りとらい
相野仁
第1話
白い大きな雲が勢いよく流れていく。
それと逆を行くかのように俺を乗せた車は走っている。
通過する橋の下には大きな川が水を湛えているが、量は少なく色も濁っているようだった。
月が変わってもまだ肌寒い日、俺こと北原稔は父が運転する車の後部座席に座っている。
持ってきていた携帯ゲームに飽き、電源を切って景色を眺めているというわけだ。
「強盗殺人犯の阿久津喜彦は未だに捕まっておらず……」
ラジオからはニュースを読み上げる男性アナウンサーの声が聞こえてきていた。
もうすぐ高校の入学式を控えた十五歳なんだが、果たして今の俺の肩書は何なのだろう。
益体もない事をぼんやりと考えてみる。
中学は卒業しちゃったし、高校はまだ入学していない。
ただの学生、とするのが無難なんだろうか。
などとぼんやり考えていると、助手席に座っている母さんがからかうような声をかけてきた。
「ぼんやりとしてどうしたの? 今の俺は中学生でも高校生でもないとか思ってたりするわけ?」
母親というのはこんなに鋭い生き物なのだろうか。
それとも俺が単細胞なのか?
はたまたうちの親だけ特別製?
「お前、ポエムを堂々と置いておきすぎだな」
運転しているはずの父さんがバックミラーをちらりと一瞥して答えてくれた。
……そう言えばたまに書くポエムに上述の内容を書いた事があったっけ。
「二人とも見たのかよ」
隠さなかったのだから見られるのは覚悟の上だったが、まさか父さんにも見られていたとは。
「熟読してやったぞ」
父さんはそう言って人の悪い笑みを浮かべる。
プレイバシーの侵害だと叫ぶに気にはならなかった。
迂闊だと言えば迂闊だったからだ。
親にポエムを読まれる息子と、息子のポエムを熟読する親と果たしてどちらがより恥ずかしいのだろうか。
恥ずかしいのチキンレースかな。
開き直ってそんな益体もない事を考えると、父さんはハンドルを切って車線を変更した。
「そろそろ着くぞ」
今、北原家の三人は母さんの実家に向かっている最中だった。
何でもじいちゃんとばあちゃんが俺の高校入学のお祝いをしてくれるそうだ。
「送ってくれればわざわざ取りに行かなくてもいいのに」
軽い気持ちでそう言った俺は両親から冷たい目で睨まれてしまった。
お祝いというものは気持ちが大切で、郵送したりするものじゃないとこんこんと説教を食らってしまい、「歳暮や中元は郵送なんじゃ」と返す気力がなくなってしまった。
そんな事を言ったら多分、説教の時間が倍増しただろうから。
じいちゃんとばあちゃんの家は高速道路を使えば車で一時間ちょっと、但し混んでいないいない場合に限る、とあまり遠くはない。
田畑や緑が多い、閑静な場所で田舎と言ってもいい気がする。
田舎の定義をよく知らないので、本当に田舎扱いしていいのか自信はないけども。
じいちゃんもばあちゃんも俺を可愛がってくれるし、母さんの弟に当たる叔父さんや奥さんである叔母さんは小遣いやお年玉をくれる。
一つ下の従妹と仲は良好で、一緒に遊ぶので行く事そのものに不満はない。
ただ、一時間以上も車に乗りっぱなしなのが苦痛なのだ。
携帯ゲームをしばらくやってはいたが、飽きてしまったし。
退屈の原因と言えば父さんが来た事になのだが、「子供がお祝いしてもらうのに俺が顔を出さんわけにはいかん」と誠にごもっともな理由で、本日土曜日にこうして向かっているのである。
じゃあ父さんが行けなかったどうなんだとなると、電車とバスとタクシーを使って更に長い時間かける必要があるので、むしろ父さんが来てくれた方がありがたかったりする。
だからつい、憎まれ口をたたいてしまったのだ。
こんな性分で申し訳ないと思うが、責任はきっと親の方にあると思うのでどうぞ問い詰めてやって欲しい。
多分、のれんに腕押しだろうけど。
二人ともよく言えばお茶目、悪く言えば破天荒タイプだし。
「実夏ちゃん、きっと可愛くなってるわよー」
母さんがニヤニヤしなからそう言う。
実夏というのは俺の従妹である。
確かに身内の贔屓目抜きにしても可愛い部類だとは思う。
しかし、だ。
「正月に会ったばかりじゃないか」
そう、ほんの二、三ヶ月前にあったばかりなのだ。
お互いの成績はどうだったかとか、お年玉はどれくらい貰えたか、とか報告しあったりする。
成績は大きな隔たりはあるけど、お年玉の額は俺の方が多かった。
種明かしをするなら母さんには弟しかいないけど、父さんは兄と妹がいるのだった。
「あら、女の子は二ヶ月も会わないと綺麗になるのよ」
男子三日会わざれば刮目して見よ、じゃあるまいし。
母さんは息子と娘が一人ずつ欲しかったらしく、実夏の事をかなり可愛がっているし、俺と結婚してくれたらいいと言った事すらある。
いとこ同士なら結婚は出来るらしいが、いきなり言われても困るものだ。
「まあ確かに実夏は可愛いけどな」
俺はポツリと同意の言葉をつぶやいた。
実夏が可愛いのは事実だし、ムキになって否定する事はないだろう。
仲はいい方だと思うし。
少なくとも俺が同意したのには意味はなかったのだが、母さんは別の解釈をしたらしく、ニヤニヤ笑いを深めた。
「あら、実夏ちゃんに言ってあげたら喜ぶわよ~」
本当にそうだろうか。
怒り出したりはしないとは思うが、俺が褒めて喜ぶかねぇ。
普通に彼氏が出来たとか報告されそうなんだけど。
母さんががっかりすると思って申し訳なさそうに、というパターンの方がありえる気がする。
でもまあ褒めるくらいなら別にいいか、減るもんでもないし。
「実夏ちゃんが娘になってくれたら俺も嬉しいな」
父さんが突然参加してきた。
父さんも実夏狙いなのは知らなかったな。
「実夏に父さんがカラダを狙ってると教えておこう」
「おおい! 変な事を吹き込まないでくれ! 三沢の家の敷居、跨げなくなってしまう!」
父さんが慌てた様子で抗議してくる。
ちなみに三沢の家というのは母さんの実家である。
「大丈夫、実夏は俺を信じてくれるから」
「大丈夫じゃねーよ!?」
思わず振り返った父さんに母さんが厳しく注意する。
「あなた、前を見て運転して下さいな」
「お、おう。お前からも言ってくれよ」
どこか情けない声を出す父さんに母さんが一言。
「あなたが女子中学生のカラダを狙う変態とはね」
「えええ!?」
父さんは哀れにも孤立無援となりました。
こうやって弄られるのが父さんの存在意義みたいなものだ。
「母さん、俺が愛してるのは母さんだけだよ」
父さんの必死の反撃。
「TPOをわきまえて発言して下さいね」
「あれえ!?」
父さんは焦ってて正常な判断力を失っているようだ。
今の母さんは何を言っても弄る理由にするだけなのに。
結局高速を降りてから数十分、三沢の家に着くまで父さんは弄られ通しだった。
それでも安全運転を貫いたのは立派だったと思う。
「父さん、骨は拾うからね」
「俺はまだ死んでねぇ」
呻きながら父さんは返事してきた。
三沢の家は木造建築で我が家が何軒も入ってしまいそうなくらい大きい。
庭も車が五、六台止めてもまだスペースが残るくらいの広さだ。
「こんにちはー!」
三人揃って玄関のところで挨拶をすると、家の中から叔母さんが出てきた。
「義兄さん、義姉さん、稔君いらっしゃい」
叔母さんは母さんよりも美人だな、と思っていたら母さんにぎゅっと腕を抓られる。
「息子の考える事くらいお見通しですからね」
「参りました」
母さんの鋭さに俺は潔く兜を脱いだ。
そんな俺達を見て叔母さんは愉快そうに笑った。
「本当に仲がいいわねぇ」
よく言われます、と声を揃えて返し互いの顔を見合わせてくすくす笑う。
叔母さんみたいな美人がやると様になる。
人によっては野暮ったく見えるであろう青いトレーナーや黒い綿パンも、見事に着こなしていた。
両親と叔母さんが挨拶を交わしていると、小走りの音が聞こえてきて実夏が現れる。
「みっくん、いらっしゃい」
ピンク色のセーターにジーンズといういでたちの従妹は満面の笑みを浮かべながら俺に抱きついてきた。
俺の腕の部分に柔らかいものが当たる。
可愛くなったかはさておき、より育った部分があるのは確かのようだ。
「おう」
鼻の下が伸びないように注意したせいでややぶっきらぼうな返事になってしまったけど、実夏は気にした様子もなく両親の方を見た。
「それから伯父さんと伯母さんも」
「こら失礼な」
両親をおまけ扱いするような実夏に叔母さんが注意する。
てへと笑う実夏に両親も苦笑した。
可愛い子は得である。
「主人とおじいちゃんはもうすぐ帰ってくると思いますから、お茶でもどうぞ」
叔母さんの言葉に甘えて俺達はお邪魔した。
実夏は俺にべったりとくっついてくる。
腕に柔らかい感触が当たったままで「俺得」だから別にいいのだけど、珍しいと言えば珍しい。
いつもなら手を引いて駆け出そうとするところだ。
ピンクのヘアバンドでポニーテール状に束ねられた黒髪はさらさらとしていて、かすかにシャンプーかリンスのいい匂いが漂ってきた。
「みっくん、受験どうだった?」
実夏は俺に密着したままなどと聞いてくる。
ギリギリで志望校に受かったんだけど、叔父さんか叔母さんから聞いてないのだろうか。
疑問を口に出すと、実夏は察しが悪いとふくれっつらをした。
「あたし、受験生だから受験の事を詳しく聞いときたくて」
なるほどと思ったが、実夏と俺の学力は相当な開きがあるから参考になるものかな。
俺は平凡な公立高校に受かるのでいっぱいいっぱいだったけど、実夏は県でも有数の難関高校を狙える力があるはずだ。
三沢の家は大好きだけど、成績の話になると肩身が狭い思いをしたのは一度や二度ではない。
もっとも悪いのは俺や俺の遺伝子であって実夏のせいではないけど。
そう言ったら母さんには
「実夏ちゃんに当たらないのはえらいけど、勉強サボるあなたが一番悪いわよ」
とたしなめられた。
サボってるんじゃない、分からないから諦めてしまうんだと返すのがいつものパターンだった。
それを聞いていた実夏が一度
「何ならあたしが教えてあげようか?」
と無邪気に残酷な事を言ってきたりして、真面目に勉強しようと思わされた。
結局、成績はほとんど変わっていないんだけど。
「実夏は俺と学力違うから……」
俺がいつもの答えを言うと、実夏はつないでいた手を放して更にふくれっ面をした。
「心構えとかの方だよ。あたしが狙ってるところ、レベル高くてさ」
俺の予想通り、難関の県立を狙うようでナーバスになっているようだった。
そこは実夏と言えども受かると断言出来ないレベルらしい。
出来る奴には出来る奴なりの苦労ってあるもんなんだな。
実夏なら大丈夫だって根拠なく思っていたよ。
そう言うと、言われた方は複雑な顔をしていた。
「皆もそう言うんだよね。心配してもらってるのは分かるし、純粋な気持ちで励ましてくれてるのも分かるんだけど、何かイラっときちゃう時があるの」
「あー、それは分かるな」
俺も去年は似たようなものだった。
心配されない方がおかしい立場だったし、ありがたいものでもあったから、変に反発するわけにもいかなくて困った。
「俺の場合、何とかなるだろって上手い事開き直れたんだよなぁ」
物は言いようで、実際は破れかぶれみたいなものだったけど。
「そっか。みっくん、本当に何とかなっちゃったもんね」
そのあたりの機微は伝わらなかったのか、実夏は納得したようにしきりに頷いていた。
何やら悪い事を吹き込んでしまったような気がするけど、元々実夏は優秀なのだ。
落ち着いて挑めればきっといい結果が出るだろう。
「はい、どうぞ」
実夏はひらがなで「みか」と書いたネームプレートがかかったドアを開けて俺を手招きする。
何度も入った事がある部屋だ。
ベッドカバーや壁紙はピンク色で統一されていて、きちんと整理整頓されているんだけど、それ以外は女の子らしいさは見当たらない気がする。
せいぜいかすかに甘いいい匂いがするくらいだ。
「ご飯まであたしの部屋で遊んでいようよ」
「いいけど、手伝いは?」
少なくともお昼の下ごしらえは始めていけなきゃいけない時間のはずだ。
と思っていたら、狙っていたかのようなタイミングで叔母さんが部屋に現れた。
「実夏、今日くらいは手伝いなさい」
「はぁい」
実夏は首をすくめたものの、逆らわなかった。
またね、と俺に小さく手を振って台所へと向かう。
実夏はどうも普段はあまり叔母さんを手伝わないようだ。
その割には料理の腕は悪くなかったと記憶しているので、手伝わないだけで料理自体はするのかなと思っていた。
久しぶりに実夏の手料理を食べられるようで嬉しいけど、俺が暇になってしまった。
大概は実夏の部屋でトランプをしたり、一緒に外に遊びに行ったりするのだけど。
さすがに女の子の部屋に本人がいないのに入るのは気が引けるなと思っていると、叔母さんが俺に声をかけてきた。
「おじいちゃん達が戻ってきて、稔君に会いたがってるの。悪いけど、移動して顔を見せてあげてくれる?」
「うん」
悪いも何も、元々は合格祝いをしてもらう為に来たのだから、顔を見せない訳にはいかなかった。
「稔君は素直でいいわねぇ」
叔母さんが感心したかのように褒めてくれたけど俺は釈然としなかった。
「……実夏は?」
俺が知る限りで、あいつが叔父さんや叔母さんに反抗的だった事はないのに。
叔母さんはしまった、という顔をした後耳打ちしてきた。
「私が言ったってのは内緒ね。あの子、稔君の前だと素直でいい子なのよ」
どうやら実夏は複数の顔を持っているらしい。
知ってよかったのやら悪かったのやら、今の段階では何とも言えないので聞かなかった事にしようと思った。
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