リコリスのせい


 ~ 九月二十二日(土) Day-time ~


   リコリスの花言葉 遠い思い出



 み、みちいさくん

 なあに? あいこちゃん

 みちいさくん、さっきは、ありがとう

 ぼく、なにかしたっけ?

 あたしのおにんぎょうさん、みんながきたないっていったときたすけてくれた

 だってそれいつもいっしょじゃん。あいこちゃんのたいせつなもんでしょ?

 うん。おともだち

 だれかのたいせつは、じぶんもたいせつにしなさいっておじさんがいってたの

 そうなんだ。……みちいさくんのたいせつは?

 あすとろふぁいあ! かっこいい!

 え? なにそれ

 しらないの? ぷらねっとあーすがいちばんすき!

 てれび?

 うん! すごいすき!

 じゃあ、あたしもそれ、すきになる

 ほんと!? ぎゅいーんてとぶの! つよいの! おなかのとこがひらいて、ば ばーんってみさいるがでて、めからびーむがでて、それでね、あとはね……

 ごめんね。あたしみてないからわかんない

 あ、そっか。かっこいいのに、なんでみてないの?

 ……みちいさくん、なんでいっつもほさきちゃんといっしょなの?

 なんで? ええと、きょうはくかんねん?

 わかんない。なにそれ

 ぼくもわかんない

 …………みちいさくん、ほさきちゃんのこと、すきなの?

 うん!

 そっか…………。あのね? あたし、もうすぐひっこしちゃうの

 へー

 それだけ?

 だって、そのうちかえってくるんでしょ?

 わかんない

 かえってくるにきまってるよ。そしたらあすとろふぁいあいっしょにみようね!

 うん。やくそくする

 じゃあ、またこんどね!

 うん。またこんどね




 ~🌹~🌹~🌹~




 『文化祭』


 それは高校生にとっての夢。

 憧れのビッグイベント。


 クラスに部活に、一致団結。

 リミッターを外した自分の可能性。

 汗と涙と深まる友情。

 そして恋愛成就率二百パーセントというボーナスチャンス。


 彼女のいない不毛で味気ない生活から脱却するため。

 男子は血眼になって女子を口説く。


 …………口説く。


 口説く口説く口説く口説く口説く口説くくどくどくどくどくどくどくどくどくどくどくどくどくどくどくどくどくどくど


「くどくど怖いわ! かあちゃん、去年もそんなこと言って俺を洗脳しようとしてましたよね?」

「わはははは! おはようさん! ほれ、早く着替えて顔洗って穂咲ちゃん口説いて飯食って学校行きな!」

「サブリミナル効果は法律で禁止されているのですよ?」

「ちっ!」

「そこで舌打ちされるのおかしくないですか?」

「なんもおかしくないだろさ。ねえ穂咲ちゃん」

「なんもおかしくないの」

「…………すべてがおかしい」


 文化祭初日の朝。

 ぐーすか寝ていた俺の部屋に君がいる事の異常さね。


 晴れ渡る空は日に日に高く。

 自分のちっぽけさを感じる秋という季節。


 俺はまだ。

 これを甘受できるほど大きな人間では無いということを知る朝になりました。



「でていけ」



 ~🌹~🌹~🌹~



 文化祭のゲート。

 色とりどりの風船で華やかに飾られた古典的な門が、逆に新しくて可愛らしい。


 ゲートを潜れば、既に始まっている出店の準備。

 見上げる校舎も派手に着飾ってお祭り気分。



 『文化祭』


 それは高校生にとっての夢。

 憧れのビッグイベント。



 俺は母ちゃんの言葉を思い出しながら。

 ぽつりと涙を流しました。


 ……そうね。

 お客様にとっては、ビッグイベントなのでしょうね。


「道久君、ボケっとしてる暇ないの。台本が半分かた変わってるんだって」

「…………既に聞きました。でもきっと、覚えても無駄だと思うのです」


 多分、今日の内にまた書き直しが入って。

 そして本番中に悪ふざけが始まってめちゃくちゃになるのです。

 

 とは言えサボるわけにも行きません。

 俺は優雅に水面を行く水鳥の足。

 せいぜい、必死にもがくとしましょうか。



 そんな悲壮な決意を胸に。

 改めて涙を流す俺の背中へ。

 元気な声が届きました。


「グッドグッドモーニン! 秋山ちゃん! 藍川ちゃん!」

「おはよう、二人とも」


 椎名さんと佐々木君。

 とんでもない事ばかり言い出すクラスのみんなに振り回されて。

 ここの所、まるで寝ずに執筆を続けているお二人。


 椎名さんは佐々木君の家に泊まり込んで。

 台本の直し作業を行っているとのことですが。


 ……頑張っているお二人にはちょっぴり悪いとは思いますけれど。

 家に泊まり込んでの作業と言う言葉が色々と妄想を掻き立てられて。

 そうやって並んで歩いていらっしゃる姿を見ると。

 なんだかドキドキしてしまうのです。


 『文化祭』


 それは高校生にとっての夢。

 憧れのビッグイベント。


 椎名さんと佐々木君。

 共通の趣味、そして共同制作。

 二人の距離は、今、何センチくらいなのでしょう。


 そして、このビッグイベントが。

 二人の距離をゼロにしてしまうのかもしれません。


「小道具はもう作業始めてるってさ! あたし達も急ご!」

「……椎名さん、ちゃんと寝てます?」

「昨日は徹夜だったけど。……え? 顔に出てる?」

「いえ、無理をしないで欲しいかなと」

「バッドバッド! なに言ってんのよ! ここでやらなきゃどうすんのよ!」


 俺の背中を、徹夜明けのテンションで叩く椎名さん。

 でも、さすがに顔色が優れないのです。


 穂咲も佐々木君の心配をしながら歩いていますけど。

 鞄を持ってあげようとしてますが、優しい気づかいをありがとうございます。


 靴の履き替えもおぼつかないほどのお二人。

 もともとの素敵な作品を発表する機会も失ってしまったというのに。


 みんなの夢を形にするために。

 こんなにも頑張ってくれている。


「……そうだ、原稿。俺と穂咲でコピーを取っておきますので、二人は先に行ってみんなに指示を出していて欲しいのです」

「ああ、それは助かる。……あれ? 僕の鞄に入れてきたはずなのに?」

「あはははは! 佐々木ちゃん、肘にかけたショッパー、何のために持って来たと思ってるのよ!」


 ああそうかと、苦笑いと共に手提げを手渡してくれた佐々木君。

 そんな佐々木君が、ふらついた椎名さんの腰に手を回して支えてあげながら階段を上って行きます。


「うーん…………、これはなんとかしないと」

「ほんとなの。なんとかしないとなの」


 俺たちは職員室にお邪魔して、台本をコピーしながら話します。


「でも、具体的にはどうするのです?」

「そこはあたしに任せるの。うまいこと二人きりにさせてみせるの」

「ああ、そうですね。教室にいると頑張っちゃうでしょうから、保健室とかどうでしょうか」

「…………そんなとこで愛の告白なの?」


 え?


 ………………え!?


「君が何を言っているのかよく分からないのですが」

「道久君こそ朴念仁なこと言ってるの。夕日の屋上とかがいいの。校舎裏も定番だけど、じめっとしてるし暗いから却下なの」


 ああ、なるほど。

 君はお二人の仲を何とかしたいとおっしゃっているのですね?

 でも、それは俺たちがどうこうする必要もないと思うのですが。


 そんなことを考えながら作業していたもので。

 穂咲に渡してもらったコピー用紙を受け取る時。

 少しだけ触れた指が、妙に熱く感じて。


 ……君は何も感じていないのか。

 刷り上がっていく台本をひっくり返しに。

 黙々と人数分の山を作っていますけど。


 俺だけが、耳を赤くさせて。

 なんだかバカみたいなのです。


「久々に、キューピット穂咲ちゃんの出番なの」

「そう言えば……、去年の文化祭の時でしたよね、六本木君たちがお付き合いを始めたのは」


 学園一のカップルをくっ付けたのは。

 誰あらん、このキューピットちゃんなのですけれど。


「君、おせっかいカップリングおばちゃんみたいなとこありますよね」

「失礼なの。無理にくっ付けてるわけじゃないからいいの。成功率二百パーなの」

「いつから平気で百を超える表現をするようになったのでしょうね。おかげで百パーでは不安に感じるようになってしまいました」


 そんな話を続けながらも。

 穂咲の頭は、二人の仲を取り持つ算段でいっぱいだったようで。


 ……台本のページがめっちゃくちゃ。

 正しく直す作業に、散々時間がかかったのでした。




 ~🌹~🌹~🌹~




「じゃあ休憩! 秋山は台詞より前に流れを覚えて。穂咲は相変わらず土壇場に強いわね」


 通しのリハーサルも三回目が終了。

 渡さんからお褒めの言葉を貰って、ふんすとVサインをする穂咲ですが。

 そんな渡さんの耳元で、椎名さんを指差しながら何やらひそひそ話しています。


 うーん、やっぱり強引にくっ付ける必要はないと思うのですが。

 でもそんな心配をしている場合では無いのです。

 セリフどころか、物語がめちゃくちゃすぎてなにがなんだか分かりません。


 ようやく台本を読む時間が生まれたので急いでページを捲っていると。

 渡さんが妙なことを言い出しました。


「それじゃ、静かなとこで台本チェックしたい人は保健室へ移動して! 椎名さん、先に保健室へ行ってて。役者からの質問に答える係をお願い」

「え? でもあたし、照明の打ち合わせしときたいんだけど……」

「わがまま言わないで。……それに、口下手な誰かさんとゆっくり話せるかもしれないから」


 怪訝な顔をした椎名さんに。

 渡さんがウインクなどしていますけど。


 これ、意味が分かるの俺と穂咲くらいなのでドキドキします。

 ですが、ひとつ言いたいことがあるのです。


「結局保健室じゃないですか」

「ぷろでゅーすどばい、道久君なの」


 穂咲と並んで見守る先で。

 ようやく意図を察して、ちょっと頬を赤らめた椎名さん。


 きょろきょろと辺りを見回したあと、佐々木君の方を見ていたかと思ったら。

 視線に気づいたのでしょう、俺に振り向いて目を合わせると。

 耳まで赤くしながら、慌てて廊下へ駆けて行きました。


「…………穂咲」

「うん。言いたいことは分かるの」

「俺、やっぱり朴念仁?」

「分かり切ったこときかないで欲しいの」


 じろじろと見つめてしまい申し訳ない。

 せめて、お二人の為に俺も頑張ります。




 ~🌹~🌹~🌹~




 『文化祭』


 それは高校生にとっての夢。

 憧れのビッグイベント。

 恋愛成就率二百パーセントというボーナスチャンス。



 まんまと俺たちに騙された佐々木君。

 保健室へ入ってから約五分。


 椎名さんと二人きり。

 ……含みを伝えた椎名さんと、二人きり。


「願わくば、佐々木君が俺並みの朴念仁ではありませんように」

「安心するの。そんな人、この世のどこを探したっていやしないの」


 穂咲の言葉を聞いて安心した俺は。

 同時に、自分の将来が不安になりました。



 さて。


 こういう時は止める役の渡さんが。

 率先して保健室の扉に耳を付けるので。


 俺たちも無駄話はやめて口に指を立てて。

 中の会話をうかがいました。


 ………………笑い声。

 そして椎名さんが何かを早口で話すと。

 佐々木君がそれは違うと声を荒げます。



 ええと。

 これはうまくいってるの?

 それとも空振り?


 渡さんの肩を突くと、指で空中に書いたお返事はハテナマーク。

 そうですか、渡さんに分からないなら俺に分かるはずも無いですね。


 そして君にも分かるはずはないのです。

 だから、空中にへのへのもへじを書くのはやめなさい。


「……から、みんなも悪気があったわけでは……」

「…………うなん……けど辛いって言う……」


 いけね。

 二人が出てきちゃいます。

 このままだと盗み聞きがばれちゃう。


 でも、今は司令塔がいるから安心なのです。

 こんな時の言い訳、準備してあるのですよね?


 俺がちょっと不安げな視線を作って渡さんを見つめると。

 さすがは才色兼備の渡さん。

 親指をぐっと上げながら、台本を手渡してきました。


 ええと、これをどうすれば俺は逃げることが出来るのです?

 指示を仰ごうとしていたら、扉に向かって直立不動の姿勢に整えられて。



 ……そして、扉を開かれました。



「裏切り者……っ!」

「え? あ、秋山ちゃん!?」

「びっくりした! ……ああ、台本チェックか。なら、椎名に教えてもらうと良い。僕は教室に戻っているから」


 人身御供にされた俺は。

 佐々木君の勘違いに乗っかるしか術など持ちません。


「そ、そうなのです! 台本! 俺は日本語が全然わからなくてですね! あの、教えて欲しいなあ! あはははは……」

「……大根役者なの」

「うるさいのですお前は!」

「え? 藍川ちゃんがそこにいるの? ……まさか、今の聞いてた?」


 あちゃあ、どうしましょう。

 眉根を寄せてしまった椎名さんに。

 普通の男子なら上手い切り返しが出来るのでしょうけど。


 朴念仁認定をされた俺には。

 正直に答えることしかできないのです。


「……ごめんなさい、盗み聞きはしていました。でも、内容はまったく分かりませんでした」


 頭を下げると、ドアの影から渡さんと穂咲が顔を出して。

 俺の言葉を肯定してくれました。


 すると椎名さんは胸を撫で下ろして微笑んでくれたのですが。

 佐々木君が真剣な顔で詰め寄って来るのです。


「褒められた行為じゃないと思うけど、どういうつもりだったのかな?」


 う。

 これは困りました。


 ……しょうがない。

 正直に全部話してしまいましょう。


「実はですね、穂さくけっ!?」

「……ふう。口封じ完了なの」

「え、ええ。口封じって言うのは冗談で、疲労の色が濃い二人を保健室に連れて行ったらひと眠りしてくれるかなと思って……」


 ……渡さんの上手い言い訳に聞き惚れながら感じるのは。

 ビニール床の冷たさと、後頭部にぶちかまされたパンチの痛み。


 君、随分と攻撃力が上がったね。

 熱心に特訓した成果、しっかり出ていますよ。


 俺は、そんな褒め言葉を発せないまま。

 いつものように、瞳を閉じたのでした。

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