第5話 怜の決意

 赤谷怜は男である。

 同年代の男と比較すると声も大分高いし、なよっとしていて女みたいな体つきをしてはいるが胸は決して膨らんではいないし、股間には立派な男のアレがある。正真正銘の、同性だ。

 さっき女と勘違いされて乱暴されそうになった時にあの連中が怜が男だと気付かなかったのは、部屋が暗かったせいでちゃんと見えなかったからだろう。

 とにかく、怜は男なのだ。幾らアイドル並みに可愛かろうが女の格好をしていようが、俺と同じ男なのだ。

 男同士で恋愛して、結婚するなど、許されるはずがない。まず国がそれを認めていないのだから。

 最近は大分その辺りに関しては世間の考え方も寛容になってきてはいるし、一部の地域では同性婚も認められるようになってきているそうだが、それでも完全に自由になったというわけではない。

 まだまだ偏見の目で見てくる奴は多いし、そればかりか差別して叩いてくる奴だっている。世間に知られたら、それをネタに一生惨めな思いをさせられることになるのだ。

 俺は、怜にはそんな思いをしてほしくはないのである。

 俺とただ親しくしている分には構わないが、そこに恋愛感情が絡んでくるとなると、話は別だ。

 決して差別するわけではないが、そういう目で俺を見てくる怜を、傍に置くわけにはいかない。

 怜のためを思って──俺は、怜を遠ざけるのだ。


「……怜、お前は可愛い。実際俺の友達はお前のことを女だって勘違いしてるし、料理も上手いし、その辺の女よりもずっと女らしいよ。でも、それでも、お前が男だってことは覆しようのない事実なんだよ。生まれた時から決められたことなんだよ」

 すとんとベンチに座り直し。俺は、静かに言葉を続ける。

「俺とお前が男同士である以上、俺たちは結婚なんてできない。大人になって互いに就職して、金を稼ぎながら一緒に暮らすことくらいはできるかもしれないけどな、お前が俺の『お嫁さん』になることは絶対にできないんだ。……お前は俺と違って頭いいから、分かるだろ。そんなことまでして偽物の奥さんを演じようとしたって、本当の意味で幸せになんてなれないってことは」

「…………」

 怜は、俯いた。

 唇を噛みながら、じっと自分の膝の辺りを見つめて。

 小さく……じっと集中して聞いていなければ聞き漏らしてしまいそうなくらいに小さな声で、言う。

「……うん、分かってるよ。ボクが本当は男の子なんだってことくらい。幾ら女の子の格好をしたって、本物の女の子にはならないんだってことくらい」

 ペットボトルを持つ手が、小さく震えている。

「毎日お風呂に入って、ボクのお股におっきなオチンチンが付いてるのを見る度に、思うんだ。どうしてボクは男の子なんかに生まれてきちゃったんだろうって。どうして神様はボクを女の子として生まれさせてくれなかったんだろうって。男の子だっていうだけで、可愛い服を着ることすら許してもらえないんだろうって……」

 一粒。また一粒。

 ほろり、ほろりと。頬を伝って、涙が零れ落ちていく。

「ボクが男の子でいる限り、ボクは自分が本当に欲しい幸せを掴むことはできないんだよ! 分かってるんだよ! ボクがこんなに本気でてっちゃんのことを愛していても、その気持ちを受け入れてもらえることがないんだってことくらい!」

 怜の横に置いてあった小さなバッグが、とさりと横に倒れて中身が零れ落ちる。

 大きなヒマワリがたくさん花咲いた、レースのスカート。それが透明な袋に包まれた状態のまま、地面に落ちた。

「でも……でも、自分の気持ちには嘘はつきたくなかったんだよ。ボクがてっちゃんのことを大好きだってことを、どうしてもてっちゃんに知ってもらいたかったんだ。同じ男の子なのに気持ち悪いって嫌がられた時は諦めようって覚悟はしてたけど、てっちゃんがそれでも嫌がらないでボクの傍にいてくれた時、思ったんだ。ああ、ボクにはてっちゃん以外の人はいないんだって。ボクにとっての本当の幸せは、ずっとてっちゃんの傍にいることなんだって。だから、ボクは……」

 そこで一度言葉を切って。

 はあ、と深く息を吐いて、吸って、頬を濡らした涙を拭って。

 目の前に落ちたレースのスカートを拾ってバッグに詰め直し、言う。

「……てっちゃん。ボクね、高校を卒業したらタイに行こうと思ってるんだ」

「……タイ? って、外国の?」

「うん」

 怜はこくんと深く頷いて、前を見据えたまま、続ける。

「タイはね、ボクみたいな悩みを抱えてる人がたくさんいる国なんだ。その分医療技術も日本と比べたらそっちの方に進んでいて、毎年たくさんのボクみたいな人たちが救われているんだよ」

 ……そういえば、聞いたことがある。タイはニューハーフが多くて、土地柄なのかそういうことには大分寛容な国なんだということを。

「ボク、タイに行って手術を受けるよ。オチンチンを取ってもらって、小さくてもちゃんとした女の子らしい胸を付けてもらって、本当の女の子になる」

 タイは、日本と比較すると性転換手術にかかる費用がかなり安いらしい。でも技術はしっかりしているから、性転換を希望する日本人が毎年かなりの数渡航しているのだそうだ。


「あの時の、質問の答え……今はまだ、聞かない。ボクたちが高校を卒業して、タイに行って手術してもらってボクが本当の女の子になれたら……その時に、聞かせてほしい。ボクの我儘だけど、それまで、待っていてほしいんだ。駄目……かな」


 体にメスを入れる。

 そう決心するまで、その苦悩は並大抵のものじゃなかったと思う。

 せっかく親から貰った大事な体を弄って変えてしまうのかって、怜の周囲にいる人間からの反対も受けることだろう。

 こいつは……立派だよ。凄い奴だ。ちゃんと自分の確固たる信念を持って、自分の『幸せ』を本気で掴むために、前に向かって歩き出そうとしている。

 それを、俺が応援してやらなくて、他の誰が応援してやるって言うんだ?

「……俺は、何があろうがお前の味方だよ、怜。今までにお前がどれくらい自分の性別のことで悩んで苦しんできたのかを完全に分かってやることはできないのかもしれないが、それでも、お前のことを馬鹿になんてしない。それがお前の決心なら、俺はそれを精一杯応援してやるよ」

 俺は怜の頭にそっと掌を置いた。

 くしゃくしゃと頭を撫でてやりながら、笑う。

「胸を張って行って来い。俺はちゃんと見送るし、帰ってくるのを待っててやるから。どんな姿になっても、怜は怜だ。お前は絶対に独りにはならないから、安心しろ」

「……うん!」

 俺の顔を見上げて、怜は白い歯を見せて笑った。

 その笑顔は、まるで太陽に向かって精一杯に花を開かせたヒマワリのようだった。


 それから、俺と怜は以前と何ら変わらぬ日々を過ごした。

 毎日登下校を一緒にして、校門の前で怜の手作り弁当を貰って、怜の頭を撫でてやって、それを目撃した友達に茶化されて。

 怜はアルバイトを始めたらしい。何処で何の仕事をしているのかは教えてはもらえなかったが、その店ではお客さんに人気の看板娘(?)として元気に働いているという。

 そして、秋が来て。冬が来て。春になって。学年がひとつ上がり、また夏が来て。

 俺は就職活動をするようになり。頭は悪いが体力と力が自慢なことを売りにして、それが活かせるような仕事を一生懸命に探して。

 車の免許も必死になって取った。卒業検定で三回落とされたけど、何とかゲットして。

 高校生になって、四度目の春。俺は高校を卒業し、就職して社会人の仲間入りをして。

 怜は──高校を卒業と同時に、笑顔でタイへと旅立っていったのだった。

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