第2話
叔父さんは母さんの弟だけど、母さんとは違って真面目な人だ。
だから叔母さんみたいな綺麗な人と結婚出来たんじゃないだろうか。
「稔、大きくなったな」
低くて力強くて温かみのある叔父さんの第一声に、俺は首をひねった。
「二か月じゃそんなに変わらないと思うけど……」
このへんはやっぱり母さんの弟なのかな、ともしかしたら失礼になるかもしれない事を考えてしまった。
「うむ。二、三センチくらいかもしれんが背、伸びたんじゃないか?」
「そうねえ」
じいちゃんとばあちゃんにまで言われると、何だか本当に背が伸びた気がしてくる。
俺は結構単純な性格なのかもしれない。
俺達四人プラス父さんはテーブルで母さんが淹れてくれたコーヒーを飲んでいた。
テーブルは七、八人くらいは一緒に囲めそうな大きな物で、白くて清潔なテーブルクロスがかけられている。
叔母さん達を手伝った方がいいとは思うのだけど、俺の家事スキルじゃ母さんと叔母さんと実夏の邪魔になってしまうのがオチだ。
父さんは俺よりも更にダメである。
この点に関しては俺は父さんの血を継いだんじゃないかって思う。
一方実夏の奴は、普段はあまり手伝ってないらしいのになかなかの腕なのだ。
俺の好物ばかり上手なのはどう解釈していいのか困るところだけど。
深い意味はないと思いたいけど、父さんや母さん、叔父さんや叔母さん、じいちゃんやばあちゃんの好物は得意ってわけじゃないからな。
それでもいや従兄妹だし早とちりかもって思うのだ。
面と向かって聞くのは恥ずかしいし。
「そう言えば稔、高校で部活はどうするか決めたのか?」
じいちゃんのその一言に俺は首を横に振った。
文芸部、合唱部、吹奏楽部あたりが気になってはいるんだけど、入学してみないと何とも言えない。
私立高校に入った中学の先輩が、いざ入ってみたら目当て部活が廃部になっていたと嘆いていた事があるのだ。
そう言うとじいちゃんは納得したらしく、しきりに頷いていた。
父さんは叔父さんとゴルフの話で盛り上がっている。
入学祝いが一体何なのか、そろそろ気になり始めてきたんだけど、自分から言い出すのもちょっとなあ。
じいちゃんとばあちゃんは父さん達を尻目に、父さんと母さんが仲よくやっているのかと尋ねてきた。
「息子として恥ずかしいくらい仲いいよ」
俺がそう答えると二人とも苦笑する。
別に嘘を言ったつもりはない。
あの二人、平気でイチャイチャし出すので、俺としては恥ずかしいやら気持ち悪いやら呆れるやら、とにかく居心地が悪い状態になりやすいのだ。
「その割には二人目には恵まれんな……」
じいちゃんがやや無念そうにぽつりとつぶやき、ばあちゃんがたしなめるように言った。
「子供なんて神様からの授かりものじゃないですか」
「そうだな。すまん」
じいちゃんは反省したという風に、頬をかいた。
別に悪気があったわけではなく、もっと孫を可愛がりたいという思いの表れだろうと俺は受け取った。
少なくともじいちゃんはそんな人なのだ。
母さんから聞いた話だと、去年の今頃から俺の高校入学祝いを選ぼうとし始めて、皆に「気が早すぎる」と笑われたそうだし。
早く成人してじいちゃんとばあちゃんに孝行したいものだ。
今だとこうして顔を見せに来たり、肩や腰を揉んであげたりするくらいしか出来ないからな。
これくらいの事で喜んでくれるからかえって申し訳ない気持ちになってしまうのだ。
高校に入ってバイトでも始めれば、ちょっと出来るかな……。
「稔は釣りに興味ないのか?」
父さんと喋ってた叔父さんが話しかけてきた。
「釣りかぁ……何度か父さんに連れて行ってもらったけど、釣れなくてね」
釣れるなら熱中したかもしれないけど、全然釣れないので悔しくてやろうとは思えなかった。
負けず嫌いな性格だったりしたら釣れるようになるまでやっただろう。
でも生憎、俺は諦めが早い方だった。
そこが欠点だと母さんによく注意されるんだけど、見込みない事に歯を食いしばって頑張るってのはどうにもなあ。
冷めてるとか必死に打ち込めるものを見つけるべきだと父さんには言われる。
心配して言ってくれてるんだから聞き流すわけにもいかない、と思う。
でもなかなか見つからないのだ。
俺だって打ち込めるものがあればいいな、とは思っているのだ。
少なくとも何かに必死になっている人を馬鹿にした事はない。
羨ましいと思った事なら何回かあるけども。
「よく知らんが、釣れなきゃ大して面白くないんじゃないのか」
じいちゃんがそう助け舟を出してくれた。
「うーん、まあどうしようもないか」
話の接ぎ穂を失った叔父さんは簡単に引き下がってしまった。
何だか申し訳ない。
ちょっとくらい釣れたらいいんだけどな……一番悪いのは俺の性根かもしれない。
「今はやれる事が氾濫してるんだし、焦る必要ないんじゃないかね」
ばあちゃんもそう言ってくれた。
嬉しいんだけど、罪悪感がちくちくと俺の心を突き刺す。
「まあ情報過多はよくないっていいますからね」
父さんが真面目な顔をして話を落としてくれた。
俺って愛されてるな、とナルシストじゃないけどそう実感する。
こんな家族がいれば他に何もいらないんじゃないかと、そう友達に言ったら恥ずかしい奴って笑われた。
家族が大切ってそんな笑う事なんだろうか。
「うむ。情報の取捨選択を正しく行わねばならんな。もっとも、昔からその点は変わらんだろうが」
「悪意が込められた噂とか、色々ありましたもんねぇ」
ばあちゃんがしみじみとつぶやく。
昔の話をされると正直ついていけない。
ただ、テレビやネットが作られる前から、真偽不明の情報が出回る事はそんなに珍しくはなかったようだ。
「利口にならないと痛い目にあうのは同じだ。稔も気をつけろよ」
叔父さんの真摯な忠告に俺は黙って頷く。
実のところ高校選びで少し痛い目を見たところだ。
この場では割愛させて欲しい。
「みっくん、ご飯だよ」
実夏がいいタイミングで声をかけてくれた。
「並べるの手伝うよ」
「うん、ありがとう」
実夏は心底嬉しそうに笑う。
何だか新婚夫婦みたいで照れくさいなと思ったら、周りの大人達は皆生暖かい目でにやにやしながら俺達のやりとりを見ていた。
どうやら意図せず酒の肴を提供してしまったらしい。
俺は咳払いをすると実夏達を手伝うべく立ち上がった。
今日の昼は鍋だった。
まだ肌寒い日だし鍋は好きなので嬉しい。
実夏が手伝いに乗り気じゃなかった理由も分かる。
腕の振るい甲斐がないタイプのものだし。
出入り口から見て奥の右端にじいちゃんが座り、そこから左にばあちゃん、叔父さん、そしておばさん。
手前の奥から父さん、俺、実夏、母さんの順で座った。
「はい」
当然の顔をして俺の左隣に座った実夏がポン酢を差し出してくれた。
俺がポン酢につけるのを好むのはお見通しなのだ。
この家で鍋を食べる時はいつもそうだから、別に凄い事ではないけど。
「ほい」
必要な分を入れると実夏に渡す。
大人連中は俺達のこのやりとりをいつもの事だと見守っている。
じいちゃんと父さんと叔父さんはジョッキにビール、ばあちゃんと母さんと叔母さんはコップに麦茶だ。
そして俺と実夏ももちろん麦茶を入れる。
全員に飲み物と食器が行き渡ったのを確認した後、じいちゃんが音頭を取った。
「それでは稔、合格おめでとう!」
『おめでとう』
皆が唱和し、俺は頭を下げてお礼を言う。
「乾杯!」
『乾杯!』
コップとジョッキを次々に打ち鳴らしていく。
ちょっと照れくささはあるけど、それをずっと上回る嬉しさがある。
このほっこりした空気が俺は好きだった。
「そう言えば稔、バレンタインはどうだったんだ?」
叔父さんがそう尋ねてくる。
何故実夏がいるタイミングで、と思ったら実夏の方をからかうような目でちらっと見ていた。
叔父さん、アルコールが入った途端にキャラが変わるのは相変わらずみたいだ。
「義理なら同じ部活の子からもらえたよ。本命はゼロ」
俺は肩をすくめた。
十個以上ももらって男子からつるし上げられていた奴もいたっけ。
生憎、俺はモテ男からは程遠い。
同じ部活の男子全員に義理で配った子達から、ついででもらっただけだった。
「あら義理でももらえたならよかったじゃない。お礼はしたの?」
叔母さんが慰めるように、そして実夏に口を開かせないようにやや早口で話しかけてきた。
……苦労してそうだなと思いつつ、その気遣いに乗っかる。
「したよ。オーソドックスにマシュマロ。皆マシュマロだったって笑ってた」
こういうやりとりをしている間、実夏はムスっとしていた。
だから俺は仕方なしに訊いてみた。
「実夏は? 誰かに上げなかったのか?」
「……義理では上げたよ。部活の顧問の先生にさ」
吹奏楽部の顧問の先生か。
「お返しは?」
「ケーキを奢ってもらった」
俺と大して変わらんと思うんだが、それ言ったら「女心が分かっていない」と返ってくるんだろうなぁ。
「同じじゃん」
「むう」
実夏は唸ったが表情は幾分か和らいでいた。
もしかすると俺が話しかけた時点である程度満足したのかもしれない。
「実夏のチョコ食ってみたいな」
牽制球を投げてみると実夏は複雑そうな表情をした。
「上げるのはいいけど、どうやって?」
距離という大きな壁が俺達の間には立ちはだかっているのだった。
言ってみただけだったから、とっさに返事は出てこなかった。
「これからならどう? 実夏ちゃんなら明日帰るまでに作れるでしょ?」
母さんの思わぬ助け舟に俺ばかりか実夏も目を丸くしていたが、簡単に頷いた。
「うん。みっくんがちゃんと食べてくれるならいいよ」
この流れで拒絶なんて出来るはずもない。
「もちろん喜んで食べるよ」
こうして奇妙な雰囲気は無事に和やかなものへと変わった。
一番のお手柄は多分母さんだろうな。
そして黙ってみていた他の人達に呪いあれ。
心の中でだけ言ったはずだったが、右に座っていた父さんが意味ありげにニヤニヤしながら耳打ちしてきた。
「馬に蹴られたくなかったら黙っておいたぞ」
父さんだけは本当にひどい目にあってもいいと思った。
からかうのは時と場合を選ぶべきじゃないだろう。
鍋は鶏肉、白菜、豆腐、ネギ、魚肉団子、魚の切り身などでどれもおいしい。
俺は白菜と魚肉団子が好きで、実夏はネギと魚の切り身が好物である。
「二人で鍋をつついても喧嘩にならないわね」
とは叔母さんの弁である。
確かにここまで好物が被らない相手は珍しいかもしれない。
と言っても魚肉団子と魚の切り身だから微妙に被ってるとも言える。
同世代の女子の好物を把握しているわけじゃないけど。
残念ながら年齢と彼女いない歴はイコールなのだった。
そこまで焦る必要はない気もするけど、モテる奴は毎日のようにデートしたりしてたからなあ。
しかも可愛い子とばかり。
そいつの事を恨む奴の気持ち、少しくらいは分かる気がする。
ただ、実夏の事が知られたら何て言われるかな。
ちらりと横目でもくもくと食事を続ける従妹を見る。
するとすぐに俺の視線に気づいて「何か用?」と言わんばかりに小首をかしげた。
女子って視線に敏感ってのは本当なのかな。
この場においてはどうでもいい事を考えながら、どう理由をつけるか悩む。
何となく見ただけとか言ったら後で父さんに冷やかされるだろうし。
「いや、食べ方きれいだなと思って」
嘘は言っていないと自分で自分に言い訳する。
ばあちゃんが一番きれいだと思うけど、実夏はその次くらいだと思う。
ちなみに最下位は俺と父さんで争うんじゃないかな。
「本当よね。稔はそういうところ見習ってほしいわ」
母さんが軽くため息をつく。
不肖の息子でどうもすみません。
ただ、遺伝の問題もあるんじゃないかと口には出さずに黙って食べる事にした。
遺伝のせいにするのはよくないだろうし。
と思っていたら父さんが口を挟んできた。
「まあまあ。男なんだから別にいいじゃないか」
俺の事をフォローしてくれるつもりだったらしいが、これが母さんの癪に障ってしまったようである。
「あら。あなたのそんな性格が遺伝したんじゃないですか。稔、不憫ねぇ」
泣き真似までして俺を哀れむ母さんに父さんはぐっと言葉を詰まらせた。
今度からフォローしてくれるなら、ちゃんと後の事も考えてからにしてほしいな。
「あたし、みっくんの食べ方嫌いじゃないよ?」
実夏が援護射撃があると途端にほのぼのとした空気へと変わった。
何故だとは言わない。
この家に来た時の食事風景って大抵がこんなパターンである。
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