第9話 虐殺の才能

 資質があると評されたのは、徴兵時の簡単な検査でのことだった。

 健康状態と識字の有無を確認された後、とにかく人数を収容できることを目的としたような、簡素でだだっ広い場所に集められた。乳白色の漆喰が塗りたくられた壁に囲まれた部屋の一番奥には、赤褐色の金属板が置かれた台が据えられてあった。

 「これより君たちの信心を確かめる」

 軍装に身を包みいくつもの徽章をぶら下げたやけに剣呑な顔つきをした係の者が、冗談めかした調子で整列を命じてきた。

 事情に通じた何人かはそれで得心したようだったが、ゲインには何が行われるのか皆目検討がつかず、とりあえず周りに倣って列の最後尾付近に並んだ。

 係員は机の金属板に手を触れるよう命令し、先頭の人間が言われたとおりにする。係員が板をちらりと見やる。それから部屋を出るよう言い渡し、次の人間を呼び寄せる。

 退出者が数十人を超えたところで金属板に変化が現れた。青白く、ほのかに光を放っていた。

 僅かにどよめきが起こる。直接手を触れている男の動揺は、その比ではなかった。係員は笑みを浮かべ、いま検査中の男に退出ではなく別室への移動を命じた。男は暫く視線を泳がせていたが、周囲の雰囲気と係員の迫力に飲まれ、入ってきたところとは別の扉に向かって歩いていった。その背中から視線を外して係員は次の人間に前に出るように告げる。

 一見なんのことはない検査のように見えたが、ゲインは嫌な予感がしていた。故郷の村の集会で、未成年だけが集められた際に自分が一番の年嵩だったときのような。言い換えるなら、貧乏くじを引かされるときの感覚。

 そうこうしているうちに自分の順番が回ってきた。部屋中に集められた数百人は残すところ数人となっている。係員が良く通る声を上げ、威厳のある表情でゲインを見据えた。

 記憶している限り光ったのはたった二、三度だった。そう自分に言い聞かせ、観念して前に出る。金属板に手を置いた。

 それは当然のように光を放っていた。落胆がゲインの心を支配する。光は遠目に見たものよりやけに強いものに思えた。

 係員は僅かに眉を顰め、それからやはり笑みを浮かべて行き先を指差した。ゲインは先ほど感じた不吉なものが間違っていないことを確信する。係員は口元だけで笑っていた。

 別室には二、三十席程度の椅子が用意されていた。つまり部屋はがらがらで、先に通された者達がぽつりぽつりと思い思いの場所に座っていた。そして一様に緊張した面持ちで前を向いていた。ゲインは悪童としての経験から、やる気があると思われないよう、そして悪目立ちもしないような位置に腰を下ろした。

 暫くして、先ほどの係員と同じ軍装に身を包んだ人物が入室してきた。この様な場所に似つかわしくないほど見目麗しい女。思わず唖然とした。それ自体が輝いているような淡紫の髪を後ろで縛り、眠たげにも見える琥珀色の瞳は怜悧な光を湛えていた。

 おめでとう、先ほどの検査の報告は受けている。君たちには神と繋がる才能があり、通常とは異なる訓練、教育を受けてもらうことになる。結果如何では士官としての道も開けている。無論、君たちが望めばの話だが。

 女は男性的な口調で語る。相反するような艶やかな微笑み。ささやかな抵抗は意味を成さなかった。その視線は強くゲインに注がれており、先ほどの嫌な予感はある種の諦念へと変わっていた。

 鳥の鳴き声にも似た甲高い音が鳴り、ゲインは我に返った。

 集落に到着して三日目の、払暁の少し手前。

 寝台に横になった状態で目を瞑っていたゲインは、跳ねるように起き上がって、近くに立てかけていた槍を掴んだ。首を回し、瞼を擦って眠気を払う。

 甲高い音は断続的に聞こえ続けている。敵を発見した際に鳴らす手はずになっていた笛の音だった。住民達もこの音に気付いていることを祈った。そうでなくとも、夜の間は家から出ないよう言い含めている。巻き込まないために。後で言い訳が立つように。

 家の戸を開け放って外に出る。真夜中ほどではないが辺りは薄暗く、視界は十分ではなかった。それはこのさい問題ではない。敵が接近していることさえ分かれば問題はない。警戒を受け持った昼間に何度となく出歩き、家の位置から地面の隆起の具合までも頭に叩き込んでいる。地形の把握は十分だった。

 やるか、と誰ともなしに呟き、短槍を構えた。穂先は後ろを向いている。前に向けているのは石突きの部分、そこに嵌められた補助器具としての紅玉だった。

 ゲインは大気と大地から星髄を吸い上げる。ゆっくりと。生命の奔流が不可思議な酩酊感となって体中に行き渡る。甘く、濃厚な、水を加えていない原酒を飲んでいるような気分。高揚感。万能感。後者は単なる錯覚でしかないと自分に言い聞かせ、身体中を巡る星髄を慎重に神気に変換した。

 回収。変換。全て自分に下賜する。酔いが回り、体が熱を帯び始めた。

 十分の一を消費して光導索を発現。

 腕を経由させ、柄から石突きまでの杖になった部分から奇跡にして放出する。星の法則が侵食され、こぶし大の光り輝く球状の物体が次々と現れた。それらはゲインの周りを規則正しく周回し始める。

 急かすように何度も笛が鳴る。

 どこぞにいるアシュレイに対して慌てるなと胸中でなだめ、慎重に慎重を重ねて星髄の吸い上げと神気への変換、奇跡としての発現を繰り返す。

 展開した光球が百に届くかというところでゲインは全てを解き放った。それらは尾を引きながら四方八方へと一斉に飛び散っていく。

 光球はきれいに民家を避けていた。そのようにゲインが軌道を定めている。過たず、光は狭い集落を縫うように飛んだ。

 最初の光導索が飛び去ってすぐ、どこか見えないほど遠くで何か硬いものに衝突する音が微かに聞こえた。木。岩。あるいは人。山の鳥どもが異変を察知し、木の葉を盛大に揺らしながらけたたましい鳴き声を上げて飛び散っていく。

 ゲインはすぐさま次弾を展開した。十分の一を消費。初弾は大人の胸の高さを狙ってのものだったが、二発目は膝の辺りに高度を定めて発射を行った。

 斉射三回目。十分の一を消費。ある程度進んだ後に交差するよう、横方向に軌道に変化を付けて飛ばした。

 斉射四回目。十分の一を消費。山なりの軌道から急降下するように指定し、地面に伏せて難を逃れた相手を想定して発射を行った。

 五回目。六回目。七回目。八回目。九回目。十回目。間断なく追撃を行った。神気を使い切ったため、再び星髄を回収する。変換。酔いが回って眩暈がし、たたらを踏んだ。下賜。発現。同じことを同じ回数だけ繰り返した。単調な作業。負荷で鼻から血が垂れ落ちる。

 先ほどとは違う、野太い獣の吠え声のような音が鳴り響いた。



 ******



 アシュレイは所定の退避地点から、目の前で繰り広げられる一方的な虐殺を観察していた。

 その日も集落の風下に陣取って木陰に身を寄せていたアシュレイは、夜風に乗って流れてきた臭いに顔をしかめた。濃い汗と垢の臭い。不快な臭いだった。人の気配のない暗闇とささやかな虫の鳴き声で作り上げられていた静謐な空間が台無しにされる。

 半ば八つ当たりのような衝動をこらえ、アシュレイは耳を澄ました。近くから物音は聞こえてこなかった。集落を挟んだ反対側から臭いが流れて来ている、そう判断して全力で駆け出した。

 昼間は自発的に協力を申し出た僅かな見張りがいるが、今は外を出歩いている住民は一人もいない。夜はできるだけ家の中に隠れているようにと伝えていた。

 家の隙間を縫って闇の中を駆け抜ける。臭いが流れてくるほうを目指して中央を一直線に突き抜けるように集落を横切った。外縁部の手前に土嚢の代用として作らせた土の山が見える。そこに身を隠す。

 不快な臭いは強くなる。草木を踏み潰す大勢の足音。不規則な地面の振動。土山の陰から前方を覗き見ると、こちらへ向かってくる集団が確認できた。

 暗視により人数を把握する。三十に届くかという数。想定の範囲内だったが、やはり多い。それが目を血走らせ、息を荒げている様は異様な迫力に満ちていた。もし、月明かりしかなかったとしても、そこに何かが蠢いていると分かるほどには。

 アシュレイは落ち着き払った動作で革帯の小物入れから獣散らしの笛を取り出した。口にあて、勢いよく鳴らす。

 耳をつんざく高音が辺りに響き渡った。暫く待ち、もう一度。集落の隅々までとはいかなくとも、ゲインの待機している家には届いているはずだった。

 賊の何人かは笛の音を不信がって足を止めた様子だったが、大多数は意に介した様子もなく走り続けていた。間抜けが居眠りしていないことを願いながら、もう何度か鳴らす。

 地面の振動がだんだんと大きくなる。もうどれほどの距離もなかった。焦れたアシュレイの手が弓にかかった矢先、ようやく光の雨が降ってきた。あらかじめ決めていた通り、アシュレイの隠れた土山だけをきれいに避けて光球は飛来する。

 匪賊どもをどう撃退するかについては事前に住民も含めて綿密な相談をしていた。地形の把握は当然として、夜襲に対する備えだけでなく、もし昼に襲撃された場合を想定しての訓練じみたことも繰り返し行った。笛を鳴らし、住民が手早く避難できるようになるまで何度も。

 神経質なまでに指示を飛ばすゲインに対して初めは鬱陶しさを隠しきれない様子の住民たちだったが、いざ当人が奇跡を披露してみせると、その表情は驚愕と歓喜で埋め尽くされた。二度、三度と続けられる内に、そこに畏怖が加わった。アシュレイも例外ではない。

 光は執拗に、いつまでも降り続ける。なぎ倒し、追い討ちをかけ、ほんの僅かな抵抗すら許そうとはしない。おびただしい破壊。それをもたらしている本人は遥か遠くにいて、恐らくは身じろぎ一つしていない。確かに本人の言ったとおり、策などというものではなかった。一方的に、ただ力任せに叩き伏せているだけだ。

 随分と簡単に殺してくれている。

 アシュレイは我知らず表情を歪めていた。賊どもは先ほどまで確かに夜闇から浮かび上がるほどの威圧感と存在感を放っていたはずだったが、もはや跡形も無い。暴力という嵐に翻弄され乱れ散る木の葉のようだった。

 もはや反抗の意思など見られなかった。立ち向かって来ようとしている者などひとりもいない。アシュレイはもうひとつの笛を吹き、撃退、終了の合図を送った。

 闇夜をまばゆく照らしていた光が止み、周囲は再び薄闇に包まれる。

 アシュレイは土山に隠していた縄を手に、ゆっくりと倒れた賊どもに近寄った。

 全員が全員、薄汚れている。髪は脂で固まり、伸び放題の髭で顔面が覆われているせいで誰も彼もが同じような顔に見えた。長く野ざらしだったと思われる衣服はところどころが擦り切れて穴が空いており、武装はしていたが、刃は欠け、手入れもされていない。敗残兵という言葉がぴったりあてはまる。

 目論見どおり、何人かは生きていることを確認する。苦痛に泣き、あえぎ、地面をのた打ち回っていた。素早く近寄り、比較的軽傷な者を選んで手足を縛る。

 不意にアシュレイの耳が異音を察知した。死んだと思っていた賊のうち一人が、急に起き上がって懐から何かを掴み出していた。

 うめき声にかき消されて鼓動を聞き逃していた。アシュレイは縄の束を放り捨て、矢筒から一本抜いて弓に番える。

 賊の方が一瞬早かった。「閃槍」男が呟くと、手にした何かから煌々と燃え盛る火塊が射出された。アシュレイは地を這うように横に飛び、火を避けながら矢を放つ。

 眉間を貫かれた男は膝から崩れ落ちた。アシュレイは転がって起き上がり、背後を振り返って火塊の行き先を確認する。火球は民家の近くに生えた一本の大木に衝突すると、弾け、火の粉を撒き散らしてその全てを炎で包み込んだ。

 民家の屋根に火が燃え移る。中には人がいるはずだった。

 避難を促すためにアシュレイは走り寄った。扉に手をかけ、錠がかかっていることに気づき、中に向けて大声を上げようとしたところで──唐突に吹いた横風にあおられて地面を転がった。

 殴りつけるような強風を地面に伏せて耐える。

 風は強いだけではない。まるで寒風のように冷たくもあった。月明かりできらきらと光るもの、氷が混じっている。

 突如現れた吹雪が民家を中心にして吹き荒れた。古い家屋がぎしぎしと軋み、炎が上から塗りつぶされる。

 アシュレイは風が収まったことを確認して立ち上がり、服に付いた氷を払い落とした。

 「悪いな、巻き込んだか」

 ゲインが槍を肩におぼつかない足取りで現れた。

 「あんたの仕業か、多芸なことだ。ところで──」ゲインの目じりと鼻に乾いた赤い筋が見られた。「その顔はどうした。転びでもしたのか?」

 「気にするな。それより賊はどうした。逃げられるぞ」

 「心配には及ばない」

 いまのどさくさに紛れて逃げ出した者がいないかは確認済みだった。離れていく音と臭い、地面の足跡、どちらもない。全員が倒れ伏したままだ。

 アシュレイは脳天を矢で貫いて殺した男に歩み寄った。その手に握り締めているものを剥ぎ取る。

 ただの紙切れだった。紙面には規則性のある複雑な紋様が描かれており、中央に小さな金属片が貼り付けてあった。半島の公用語による文章も細かく併記されている。男の体を検めると、同じものが何枚も出てきた。

 「そいつを渡してもらえないか?」

 アシュレイの手の中のものを指し示してゲインが言った。

 「これは何だ? 」

 「大したものじゃない」

 「なら、僕が持っていても構わないな」

 アシュレイは紙束を相手に見えるようにひらつかせてから上着の内に収めると、地面から縄を拾い上げて賊の捕縛を再開した。

 ゲインが肩を竦める。「そいつは魔道具だ。知ってるか?」

 「馬鹿にするなよ。だが、こんな形状をしているものは初めて見た」

 「最近作られた。原理は今までのものとほぼ同じだ。誰かが使った奇跡を代理で行使するってだけだよ」

アシュレイが沈黙で続きを促すと、いかにも億劫だといった具合にゲインは首を鳴らした。

 「既存の魔道具と違って、かかる費用が段違いに安い。その上、ほとんど誰にでも使える。奇跡とは無縁の只人にさえな。その代わり、大体は使い切りだ。もって二、三回が限度だな」

 声と臭いに嘘はない。「誰でもと言ったが、僕にも使えるのか?」

 ゲインが無言で手を伸ばした。アシュレイは紙束を取り出して手渡す。ゲインは紙面を隅から隅まで眺め、何枚かめくったのちに言った。

 「こいつは初期に作られたもののようだから、そうだな、多分、所属が違うお前さんでも使えるんじゃないか? ちょいとこつはいるが、もともと奇跡が使えるなら造作もないはずだ。説明書きの通りにやればいい」

 「作られた時期と使える人種がどうして関係する?」

 「初めは便利だろうってことで、使い易さを考えてそうなってたのさ。だが案の定、良からぬ事に用いられて、少なくない被害が出た。それからは事前に登録した特定の人間にしか使えない、責任者の許可がないと使えない、といった具合に段階的に制限がかけられていった」

 「詳しいじゃないか」

 「軍で研究されていた技術だ。ちょっとばかり関わりがあっただけだ」

 言いながら、石突きを誰も居ないところに向けた。ややあってそこに小さな火種が発生し、瞬く間に大きな火柱になる。ゲインはごみくずを扱うように紙束を火にくべた。

 「話を聞く限りでは価値のある代物のようだが」

 「いまさらだろうが、一応は機密扱いだったんでな。義理くらいは果たしておきたい」ゲインは紙が灰になる様子を遠い目で眺めている。

 アシュレイは最後のひとりを縛り上げた。ほとんどが気絶するか死んでいるかであったため、大した手間はかからなかった。

 「義理、ね。こいつらが持っていたということは、つまり、あんたのお仲間というわけか」

 「どうにもそうらしい」乾いた笑い。それからゲインは唐突に表情を引き締めた。「ああ、女を攫ってるって話だったが」

 「少なくとも辺りにはいないようだ。連れて来ていないのだろうな」まだ生きているとすればだが、とはアシュレイは口にしなかった。

 「巻き添えにしなくてよかったよ」

 安堵の声。住民や自分たちの安全を考えると、恐らくはこれが最善だったのだろう。

 「しかし、いやにはっきり断言するな」ゲインが顎をさすって訝しむ。「もう辺り一帯を調べてきたのか? いくらなんでも早すぎる気がするんだが」

 「もちろん違う」

 「種を明かしてくれよ。俺も色々話しただろう」

 「その見返りはもう渡したはずだがな」



 集落の中央に戻るとダンが駆け寄ってきた。

 「どうだった?」

 期待のこもった声。二人がそれぞれ鷹揚に頷くと、ダンは歓声を上げて拳を握り締めた。

 「おおよそのところは上手くいった。被害は?」

 アシュレイが周囲を見回しながら尋ねた。途中の家々に声をかけて回っていたため、そこには集落の住民のほとんどが集まっているはずだった。

 「全員無事だよ」

 信じられないといった様子のダン。

 「そりゃ何よりだ。ああ、生き残りは縛り上げてある」

 ゲインが遠く、襲撃地点の方向を指差した。

 「このあたりに集めてくれないか? あと、男以外は家に戻るよう伝えてくれ。何人か死んでるが、好きに扱ってくれ。まあ、碌なもんは持ってないと思うがね。ああ、もし妙な紋様が描かれた紙を見つけたらこっちに寄越すよう言い含めておいてくれ」

 ダンが様子を見守っていた他の住民達に近寄り説明を始める。集落の男たちは仔細を尋ねようとはせず、ゲインの指した先へと小走りに向かっていった。目には昏いものがたたえられていたが、二人はそれを見逃した。

 「ここでやるのか?」

 「あの数をどこかに運び込むのも手間だ。だから女子供は帰らせた」

 しばらくして、引き摺られるように賊どもが連れてこられる。ゲインはそれを見ながら深呼吸を繰り返していた。

 「浮かない顔だ」アシュレイが言った。

 「素面じゃやりたくないね、こんなことは」ゲインが吐き捨てる。

 「代わってやろうか?」

 「いや、いい」

 連れてこられた賊のうち、手近なところにいた男の傍にゲインは屈み、胸倉を掴む。

 「どういう状況か理解はしているか?」

 その男の意識ははっきりとしている様子だったが、何も答えようとはしなかった。表情は敵意の滲んだ反抗的なものだ。早々に気絶したせいで自分の身に何が起きたか分かっていないと思われた。

 ゲインが男から手を離して槍の石突きを向ける。その先から雷がほと走り、薄闇を青白く照らした。

 それを食らった男の体が大きく跳ねた。雷撃は勢い余って近くにいた別の男にも飛び移る。二人の全身から煙が上がり、肉の焼ける臭いが漂った。背後で集落の住民が何人か顔を背け、息をのんだ。

 改めて尋問しようと引き起こし、ゲインが演技ではない舌打ちをした。男は既に事切れており、巻き添えを食らったもう一人も同様だった。

 死体から手を離し、残りに物色するような視線を向ける。仲間の成れの果てを目にした賊どもの様子は先ほどとはうって変わって多分に怯えを含んだものになっていた。えずきだした者もいる。

 「ちょいと話をしたいだけなんだが、見ての通り手加減がすこぶる苦手でな。お前たちはこれで全員か?」

 「見逃してくれ」

 ひとりの男が生涯通して重ねてきた罪を懺悔するような声で叫んだ。

 ゲインはその男を殴りつける。

 「お前ら、カルマムルの脱走兵だな? お仲間が魔道書を持ってたぜ。抜けるときにかっぱらったんだろう? あれは個人で所有できるようなものじゃあないからな」

 その台詞でゲインの素性に気が付くと、男は堰を切ったように喋りだした。

 「俺もカルマムルの信徒だ。第七十連隊だ」

 それがさも重要なことであるかのように強調し、続けた。

 「ああ、ああ、聞いてくれ。部隊が中隊規模と思われる騎竜の一団に突撃を受けて潰走したんだ。命からがら宿営地に逃げ帰ったんだが、敵前逃亡と見なされて、憲兵に拘束されかけた。必死に逃げたよ。右も左も分からないところに放り出されて、不安だった。それでも何とか食いつないできた。仕方なかったんだ。今回だって、生きるために最低限必要なものを、少しばかり貰うつもりだった。他の奴はどうだか知らないが、俺は無益な殺生なんかやったことはない」

 男の口から身勝手な言い分が吐かれるたび、周囲から立ち上る怒気で空気が揺らぐ。ぎりぎりという音。農具を握り締める住民たちの手に力がこもる。暴発を防ぐ必要性を感じたアシュレイは喋り続ける男に近寄ろうとしたが、それより先にゲインがその男を強かに殴りつけて黙らせた。

 「改めて聞くぞ。今日、ここにやってきたのは、お前らで全員か?」

 その男は弱々しく首を横に振った。

 「残りはどこだ。正直に答えたなら慈悲を見せてもいい。戦友のよしみだ」

 男は鼻息も荒く口を開いた。「ここから東に行ったところに小さな盆地がある、あります。そこに民家があって、そこを拠点にしています」

 アシュレイは素早く地図を取り出して確認する。確かに地図上には空白の地帯があるが、しかし人里の存在までは記されていなかった。

 「何人残ってる?」

 「五人、です」

 「女は? ここから攫っただろう」

 「います」

 「生きてるのか?」

 「俺たちが出たころには、まだ生きてました」

 ゲインが襟首を掴み上げ、捻りを加える。

 「嵌めるつもりじゃないだろうな?」

 男は怯えきった表情を苦しそうに歪めた。弱々しく呻いたあと、少し血を吐いた。「嘘じゃない、本当なんだ」髭を伝って地面に落ちた赤の中に、折れた歯の白が混じっていた。

 アシュレイが締め上げる背中に声をかけた。

 「そいつは少なくとも嘘をついてはいない。その男が正気で、誤った情報を正しいと思っているのでなければ、真実を言っている」

 ゲインは少し考える素振りを見せたかと思うと、あっさりと男を解放した。「そうかい」

 「自分で言うのも何だが、あっさりと信じるな?」

 「何か確証があるんだろう? 今は目的を同じくして組んでるわけでもあるしな」

 いまさら疑っても始まらないといった態度。ゲインは成り行きを見守っていたウィレットを呼び寄せる。

 「ちょっとこれから遠出をしてきます」

 「はあ、遠出……ですか? 今すぐ、でしょうか?」

 老人は畏まった様子で尋ね返した。顔には一連のやり取りも含めての困惑の表情と汗が浮かんでいる。

 「仲間がいつまでも帰ってこないとなると、どんな馬鹿でも不審がるでしょう。やるなら今しかないってことです」

 ここ数日から今にいたるまでに目にしたものの衝撃で、その発言の意図を理解するのに老人の頭は少しの時間を要した。

 「……よろしいので?」

 「まあ、そういう約束ですからね」

 ゲインがご機嫌窺いとばかりに視線を投げてきた。話のなりゆきからこうなることは分かっていたが、ただ快諾するのも面白くないため、アシュレイは指を一本立てて貸しであることを伝えた。

 二人が連れ立って歩き出したところで背中に声がかけられる。

 「待ってくれ」いましがた尋問されていた男が拘束された両腕を掲げて言った。「約束を──」

 「もちろん守る。もうこれ以上はやらんよ、俺はな」

 男の言葉を遮ってゲインが告げた。ウィレット、ダン、それから農具を持った住民達に視線を送る。

 賊どもは声を張り上げた。糞野郎。裏切り者め。殺してやる。

 「ここまでやっちまうと庇い立てはできない」

 「仕方なかったんだ。なあ、俺たちは戦友だろう?」臓腑を捻って搾り出したような哀願の声。「俺たちはあんたと同じように勇敢に戦った。言われたとおり敵を殺した。頼むよ」

 ゲインは振り返らなかった。

 叫喚。罵声。脱走兵たちは泣きながら小便を漏らす。叫びながら糞を漏らす。何度かの鈍い音。何度かの短い悲鳴。

 そのうち声は聞こえなくなった。鈍い音はまだ続いていた。

 アシュレイは隣を歩く男の顔を覗き込んで、言った。

 「代わってやろうかと聞いただろうに」

 「余計なお世話だ。ほっといてくれ」

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