第2話 アシュレイ

 油断のならない仲介人であるマクディーアから呼び出しを受け、アシュレイ・リンドナーはとある料理屋の奥まった個室で仕事の依頼人と引き合わされることになった。

 部屋の入り口で依頼人を観察する。分厚い胸板。角ばった顔。節くれだった指。堅気には見えない。

 「思っていたよりもずっと若いな」

 「そうか」

 アシュレイは短く答えて席についた。しばらく無言で向き合い、相手の出方を窺っていると、好きなものを頼めと言われた。遠慮なく高いものから順に五つを注文する。

 運ばれてきた料理を何ら気兼ねすることなく口に運ぶ。依頼人はそれを渋い顔をして眺めながら、あらぬ方向を指さした。

 その先、格子と観葉植物の葉の隙間からは店の入り口が見える。そこには今しがた店に入ってきたと思わしき若い男が立っており、隣の女に対してにこやかに声をかけているところだった。

 年のころは二十台の前半、下がった目じりと浮かべた笑顔から、やや頼りないが優しげな印象を受ける。女たらしの類だろうとアシュレイは推察した。

 依頼人がテーブルに身を乗り出し、小声で告げた。

 「奴の行動を確認しろ。誰と会い、何を話したか。あるいは何をやりとりしたか。可能な限り見聞きして俺に伝えろ」

 「期間は?」

 「ひとまずは半月。報告は三日おきにしてもらおう」

 「欲しい情報について教えてもらえると仕事がやりやすいが」

 「余計な詮索は無用だ。知りえた何もかもを報告しろ」

 譲る気配のない声音。「分かった。報酬は?」

 「一日につき銀貨二枚」

 そっぽを向いて少し考えてみせると、依頼人は溜息をついた。「報告を聞くついでに、また何か奢ってやる」

 アシュレイは頷き、魚料理をきれいに骨だけにしてから立ち上がった。

 何気ない足取りで件の男のそばを通り過ぎる。その際、臭いと声を記憶した。連れの女がボダン、と呼び掛けていたのもそこに付記する。

 店を出たアシュレイは早速仕事にとりかかった。間違っても相手の視界に入らないように、まずは距離をとる。家屋三軒分。人がいない路地を選んで佇み、神気の残量を確認する。ここ暫くは消費を控えていたはずだったが、その量は心持ち増加しているといった程度でしかなかった。

 信徒を経由して収集された星髄を原料とし、神の御業によって神気は生成される。少し前までは僅かずつではあっても供給されていたが、今は完全に停止していた。

 つまり神はいま、困窮しているのだ。もしかすると身銭を切っているのかもしれない。アシュレイは愉快な気分になり、思わずほくそ笑んだ。声を上げて笑おうかとさえ思った。

 仕事の途中であったことを思い出す。気を取り直し、ほんの僅かな量──平静を保てる範囲内で神気を消費した。

 奇跡を起こす。聴覚の鋭敏化。

 周囲から様々な音が流れ込んでくる。通りの雑踏の喧噪。民家の中から響く赤ん坊の鳴き声。それらの中から目的のものを探した。ドブの中に落とした貴重品をすくい上げるような作業。それほど騒がしい店でないのが幸いし、ボダンが女にささやきかける声を拾うことに成功する。

 他愛のない世間話。

 店への当たり障りのない感想と、相手の身なりへの賛辞。とりとめのない話に辛抱強く耳を傾けてからの柔らかい同意。初めの印象は間違っていなかったようで、女は同僚のやらかしたへまや自分の失敗談を面白おかしく話すボダンの語り口にすっかり聞き入っていた。

 食事と歓談が終わり、会計を済ませて二人が外へ出る。依頼人は裏口からとっくに店を去っていた。アシュレイは足音と体臭を頼りに目標を追跡する。

 人の流れから外れて辿り着いたのは瀟洒な造りの一軒家だった。女が鍵を開けてボダンを招き入れたことにより、彼女の持ち家であることが分かった。わずかなやり取りのあと、間もなく房事が始まる。

 翌朝、ボダンは女の家から直接、仕事場へと向かった。

 そこは大きな商会の支部だった。リカード商会。近隣の元締めのような存在だ。監視を続けていると、先日の依頼人の姿もあることに気付く。

 状況が理解できてきた。内部の監査の一環。あるいは醜聞により同僚の足を引っ張ろうと画策している。先日の依頼人の臭いからは、そのどちらであるかは判断がつかなかった。

 ボダンはその夜も先日と同じような行動をとった。ただし、別の女と。

 交友範囲は広く、通常の業務を終えたあと、自宅に真っ直ぐ帰ったことは一度たりともなかった。だが職場の人間とつるんでいるということもない。女の家、仮の借家と思わしきいくつもの住宅、会員制の遊技場、様々な場所を使って人と会っていた。

 アシュレイはそれを遠巻きに観察した。いずれも足を踏み入れる必要すらない。周囲を歩き回りながら会話を聞き、近くに喫茶店でもあれば一服しながらそれを行う。いつ、どこで寝起きし、誰と何を話し、どんなやり取りを行ったのか、見聞きした情報を包み隠すことなく報告した。監視期間延長の申し出があり、それを受諾する。

 彼には何人もの女がいたが、そのくせ一番多かったのは二回りほど年が離れていると思われるハワードという強面の男との密会だった。男色の気もあるというわけではない。ハワードと会うとき、監視対象は常に怯えていた。

 密会場所に辿り着くまでの足取りは明らかに他のそれとは違い、人目のつかない路地、店の裏口を利用することが多かった。

 やれ、という声。できません、という声。やれ、という声と、何かを強く叩く音。物が壊れる音。すすり泣く声。

 聞こえてくる会話の内容から事のなりゆきを推察する。低品質、または要求された数を満たしていない商品を納入し、正規の値段で販売する。浮いた差額は両者で分配。加えて商会の倉庫や販売経路を利用して禁制品をさばいている。

 報告書に記載する。

 もう許してください。人の女に手を出しておいてそれで済むと思っているのか。感づかれています。今さら抜けられるわけがないだろう。殴る音。倒れる音。うめき声。泣き声。

 アシュレイはこれといった感想を抱かず、全ての会話を書き写した。商いの機微など知ったことではないため、全てをありのままに。過大な成果を仄めかしもしない。監視対象を脅して余禄にあずかろうとも思わない。

 「もう調査は結構だ」

 その晩、食事をしながら報告書を眺めていた依頼人が言った。

 「お役御免か」

 「十分に働いてくれた。最後に特別な支払いをしたい。明日、日が高いうちに商会に出向いてくれ」

 どこの、とまでは言わなかった。


 翌日、正午きっかりにリカード商会に出向くと、受付がアシュレイの人相を確認して商会建物内の執務室まで案内してくれた。

 「報告内容についての精査が終わりました」

 室内は一見簡素で、調度品の数も少ない。しかし素人目にも質のよいものが揃えられているのが分かる。部屋の主の性質の表れ。アシュレイはそれを無機質に眺めていた。

 つやのある美しい木目の机。そこに、シュルツと名乗った商会幹部が座っている。痩せぎすの神経質そうな中年男。声は僅かに枯れており、精神的、肉体的な疲労が聞き取れた。

 その隣と部屋の入り口付近、アシュレイを挟みこむように大柄な男達がひとりずつ控えている。どちらも打擲用と思われる棒状の革袋を腰に下げていた。殺すためのものではなく、痛めつけるためのもの。入口に陣取っている方は先日までの依頼人だったが、今日初めて会ったような顔をして立っている。

 「実に詳細に記されておりました。なかなかに信じがたい内容でしたが、出てくる単語や人名から真実であると判断いたしました。決定的な成果であると言えるでしょう」

 「そうですか」

 アシュレイは平坦な声で答えた。目の前の相手の鼓動が早くなり、表面には浮き出ていないが汗の臭いがうっすらとしていることに気付いていた。この男の内心が音と臭いで伝わってくる。原因については心当たりがあった。求められた以上の仕事をしたせいに違いない。

 「報酬をお受け取りください」

 その台詞を合図にして、側仕えが威圧するように前に出る。アシュレイの手に小物入れが手渡された。

 意外なほどの重さ。即座に中を検める。全てが金貨だった。視線でその意味を問いかけると、シュルツはうなずいて言った。

 「お察しの通り、条件があります。ひとつ、誓約を結んでいただきたいのです。内容は単純、今回の件を決して口外しないこと、そして何かの形で残さないこと。それだけで結構です。いかがでしょう?」

 シュルツは立ち上がり、アシュレイに向かって机越しに手を伸ばす。そこには僅かながら神気がまとわりついていた。

 誓約の奇跡。

 「承諾していただけるのであれば、この手をとり、私の口にする誓詞に心の中で頷いていただくだけで結構です。もちろん、誓約が有効となるのはこの件に関してのみですので、ご心配には及びません」

 取るに足らない条件だった。アシュレイとしてはこれ以上深入りするつもりはない。また、シュルツの言葉に嘘や偽りがないことも分かっている。前のめりではあるものの、相手を欺こうとする人間に特有の焦燥が見られない。

 アシュレイが手を握り返すと相手は満足げに頷き、目を瞑って念じた。

 悲鳴が上がる──シュルツの。

 シュルツが慌てて手を離し、飛び退って壁に背中をぶつかる。その痛みに顔をしかめながらアシュレイの手と触れ合っていた部分をしげしげと眺める。そこだけ赤くかじかんでいた。

 面倒な誤解を招く前にアシュレイは説明する。

 「言っておきますが、僕が何かしたわけではありません。僕の神が狭量なのです」

 背神者を根絶やしにしろとの託宣をよこすくらいには。

 シュルツがしもやけのあとをさすって痛みに顔を歪める。

 「事情は分かりました。それとなく。しかしそうなると、追加の報酬をお渡しするわけにはいきませんが」

 「もちろん、貰うつもりはありません」

 受け取った小物入れをつき返し、さっさと退散するために机の上の弓と矢筒、短剣に手を伸ばす。部屋に入る際に預けたものだ。

 護衛の片割れがそこに割って入った。

 「何か?」

 護衛の代わりにシュルツが答える。

 「不可抗力だというのは理解しました。しかし、こちらとしても懸念材料を残すわけにはいかないのです」

 アシュレイは目を細めて注意深く観察する。

 彼は意識的に呼吸を整えようとしていた。攻撃の前兆。弓を引き絞り、放つことができる瞬間を見計らっている。前後の屈強な護衛達がその矢だった。彼らは戦意に満ちていた。同時に、見た目は線の細い少年でしかないアシュレイの姿を見ての侮りを隠せないでもいた。

 「好ましい結果にはなりません」

 忠告は無視された。シュルツが手を掲げて指示を出す。直後、アシュレイの耳は後ろから護衛の一人が素早く寄って来ているのを足音の位置から感知する。

 アシュレイは身を屈め、背後を振り返ることなく男の手を躱して足を蹴りつけた。

 金切り声が上がる。

 明らかに舐めきっていたもう一人が血相を変える。微かながらその巨躯に神気の高まりを感じた。腰の革棒を抜き、振り上げ、アシュレイの痩躯目がけて遠慮なしに叩きつける。

 アシュレイも応じる。残量のことは頭から追い出し、神気を全身に行き渡らせた。神の法でもって体を変質させる。

 棍棒を握る手を事も無く掴み返すと、力づくで引き寄せ、逆に護衛の脇腹を殴りつけた。大男は打たれた箇所を押さえて一瞬動きを止めたが、睨み上げてくる目にはまだ戦意があった。もう一度腹を殴って体を折らせ、顎を叩き、ふらついたところで後頭部を掴んで本棚に頭から突っ込ませる。

 本棚が倒れた。花瓶が割れた。巻き添えで他の家具も倒れた。下敷きになった男が痙攣を始めた。

 アシュレイは驚愕の表情を浮かべるシュルツに詰め寄って胸倉に手を伸ばした。細身とはいえ大人の男を机越しに腕一本で吊り上げる。

 「下らない真似をさせるなよ」

 「方法を誤ったことについては謝罪します」シュルツが息を詰まらせながら窮状を訴える。「我々としても、何もしないわけにはいかなかったのです」

 「そちらの不安は理解できる。しかし、悪いがあんた方で勝手に折り合いをつけてくれ。要求された仕事は果たした。約束された報酬は貰った。これ以上は何もない」

 「取引をしませんか。貴方と良き関係を結びたい」

 買収にしくじったと見るや脅迫し、次は恥も外聞もなく哀願と懐柔。感心す《不遜を贖わせろ》ら覚えるほどの節操の無さだ。

 頭の中で不意に狼が吠えた。

 脳天に血が上る。怒りで抑えがきかなくなり、体はほとんど勝手に動いていた。

 シュルツをさらに引き寄せて頬をはる。二度。三度。鼻と口元から血が流れ落ちた。何か言おうとする前に腹を殴る。ごぼごぼと、まるで溺れたような音が血と唾液に混じって口から漏れた。

 獰猛で傲慢な怒りが頭の中で反響し続けている。この男の卑屈な面構えも、豹変した態度も、何もかもが癇に障った。神気にまとわりつく至尊の感情がアシュレイの自我を押し流そうとしていた。

 自分を好きにされるのは寒気がするほど不快だった。それが度し難いほどの間抜けの手によってとなれば尚更に。

 《血を撒き散らせ》

 このままいたぶり続けたところで得るものなどありはしないというのに狼は吼え続ける。

 アシュレイは固く握りしめた拳をシュルツではなく別の適当なものに向けた。机を殴る。何度も何度も殴りつける。黒檀にひびが入って木片が飛び散り、皮膚が破れて血が噴き出した。その痛みのおかげでようやく主導権を取り戻し、シュルツを拘束した手から力を抜くことに成功する。

 解放され、よろめいて倒れた痩せ男の目には困惑と恐怖があった。気がふれた相手を見る目。

 「取引とは、なんだ?」

 アシュレイが手をさすりながら言った。

 シュルツが苦しそうに咳き込んだ。乱れた服と息を整え、血と汗を拭って弱々しく口を開く。

「貴方が得た情報に相応しいものをお支払いしたい。我々が貴方にとって有用であることを証明する機会を与えていただきたい」

 「あの金貨を受け取ればあんたは安心できるのか?」

 シュルツが体を震わせる。

 「十倍でも足りません。あれが知れ渡れば──少なくとも責任を負う立場である私は破滅します。なんとしても抑えこまなくてはならない。何か、要求をしてください。金銭が必要ないのであれば、それ以外でも構いません」

 望んでいるものはある。解放と自由。この男がそれを与えることができるとは思えない。

 「第六中隊の第三小隊という言葉に聞き覚えはあるか? モース。フリッツ。ロドニー。リーチ。ロベール。ミラー。エルツ。これらの名前には?」

 シュルツは暫く考え込んだ。救いを求めるように護衛たちに視線を向けたが、そちらはまだ倒れたままだった。

 「その、もう少し詳しい話を伺ってもよろしいでしょうか」

 「サルタナ軍の部隊名と、そこに所属していた人員の名前だ。ここ──カルマムルではない。行方を追っている」

 やはりシュルツは首を横に振る。

 「申し訳ありませんが……」

 「そうか」

 アシュレイの素っ気無い態度──もとから期待などしていなかったためだが──を落胆と取ったシュルツが慌てて取り繕う。

 「何か分かれば必ず伝えます。いま、どちらにご宿泊なされているのでしょうか」

 「僕を紹介した者に伝えれば届く」

 自分の居場所を教えるような愚をおかすつもりはなかった。狩人としては半人前以下の行為だ。仲介人とのやり取りにしても間接的な連絡手段を設けている。

 「すぐに調べ上げてお伝えします」

 「待っている。それともうひとつ。これからサルタナに向かおうと思っている。なにか行きがけに稼げるような、都合のよい仕事を用意してもらえるか」

 「それでしたら、すぐにでも」

 「もういいな?」

 アシュレイは相手の反応を待たずに自分の得物を引っつかんだ。手早く腰に戻しながら部屋を後にする。

 外には騒ぎを聞きつけた人でごったがえしていた。その中にはボダンの顔もある。彼の行く末は想像に難くない。

 「やめろ! 手を出すな!」

 シュルツが叫び、苦しそうにあえぐ。人垣が二つに割れた。通る際に引っかけようと伸ばされた誰ぞの足を蹴って二つに折る。叫び声。「やめろ! やめろ!」シュルツの悲鳴のような制止の声。

 商会支部は騒然となっていた。外に出て少し離れた位置を歩いていてもそれが聞こえてくる。奇跡を使うまでもなかった。「人を呼べ、本棚をどかせ」「骨が見えてる」「畜生、殺してやる」「落ち着け、まずは医者だ」

 アシュレイは知覚の可能な範囲を広げたまま移動を続けた。あてもなく街中を歩いていると、目の前に丁度よい立地の店が現れたので、足を踏み入れた。

 刃物を専門に扱う店のようだった。棚に陳列された品々は玉石混合だ。

 店主の視線や舌打ちに気付かぬふりをしながら、狭い店内をぐるぐると回る。一刻ほど商品を眺め続けた。入り口から店内に向けられる視線、周囲の音を観察し、尾行や監視の類が派遣されていないことを確信する。最も安い品のうち、一番頑丈そうなものを選んで迷惑料の代わりに購入した。

 また歩く。次は本屋に入った。

 紙の匂いに心地よさを覚えながら店内の二本の通路を行き来する。何冊か試し読みした。やはり、万引きを警戒する店主の視線以外には何も感じない。ひとまずの安全は確保できたと考えてもいいだろう。手に取った中から、なんとなく選んだ一冊を購入して店を出る。

 大きな街だった。アシュレイの持つ古い安物の地図にさえ大きく名前が記されているほどだ。周辺からは安寧と商機を求めて人が集まってくるらしく、どこへ行こうが人の気配、臭い、生活音があり、眩暈がするほど様々な物で溢れ返っていた。

 しかし、離反者は見つからない。

 今回の依頼を受けた理由にしてみても、調査という行為が渡りに船だったからに過ぎなかった。仕事のかたわら、またその過程で目標が見つかることを僅かながら期待していた。結局、空振りに終わる。いつものことだった。

 《不遜の罪を疾く贖わせよ》

 狼のうなり声。

 「喧しい」

 苛立ちのあまり声が出ていた。通行人が振り返る。怪訝そうにアシュレイに目を向ける者もいたが、素知らぬ振りをしてそれをやり過ごした。足を速めて人の間を縫い、何度も不要な右左折を繰り返して仮のねぐらに戻った。

 年月で薄汚れた、淡い黄色の漆喰壁の質素な建物。これといって目立つ部分のない外観をした宿だが、ひとつだけ特徴があるとすれば、それは利用者が極少数という点だ。アシュレイはそれを理由にここの一室を借りていた。

 逃げ込むように自室に戻ると、靴を脱ぎ捨て、短剣を手の届く位置に置き、寝台の上で丸くなった。薄い毛布を引き寄せて頭から被る。

 不意にこれまでの旅路が思い起こされた。故郷を出て、声に急き立てられるままにふらふらとさまよい、その日暮らしを繰り返して気付けば知らぬ国の見知らぬ土地にいる。放浪するのは構わなかった。帰る場所などない。だが、首輪と縄をつけられ、鼻面を引き回されるのは我慢がならなかった。

 神の声は探せとのたまう。理性は馬鹿馬鹿しいと言っている。身体は心臓を掻き毟りたいほどの焦燥に苛まれている。

 自分の有様を皮肉って嗤えるほどアシュレイの人格は年齢を重ねていなかった。惨めな気分から顔を背けるために目を瞑り、故郷のことを思い出した。消えた父。干からびて死んだ母。やがて体から力が抜け、すぐに眠りはやってきた。

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