レモングラスのせい


 ~ 九月二十二日(土) Night-time ~


   レモングラスの花言葉 爽やかな性格



 『敵国の王女と落ちる禁断の恋』


 それは王族にとっての夢。

 憧れのビッグイベント。


 一致団結して戦う国民への背徳。

 リミッターを外した熱いリビドー。

 葛藤と涙と深まる想い。

 そして悲しい結末率二百パーセントというボーナスチャンス。


 彼女のいない不毛で味気ない生活から脱却するため。

 王子は血眼になって王女を口説く。


 …………口説く。


 口説く口説く口説く口説く口説く口説くくどくどくどくどくどくどくどくどくどくどくどくどくどくどくどくどくどくど……




 目を開くと保健室。

 で、なければいけないはずなのに。


 首を直角に倒してみれば。

 うつろな目をしたみんなが一言も発することなく小道具を作り続け。


 逆の側を向いてみると。

 いつもの苦笑いが心労のせいですっかりと抜け落ちてしまった、神尾さんの顔が目と鼻の先。


 ここは教室で。

 俺はどうやら、三つ並べた椅子に寝かされていたようですが。


 まず、もっとも重要なことを確認しておかねばなりません。


「…………神尾さん。今、俺を洗脳しようとしてました?」

「何言ってるの?」


 怪訝な顔をした、俺たちのお母さん。

 彼女がそう言うのなら間違いない。

 さっきの呪文は、ただの夢だったのでしょう。


 身を起こしてポケットを探り。

 携帯の画面を見ると、二十一時を過ぎたところ。


 さすがに台本の直しももう無いでしょう。

 椎名さんと佐々木君は、床に腰かけて壁を背にして。

 肩をくっつけて眠っています。


 しかし、こんな事態になることなんか目に見えているのに。

 なんで俺たちのクラスは身銭を切ってまで悪ふざけをするのでしょう。


 人生でたったの三度しか訪れないビッグイベントとはいえ。

 加減というものを、ちょっとは考えた方がいいのです。


「……あ。最後のシーン、面白いアイデアが浮かんだ……」

「ふざけんなよ。もう何も変えてくれるな……」

「そこを何とか……。おーい、みんな、聞いてくれ……」


 どんよりとした空気の中。

 まだ何かをねじ込もうとする気概は買いますが。

 ちょっとは空気を読みなさい、柿崎君。


 ……そう言えば。

 ほんとに空気がどよんとしていますね。


 酸素が薄いのでしょうか。

 ちょっと換気をした方が良さそうなのです。


 俺は、室内で唯一元気な。

 嬉々として書き割りにペンキを塗りたくっている人へ声を掛けました。

 


「穂咲……」

「はいなの!」

「出番です」

「よしきた!」

「……ちがう、鍋じゃない。ガスコンロなんか使ったら余計酸素が減ります」


 しかも夜食なんか作ったって誰も食べませんよ。

 みんなが欲しいものは。

 まとんよりふとん。

 おくらよりまくら。


「換気しましょう。突風が吹き込まないよう気を付けて窓を開けてください」


 穂咲が窓をちょこっとずつ開き歩くのを眺めながら。

 俺もあくびをかみ殺しつつ扉へ向かって、からりと開くと。

 どんよりと重たい、残暑の空気を追いやって。

 秋らしい冷たい夜が、虫の音を乗せて教室へ転がり込むのです。


 そんな俺たちを見て、みんなが作業の手をいったん休めて伸びをし始めました。


 そして俺は、一番茫然自失されている方の元に戻って。

 声をかけてあげました。


「神尾さん、平気ですか?」

「あはは……、大丈夫よ。今年は、まだ大丈夫」


 ふらふらと、あまり大丈夫ではない様子で神尾さんが立ち上がると。


「だから協力してほしいの」


 そういいながら俺を招くので。

 誘われるがまま、さっきまで寝ていた椅子に座ったところで。

 穂咲を膝の上に乗せられました。


「ようし! イメージ湧いてきた! お姫様抱っこのシーン追加するわよ!」


 夜を引き裂く叫び声。

 それに続くは絶望の悲鳴。


 みんな、ゴメン。

 すでにブラックカミオンが降臨していたのですね。


「無茶を言わないで欲しいのです」

「うふふっ。心の底では期待してるくせに……」

「だれか、この悪魔を止めてください!」


 しかし神尾さんと言えばみんなのお母さんなわけで。

 普段、嫌なこと面倒なことを一身に引き受けてくれるクラスの善意。

 誰も逆らうことが出来ません。


 そんな、アンタッチャブルなブラックカミオンの無茶ぶりに。

 柿崎君に並ぶお調子者、矢部君が爽やかに応えます。


「みんな! 俺も神尾と同じ意見だ! もうひと頑張り、いまから付け足そうじゃないか!」

「冗談じゃねえ!」

「いいんちょのご機嫌取りたいだけでしょ!?」

「そうだとも! 俺は神尾のご機嫌を取るためだったら、いくらでも調子のいいことを言ってみせる!」


 照れて否定するかと思いきや。

 この堂々たる宣言。


 ブーイングと笑い声が半々で湧きますが。

 でも、疲労のせいでどちらも覇気がないのです。


 そんな中、今にも眠ってしまいそうなほどふらふらになった神尾さんが。


「じゃ、矢部君が台本を直しておいて」


 ばっさりと切り捨てます。


「俺がか!?」

「だって、私にはこのラブラブな二人の邪魔なんかできないもの」


 ブラックカミオンは、椎名さんと佐々木君の寝姿を見て。

 なにやらくねくねと身をよじっていますが。


 まあ、お下品な勘ぐりはともかく。

 二人を起こさない事には俺も賛成なのです。


 そして泣きながら矢部君が台本を直し始めましたけど。

 その台本、きっと誰も読まないでしょうね。


「さあ、秋山君は昨年同様、体育館まで取りに行って!」

「……ああ、毛布ですね。了解です」

「ノンノン! 今年は生徒会が大量にレンタルしてくれてね、寝袋なのよ!」

「はあ」


 だからどうした。

 そんな言葉を飲み込む俺に。


 レアな神尾さんの膨れ面が告げるには。


「なによそのリアクション! 想像するだけで熱くなるでしょ? 一つの寝袋に二人で入ったりしたらもう!」

「暑苦しいだけです。それに女子に気を使っておちおち眠れません」


 まったく。

 妄想癖がある神尾さんですが。

 普段からそんな事ばっかり考えているのですか?


「……相手が女子なんて、誰が決めたの?」

「ほんと! 普段からそんな事ばっかり考えてるの!?」


 クラスを満たす黄色い声がいやーんと上がりますが。

 そろそろ限界です。


「……穂咲。神尾さんのためと思って」

「了解なの」


 俺の言わんとしたことをすぐに悟ってくれた穂咲のパンチが。

 いやんいやんと身をよじるブラックカミオンの顎を一閃。


 ようやく教室に平和が訪れました。


 ……そして俺は、黒板のそばに立てかけてあった学級日誌を開いて。

 『秋山』に二重線を引いて『神尾』と書いておきました。


 武士の情けです。

 理由の欄は空白にしておきます。




 ~🌹~🌹~🌹~




 照明を落とした教室内に女子。

 そして、廊下に男子が並んで雑魚寝。


 そんな皆を残して。

 まるで台本を読んでいない俺が明かりを求めて足を運んだのは。


 屋上でした。


 ペントハウスに据えられた蛍光灯から少しだけ離れて。

 寝袋に半身を突っ込んで地べたに座り込むと。

 気持ちのいい秋風が、くたびれた前髪をさわさわと揺らしていきます。


 ちょっとの肌寒さも。

 コンロで沸かした熱いコーヒーを美味しくさせる調味料。

 さて、新しい台本、頑張って覚えないと。


 教室から持ち出した台本を片手に。

 身振り手振りを交えながら。

 書き直しのあった部分を必死に覚えていると。


 ぎいと音を立てて扉が開いたので。

 思わず声を上げてしまいました。


「ひやあ!」

「……女の子みたいな肝なの。情けない道久君なの」


 扉から顔を出したのは。

 寝ぼけまなこをぶら下げた穂咲だったのです。


 寝袋を一つお腹に抱えて。

 俺の隣にぽふっと腰かけた穂咲は。

 台本をちらりと覗き込んだ後。

 実に興味なさげに大あくび。


「なんですそのリアクションは。君は台本、ちゃんと覚えたの?」

「覚えてないの。でも、大体の流れは覚えたからお芝居できるの」


 さすがは天才肌と言いましょうか。

 俺にはそんなことはできないので。

 台本を必死に読み進めます。


 しかしいやはや、やっつけ仕事だこと。

 台本はかつての面影も無く。

 既にセリフの羅列なのです。


 ト書きも入っていないので。

 どんなシーンか分からない所だらけなのですが。


 俺も大体の流れだけを把握して。

 ぶっつけ本番にかけてみることにしました。


 ……だって。

 どうせみんな、台本を無視して遊び始めるのでしょうし。

 覚えても無駄。


「……そういえば、穂咲はどうしてここに来たのです?」


 コーヒーをすすりながらお隣りへ目を向けると。

 こいつは眠そうな目を擦り擦り。

 ふわあと大あくびをした後。


「寝袋が一個余ってたの。これ、道久君のだと思って」

「……俺はご覧の通りぬくぬくですが」

「これ、そんなにぬくぬく?」

「はい。……え? 寝袋使わずに寝てたの?」


 そう言えば。

 神尾さんと渡さんと日向さんに囲まれて。

 おしくらまんじゅうのように寝ころんでいたから気付けなかったのですね。


 穂咲は舟をこぎながら。

 寝ぼけた様子で教えてくれました。


「うん、使ってなかったの。寒いなーって思って目が覚めたら、寝袋が一個余ってて、女子のかなーって思ったらみんな使ってて、じゃあこれ、男子で使ってない人がいるのかなって廊下に出たらみんな使ってて、それなら道久君のだーって思って、場所を聞いたら屋上だって言われて……」

「長々と説明お疲れ様。じゃあ、寒いだろうから君の分の寝袋に入りなさい」


 ガタガタと震えながら寝袋に潜り込んで。

 そして再び大あくびをしながら言った言葉は。


「……ぬくいの」


 やれやれ。

 呆れたやつなのです。


 とっても穂咲らしい。

 君は、誰かが寝袋を使っていないものと。

 これを使わなければ寒かろうと。

 自分の分と気付かずに持って歩いて。

 挙句に、俺のもとまで届けてくれたのですね。


 なんだか嬉しくなって。

 胸はぽかぽかと温かくなったのですが。


 寝袋から半身を出したままでいたので。

 体はちょっと冷えてきました。


 すっかり冷たくなったコーヒーを一旦ケトルに戻して。

 バーナーに火を付けると。


 穂咲がムニュムニュと。

 聞き取り辛い、半分寝ぼけた口調で話しかけてきます。


「まだ起きてるの?」

「いえ、もう寝ますよ」

「…………コーヒー飲みたいの」

「え? いいですけど、眠れなくなっても知りませんよ?」

「そんなこと無いの。子供じゃないの」


 床に寝ころんでいた芋虫が。

 シャクトリムシのようにずりずりと壁を上り。

 そこに背中を付けた座り姿勢になると、顔の所から片腕だけ出してきました。


 ちょうど俺の顔の前でグーパーする手に、暖めかけのコーヒーを渡してやると。

 一口飲むなり、すっかりいつも通りに目を開いて。


「おお! 一発で目が覚めたの!」


 ……子供みたいなことを言うのです。


 そして鼻歌など口ずさみながら。

 雲の隙間に光る星を楽しそうに眺め始めましたけど。


 いやはや、君はやっぱり大物ですよね。


 明日の舞台を控えて。

 俺はこんなにも落ち着かない気分でいるというのに。


「いつも思いますけど。君は舞台を前にして、よく平気でいられますよね」

「……平気なんて無いの」

「え?」


 急に鼻歌をやめて。

 ちゃぽちゃぽと回すマグカップの中を覗き込んだ穂咲は。

 いつもの無表情で語ります。


「不安ばっかしなの。だから、ちゃんと覚えずに、自分の言葉で演じようって思ってるの」


 ああ、なるほど。

 そうだったのですね。


「…………俺一人が不安なのかと思っていました」

「そんなはず無いの。みんな、不安なの」



 ――そう言えば。

 夏休みに登山した時に知ったのでした。


 こいつだって。

 俺に置いて行かれたら不安を感じるってことを。


「……みんなが俺たちを見て、不安に感じることなどあるのでしょうか」

「そりゃそうなの。だれだって、他の人は自分よりちゃんとできているように見えるもんなの」

「そうなのですね」

「そうなの。だからみんな頑張るの。……だから、一番頑張れていないのはあたしなの」

「…………そんなこと無いですよ」


 俺が励ましてあげると。

 穂咲はこちらを見ることは無かったですけれど。

 その微笑みをマグカップで隠しながら。 


「さあ! 明日に備えて、もう寝るの!」


 そう叫ぶと、コーヒーをくいっと煽って。

 マグカップを床にこつんと置きました。


 …………ん?


「ここで寝るの?」

「いやなの?」

「いえ別に。なんにも気になりませんし」


 ……ウソですけど。


 気付けば居眠りしていた、というのとはわけが違うので。

 この間の保健室とは比べ物にならない近距離なので。


 ドキドキするのですが。


「ぐっすり眠れそうなの」

「そうですね」


 ウソですけど。

 俺は、一睡もできそうにありません。


 登山した時の事を想い出します。

 その時は、旅の始まりについて思いを馳せましたが。

 今日は、どんなことを考え続けていればいいのやら。


 でも、そんな心配も。

 思い切り腕を開いて叫んだ穂咲の一言を聞いて吹き飛びました。


「明日は、今までの一生で一番頑張るの!」



 ばきん!



 ……みんなと作る、みんなのお芝居。

 そうですね、俺も一生で一番頑張りましょう。


 これでぐっすりと眠れそう。

 君の発した言葉は、とっても幸せに満ちていたからね。


 そんな言葉に呼び出された子供のエンジェル。

 四人のエンジェルが俺たちの周りをくるくるとダンスし始めます。


 すると、ラッパから優しいメロディーを奏でた子供たちは。

 まどろむ俺の腕をくいっと持ち上げます。


 おいおい、何をするんだい?

 あそこの門まで行けばいいのかい?


 ちょっとだけ待ってね、どうにも頭が痛いから。

 穂咲が勢いよく広げた手が当たった眉間と。

 コンクリの壁に叩きつけられた後頭部。


 え? あそこに行けば痛くなくなるって?

 ははっ、わかったからそんなに腕を引っ張らないでおくれよ。



 そんな素敵な夢を見ながら。

 俺は深い深い眠りについたのでした。


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