第21話
昼はもはや言うまでもなく鍋だった。
俺は諦めに近い心境になっている。
下手に反応しない方がいいだろうしな。
「稔、どうかしたの?」
母さんが何かを感じ取ったのか、心配そうに声をかけてくる。
母親の直感って凄いなと思いつつ、俺は否定した。
「いや、何でもないよ」
言えるはずがないと思う。
母さんは明らかに納得していなかったけど、追及はしてこなかった。
何らかの根拠があった訳じゃないだろうからな。
実夏もどこか不思議そうな顔をしていたけど、何も言わなかった。
結局、聞き覚えのあるやりとりが進められていく。
釣りがどうとか、部活はどうするかとか、そういった事だ。
正直うろ覚えだったので、当たり障りのない答えを心がけるしかなかったんだけど。
昼食が終わった後、部屋に行こうと提案してきた実夏をじいちゃんが止めた。
「先に入学祝いを渡しておこうと思うんだが」
俺は一つうなずいて受け取る事にする。
いちいち考えを中断させられては堪らないからな。
腰を浮かせていた俺は、再度着席する。
プレゼントを取りに行ったのはじいちゃんだけだった。
……これって前回までとは違う展開だよなあ。
何でこう、ころころ変わってしまうんだろう。
それとも俺がうかつすぎるんだろうか?
……うかつなのは確かだな。
となると、これ以上変えない為には、何とかして実夏と遊ぶしか。
内心でだけため息をつく。
実際にやると、プレゼントをもらうのを嫌がっているように見られかねないからだ。
お祝いをしてもらえるのは嬉しい。
電子辞書なのは少し複雑だけど。
じいちゃんはほどなく戻ってきて、見覚えのある紙袋から見覚えのある包装紙を取り出した。
やっぱり変わらないか。
入学祝いに関しては一度も変わった事がない。
俺が来る前に決めているからだろう。
あ、後は昼食も一度も変わってはいないか。
俺がこの家に来た段階で変えようがない事は変わらないんだな。
……この家が襲われる事も変えられないのかな。
変わってくれるなら、それが一番なんだけどなあ。
もし変えられるのだとしても、どうすればいいのか見当がつかない。
父さんだけなら何とかなると思うんだけど。
最悪隙を見て縛り上げてもいいし。
……たった今、嫌な考えを思いついてしまった。
犯人が父さん以外に変わったとしても、それはこの家の誰かじゃないかって考えが。
それはないよな。
じいちゃんとばあちゃんを殺す理由なんて、誰があるって言うんだ。
それに過去の流れ的に実夏も狙われていたはず。
それからついでに俺もだ。
俺や実夏を殺す動機を持っている人なんていないだろう。
……いないよな?
家族を疑わなきゃいけない事が嫌で、正直恨み事や愚痴を言いたい。
言える相手がいないんだけどさ。
言ったら前回みたいな展開になるんだろうし。
この家で過ごす時間、早く終わってくれって思うのは初めてだ。
楽しい一日を過ごせるはずだったのに、どうしてこうなった……。
早く終わって欲しい。
それが今の俺の願いだった。
ただ、それを実現するには俺が何とかするしかない。
せめて何らかの条件は見つけたいところだ。
犯人でも、脱出方法でもいい。
もしかしたら、限界までいけばやり直せずそのまま死んでしまうのかもしれないけど、試す気にはなれなかった。
大体、後何回死んだら限界なんだよ?
やり直せる回数があるっていうのは、慈悲だとばかり思っていたけど、やる気をなくした場合、ただの拷問だよな。
俺はまだ諦めてはいない。
夜になって逃げだせば、俺だけは助かるんだろうけど、そんな事はしたくない。
じいちゃんもばあちゃんも実夏も、殺されていいはずがないじゃないか。
母さんだって、叔母さんだって、叔父さんだってだ。
そして父さんが殺人犯っていうのも嫌だ。
変えられるのは俺だけなんだ。
……そう何度も自分に言い聞かせる事で、何とか心に喝を入れる。
そんな俺を実夏は不思議そうな顔で見ていた。
何も言わなかったのは、何かを感じ取ったからだろうか。
話しかけにくいという事はないと思う。
遊びには誘われたんだし。
受験に関する話もした。
しないとまた変わってしまうからな。
今回で気づいたんだけど、実夏は本当に受験に不安なんだろうか?
単に俺との共通の話題が欲しかっただけなんじゃないだろうか。
何となくそんな事を思ってしまった。
自惚れかもしれないけど。
ちょっと恥ずかしいな。
夜、風呂から上がって実夏の部屋にいると、毎度おなじみといった感じで
叔母さんが「寝なさい」と言ってきた。
手を振ってきた実夏に手を振って応え、俺は布団に潜り込む。
さて、ここからどうしようか。
父さんを縛り上げるかどうか。
……母さんに知られないようにやるのは難しいだろうな。
そもそも縛るのに適したヒモやロープなんて持っていないし。
探せばこの家にもあるかもしれないけど、そんな時間があるかどうか分からない。
ないと思って行動するべきだろうな。
ここは一つ、父さんを信じてみよう。
結局、あれからはそんなに変わらなかったはずだし。
……もちろん、変わらなかった場合の事も考えなきゃいけない。
父さんが犯人だったらどうするのか。
心を決めなきゃな。
父さんと母さんのぼそぼとしたやり取りが聞こえなくなってしばらく経つと、寝息が聞こえてくる。
耳をすませた限りでは二人とも寝入ったらしい。
父さんの場合、タヌキ寝入りかもしれないけど。
でも、気にし始めたらキリがないよな。
念の為、もうしばらく様子をうかがう。
変わった事は起こらない。
暗い部屋に規則正しい寝息が二つ響いているだけだ。
そろそろ動いてもいいだろうか?
万が一の為、深呼吸を五、六回繰り返す。
よし、いこう。
俺は布団をめくり、そっと部屋からぬけ出した。
そしてドアを完全に閉めずに立ち止まり、部屋の中で動きがないか神経を研ぎ澄ませる。
父さんがもし寝たふりをしていたなら、これで反応するはずだ。
だが、何も起こらない。
相変わらず、二人は寝息を立てている。
今回は父さんじゃなかったんだろうか?
安心とともに疑問が浮かぶ。
じっとしていても、やはり変化はない。
まさか、俺が部屋の外で待機していると気づいている訳じゃないだろう。
俺は音を立てないように気をつけながらドアを閉め、部屋を離れた。
武器はやっぱり空のビール瓶がいいだろうな。
台所で目当てのものを回収して、勝手口から外に出る。
四月になったばかりだからか、それとも地形の問題か、パジャマだけだとまだ肌寒い。
けど、風邪を引くほどじゃないと思う。
空には月と多数の星が出ていて、まるで宝石の展覧会のようだった。
空気が違うからか、こっちで見る夜空は本当に美しい。
でも、今は景色に感動している場合じゃない。
俺は庭を回ってじいちゃんとばあちゃんの部屋の窓に向かう。
薄暗いんだけど、何度も通った事があるので、どこに何があるかは大体見当がつく。
窓の前に立ったところで、襲撃者と正面から顔合わせをする危険に思い当った。
人の家に侵入して何人も殺すような奴が、凶悪犯じゃないはずがない。
正面からぶつかるなんて危険すぎるだろうな。
どこかに隠れるしかないけど、どこがいいだろうか?
襲撃者がやってきたのがすぐ分かって、気づかれる前に不意打ちできるような場所がいいんだけど……。
色々考えた結果、窓から二十歩ほど離れた納屋に行く事にした。
外からまっすぐ窓に向かうなら見えない場所があるからだ。
これだけ暗ければなおさら気づかれないだろう。
問題はいつ来るかだけど……ぶるっと体を震わせながらそう思った。
風邪を引く心配はないなんて考えたけど、ちょっと舐めていたかもしれない。
ビール瓶を持つ手に「はぁ」と息を吐きかける。
じりじりと体温が奪われていくように感じるのは気のせいだ。
そう言い聞かせて、何とか集中力を保ち続ける。
早く来てほしい。
単に集中力の問題じゃない。
襲撃者が外部から来てくれれば、家族の無罪が証明できるのだ。
濡れ衣だと思いたかった。
心の中でだけど、疑った事を謝りたかった。
もし来なかったら……そんな考えを必死で否定する。
どれくらい時間が経ったのか、体がすっかり冷えてしまった頃、家の門の方向から何か音が聞こえた。
誰かが塀を乗り越え、地面に着地したような音だ。
来た!
俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
父さんや皆が犯人じゃなかったのは喜ばしい。
でも、これからが正念場なんだ。
何とかしてやっつけて、皆を守らなきゃ。
そう決意して、持っているビール瓶をぎゅっと握りしめる。
足音が段々と大きくなってきている。
やっぱり、じいちゃん達の部屋から入るんだ。
一体誰なのか、確認してみたい。
だけど、今そんな事をすれば、きっと俺の存在に気づかれてしまう。
そうなると絶体絶命だ。
相手は他人の家に侵入して、何人も殺す凶悪な奴なんだ。
もしかすると武器だって持っているかもしれない。
俺が対抗するには、やはり不意打ちをするしかないだろう。
唇を舐める。
足音がやがて止まり、俺はそっと物陰から顔を出す。
誰かがじいちゃんの部屋の窓に立っている事は、どうにか分かった。
その人影はごそごそとして窓ガラスに何かし始めた。
ここからじゃ、この暗さじゃ、具体的に何をしているのかよく分からない。
だけど、何かに気を取られているならチャンスだろう。
俺は音を立てないよう、こっそりと近づいていく。
抜き足、差し足、忍び足。
ガキだった頃、よくやったものだ。
でも、今回は遊びではなく命がけである。
一歩、また一歩と足を出す作業が、これほどまでにきついなんて。
人影は俺に気付いた様子はない。
何かの作業を終えたのか、ほんの少し動作が止まる。
そしてすぐに動きを再開する。
よく分からなかったけど、何かを取り出したように見えた。
その何かが月の光で反射する。
断言はできないけど、金づちなような気がした。
という事は窓ガラスを叩き割るつもりだろうか?
そんな事をすれば大きな物音がするはずだけど、前には何も聞こえなかった。
つまり音が出ない細工でもしていたんだろうか。
いずれにせよこのままだとじいちゃん達が危ない。
俺は覚悟を決めて瓶を振りかぶった。
その瞬間、何かを察知したのか、人影がこっちを向く。
やばいっ!
俺は慌てて瓶を振り下ろす。
手応えを感じ、瓶が割れる音がする。
倒れ込む人影に蹴りを入れる。
相手は俺より強く、ずっと危険だ。
その思いから何度も蹴りを入れ続ける。
いや、待てよ。
何かで縛り上げた方がいいか?
生憎、そんなものは持ってきていない。
どうする?
と考えたところで、今なら大声を出してもいいと思い当った。
そして警察を呼んでもらえばいい。
「泥棒だっ!」
俺は力を振り絞って叫ぶ。
誰も死んでいないはずなので、人殺しは違うだろう。
「泥棒だっ!」
俺はもう一度叫びながら影に向かって蹴りを入れる。
油断してはいけない、と必死だった。
俺の叫び声が聞こえたのか、じいちゃんの部屋に電気がついた。
そのおかげで俺達の周囲も明るくなる。
よし、もうちょっとだ。
ちらりと見ると影は動かない。
とりあえず見覚えのない服装と顔だった。
少し安堵しながら、気絶しているのかという疑問が浮かぶ。
いや、気絶したふりで油断を誘っているのかもしれない。
「泥棒だっ! 警察っ!」
俺は蹴りを入れ続けながらそう繰り返す。
カーテンと窓が開き、じいちゃんが顔を見せる。
「稔か? どうした?」
「じいちゃん、泥棒だよ! 警察! 警察!」
「今、ばあさんが電話しているところだ」
じいちゃんは驚きを貼りつけながら言い、俺が蹴っている相手を見た。
「その男か?」
「うん」
「泥棒だって?」
遠くから父さんや叔父さんの声が聞こえてくる。
これで何とかなりそうだな。
そう思ったけど、俺は蹴りをやめない。
俺の蹴りがどれだけこいつに効いているのか、自信がなかったからだ。
「稔、殺すなよ?」
不意にじいちゃんにそんな事を言われて俺はびっくりして、思わず足を止めてしまう。
「まさか、死ぬなんて事は……」
まじまじと男を見つめるけど、男はぴくりとも反応しない。
あれ? やりすぎたのか?
凶悪犯がこんな簡単に倒れるなんておかしくないか?
やっぱり、油断を誘っているんじゃないだろうか?
俺は油断せず男を睨みつける。
そんな俺に加勢するように、父さんと叔父さんが現れた。
「泥棒ってどこだ?」
「稔? お前がどうして?」
まだ事態をいまいち呑み込めていないらしい二人の顔を見て、俺はどこかほっとした気分になる。
大の大人が二人もいれば何とかなるのでは。
そう思って気を抜いてしまったのだ。
それに気がついて慌てて気を引き締め直したけど。
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