう降りなきゃ」


 彼氏の事などすっかり忘れて頬を朱に染める少女を車内に残し、勝武は颯爽と改札へ向かった。

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