第3話 それはデートですか?

 無人のバス停で、俺は怜と肩を並べてベンチに座りながらバスが来るのを待っている。

 今日は、晴れてはいるが雲が多い空だ。もこもこと大きく育った真っ白な雲が、そこかしこに浮かんでゆっくりと流れていく。

 入道雲を見ていると、空の広さを物凄く感じる。もしもあの雲に乗れててっぺんまで登って行けたなら、宇宙の星にまで手が届くんじゃないかって、そんな気分になる。

 俺は、夏の入道雲を見るのが好きだった。

「今日も暑いねぇ、てっちゃん」

 怜は被っていた帽子を団扇代わりにしてぱたぱたと自分を仰いでいた。

 今日の怜は、大きなヒマワリが全体にプリントされた如何にも夏らしいって感じのワンピースを着ていた。踵の高い白いサンダルを履いて、小さな竹籠みたいな見た目のポシェットを肩から下げている。あんなに小さい鞄じゃ財布くらいしか中に入らないんじゃないかって思う。何で女物の鞄って、こんなに物が入れられない作りをしてるんだろうな?

「変わった形の帽子だな、それ」

 怜が持っている帽子は、麦藁帽子をべたっと平たく潰したみたいな変わった形をしている。小さいヒマワリの造花が付いていて、同じヒマワリ柄のワンピースによく合っていた。

「これ? カンカン帽って言うんだよ。今年のトレンドなんだってさー。このワンピース買う時に一緒に買っちゃった」

「それも、あれか? 何だっけ……リス……」

「リスリサね。そうだよ、このサンダルも籠バッグも全部そう。今年の夏はヒマワリモチーフがブームなんだって! 可愛いよねっ、てっちゃんもそう思うでしょ?」

「……まあな」

 可愛いか可愛くないかと訊かれたら、そりゃ可愛いんじゃないかと俺は答えるだろう。

 ヒマワリの黄色の鮮やかさが、白い肌の怜には凄くよく似合ってると思う。

 怜はぽんと自分の頭の上に帽子を乗せると、俺が着ているシャツの裾を引っ張った。

「てっちゃんも、少しはお洒落しなきゃ駄目だよ? これ、お休みの日にいつも着てるやつじゃない」

「いいんだよ、俺は。この格好が一番気楽なんだよ」

 俺は、普段から着ているTシャツにジャージ生地のハーフパンツと、お洒落とは全く無縁の格好をしている。履いてる靴だって長年履き続けてきたくたびれたスニーカーだ。

 俺くらいの体格になると、普通サイズの服は小さくて着られないのだ。故に、自然と服の選択肢は少なくなってしまう。まあ、元々服装になんて興味はないから俺としてはそれでも全然構わないのだが。服は何気に金がかかるからな。

「じゃあさ、ショッピングモールに着いたらてっちゃんに似合いそうな服探そっか? お店いっぱいあるし、きっと格好いいのが見つかると思うよ!」

「だから俺はいいっての。……ほら、バス来たぞ」

 ぷぁん、と音を鳴らしながら通りの向こうからバスが走ってくる。

「もー、てっちゃん本当は格好いいんだからさ、もっと自分に自信持った方がいいってボク思うんだけどなぁ……」

 ベンチから腰を上げる俺を見上げて唇を尖らせながら、怜もスカートの裾を引っ張りながら立ち上がった。


 ショッピングモールに到着した俺と怜は、怜の目的地であるリスリサの店とやらに向かった。

 その店は外国の城の中って感じの内装をしていて、そこだけが他の店と比べると異世界って感じの雰囲気になっていた。

 香水でも撒いているのか、上品ないい匂いがしている。

 アンティークっぽい造りの棚に並べられているのは、これでもかというくらいに女物って感じのデザインの服や鞄に、靴。アクセサリー。財布みたいな小物もある。

 明らかに、俺みたいな野郎が足を踏み入れていい世界ではなかった。

 男子禁制、それを雰囲気で暗に語る店。そんな感じの場所だ。

 入店するのを躊躇っている俺の隣で、当たり前のように怜は店の奥へと入っていく。

 一度だけ立ち止まってこちらに振り向いて、きょとんとして、

「入らないの? てっちゃん」

「……あのな。こういう場所は、俺みたいなのは入るべきじゃないって思うんだが」

「そんな気にする必要ないって思うけどなぁ」

 怜は肩を竦めると、笑った。

「それじゃあ、てっちゃんはエスカレーターのところにあった休憩所で待っててよ。ボク、買い物したら迎えに行くから。ずっとお店の外で待たせるのも何だか悪いし」

「分かった」

 俺としてはそっちの方が有難い。

 俺は一旦怜と別れて、エスカレーターの傍に設置されている椅子のひとつに腰を下ろした。

 目の前を、老若男女色々な人が往来している。

 親に手を引かれた小さな女の子が俺を指差して「あの人おっきいね、熊さんみたーい」と言いながら去っていく。それを耳にした母親が「人を指差しちゃいけません」と女の子を叱っているのが少しだけ聞こえてきた。

 そのまま、スマホを弄ったりぼーっとしたりしながら待つこと一時間ほど。

 両肩に大きな布製のバッグを下げて右手にも小さなバッグを持った怜が俺の元へとやって来た。

「ごめーん、てっちゃん。待たせちゃった? スタッフさんと世間話してて、つい盛り上がっちゃった」

 えへへと笑いながら舌を出す怜。

 俺は怜のそんな顔よりも、両肩に下げられているバッグの方に視線が向いていた。

「随分買ったな……」

「うん、新作が出ててね、選びきれなくってつい。ワンピースが多いから大荷物になっちゃった」

 一体幾ら使ったんだとは訊けなかった。訊いたら何だかとんでもなく恐ろしい答えが返ってきそうな気がしたのだ。

 中身は布だから重量は大したことはないだろうが、怜の小さな体でこの大荷物を抱えるのは大変だろう。バッグに挟まれて、自慢のヒマワリのワンピースがすっかり隠れて見えなくなってしまっている。

 俺は持っていたスマホを腰のポケットに無造作に突っ込んで、右手を差し出した。

「荷物、貸せ。持ってやるから」

「うん、ありがと」

 怜から大きいバッグを二つ受け取る。小さいバッグも持ってやろうとしたら、これくらいなら自分で持つからと言って断られた。

 怜にとっては巨大な荷物も、俺にしてみればちょっと大きいだけの荷物だ。二つまとめて持ち手に右腕を通し、そのまま背中に背負うように引っ掛けて持つ。

「一階のカフェに行こうよ。荷物持ってくれた御礼に何か奢ってあげる」

 行こう、と言って俺の返事も待たずに怜は俺の手を掴んで歩き出す。

 俺は周囲に並ぶ綺麗な店を見つめながら、俺ってやっぱり場違いだよなとそんなことを独りごちたのだった。


 甘いデザートと冷たいドリンクを味わって休憩した後は店巡りを再開し、俺たちがショッピングモールを出た頃には、日が暮れかけていた。

 何気にそこそこ長い時間をあの場所で過ごしていたらしい。

 バスに乗り、家の最寄のバス停まで移動する。そこからは家まで歩きだ。

 歩き慣れた道を無言のまま並んで歩いていると、不意に、怜が前を向いたまま俺に話しかけてくる。

「……ねえ、てっちゃん」

「……何だよ」

「春に、ボクがてっちゃんに訊いたこと、覚えてる? ボクがどんな風になったら、てっちゃんはボクをお嫁さんにしてくれる? って質問」

 たたっと足を少しだけ速めて、俺の行く手に回りこんだ怜は。

 器用に後ろ歩きをしながら俺との距離を保ちつつ、続けた。

「あの時の答え、まだ訊いてない。聞かせてくれる? てっちゃんの答え」

「…………」


 分かっては、いたのだ。

 答えを延々と先延ばしにすることなんかできない。いつかは面と向かって言わなくちゃいけない、その時が来るということくらい。

 俺は脳筋だけど、不細工な上にこんななりだからまともな恋愛をした経験なんて一度もないけれど、それくらいは理解できるのだ。

 そして、俺たちの今後のことを考えたら、俺たちのために、言わなければならないということも。

 分かっては、いるのだ。

 でも……


「……あのな。怜」

「あ、ちょっとごめんね。てっちゃん」

 重く口を開いた俺を怜が手を上げて制する。

 怜は横を向いていた。

 その視線の先には、公園がある。簡単な遊具と砂場と休憩用のベンチ、そして公衆便所しかない小さな公園だ。

「ボク、ちょっとトイレ行きたくなっちゃった。行って来てもいい?」

「……断るわけないだろ、何言ってるんだお前」

 回答の瞬間を少しだけ先延ばしされたことに微妙に安堵しながら、俺は呆れ声を漏らして左手を出す。

「行ってこい。荷物持っててやるから」

「うん。ごめんねっ」

 持っていた小さなバッグを俺に預けて、怜は公衆便所に向かって駆けていった。

 スカートの裾が跳ねている。微妙に中が見えそうだ。

「……はぁ」

 俺はゆっくりと公園に足を踏み入れて、近くにあるベンチへと腰掛けた。

 木陰にあるお陰か、ベンチはひやりとしていた。肘掛けの冷たさがちょっと気持ちいい。

 何も被っていない頭に直射日光を浴びて微妙にぼーっとしていた俺は、目を閉じて全身の力を抜いて、背凭れに寄り掛かった。


「──助けてっ、てっちゃんっ!」


 その時、遠くから怜が俺の名前を叫んだのが聞こえてきた。

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