第5話 逃避

 ちょうど森が途切れたと同時に長かった山道が終わり、そこから先は視界いっぱいの平野が広がっていた。

 獣の群れの襲撃を受けてから二日ほど経ったが、結局襲われたのは先の一回きりだった。幸運にもそれからは野盗の類に出くわすこともなく見晴らしの良い場所へと出ることができている。

 現在、隊商は国境から南に大きく下った位置を進んでいた。戦場跡から離れたためか、ここまで来ると街道もある程度整備されている。竜車は山の中とは比べ物にならないほど快適に進んでいた。護衛の身分からしてみればやや不謹慎な感想だったが、いささか退屈といって差し支えなかった。

 平原の中に度々現れる田畑を僅かばかりの慰みにしながら、眠気を堪える。そのまま何事もなく次の目的地が見えてきた。西側にある小高い丘を含む形で円形に城塞が築かれた、小規模な都市。

 後ろでは珍しくアシュレイが起き上がっていた。森を抜けてしばらくは牧歌的な風景を眺めていたようだったが、それにもすぐ飽きたらしく、道中は幌を取り去った荷台で寝るか、外に足を投げ出しながら本を読んでいることがほとんどだった。

 今はしげしげと行く先にあるレイヤンという名の都市の外壁を眺めている。

 「そう変わった都市でもないと思うんだが」

 手綱を握って前を見ながらゲインが言った。

 「ああ。だが、初めて訪れる」

 「俺もだ。名前は聞いたことがあるがな」

 ほう、とアシュレイが声を上げる。

 「どういうところなんだ? 賑わっているのか? 寂れているのか?」

 「さあな、知らん。ただ、軍の次の侵攻予定地のひとつだったから聞き覚えがあるだけだ。それが実行される前に辞めたがな」

 「軍人だとか言っていたな」アシュレイの視線が都市の方へと戻る。「無傷のようだ」

 その発言通り都市の外壁はきれいなもので、欠けたところや焦げ跡などは見られなかった。

 「攻められる前に停戦までいったんだろう」

 何の気なしに放った台詞にアシュレイが食いつく。

 「地図を見る限りカルマムルに割譲されたハルマーからここまで障害になるようなものは見当たらない。ついでに攻め込んでもよさそうなものだが、何故、そうなった?」

 「お前さん見た目の割にお喋りだよな」

 「外見に関してあんたにどうこう言われたくはないな」

 アシュレイの憮然とした声。顔は見えなくてもどういう表情をしているかは想像がついた。中身は人食いの獣なんぞより余程おっかないというのに、気を張っていない状態では年齢相応の反応を見せる。

 「理由は、ある。聞きたいか?」

 「もったいぶるな」

 「じゃあ教えてやる。そもそもカルマムルとサルタナの戦争は八百長みたいなもんだ。表面上別の国になってはいるが、一番上の神様が一緒なのさ。同一の存在。つまり、自分で造った駒同士で模擬戦をやってるようなもんだ。本気で攻め滅ぼそうなんて考えるわけがないだろう?」

 沈黙。目を白黒させているのだろう。やがてアシュレイは鼻で笑った。「初めて聞いたな、そんな世迷い言は」

 「そうだろうな。極秘中の極秘だ」

 「あんたの辞める前の階級は?」アシュレイの小馬鹿にしたような声。

 「中尉だよ」

 「下っ端だな」

 荷台に横たわる音。やがて本の頁をめくる音も聞こえてきた。


 到着した隊商の一行は大いに歓迎された。

 街を囲む石壁とつながった門の手前で竜車を止め、にこやかな顔で歓迎の挨拶をする門番に、先頭の車両に乗り合わせていた商人が貿易許可証を提示する。

 身分証明が終わると、商人は目録と手数料を門番に渡した。目録には死んだ人間の名前と番号が記載されていて、遺体を包んだ布には対応する札がぶら下がっている。聞いた話では、それらは城塞の中にある共同墓地に葬ってもらう契約になっており、これも都市の貴重な収入源のひとつになっているとのことだった。

 門番に見送られながら隊商の列は城壁の中へと進む。前の竜車が動き始めたのを見て、なりゆきで御者を続けさせられていたゲインも竜を蹴り、強く鞭を入れた。並みの獣と違い、竜は表皮が硬すぎるせいで軽くやった程度ではびくともしない。

 久しぶりの街。休戦中とはいえ前線にほど近い都市であるためさぞや意気消沈した様子だろう、そう思っていたが、城塞の内部は思いのほか賑わっていた。いち早く戦争の影響から抜け出したのか、それとも戦時中もこうだったのかは分からないが、都市を縦横に分断する街路は人でごった返していた。

 御者台から身を乗り出して大通りを眺める。とてもではないが竜車が通れるような隙間は見当たらない。先頭の車両が交差点を曲がったのが見えたので、ゲインは慌てて座りなおし、手綱をそちらに向けて思い切り引っ張った。

 中央からは二つ、三つ外れた通りを進む。住宅街に面しているようで、路地の脇には洗濯物を干している恰幅のよい婦人や、大工作業に勤しむ禿げた中年の男の姿があった。隊商を目ざとく見つけた元気の良い子供がどこからともなく飛び出してきて竜車に併走する。珍しいのか竜の身体をぺたぺたと触っていた。

 「どけ、危ねえぞ」

 ゲインは手を振り、語気を強めて子供を追い払った。もし足でも踏まれようものなら骨折どころか潰れて二度と使い物にならなくなるだろう。子供の体力であればそのまま死ぬ可能性もある。治癒の奇跡を起こせる信徒に伝手でもあれば話は別だろうが。

 前の車両が木製の二階建ての建物に向けて右折した。ぶつかるのではないかとぼんやり考えるが、そうはならなかった。どうやらその建物は一階が柱と上階への階段だけの空洞になっているようで、そこに車両が格納できる構造になっていた。

 「あんたらはあっちだ。二階がそのまま宿泊施設になっている」

 先に降りて後続を待っていた隊商の人間に言われて向かいに目をやると、そちらの建物も同じような造りになっていた。ゲインは手綱を思い切り引き、騎竜に蹴りを入れ、そちらを向くよう促した。

 「着いたぞ」

 「ああ」

 アシュレイが荷台から飛び降り、階段を上っていく。その肩には自分の分の荷物しかない。

 「こいつはそのままでいいのか?」竜を指差して隊商の人間に尋ねる。

 「ああ。近くに厩舎代わりの小屋があるから、そこまで俺が連れて行く」

 ゲインは御者台から降りて伸びをし、凝り固まった背筋をほぐしてから礼のつもりで竜の頭を軽く叩いてやった。それが返事なのかどうかは分からなかったが、数日ほど世話になった竜は目を細めて喉を鳴らした。

 二階に上がると、簡素なものだったが寝台が並んでいた。数は明らかに利用者より多い。おおかた雑魚寝だろうと考えていたので少し気分が上向いた。

 アシュレイは大部屋の隅を陣取っている。ゲインはその隣の寝台に腰を下ろして装備の留め具を外した。どうせ他の連中も同じ竜車に同乗していた者同士で集まるに違いない。

 隊商の護衛として受けた依頼は国境からサルタナに入り、首都まで繋がる街道の入り口であるディリヤに辿り着くまでの間だった。道程としては半分を過ぎたことになるが、この街で何日かは足を止める予定になっていた。

 部屋に新しい人物が入ってくる。湯気の出る桶を抱えているのを見て、ゲインは手を上げて声をかけた。

 「よう。そいつはどこで貰ってきたんだ?」

 「少し先に行ったところにある食堂だよ。いい匂いがしてたぜ」男が言った。

 「借りてもいいかい?」

 男が無言で手を差し出した。そこに銅貨を一枚乗せると、場所を空けてくれた。

 「助かるよ。五日は水も浴びてないからな」

 ゲインがいかにもうんざりした調子で言うと、男が笑った。

 「ツラの割りに繊細だな。多少汚れたって死ぬわけでもないだろうに」

 「習慣なのさ。俺の故郷は温泉が取り柄でね。まあ、ひなびた田舎の数少ない娯楽ってやつさ」

 上着を脱ぎ、寝台の上に投げ捨て、手ぬぐいを湯につけて体を拭く。

 「お前さんも使わせてもらえよ」

 ゲインは背中を向けて装備の手入れをしているアシュレイに声をかけた。

 「いや、いい」

 アシュレイは振り返らずに言った。矢をくるくると回して一本ずつ羽の具合を確認している。

 帷子を仕込んでいそうな厚手の上着を脱いでいるためか、その身体の線は細く、やけに頼りなく見えた。荒くれ者の多い護衛の中でもひときわ異質だ。その中身は異質などという言葉ですら生温い。これほどの加護を授かった信徒には、そうそうお目にかかれるものではなかった。

 できれば友好的な関係を築いておきたいところだ。

 あの恐ろしい冷気の短剣は鞘ごと腰から外されて寝台の上に投げ出されている。改めて見てみると、ありきたりな拵えのものだ。とんでもない値打ちものだと言われて信じる人間は少ないだろう。

 体を拭いている最中、隊商側の人間が部屋に顔を出した。

 「これで全員か?」

 答える者は誰もいなかった。そもそも途中で数が減っている。雇用された側に分かるわけがない。

 「ここの三軒隣にある大百足亭という食堂を貸しきってる。食材が無くなる前にさっさと来いよ。最後の奴は鍵を閉めるのを忘れるな。もしそんなことになったら契約を即座に打ち切って罰金を払ってもらうからな」

 入口のそばにある金具に鍵をひっかけると、隊商の人間は扉を開け放ったまま下りていった。

 腹を空かせた男達が我先にと出入り口に殺到する。ゲインと一緒に身体を拭いていた男も木桶を指差し、終わったら捨てておいてくれとだけ言い残してさっさと行ってしまった。

 顔と頭を洗い終えて服を着る。アシュレイの姿を探す。ちょうど、点検の終わった弓と矢筒を抱えて立ち上がろうとしているところだった。

 「もしかして待たせたか?」

 「偶然だ」

 アシュレイはぶっきらぼうに言って短剣を腰に差す。ゲインも同様に、槍にしては少し短いそれを肩に担いだ。穂先は布でぐるぐる巻きにしてある。商売道具を手放す気はない。部屋に残していっている間抜けもいない。

 「そりゃよかった。さっさと行くか。腹が減って仕方がない」

 件の食堂は名前の通りにムカデの形の看板が出ていたのですぐに分かった。食欲が失せるほど写実的な造詣をしている。飯処としては不適切なほどの出来栄え。しかし、二階建ての建物のあちこちから湯気と一緒に漂ってくる美味そうな匂いは、その程度の嫌悪感などあっさりと吹き飛ばしてしまった。

 両引き戸を引いて店に入る。中は人でごった返していた。貸し切ったとの言葉通り、一階の大部屋に配置された円形のテーブルに座った客の面々はこの旅の道中で見た顔ばかりだった。二階部分は吹き抜けになっており、個室と思われる扉がいくつも並んでいる。宿泊施設を兼ねているのかも知れない。

 席はどこも埋まっている。唯一、空いているのは部屋の隅、しかも隊商長が独りで酒を飲んでいるという特等席だった。他に座れそうな場所が見当たらないため、仕方なく彼を挟むようにして二人は席に着く。

 「ひとりで楽しんでいるところ悪いが、相席させてもらうぜ、隊長さん」

 「構わんよ。パオロだ」

 自己紹介と同時に酒臭い息が四方にばら撒かれ、むせ返りそうになる。赤胴色に日焼けした顔がほのかに赤くなっていることに気付いた。

 「ご機嫌みたいだな」ゲインが言った。

 「着いてすぐ飲み始めたからな。そっちは遅かったじゃないか、中尉どの」

 「体を拭いてたんだよ。あとな、もうとっくに軍人じゃない」

 ゲインはいやそうに顔を歪めてみせたが、相手がそれを気にした様子はなかった。肩を震わせ、手に持った木製の酒盃を一息で空にする。

 「お嬢ちゃん!」

 「はい!」

 そばかすのある赤毛の若い娘が威勢のいい声を上げる。手に持っていた大皿を他の席に運び終えてから、愛想よく小走りで寄ってきた。

 「ご注文ですか?」

 「酒」「きれいな水。なければ酒でいい」

 ゲインとアシュレイがほぼ同時に答える。

 「すみません、井戸水は切らしちゃってて。お酒は、麦と果実がありますけど」

 「果実酒で」水で割ってくれとゲインが付け加える。

 「では、僕は麦の方を」アシュレイが腕を組み、周りを眺めながら言った。「あとは料理を何か。何でもいい」

 先に着いた他の面々は既に食事を始めていた。見ているだけで腹が減ってくる。

 「鳥を煮たのと焼いたのがお勧めです。スープもありますよ」

 「全部貰おうか」アシュレイが涼しい顔で言った。

 「中尉どのと同じものをくれ」

 パオロは空になった木盃を持ち上げながら付け加える。

 「ご注文ありがとうございます」

 店員の娘は要求を全て正しく理解したといった笑顔を振りまき、腰を折った。厨房へ顔を突き入れ、大声で復唱してそれを証明する。

 「しかし、こんなところで酒をかっ食らってていいのか? そんな形してるが、あんただって商売人の端くれだろう。お得意さんに挨拶して回ったりするもんじゃないのか?」

 癪に障る中尉呼ばわりへの意趣返しのつもりでゲインは言ったが、当のパオロは嫌味など意にも介さず盃を食堂の中央辺りに向けて掲げた。いかにも荒事とは無縁そうな、頬も腹も膨れあがった男が隊商の護衛たちと肩を組み、顔を真っ赤にして大口を開けて笑っている。

 「ここの支払いはあいつ持ちになっていてね。俺達はただで歓待を受けられて嬉しい、奴は面倒な商いの話が酒の勢いで片付いて嬉しい、ついでに金が落ちてこの店も嬉しい。一挙両得ならぬ三得というわけだな、中尉どの」

 半ば諦めの混じった声でゲインが尋ねる。「奴の用意した紹介状には何が書いてあったんだ?」

 「特にこれといって。あんたの名前と、簡単な経歴が書かれてあったくらいだ。自分で思っているよりも有名人だということだな、ゲイナー・アージェント中尉」

 「ゲイナー?」

 アシュレイが灰色の目を睨むように細めた。

 「ゲインは、渾名みたいなもんだ。軍の名簿の俺の名前にどこかの馬鹿がインクをこぼしたんだ」空中に指で自分の名前を書き、末尾を横線で消す。「そのせいでしばらくゲイン呼びされて、それが定着した。まあ、俺も気に入っちゃいる。親父に聞いたんだが、ゲイナーってのはカルマムルの聖人にちなんでつけられた名前らしいからな」

 確かにそいつはぞっとしないとパオロが俯いて笑う。酒が入ると気分が上向く性質のようで、初めの厳粛な印象はどこへやら今は常に何かしら笑っている。厳つい顔はそのままであるため不気味さが増していた。

 「まあ、そんなことはいい。あんた、あのいかれた女とは親しいのか?」

 「親しいなどと、恐れ多い」パオロが芝居がかった調子で祈るように両手を組む。「それなりの付き合い、といったところだ。あんたのことは、よろしく頼むと言付かっているよ」

 ゲインの舌打ち。パオロは鼻で笑った。

 先ほどの娘が盆に酒を載せて戻ってくる。三人はそれぞれを手に取り、控えめに掲げた。

 「乾杯」

 少し口をつけただけのアシュレイを尻目にゲインは一気に飲み干した。飲めない時期が長かったせいか、想像以上に染み入る。

 「いける口かね」パオロの獰猛な笑み。獲物を見つけたような顔。

 「軍隊じゃこれと女を買うくらいしか楽しみがなかった」

 ゲインは娘を呼びつけて二杯目を注文する。同じく飲み干していたパオロも便乗した。

 「これからの予定なんだが」ゲインは店の天井の梁を見上げながら記憶を探った。「確か、暫く滞在するんだったか?」

 「ちょうど二週間、赤から白に月が替わるまでな。予定じゃもう少し短いはずだったが、思ったよりも欠員が多いので少し補充することにした。なに、心配しなくても三食分の食事は出すように言ってある。退屈だったら街を見回ってみたらどうだ? 小さいが、娼館もあるぞ。何せ駐屯地が近くにあったからな」

 まるでお大尽のように優雅に過ごせるというわけだ。まったくありがたいことだが、自分の置かれた状況を考えるならそれに甘んじることはできなかった。

 「相談があるんだが」

 「何かね」

 「空いた時間でちょいと小銭を稼ぎたいんだ。何かないか? どんな仕事でも構わない。体力には、まあ自信がある」

 「見かけによらず遠まわしな嫌味だな」

 台詞とは裏腹に楽しげな声。給士が新しい酒を持ってきたので手にとって口をつける。パオロの方はというと、それも即座に空にして、また次の酒を持ってこさせようとしていた。この調子で飲んでいたのであれば、穴の空いた樽でも真っ赤になるというものだ。

 「そうじゃない。給金には満足してるが、ちょいと入り用なんだ」

 「ほう?」パオロが興味ありげに片眉を吊り上げる。

 「いや、大した理由じゃないんだ」

 「借金か?」

 「いや……大した額じゃないんだ」ゲインは視線を泳がせる。

 パオロはひとしきり笑ってから、「カルドア」と大部屋の中央に向かって怒号のような低音を響かせる。

 先ほどの恰幅のよい男が振り返った。彼を囲む人々に手を振って別れを惜しむ挨拶を済ませ、ぱたぱたと間の抜けた足音を鳴らしてやってくる。

 「やあやあ、珍しくご機嫌じゃないかパオロ。友情の再確認は終わらせたつもりだったが、物足りなかったかね」

 「そいつはもう結構なんだが、すぐに稼げるあてはないか?」親指でゲインを指し示す。「こちら、件の中尉どのがご所望だ」

 「これはこれは。わたくし、この都市で商いをしておりますカルドアと申します」

 パオロが付け加えた。

 「この男は大店を構えているほか、街の商工会を取り仕切ってもいるから顔が広い」

 「お噂は伺っております」

 カルドアは両手を揃えて頭を下げ、腹や顔と同様に膨れ上がった手を差し出してきた。ゲインは少し躊躇ってから、それを強くも弱くもない力で握り返す。初めの印象どおり荒事とは無縁の手だった。

 噂とやらが気になったが、藪をつつくこともないとゲインは早速話を進めた。

 「不躾なお願いで恐縮ですが、何か仕事を紹介してもらえれば、と」

 「いえいえ、困難は唐突に、誰にでも降りかかるものです。手を取り合って挑むべきですよ。まさに、貴方のような勇壮の士にこそ相応しい問題がありまして」

 嫌な予感がした。人懐こい笑顔と共に切り出されたのはまさにその通りの話で、街から北東に二日ほど歩いたところにある集落が、野盗による被害を受けているとのことだった。

 「うってつけというわけだ」パオロがにやりと笑う。「どうするね?」

 結局はこれか、と思わなくもない。ゲインは膝に手をついてしばらく煩悶する。騒々しい店内で、そのテーブルだけが周囲から切り抜かれたように静かだった。カルドアがどこか不安そうに、パオロが見世物でも眺めるかのように答えを待っている。アシュレイだけは気にした様子もなく、運ばれてきたばかりの料理を黙々と食べている。

 「報酬は?」

 「ディルハム銀貨で百枚ほどだそうで」カルドアが答える。

 半分を返済に充てたとしても一月は遊んで暮らせる額だった。

 ゲインは眉間に皴を寄せ、手に持った酒杯の水面を見つめた。そこに映った男がしけた面で囁いている。相手は悪党。気に病むことはない。

 中身を飲み干し、顔を上げる。

 「詳しい話を伺っても?」

 カルドアが大げさに胸をなでおろした。

 「しかし、北東か」パオロが顎をさすった。「あんなところに集落なんてあったか? 周りには山しかない不便な土地だったと記憶しているが」

 カルドアは口ごもり、ゲインの顔色を窺うように視線をさまよわせる。

 「その……戦争で故郷を失った人間たちが寄り集まって最近できたようでね。たまに狩った獣の肉なんかを売りに来るのさ。行政には村としては認められていないが。そのついでに厄介事を頼まれた、というわけだ」

 「この街に受け入れてはやれないのか?」

 パオロが思い付きを口にするが、カルドアは嘆息して首を横に振った。

 「もうかなりの数を入れているんだ。住む場所と仕事を見つけてやるのも容易じゃないし、難民を優遇するとなると元の住人の反感も無視できないよ」

 「難しそうだな。まあ、部外者に言われるまでもないか」

 「野盗の規模はどれくらいですか?」

 話が妙な方向に飛び火しないうちにゲインは尋ねた。

 「夜闇に乗じて行われたそうで、襲って来たのは大体、四、五人程度だそうです」それで全てかどうかは、と声を小さくする。

 「そういったことはよくあるんですか?」

 「いえ、どうにも初めてだったようで、とにかく焦っておりました」

 そうであれば、全員とは思わないほうがいい。様子見も兼ねて仲間内の何人かで襲ったと考えるのが妥当だ。軍にいたころにその手の話を山ほど聞いた。もっといるとして、最悪は十倍。かなりの規模だといえる。

 「若い娘がひとり拐かされたそうで」

 カルドアがそう言ったとき、ゲインがぎくりとして固まった。隣で我関せずとばかりに食事を続けていたアシュレイの手も止まる。

 「そいつはまた……ご愁傷様ですね」山賊、間違いなくは男だろう。攫われた女の末路の想像は容易い。「しかし、離れた街の有力者にまで頼みにくるなんて、余程切羽詰ってるみたいですね。そりゃまあ死活問題なんでしょうが。うちの方では、その手の問題は主に軍隊の仕事でしたが」

 カルマムルにおいて賊の討伐のような武力を伴う治安維持は軍の役目だった。兵科の違うゲインには縁が無かったが、経験を積ませるため歩兵、騎兵を問わず新任の部隊長に経験豊富な部下をつけて行われることが多かったと聞いている。効果のほどは中々だと思われた。その時のことを尋ねると、自信を付けたのか自分の活躍を鼻息荒く誇張気味に話す男もいれば、額に二度と消えないような皺を刻んで黙り込む者もいたが、いずれも戦場ではそれなりに頼りになった。

 「こちらでも一緒さ。何しろカルマムルとサルタナ、この二つの国はひどく似通うからな」

 この半島、ひいてはそこから繋がる大陸には大小様々な国が存在していたが、カルマムルとサルタナは国家において神の為す役割が非常に小さいという点で酷似している。力の大小ではなく存在感の大小。ここ百年あまり、二国の神は奇跡を下賜するのみで、国の運営に関して不介入を貫いていた。形骸化して半ば儀式と化しているが、重要事項における政府の決定を最終的に許諾する以外は完全に政からは距離を置いている。そのため、信徒側には国家運営においてほぼ全権が委任されていた。

 手綱を持つ手が恐ろしく緩んだに等しい両国の信徒は良く言えば自律的だった。この設計思想はある面において非常に優れたものだ。全体として正しく動くことさえできれば、各人が能動的であるということは効率に直結する。多様性に繋がる。良し悪しはあれど、変化を呼び込む。

 しかし、二国がその性質そのままにまったく異なる文化や政治体制を形成したかというと、そうはならなかった。

 個としての自律は全体としての無軌道に陥りやすい。彼らはその節操の無さでもって、これはと思われる文化、技術、思想、その他あらゆるものを他国から吸収、時には窃盗まで行ってきた。地形、気候的な条件が相似していることもあって、特にお互いに対して顕著に。

 サルタナが海路を通じて大陸から荒れ地に強い作物の種を仕入れると、その三年後にはカルマムルの各地にその作物の畑が出来上がり、カルマムルの退役軍人の研究者が軍人と傭兵の目的の違いから来る軍の質、士気低下の懸念を訴えると、翌年にはサルタナの傭兵の組合や斡旋業者の不況へと繋がることさえあった。

 「あんたのとこは?」ゲインがパオロに尋ねる。

 「少し前までは預言者を通じて国政の舵を切っていたが、ここ二世代ほどは神託を議会に授ける形で大方針を決めるだけになっている。国政に多数が関わるというのは不都合も多いが、やはり利点も多いようだ。果ては君たちのようになるのかもしれない」

 これも時流かねとぼやく。ゲインは曖昧に頷いた。

 ただの操り人形ではそれこそ信徒が存在している意味が無い。いつだったかエシオンが語っていた。効率を求めた結果、盤面全体がこの方向に推移していると。加えて、こうも言っていた。これは自立と服従という性質の異なる要素を両立させなければならないという構造上の難題を含んでいる。

 その結果訪れるものを想像してか、気違い女は薄ら笑っていた。

 「それで、軍はどうしてるんです?」ゲインが話を戻す。

 「嘆願してはみたのですが、どうにも部隊の再編中とかで、色よい返事は貰えませんでした。しかし、休戦からしばらく経つのに兵隊の補充が終わってないなんてあるんでしょうか」

 収めた税金の使途に懸念があるのか、表情には明らかな不満が見え隠れしている。ここは危うく戦場になりかけた街だ。住人として明日は我が身かと感じても不思議ではない。

 「ご教示差し上げてはどうだ?」

 パオロが運ばれてきた鳥の丸焼きから手羽先の部分を千切って口に入れる。口ぶりから恐らく元同業者であることが窺えた。

 場合によりますが。そう前置きをしてからゲインが説明する。

 「確かに三ヶ月もあれば剣や槍を持って指示された場所に突撃するくらいはできるようになります。ただ、指揮官や弓兵、工兵なんかの特殊な技術を必要とする場合、そうはいきません。ある程度時間をかけた教育が必要になります。この例えが的を射ているのかどうかは分かりませんが、貴方の店で新しく丁稚が働くことになったとして、少しばかり勤め上げたくらいで責任ある仕事を任せられますかね?」

 カルドアの口からは納得の声ともため息ともつかないものが漏れた。

 「既に訓練の十分な部隊を他所から引っ張ってくるのであればその限りじゃありませんが。どうです?」

 サルタナは南こそ海に面しているが、北側の国境でカルマムルと接しているほか、小国ながら西はビーシャフ、東はアラインと三方を異なる国々に囲まれているため、それぞれに方面軍として戦力を分散させなければならない状況にあった。目下のところ最大の問題であるカルマムル以外とは友好的な関係を築いてはいたが、それが国境線の防備を緩めていい理由にはならない。

 「兵隊の移動があったという話は聞き及んでおりません。人の移動があればお金も移動しますので、間違いないかと」

 確信に満ちた声で答える。つまり編成中との返答は概ね真実で、それらが出張ってくる可能性は低いらしい。

 「その集落の自衛力や他の傭兵には期待できないんでしょうね」

 軍もだが、それがあてにできるのであればこうして声がかかることもなかったはずだ。どうやっても今すぐには頭数を用意できないということになる。悪い話ではなかった。ひとり頭の取り分は増える。

 ゲインは暫く考えてから口を開いた。「具体的に、俺は何をやれば?」

 「賊の退治をして欲しい、とだけ窺っております」

 「難しいかい?」パオロが茶化すように言った。

 勝算のあるなしでいえば十分にあったが、足元をすくわれる可能性も少なくはない。しかし、それでも銀貨百枚はいかにも惜しかった。それに何より、戦争難民が寄り集まってできた集落というのがゲインをその気にさせていた。焼けてくすぶる街並み。黒焦げの死体。逃げる栗色の髪の少女──攫われた若い女。

 多少は赦しが得られるかもしれない。悪夢が遠のくかもしれない。

 「少し外すが構わないか?」

 我欲に目がくらんで不義理を働こうとしているためか、ゲインの声には知らず申し訳なさが混じっている。しかし、予想に反してパオロはあっさりと許可した。

 「構わんよ。ここからは街道が整備されているし、多少とはいえ自警団や軍の巡回もある。それに、護衛の報酬は無事に目的地に着いた後に払う契約になっているから、万が一の場合でも損にはならん。まあ、出発前に無事戻ってきてくれるにこしたことはないがね」

 「俺の勘違いでなければ、妙な厚意を感じるな」

 「そりゃあ、恩を売っておきたいからな。優秀な個体は鞍替えしても大抵の場合は優秀だ。あんたを引き込んだとなれば俺の査定も上がる」

 あからさまな誘いにゲインも苦笑するしかない。「篤い信仰心だ」

 神の争いが直接的な殴り合いから間接的なものに切り替わったあと、争点は対手の駒を如何にして盤面から取り除くかに推移した。信徒に対する裏切りの誘発や取り込み工作は有史以来あきるほど繰り返されている。

 「それが普通の信徒さ。信仰心を示し続けて結果を出せば、甘い汁が吸えるかもしれない。あんたのように神様の方を選べそうなのはごく少数だよ」

 ゲインは両手を膝について頭を下げた。

 「恩に着る。誘いに色よい返事はできそうにないがな。あと、申し訳ないついでに野宿用のあれこれと、一人助力を借りたいんだが」

 「その口ぶりだと、誰でもいいというわけではなさそうだな。どいつだ?」

 「こいつだ」

 ゲインは隣に目を向けた。その場の注目を集めたアシュレイは、鳥の骨からとったスープにパンを浸しながら言った。

 「何やら勝手に巻き込もうとしているようだが、それはいい。ひとつ疑問がある。あんたが、大勢の賊を相手に、一体何をどうするつもりなんだ?」

 その台詞の意味を理解したパオロが大笑いし、引きつり、咳き込んだ。周りの連中が何事かと恐る恐る振り返っている。

 「なるほどね。てっきり俺は中尉どのがあの獣どもを追っ払ったもんだとばかり思ってたよ」

 「やろうとはしたんだよ」ゲインは居心地の悪さをごまかすように料理に手を伸ばした。「こいつが先に片付けちまったんだ」

 怪訝そうな顔で見つめるアシュレイに、ゲインが付け加える。

 「ああ、もちろん報酬は山分けだ」

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