第8話 消費

 その男、アドラーは脱走兵だった。

 大陸に近い北の寒村の農家に生まれ育ったこれといった取り柄もない平凡な少年であり、横暴な兄には殴られる、要領のいい弟には泣かれると、五人兄弟の三男であった彼はとにかく貧乏くじを引かされることが多かった。

 兄弟からですらその扱いだというのにもちろん親になど逆らえるはずもなく、物心がついたときにはすでに家業の手伝いを日がな一日やらされていたものだった。抵抗する機会に恵まれなかった彼は、忍耐を処世術として学んだ。

 十五の時に、義務により兵隊にならざるを得なくなった。

 兄弟のうち誰か一人を差し出さなければならなかった。兄たちは今や貴重な労働力であり、弟たちは幼すぎた。家に徴兵法の罰金を支払う余裕はなく、視線と、何気ない仕草──無言の圧力がアドラーに注がれ続けた結果、結局は彼のほうから申し出ることになった。

 村人達は総出で無事を祈るための宴を催してくれた。出立の朝、母は不安そうな表情で豪華な弁当を持たせてくれた。父は男の務めを果たしてこいと普段より優しく声をかけてくれた。

 しかし周囲の期待とは裏腹に、彼の内心は非常に暗澹としたものだった。同年代の村の子供達とは違い、彼は叙事詩に出てくるような戦争の英雄に憧れるような少年ではなかった。争いごとに対して特段憧れのようなものは抱いておらず、むしろ酒の入った村の大人たちの大げさな経験談や苦労話を聞くにつれ、どこか空恐ろしいものといった印象を覚えるようになっていた。

 召集場所として指定された付近の都市の公会堂まで辿り着き、無事に検査を終えると、程なくしてそれが間違いではなかったことを思い知らされた。

 体の奥底まで響くような怒声で痛罵される。足腰が立たなくなるまで走らされる。その挙句に自分が吐き出したものの中に倒れこむ。教練中の号令で一人だけ全く逆の方向を向いて頬を張られる。

 逃げ出そうと思ったことなど一度や二度ではなかったが、結局、彼はそれらに黙って耐えた。彼にとって苦難とは耐え忍んでやりすごす以外に対処しようがないものだった。

 結果としてそれは一定の評価を得ることにつながる。

 アドラーは生来の生真面目さと幼少期から培われた忍耐力により、弱音ひとつ吐かずに兵隊家業に勤しんだ。夜の見張り番では一度として居眠りしたことなどなく、ひとを痛めつけて悦ぶために考案されたとしか思えない訓練においても自分の意思で落伍したことはなかった。

 その努力が教官に、一通りの訓練が終了して国境付近に配備されてからは上官に評価されたときには、義務としてやらされ始めたこととはいえ喜びを覚えたものだった。それが高じて新たな兵科の設立を目的とした新編の部隊の一員として選ばれたときには、彼の胸の内には誇らしさのようなものすらあった。

 その命運が急変したのは休戦間際のことだった。数十年は膠着状態となっていた国境線での戦いで、自軍が敵──サルタナ軍を打ち破ったことに起因する。

 理由の一端はアドラーが所属する部隊、魔道兵と呼ばれる新たな兵科にあった。運用され始めて間もなかったが、それらは戦場に少なくない変化をもたらしていた。

 戦争とはいかにして神の奇跡を効率よく用いるか、その試行錯誤の変遷でもあった。いま現在各国で主流となっているのは、神の奇跡を行使できる信徒を戦術的に有利な地点まで護衛し決定的な戦果を得られる一撃を加えるというもので、凡百の信徒を血肉で出来た土嚢として使い、殺された以上の数を殺す。そういう戦い方だった。

 その要となる信徒、神がその威光をあまねく示すための末端の装置として先天的、後天的に作り上げられた存在は、使徒と呼ばれていた。敵からは忌み嫌われ、味方からは──無能でない場合に限り──尊崇の念で迎えられる存在。神より神気を下賜され、それを消費して神の奇跡を代行する存在。

 しかし、そういった戦争のやり方には大きな問題があった。使徒は、戦争という消費行為ですり潰すにはあまりに高価な存在であるという点だ。

 神との繋がりを認識し、流れ込む神気を奇跡として行使するためには、長い訓練と何よりも才能を必要とした。法則性があるにせよ感覚的な部分が多く、本人の素質如何によっては発現する結果に大きな隔たりがあるせいで体系化も一筋縄ではいかない。とにかく育成に手間がかかり、そのため急造での補充が大変に困難だった。

 消費される数を勘案してあらかじめ頭数を十二分に用意しておけば解決するのかというと、そうでもない。

 神の持つ神気は決して無尽蔵ではなかった。信徒を経由して回収される星髄の量に限りがある以上、信徒に分け与えられる神気の量には限度があるのは当然だった。神の手によって星髄から生成される作られるそれは、板金の工作、井戸の掘削、地下水の汲み上げ、鉱山の排水、果ては情報の伝達に至るまで、多くは国の産業の効率化のために利用されており、軍事への過度な傾倒は国力の減退、財政の破綻を意味していた。神の側から見ても、己のためにかき集めさせた星髄を消費することに対する忌避感がある。

 様々な国の様々な時代の王、預言者、議会、政府は、常にその適切な割り振りを行う努力を強いられていた。つまるところこのゲームは──どのようにして効率よくリソースを消費するかを競い合っていた。

 これらの問題の解決策の一つとして、ある技術が研究されていた。

 奇跡とは本来加護を受け、許可を得た信徒のみが行使することができるものだったが、それらの不自由、不都合をなんとかできないか、そういう子供の我侭のような要望がその技術の趣旨だった。

 発現する直前の奇跡を不活性化して何かの物質に封じ込める。使用者の意図に応じて再度の活性化を行う。場合によっては発現の方向性の再定義すら行う。

 この神気の操作技術は魔道と呼ばれており、技術としては以前から存在しているものだったが、それを行うためには専用の施設、熟練の技術者、高価な媒体を必要とし、生産される品は非常に値の張るものだった。

 カルマムルは他国に先んじてこれの費用の削減に成功する。奇跡の大安売り。神秘の冒涜。国体によっては禁止された技術だったが、自律心にあふれた──信心の欠如した──同国において奇跡、ひいてはそれを司る神を研究対象として俎上に載せる行為は、ごくありふれたものだった。

 それこそが同国の強みであり、カルマムルの神はそれを重々承知していた。自らを利するための試みであれば何もかもを許容する、野心的なプレイヤーだった。

 設立に関わった人間やそれを許可した軍の上層部にどう思われていたかはともかく、現場において初めは補佐程度にしか考えられていなかった魔道の実験兵は、次第に有用性が証明されていった。実戦を経て運用が洗練されてくるにつれ、ついには激戦区での働きを求められるようになっていった。

 その日、アドラーの所属する部隊は最前線に配置されていた。主力が敵正面を押さえている間に横合いから援護を行うようにとの命令を受けて。しかし山の中で地形が悪く、木々に遮られて射線が通らないことを理由に、部隊長は所定の位置からの前進を命じた。そこには遮蔽物が何も無く、身を隠せるような場所も無かった。

 前に進みすぎではないか。正面からの攻撃が始まってから姿を現せばよいのではないか。下士官が慎重に言葉を選びながら部隊長に何度も進言したが、それは意固地ともいえる態度で跳ね除けられた。

 最新鋭の装備を渡され、かけられた期待と予算に相応しい武功を立てようと、その部隊長も必死だった──そう好意的な解釈をするには、アドラーは当事者に過ぎた。

 頭の中では様々な罵詈雑言が渦巻いていたが、しかし結局、行動には移せなかった。今までそうしてきたように、ただ黙って耐えることを選択した。

 結果としてそれは致命的な失態になる。前に出すぎた部隊は敵に発見されると、国境線からの後退というサルタナ軍の受けた屈辱を全て込めたかのような攻撃を受けた。雨のような矢、奇跡による火球と石礫に加えて、貴重な砲を用いての攻撃までもが行われた。

 手に持っていた盾を掲げ、周囲の戦友が一人、二人と倒れていくなか、歯をかみ締めながらひたすら耐えた。実際には取るに足りない時間でしかなかったが、アドラーにとっては人生でもっとも長いものに感じられた。

 いつしか降り注ぐ敵弾がそれと分かるほどに減り、ようやく終わったかと魂が抜け落ちそうなほど深い安堵の息をついた瞬間、地面が沈み込むような振動を感じた。遠くから微かに大地を踏み鳴らす音が聞こえてくる。練兵場で遠巻きによく耳にした音。

 竜の足音。しかも一頭や二頭ではきかないほどの。

 装甲を着用した騎竜の一団が、同じく胸甲を身に付けて長柄の武器を手に持った兵を背に乗せ、土埃を巻き上げながら猛然と突進してきていた。横一列に、隙間なく並んでいる。殺意を持った壁。それが自分たちを押しつぶそうと迫ってきている。

 すぐにでも迎撃の態勢を取らなければならなかったが、号令を出すべき男は先ほどの斉射の一部を脳天に受けて草むらの上に横たわっていた。その隣には最先任の下士官の姿もある。

 その事実が他の兵にも伝染病のように広まると、戦列が崩壊していった。手に持っていた武器や盾、兜を投げ捨て、突進してくる騎竜から逃れようとばらばらの方向に散っていく。

 否応なしに死の影が脳裏をよぎった。足が震え、喉から情けない声が漏れる。気付けばアドラー自身も走り出していた。手には何も持っていなかった。いつのまにか放り出していた。

 背後で雄叫びが上がる。どれほどの規模かは分からないが、勇敢にも反撃を試みていたのが分かった。その後、すぐに悲鳴が上がる。肉と鉄が踏み潰される音に変わる。それを聞きながらアドラーは走り続けた。できるだけ木の生えた場所、障害物の多いところを目指して。時には目の前をもたもたと走る戦友を押しのけて。

 繰り返される悲鳴、怒号、破砕音。それらが聞こえなくなってからもひたすら走り続けた。後ろは振り返らなかった。

 

 心臓が限界を迎えた。吐き気と眩暈で立っていられなくなり、地面に倒れこんで激しい呼吸を繰り返した。堪らず胃の中のものをぶちまける。胃液の味で涙が出た。震える腕で目と口元を拭い周囲を見渡すと、そこには自分と似たような状況であると一目で分かる人間ばかりが集まっていた。

 時間が経ち、息が整ってくる。頭が働きだした。指揮官はいない。敵地でただ呆然としているわけにもいかず、誰ともなく帰還の提案がなされた。

 敗残者同士で寄り添うようにして地図を頼りに人目につかない場所を進む。幸運にも敵に見つかることはなかったが、携行していたものはほとんど投げ捨てていたため、道中、時折見つかる川で喉を潤すことしかできなかった。歩く力を無くした者、空腹に耐えかねて野草や樹の皮を口に入れて倒れた者、半数以上が脱落した。誰も救いの手を差し伸べてやる余裕はなかった。

 橋頭堡として設営された宿営地に戻るためにアドラー達は数日を要した。そして、帰り着いた矢先に同行していた者達も含めてその場で拘束された。

 困惑し、震える声で理由を尋ねると、部隊が潰走したと思っていた段階では先任者が生きていて指揮権を継承し、少数ながらも統制を取り戻して戦闘を継続していたとのことだった。つまり、生き残りの報告により敵前逃亡と見なされた。軍規に疎い者でさえ、それがどれほどの罪なのかは知っている。

 その場で即時処刑されてもおかしくはない重刑。世界が傾いたような錯覚を覚えた。決して、疲労のためだけではない。恐怖で膝が崩れそうになっていた。

 同時に、別のものが体を震わせていた。燃え盛る炎のような怒りだ。それは胸の内から沸き起こり、一瞬で脳天にまで達して体中に力を漲らせた。

 これは甚だしい裏切りだった。国に強要される形で兵士になり、過酷な訓練に耐え、軍務についても手を抜いたことなど一度もない。戦争が始まってからも同様で、決して少なくない戦果を上げたはずだった。任期を終えれば十分な褒章を与えられ、故郷に帰って自分の田畑を持つこともできたはずだ。自分が支払った涙ぐましい努力や健気な献身だけでなく、ささやかな未来すら踏みにじられようとしていた。それが自分の失態であればまだ諦めもついたかもしれないが、それは指揮官でありながら兵法のなんたるかを欠片も知らない無能のせいだった。

 憲兵が腰から抜いた剣を向けて収容所に向かうよう指示する。考える時間はなかった。アドラーが懐に手をやり魔道書を取り出すと、丸腰であることだけを見て安心していた憲兵達は驚愕に目を見開いた。彼らはアドラーが大隊付きの魔道兵であることを知らなかった。魔道書がかさばらない紙であることが幸いした。

 閃槍を発現。圧縮されていた神気が復元し奇跡が起こる。

 静止の声を上げる間もなく、憲兵たちは大きな火柱に飲み込まれた。

 アドラーはその場から無我夢中で走り去った。そこに居合わせた他の脱走兵もそれに続いた。混乱に乗じて備品庫を襲う。見張りを燃やし、目に付くものを持ち出した。食料。武器。医療品。

 宿営地が突然の火災で混乱に包まれたこともあり、脱走自体は簡単に成功した。しかし状況は予断を許さない。未だ自分たちは敵地の真っただ中にあり、体はいつ限界を迎えてもおかしくなかった。

 どうしようもないほどの不安に駆られた。冷や汗でぬめる顔を手で覆う。化鳥のような叫びが喉の奥から漏れ出たが、それを気にする人間などその場に居なかった。誰も彼もが同じような有様だった。

 耐え切れず、医療用の鎮静剤を取り出し、震える手で半分こぼしながら口に放り込んだ。周りから伸びてきた無数の手に引きずり倒され、薬を奪われる。別の誰かが離れた場所で同じものを飲んでいるのが見えた。殴って奪い、飲み下した。殴られて、また奪われた。

 次第に不安が薄れ、思考が明瞭になる。急速に醒めてきた頭を回転させて、何をするべきかについて考えた。自国に戻ろうにも、そのためにはまずもって国境を越える必要がある。そこにはカルマムルの守備隊がいるはずだ。素通りできればいいが、今日のことが全軍に通達されていれば今度こそ終わりだ。そうでなくても身分を検められることは間違いない。サルタナ軍であれば言わずもがなだ。

 彼らは相談した。このままサルタナから防衛網の薄い場所を見つけて第三国に抜ける。そこから海に出て、どこか遠い国に渡る。仮の身分を手に入れるか、密航する必要がある。そのための金も伝手も無かったが、それしかまともな案が出なかった。ビーシャフ、アライン、どちら側に抜けるにせよ、目下戦争中の国同士の国境を越えるよりはまだ成功の見込みがあるように思われた。

 不意に父と母、兄弟の顔、故郷のことが頭に浮かんだ。自分を犠牲にして平穏を享受している者たち。何の感慨もわかない。今そんなことを考えても何の役にも立たなかった。

 それから程なくして脱走兵たちは賊徒化した。逃げるためには食いつなぐ必要があったが、初めは外道に堕ちる踏ん切りが付かず、人目を避ける意味もあって山や森の奥底に潜んで自給自足をしようと試みた。しかし数十人の集団がろくに経験もない狩人の真似事で生活を行うなど土台無理な話だった。

 素知らぬ顔で難民のふりをしてどこかの街に逃げ込むべきだという声があがったが、結局はできなかった。自分たちの有様をよく見ろ。異邦の地に溶け込めるのか。ばれたらそこで終わりだ。断頭台に自ら首を置きに行くのとどう違うのか。疑念は尽きない。不安は拭えない。

 飢えと乾きは良識を剥ぎ取り、やがて恐怖を払拭させる麻薬と化し、彼らに大胆な行動を取らせることになる。

 そうして悪事は容易く行われた。平時は人気の無い場所に潜み、あたりを付けた小規模な村や集落を闇夜に乗じて襲撃する。腹と獣欲を満たした後はすぐに移動し、居場所を気取られぬように細心の注意を払う。各人役割を決め、隊列の前後で警戒を行い、整然とした足取りで誰ひとり脱落することなくまとまって行動を行う。まさに軍における訓練の賜物だった。

 そして彼らの不断の努力の他に、運も味方をした。実質的に敗れかけていたサルタナ軍が、国内の治安維持のために割く人員をできる限り惜しんだためだ。襲撃された村が軍に出動要請を送っても、それは常に曖昧な返答、期日を定めない了解によって答えられた。道中、戦争がとうに終わっているとの話を誰かが小耳に挟んだと言っていたが、誰も気に留めた様子はなかった。話していた本人ですら、他人事のようだった。彼らはもはや後戻りのきかないところに立っていた。

 その日もいつも通り、野盗の類にしては整然としすぎた隊列を組んで目標となる小規模な集落目がけて進んでいた。

 数日前に別の場所から拠点を移してきた直後、周囲に手ごろな獲物がないかと探っていた折に、荷車を引く一団を偶然見かけた。行き先を見定めたところ、集落と呼ぶのも憚られるようなみすぼらしい家々の集まりを発見するに至る。

 襲撃は危険を冒す価値があるかどうかを十分に吟味してから行われる。そう仲間内で決められていた。その家畜すらろくにいない集落から得られるものなど何もなさそうだったが、男たちの決断は早かった。そこには若く、美しい女がいたからだ。

 数人を送り込む。目論見はあっさりと成功した。僅かばかりの食料と共に女を奪い去り、ねぐらに連れ去って一巡や二巡ではきかないほど散々に犯し尽くした。

 暫くのあいだ巧妙に身を隠し、その地域から離れる準備を進めつつ、追っ手がかかるかどうか様子を窺う。幸運にもそれがないことを確認すると、行きがけの駄賃とばかりに再度の襲撃に踏み切って今に至る。

 何度も繰り化してきた行為に今さら罪悪感など沸きようもない。目標はもう目と鼻の先にあり、全員が息を荒げて走っていた。今度は全て奪うつもりだった。飢えは、より一層強さを増している。

 異変が起こったのはその時だった。不意に、鳥の鳴き声にも似た甲高い音が鳴った。アドラーは嫌な予感に足を止めて周囲の様子を窺ったが、薄闇には自分たち以外には何も見えない。何人かは聞こえなかったのかあえて無視したのか、そのまま目標を目掛けて走っていた。

 更なる異変が起きた。

 集落から幾筋もの光が伸びてきた。それは家々を避けるように蛇行しながら、水平にこちらを目掛けて飛んできていた。

 とっさに地面に伏せたアドラーの真上を、無数の光る球が尾を引いて飛翔していく。前を走っていた者、避けそこなった者達が光に打たれて悲鳴を上げる。地面に倒れ、痛みにもがき苦しむ。

 一度では終わらない。再び飛来した光の球は高さを変え、左右に曲がりくねり、更には上から降り注いだ。立っている者は皆無だった。ひとり残らず地面に叩き伏せられている。あの日と同じ光景。ほうほうのていで逃げ出した記憶がよみがえり、吐き気が喉の奥からせりあがってきた。

 光の驟雨は終わらない。眩く、圧倒的だった。それが延々と続く。闇が千々に裂かれる。通りすぎた光弾が木々に当たって表面を削り取る。すぐそばに着弾したものが地面をえぐり、砂が耳に入る。

 びちゃり、と何かが飛び散った。アドラーは頬にへばりついたものを拭う。最初の光弾で倒れた仲間の頭が追撃で砕け散っていた。

 光導索。光のひとつひとつは投石程度の威力しかないが、生身の人間ならこれで十分に死ねる。見知った奇跡だった。これほどの規模のものを目の当たりにしたのは初めてだったが、間違いなく、カルマムルで用いられている奇跡のひとつだった。

 利用し、切り捨てた上で処分しようとしている。これ以上ないほどふざけた話。怒りが湧いた。力が漲る。耐え忍ぶべきか、激すべきか。

 どちらにしろ碌な結果にならないことだけは分かっていた。

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