第11話 衝突

 集落に戻った二人はまずもって長の家に向かおうとしたが、途中でその姿を見つけた住民たちに囲まれて往生した。

 彼らは一様に彼らの功績を讃えて歓声を上げ、中には涙する者までいた。ゲインの背には説得力が形になって乗っていたため、匪賊を残らず始末したという言葉を疑うものは誰ひとりいなかった。

 「白状すると、生きて彼女が戻ってくるなんて思ってなかった」

 申し訳なさそうに頭を下げるダンに、ゲインは努力して笑みを作った。

 「助かったのは、この娘さんの強運のたまものさ。まあ、それはそれとして報酬は頂くがね」

 結局、出向くまでもなく騒ぎを聞きつけてやってきたウィレットにその場で対面した。手を強く握られ、何度も何度も感謝の言葉を添えて頭を下げられた。

 おもはゆさに耐え切れなくなったゲインは娘を引き渡し、とりあえずは、と彼の家まで向かうことを提案した。

 「重ねて御礼を申し上げます」

 「報酬分の仕事をしただけにすぎませんよ」

 テーブルを挟んで向かいに座ったウィレットが感に堪えないといった具合に目頭を手で覆う。

 面罵されるのでもなければ別にどういう反応でも構わなかったが、こうしつこく感謝されるとどうにも居心地の悪さを覚えてしまい、ゲインは思わず助けた女性についてですが──と女の方へ矛先をそらした。

 「辛いことがあったようで喪心しています。お力になれず恐縮ですが、後のことはお任せしてもよろしいでしょうか?」

 「命があっただけでも。こちらがお約束のものです」

 袋に詰められた報酬が差し出された。少しは見栄を張るべきだろうかと伸ばしかけた手を止める。逡巡していると、アシュレイが横合いから無遠慮にそれを掴み取った。

 釈然としないものを感じながらもゲインが腰を浮かせると、ウィレットが幾分慌てた様子で呼び止められた。

 「もしや、すぐに発たれるのでしょうか」

 「ええ、まあ。何か?」

 他に何か果たすべき約束があっただろうかと怪訝に思って尋ねる。

 「御礼も兼ねて、せめて一晩だけでもお泊りいただけないでしょうか。期日までにはまだあると記憶しております」

 「失礼ですが、ここでの暮らしは楽には見えません」

 正当な報酬として金を受け取りこそしたが、だからこそこれ以上の負担を強いるのは申し訳なかった。ゲインは彼らに何かしてやることはできない。生活を保障してやることも、仕事を紹介してやることもできない。それどころか、たったいま残り少ない財産を毟り取ろうとすらしている。

 はっきりと辞意を伝えたつもりだったが、相手は食い下がった。

 「であるからこそです。このような暮らしをしている上に忘恩の徒では、我々は獣と違いがありません」

 誇りこそが己をヒトたらしめているものだと言わんばかりの強硬な態度。今でこそうらぶれた老人にしか見えないが、なるほどかつてはひとかどの人物であったかのように思えてくる。

 本音を言ってしまえば、一刻も早く立ち去りたかった。しかし、逃げ道を塞がれるかたちになった。ゲインが断ろうとするよりも早く、アシュレイが姿勢を正して頭を下げていた。

 「ありがたくお受けいたします」

 今さら自分だけ退散するとは言い出し難く、結局はゲインも同席することになった。




 「それで、仕事ってのは?」

 間借りしている家に戻り、だらしない姿勢で椅子に腰掛けた状態でゲインは尋ねた。片足を上げてもう一つの椅子の上に乗せ、歩き通しで強張った太ももとふくらはぎを揉み解す。

 「あんたを稀な使い手と見込んでの話だ」

 「使い手ね。そう大層なものじゃないがな」

 再確認するようなアシュレイの台詞に、ゲインは実感を込めてぼやいた。

 今でも夢に見るほどの厳しい訓練によって奇跡を操る術を身につけることはできたが、それを穏便に運用する才能には恵まれなかった。出力を絞ることができない。方向性の定義づけも危うい。発現の精度にむらがある。

 回収と変換機能に大部分の容量を使われているためそれ以外が極限まで削られている──エシオンの評だ。おかげで補助具がなければまともに奇跡を振るうことができなかった。遠くの人間に声を伝える。小さな火を起こして火種とする。空気中の水分を集めて飲用水とする。他人の傷を癒す。大なり小なり、他の多くの使徒にはできて当然のことがゲインにはできなかった。

 結局、できたのは大量の人や物を破壊することだけだったが、幸か不幸か誰よりもそれが上手くできた。幸か不幸か、社会はそれを才能として認め、活用が可能な場所を所持していた。

 殺し合いに対して初めは拒否感が先に立ったが、すぐにそれも薄れた。自分が、それが大の得意だということに気付いたからだ。面白くないわけがない。罪悪感とはそれが己が身に降りかかった場合に備えての予防線であり、他者に自分を攻撃する名分を与えることを未然に防ぐための防衛的思考だ。少なくとも表面上は公平が期されており、そのうえ負けない戦争というゲームにそんなものは必要がない。

 自分と、殺しあう相手。ゲインは両者の関係は公平であると考えていた。自ら進んで、社会にそれとなく要求されて、理由は様々で紆余曲折はあるのだろうが、各人とも結果的にお互いが合意の上で戦っている。物事に得手不得手はつきもので、下手の横好きが泣きを見るのは当たり前だと考えていた。やあ! なんの因果か膝をつき合わせて殺しあうことになっちまったが、なったものは致し方ない。俺はこいつに多少の覚えがあるが、あんたはどうだい?

 少なくともこれで得をしている人間がいる。守られている人間は大勢いる。自分の行為が表立って非難されることもない。自分を納得させるだけの材料は十分に取り揃えられていた。

 武功を上げ、賞賛を浴び、勲章を授かると、ゲインはこれを天職だと考えるようになった。休暇を使って帰省し、自分が取材を受けた新聞記事と授与された勲章をいい気になって田舎の弟分たちに見せびらかしたりもした。

 それらが馬鹿げた行いだったと思えるようになったのは占領地で見たもののせいだ。

 ハルマーの街の攻略戦。それまで野戦しか経験したことが無く、抵抗の激しい拠点であるとの情報がもたらされていたこともあり、大いに意気込んで戦いに望んだ。結果としてはいつも通りの単調な作業だった。斥候を出し、周囲を兵に囲まれた安全な状態で暴力をふるっただけで終わった。

 攻め落とし、焼き払った街で残敵のあぶり出しを行っていた時、ひときわ大きく頑丈な石造りの建物を発見した。猛火に晒された壁面が焦げ付いていたが、建物自体は無事であったため、出入り口を吹き飛ばして警戒しながら部下を連れて突入を行った。

 中に敵はいなかった。見つかったのは、黒焦げになった大量の死体だけだ。

 大小様々。まるで石ころの裏にひっついて蠢く蟲の大群のようだった。いましがた破った唯一の出入り口である扉の裏には椅子や机が積み上げられてあり、窓には金属の格子が嵌められ、それ以外はすべて漆喰で隙間を埋められた石壁に囲まれていた。部屋の中に武器の類はいっさい見当たらなかった。

 避難所。頑丈なつくりの。そこに火が点いた。やったのは自分だ。

 よく見ると、焼死体は大と小が一組になっているものが多かった。よく見ると、大が小を護るように覆いかぶさっているようにも見えた。

 逃げるあてのない民間人の戦地への残留。よくある話だった。その程度のことすら想像できなかったというのは間抜けという他ない。抵抗の激しい拠点、その理由が目の前にあった。

 そこには建前に出来るような公平さなど一つも見当たらなかった。彼らは参加する意思など持ち合わせていなかったが、ゲインは無理やり自分のゲームに付き合わせた。引きずり込んで、黒焦げにした。彼らと彼らの関係者に報復する権利を与えてしまった。ゲインは自分の中で最も脆く責めやすい部位をさらけ出してしまったことを自覚した。

 それから間を置かずして、繰り返しその場面を夢に見るようになっていた。扉を蹴破るところから始まる。黒焦げの死体が立ち上がって整列してこちらを見つめている。ゲインが号令をかけると、だらりと開いた口からすきま風のような鬨の声を発して死体が行進する。彼らは勇敢に戦う。死体を増やす。新しい死体が起き上がり、戦列に加わる。倍々で増えていく。

 寝汗にまみれて飛び起きるたびに気力が失われていった。一旦醒めてしまえばそこまで。国のため、故郷のため、戦友のためと上手く誤魔化して意気を再燃させることはできなかった。

 除隊の依願は拍子抜けするほどあっさりと受理された。軍を辞めた後は人を雇い、自分が焼いた街の生き残りや遺族を探し出し、匿名で金を届けさせた。費用は借金をして工面した。

 金は労せず借りることができた。国境を抜いた英雄の一人、街ひとつを瓦礫と灰の山に変えた男、余燼を踏みしめ敵の死体を蹴り散らした偉大な使徒。落とした拠点は十をこえ、殺した敵兵は千に届く。軍功という名の罪状が新聞によって尾ひれを付けて書き立てられていたのが皮肉にもその一助になった。

 それも長くは続かなかった。焦燥に駆られるまま金をばら撒いているとあっさりと返済は滞り、誰も彼もが手のひらを返した。この頃には誰にいくら借りたかなどまったく覚えていなかったが、首が回らなくなっていたのを見かねたエシオンが知らないうちに一本化していた。そのときのことを思い出すと今でも何かを殴りつけたくなるほどの羞恥に駆られる。


 「あんたは自分の才能に対してあまり好意的ではないようだな」

 見透かしたようにいって、アシュレイが身に着けていた武器を全て手放してテーブルの上に置いた。

 「何の真似だよ」

 「相手の信頼を得ようとするならまず腰のものを預けるべきだと父母に教わった」

 相手の行動に警戒心だけが沸く。手痛い失敗や過剰な苦労をした者にありがちなことに、ゲインは何事も素直に受け取ることができない性質だった。

 「まずは内容を話せ。それからだ」

 生温い対応だと経験は非難し、すげなくしろと警鐘を鳴らしていたが、今回のことに付き合わせた負い目から口には出せなかった。

 「スライフという名前に聞き覚えは?」

 サルタナの国土内に居住地を持つ飛沫勢力──ゲインは首を横にふった。「ないね」

 「嘘をつくのは苦手のようだな」

 「随分な言いようだが、何か根拠でもあるのか?」

 アシュレイはかるく嘲るように鼻を鳴らした。

 「自分ではうまくとぼけたつもりだったのかもしれないが、一瞬間が空いたときに瞼がひくついた。体が動いた。いま、指摘されて少し汗をかいたな。鼓動も少し早まったようだ。ここまで分かりやすいのは中々いない」

 「なるほどね、お前さんの第六感とやらがどんなものか段々分かってきたよ」

 「それで、知っているのか?」

 質問の体をとっているが、ただ一つの答えしか望んでいない。ゲインは観念してあっさりと頷いた。

 「知ってる。それがどうした」

 「どこで知った? 誰に会った?」

 「戦場で出くわした。仕事の話はどうした?」

 「殺したのか?」

 「追っ払った。手傷は負わせたが、死んだかどうかは知らん。誰かさんのように馬鹿みたいな速さで逃げたからな」

 ゲインはテーブルの上の武器をちらりと見た。アシュレイはそのつもりがないことを示すように少し後ずさる。

 「そのスライフの信徒の生き残りを探している。おそらくまだ死んでいないはずだ」

 ゲインは首を傾げる。「察するにお前さんもそうなんだろうが、最後のひとりなんじゃなかったか?」

 「それは間違っていない。僕が最後のひとりだ。割り振る先が少ないからこそ、今まさに敗北を喫しようとしている無様なプレイヤーでも、それなりの加護を授けることができるというわけだ。まあ、あまりの体たらくに愛想を尽かされたわけだがな」

 事情が飲み込めてきたゲインは椅子から足を下ろし、膝に手をついて真面目に耳を傾ける姿勢をとった。

 「スライフの領土はこのサルタナの勢力圏内にあった。宗主国と比較すれば塵程度、吹けば飛ぶような規模でしかないが、どういうわけかお目こぼしに与っていた。木っ端に過ぎるし、余計な手間をかけるよりは──というのが実際のところだろう。事実こうやって勝手に衰退したわけだからな。ただ、見逃してもらうための条件として取引があった。それが兵役だ。そのために多数の男たちが村を出て、ついぞ戻ってくることはなかった。彼らは別の神の元へと奔ったからだ。僕は彼らを殺さなければならない」

 アシュレイはいったん言葉を区切り、ゲインの様子を窺っていた。これといって反応を返したつもりはなかったが、細められた灰色の目がそこから何を読み取ったかについては分かるはずもなかった。

 「置き去りにされたことを恨んでの報復か?」

 「いいや。思うところがないわけではないが、彼らの選択は十分に理解できる。無理もないとすら思っている。だが、スライフがそれを許さなかった。愚かで、無能な、僕の神が」

 「託宣があったのか」

 「そうだ。そうしろとのお達しだ。まともに考えるなら、これはまったくの無駄な行為だ。後ろ足で砂をかけた信徒を処理しようがしまいが趨勢にはほとんど影響がないのだからな。つまり、単なる腹いせでしかないのだろう」

 無気力そのものといった声。理解しがたいとばかりに首を振る。

 「その後、どうするつもりなのかは分からない。負けを受け入れ命乞いをするのか、それとも逃げ回るのか、はたまた新しい駒を造り直して一からやり直すのか──僕にそれを知る術は無いし、心底どうでもいいがな」

 「そうまで蔑ろにされてまだ付き合ってやるのか? さっさと見限ればいいだろうに。なんだったら、口を利いてやってもいい」

 アシュレイの形のいい眉が忌々しげに歪む。

 「できればとっくにそうしている。だが、日に日に拘束が強くなる。起きている最中、頻繁に声が聞こえるようになった。僕の意思とは別に体が勝手に動くことも珍しくない」

 吐かれる言葉には気圧されそうなほどの情念が込められていた。表情には嫌悪が宿り、目は爛々と強い光を放っている。手から離れているはずの短剣が呼応して震えだし、冷気を放出してテーブル上に霜を走らせた。蒸し暑いくらいだったはずの閉め切った屋内が少し肌寒さを感じるほどになっていた。

 「いと尊き存在は、使命の達成を条件に首輪を緩めることを約束してくれた」

 これっぽっちも信じていないといった口ぶり。それにすがるしかない憤りのこもった。

 「難儀な話だな」

 誰しもが駒には違いないが、しかし、こいつは中々に哀れだった。残りの枚数が少ないせいで直接掴まれて振り回されている。自分と比べてどうだろうかと考えた。

 「欲しいのは情報、それと、いざというときの助力だ。知らない相手ではないし、僕としてはまず恭順を示すように促すつもりだが、恐らくは拒否されるだろう。そもそもスライフがそれを許すと思えない。そうなると、行き着く先はひとつだ」

 先ほど感謝と共に手渡された、銀貨の詰まった袋が凍りついたテーブルの上に置かれた。重量感のある魅惑的な音が響く。アシュレイはそこから少しばかり抜き取ると、残りを袋ごとゲインの方へと差し出した。

 「彼らはみな優れた戦士だった。鞍替えした今もそうなのかは分からないが、楽観視するべきではない。だから、あんたに協力をお願いしたい。必要経費以外はそちらの分だ。今の仕事が終わったらまた稼ぐ必要も出るだろうが、それも同様の取り分で構わない」

 魅力的な提案ではあった。そのため、金から視線を外すのに努力を必要とした。

 「悪いが、受け取れない」

 「金額の問題ということか?」

 「いいや」

 「では、何故?」

 「俺はこういうことから足を洗いたいのさ。いま稼いでるのだってそのためだ。だから手伝えない。自分から濁ったドブに入っていく気はないんだ」

 「あれだけのことが出来るのにか?」

 「あんな真似が出来たからなんだってんだ?」

 アシュレイは腕を組み、沈黙して俯いた。控えめな同意の表現。しかし、それでもなお食い下がる。

 「なにも僕の側に立てと言っているわけじゃない。手を貸してくれるだけでいい」

 「何度でも言うが、断る」

 「にべもないな。だが、こちらもおめおめと引き下がるわけにはいかない。金以外であんたが望むものはなんだ?」

 「美味いものを食って、美味い酒を飲んで、いい女を抱いて、気の会う奴らと下らん話で盛り上がることさ。もちろん毎日平和にな。我ながら慎ましやかだと思うね」

 アシュレイは唐突に上着を脱ぎ捨てた。怪訝な顔で警戒を続けるゲインをよそに、肌着にも手をかける。

 ゲインは唖然とすると同時に自分の察しの悪さに頭を抱えたくなった。どうりで顔が整いすぎているはずだ。細身で、いささか起伏に乏しいものであったが、そこに晒された裸身は間違いなく女のものだった。鍛えられてはいるが、その柔らかさを含んだ曲線は男ではあり得なかった。

 「今のところ、僕に用意できる女はこれだけだ」

 いい、かどうかは分からないが。アシュレイが小声で呟いた。

 「服を着ろ」

 危険だと理解はしていたが、ゲインは顔を背けた。それには先ほどよりも多大な労力を伴った。喉が渇き、身体の一部に熱が集まるのを感じ、思わず椅子から腰を浮かしかけた。ここ暫く女とは無縁の生活を送っていたことを今さらながらに思い出す。

 「どうしても受ける気にはならない?」

 「同情はしてやるが、こっちも他人に施しをしてやれるほどの余裕はないんでね。さっさとその薄い体を隠してくれ」

 アシュレイがテーブルを蹴り上げた。ゲインは押されるようにして座っていた椅子ごと後ろに倒される。金の散らばる音が家中にやかましく響いた。

 背中を打ち付ける痛みに顔を歪めながら、床に転がった槍に手を伸ばす。しかしその時には既にアシュレイが上にのしかかっており、空中で掴み取られた短剣が首に押し当てられる寸前だった。片腕をとっさに間に挟んで首を守ったが、刃から発せられる冷気は受け止めた籠手の上から容赦なく熱を奪い去っていく。刃の触れた箇所を中心に突き刺さるような痛みが腕全体に走った。

 「何の──」真似だ、と言いかけて喉が詰まる。

 「ただ引き下がるのも癪に障ると思ってな。どうだ? 協力したくなってきたか?」

 平坦な声で告げ、アシュレイは両手を使ってさらに刃先を押し込んだ。ゲインの籠手に霜が広がる。

 空いた方の手を動かして短剣をなんとか外そうとする。アシュレイが肘で巧みにそれを阻止する。刃に込められた力は緩みそうにない。冗談ではないことを悟り、冷や汗が出た。

 ゲインは腕を外すのを諦め、下から相手の顔を目掛けて殴りつけた。腰が入らず上手く力を込められないそれは、首を少し傾けるだけで避けられる。

 「こうまでしてやることが同胞殺しか? まったく可哀想なやつだなお前さんは。駆けずり回って、行きずりの男に身体を差し出して、それでいったい何が残る?」

 相手の注意を逸らすために口を動かした。テーブルが倒されて床の上に散らばった銀貨をいくつか掴み、アシュレイの顔面に目掛けて投げつけようとした。先に腕を捕まれて制される。女の細腕のはずだが振りほどくことができない。ぎりぎりと締め上げられる。

 周囲を漂う星髄を回収。すぐに使う分を急速に変換。生成して下賜。回収。変換。下賜。眩暈がした。

 「まったくその通りだ。僕はこんなことなんぞどうだっていいのに。あんたに分かるか? 自分の頭と体が度し難い間抜けによっていいように動かされる苦痛が。不快としか言いようがない。しかし」

 アシュレイがせせら笑った。

 「ひるがえって、あんたはどうだ? 金。酒。女か。何かしら抱えてはいるのだろう。しかし、刹那的な享楽に浸ってそれこそ何になる。僅かな間だけ嫌なことを忘れられるのがせいぜいだろう。無様に逃げ惑っている分際で、よくも憐れんでくれたものだな」

 「黙れよ──」

 ゲインは神気が必要量に達するなり奇跡として発現させた。

 全身から雷光が迸る。補助具が手元に無いため指向性を持たせることができなかった。折り重なっていた二人はそれをまともに食らい、声にならない呻きを上げ、身体を仰け反らせた。ゲインは左腕の凍傷と自身の雷撃による火傷を半ば無意識のうちに再生させながら、アシュレイを押し退けて歪む視界の中で槍を手探りで探した。

 手に長柄の感触。掴む。立ち上がる。最も手馴れた奇跡──光球を追い払うように周囲に展開した。

 アシュレイも跳ね起き、片膝をついてゲインを睨み上げていた。効いているようにも、飛びかかるための力を蓄えているようにも見える。

 「いいから、服を着ろっつってんだろ」

 息を荒げながら言い、片手で石突きを向けた。凍りついた方の腕はまだ動かない。

 お互いに睨み合ったまま静止する。

 冷や汗が数滴、頬を伝って顎から落ちるほどの時間が経過した頃、不意に家の戸を叩く音がした。食事の用意ができたとの声がする。

 「おい、どうする」

 どっちだろうと構わないといった調子で聞いてみた。アシュレイはゆっくり立ち上がって背中を向け、脱ぎ捨てた服を拾い上げる。

 「厚意に甘えるといった手前、顔を出さないわけにはいかないだろう」

 ゲインはわざとらしく大きな息を吐いて近くの寝台に座り込み、手早く行われる着衣から視線を外した。

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