オレンジのせい


 ~ 九月七日(金) お昼休み 三十五センチ ~


   オレンジの花言葉 物惜しみしない



 昨日のペッタンコ発言がよほどお気に召さなかったのでしょう。

 久しぶりに随分と離れた席に座るのは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を三つ編みにして肩から前に垂らして。

 耳の上に、目に鮮やかな白さで輝くオレンジの花を一つ飾っています。


 さて、そんな南国少女が。

 いつもの食材用リュックをあさりながら。

 しょんぼりとした様子でつぶやきます。


「とうとうこの日がやって来たの」

「文化祭予算の集金日ですよね。お金、無いのですか?」

「かつかつなの。だからご飯も予算削減なの。一食分しか準備してないの」


 そう言いながら穂咲が取り出したもの。

 一食分と言いますか。


 八枚切りの食パン一枚と玉子一個。

 そしてモンキーバナナ一本。


「……半分こしますか」

「栄養分が足りないの。こっしょそーしょーになっちゃうの」

「骨粗鬆症ですね。では、玉子の殻でもかじります?」


 君は嫌そうな顔をしますけど。

 健康法として摂取される方いらっしゃるのですよ?


 そんな穂咲を見上げていたら。

 俺の肩を、誰かが叩きました。


「おや、お兄さん。久しぶりなのです」

「まったくだ。お前ら夏の間、教室から出て違うところで昼めし食ってやがったから散々校内探したんだぞ?」


 ふふふ。

 相変わらず、ちょっと大人な冗談が面白い人なのです。


 お兄さんは、工務店の作業員さんで。

 ご縁あって仲良くなったのですが。


 この学校の増築工事をするかたわら。

 校内の補修などもしているのです。


「ご飯一緒に食べましょうか。いつもの美穂さんお弁当ですか?」

「いや、当てにしてたら今日は無かった。だからご馳走になろうと思ってな」


 ああ、何という事。

 これを客人に与えたら俺たちはどうすればよろしいのでしょう。

 俺は一人分と呼ぶにはあまりにつつましいランチセットを手で示して。


「おもてなししようにも、秘蔵の鉢植の木を燃やすしか術がございません」

「いざ鎌倉かよ。そんなの食わされて所領をよこせと言われても困る」


 お兄さんは、ご自分の事を学が無いなどと以前おっしゃっていましたけど。

 この切り返しの速さ、ただものではありません。


「どこもかしこも景気良くねえなあ」


 お兄さんはぶつぶつと愚痴りながら。

 工事道具入れに付いたポケットを探るのですが。


 いったいいつ入れたのやら。

 ボロボロになったおせんべいが顔を出したので。

 それをちびちびとかじり始めました。


 すると穂咲が。

 廊下からペットボトルに汲んできたお水を紙コップで手渡します。


「……この水、女子校のトイレの水、とかラベルに書いて売れねえかな」

「そんなのにお金出す人いませんよ。なにバカなこと言ってるんですか」

「買わねえか?」

「それ汲んできたの俺ですって」


 そもそも女子校じゃないですし。

 しかもわざわざトイレの水ってなんですか。


「……それより、お兄さんの工務店、景気悪いのですか?」

「今はいいんだがな。この学校、工賃を気前よく払ってくれるから。でもな、増築工事がもうすぐ終わるのに合わせて、出入りの業者を改めて決めるコンペをすることになったんだ」

「コンペ? プレゼン合戦のようなものですか?」


 俺の質問に、お兄さんは頷きで返事をするのですが。

 それに負けたらここの仕事が無くなってしまうのですね。


「お兄さんとは、学校にいる間はいつでも会えるものと思っていたのですが。それに負けてしまったら、あんまり会えなくなってしまいますね」


 もちろん学校側としては。

 より腕のいいところに頼むのは当たり前と思うのですが。


 公正で良い事とは思いますけれど。

 お兄さんがここに顔を出さなくなるのは寂しいのです。


 俺は紙コップからお水をちびりと飲むと。

 お兄さんは一気に飲み干して、そしてコンペの説明をし始めました。


「九月の間に、校内へ何か作れって学校側に言われてるんだが、それで技術力の優劣を見るらしい。他の業者はともかく、朝日工務店ってとことがうちよりでかい会社でな。そこには勝てねえかもしれねえ」

「そんな弱気なこと言わないでくださいよ。頑張って下さい、プレゼン」

「コンペな」

「ああ、そうでした」


 そんな、ちょっぴりしんみりとしたやり取りを聞いていた穂咲が。

 真面目な顔で話に混ざります。


「……コンペイトウのプレゼント合戦?」

「言うと思いました。君は聞き間違えの世界記録を目指す気ですか? ちゃんと覚えなさいよ、コンペとプレゼンです」


 そんなふくれっ面しなさんな。

 きっと社会に出たら使う言葉ですよ?


「そんな言葉、ろーなくなんのが知ってるわけ無いの」

「老若男女です。……君、今日は本当にろれつが回ってないですね」

「そんなことないの」


 さらに膨れて。

 普段の倍くらいのサイズになってしまった顔をふいっと逸らした穂咲へ。

 お兄さんが言います。


「じゃあ、手術室で手術中って言ってみろよ」

「しゅじゅちゅしちゅ…………、言わないのそんなの」


 ほんとに今日はダメみたいですね。


 確かに手術室は言いにくいですけど。

 ……今、そう考えただけで。

 俺も頭の中で噛んだほどですし。



 さて、穂咲のご機嫌を取ってあげないと。

 俺がご機嫌斜めのお嬢さんへ声をかけようとしたら。

 ロボット製作担当に任命された谷君が俺の名を呼びながら近付いてきました。


「秋山! 進行管理班の連中はどこ行った?」

「そういえば一人もいないですね。行き先、分からないのです」


 谷君は、ごつい腕を組んでムムムと考えると。

 紙を何枚か、俺の目の前に置きました。


「お前に言ってもしょうがないかもしれねえが。ちょっと見てほしいんだ」

「何でしょう、かっこいい図面ですね……? ロボットですか? ああ、なるほど! プロに頼もうっていう事ですか!」

「そうだ。卒業したらお世話になることになってて、今もバイトさせてもらってる朝日工務店で図面を書いてもらったんだ」

「朝日工務店!? お兄さんとコンペをするライバル店ですか?」


 なんと、そのお名前がここで出るとは。

 チラリと横をうかがえば。

 お兄さんの眉が跳ね上がり。


 谷君はそんな様子を見ながら。

 ムフフとほくそ笑んでいるのです。


「……ただな。今お前が見てる図面の他に、工事の見積もりも出してくれたんだけど、予算が想定と違ってなあ」

「なるほど、進行管理班にそれを聞こうとしていたのですね?」


 でも、学校が舞台装置の制作費用として十万円も出してくれていたはずですが。

 足りないのでしょうか。


 俺は手元に置かれた数枚の紙から見積書なる文字を見つけたので、金額を確認すると……。


「二百万円!?」


 ひゃあ!

 文字通りけた違い!

 こんなの無理なのです。


 穂咲にも状況が伝わったようで。

 不安そうに見積書を見つめていますが。


「ちょっと図面見せてみろ」


 そんな中。

 お兄さんが、俺の持っていた図面を横取りしてしまいました。


 もちろん、谷君は慌てます。


「こ、困りますよ! 勝手に見ないでください!」

「別に仕事を奪い取ろうとして言ってるんじゃねえ。いいから確認させろ」


 不満げな谷君を気にもせず。

 お兄さんはじっくりと図面を眺めていたのですが。


 急に、とんでもないことを言い出したのです。


「よし。これを、うちがタダで作ってやる」

「ええ? タダ!? お兄さん、なんでそんなことを?」

「これなら学校にいいアピールになる。ちょうど廃材の山を抱えててな、コンペ用に確保した予算で賄えそうだ。……後で、校長に話を通してくるか」


 お兄さんはペットボトルからコップに注いだ水を飲み干して。

 満足げな表情を浮かべていますが。


 さすがに谷君が大声を上げました。


「ちょっとあんた! 仕事は取らないって言ったじゃねえか、約束が違う!」

「学生にこんな大金を請求する時点で請け負う気がねえのは明白だ。請け負う気がねえのを仕事とは言わん。この案件はうちが貰った」


 そんな正論にぐうの音も出なくなった谷君は。

 慌てて電話をかけていますけれど。

 きっと事の顛末を工務店に話しているのでしょう。


 ……そして電話を切るなり。

 お兄さんにびしっと指を突き付けます。


「じゃあ、マリーの機体はあなたのところで作ってくれ! ファルコン機は朝日工務店が作る! タダで!」

「なに機か知らんが、そういう事なら勝負だ」


 不敵な笑みを浮かべたお兄さんに捨て台詞をごにょごにょと呟きながら。

 谷君は教室を飛び出して行きました。


 いやはや。

 まさかこんな形でロボ問題が片付くとは。

 早速、進行管理班にメッセージを送っておきましょう。


 俺が携帯を操作していると。

 穂咲がお兄さんへ微笑みかけます。


「ありがとうなの。おかげで助かったの」

「そうか? 俺の方も助かったんだが」

「だから、お兄さんに今日のお昼は惜しみなくご馳走するの」


 そう言いながら。

 お兄さんの前だけにお皿を並べ始めました。


「なるほど、それじゃ遠慮なく……、って、そうだったな。目玉焼きトーストに生バナナか。……まあ、文句は言うまい」

「違うの。ガスももったいないから、生パンと生卵となばまなばなの」


 ……また噛みやがりました。

 

「……言えてねえじゃねえか。バナナが生になってねえ」

「分かったの。じゃあ、バナナだけ焼くの」

「しまった。余計なこと言うんじゃなかったぜ」


 割り箸に挿したバナナをコンロであぶる穂咲は。

 別に意地悪をしているわけでは無く。

 心からのお礼のつもりのようですが。


 なんだか、罰ゲームに見えます。



 ――俺たちは、お昼抜きになりましたが。

 二百万円がタダになったのですから、これくらい我慢です。


「……谷君には悪いけど、あたしはお兄さんの応援なの」

「俺もそうです。こうしてお会いできなくなったら寂しいですし」


 そんな言葉も、いつものようにすました顔で受け取るお兄さん。

 でも、ちょっとだけ弾んだ声音が。

 俺たちに決意を語ります。


「そりゃあ百人力だ。頑張らねえとな」

「頑張るの。技術力をみせつけるの」


 そして力強く頷いたお兄さんが。

 握りこぶしを掲げながら、熱く言いました。


「ああ、見せつけてやるさ! ぎじゅちゅろくの違いってやつをな!」



 …………なんだか。



 とっても不安になりました。



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