第2話 健全な男子たちの憂鬱

 ホームルームが終わった後の、クラスメートたちが帰って行った放課後の教室。

 便所に行っていた俺が自分の荷物を取りに教室に戻ると、教室の片隅にこそこそと肩を並べている何人かの野郎共の姿があった。

 まあ、此処は男子校だから野郎しかいなくて当たり前なんだが。

「……何してるんだ、お前ら」

 リュックサックを片手にそいつらに声を掛けると、そいつらは傍目から見ても分かるくらいにびくぅっと全身を跳ねさせたのだった。

「やばい、見つかった、早く隠せ!」

「……って、何だぁ、熊徹かよ。驚かせるなよなー」

 恐る恐る振り向いてきた一人が俺の顔を見て、安堵の息を吐く。

「熊徹もこっち来いよ。一緒に見ようぜ」

 一体、何だってんだ。

 ほんの少しばかり興味が湧いた俺は、連中の輪の中に入っていった。

 友人たちの目の前には、一冊の雑誌が置かれている。随分と使い込まれた感のある、表紙がくたびれた雑誌だ。

 表紙には胸もアレも丸出しの美人の女がモデルみたいなポーズを取っている姿がでかく載っていて、ピンクの太字でこう書かれている。

『今時の女はここがスゴい! 知っておかなきゃ恥になる男の常識十カ条、女は雰囲気よりもテクニックを求める!?』

 ──それは十八歳未満閲覧禁止の成人指定雑誌、いわゆるエロ本だった。

「……何だよ、これ」

「何って。こんな野郎しかいねぇ監獄みたいな場所にずっと閉じ込められてたら溜まっちまうだろうが。たまにはこういうので発散しとかねぇと」

 俺の呆れ声に友人の一人が堂々とそう主張する。

「これは兄貴の部屋にあった秘蔵書なんだけどよ、借りてきた。最近兄貴の奴写真じゃ満足できねぇっつってAVの方に夢中になってるから、見たいなら勝手に持ってけってあっさり借りられたぜ」

「未成年の弟に有害図書を貸し出す兄貴……悪い奴だねー、お前の兄貴」

「うっせぇ。一緒にツラ並べてブツを拝んでる時点でお前らも同罪だっての」

「うははは、違いねぇな」

 げらげらと笑いながら友人が表紙を捲る。

 大勢の女たちがベッドの上でエロいポーズを取っている写真が見開きで載っている。よく見ると女たちは色々なタイプがいて、清楚なOLのお姉さんっぽい人からギャル、小柄でスレンダーな見た目中学生くらいの奴までいる。もちろん言うまでもなく全員裸だ。

 何て言うんだっけか、こういうの……酒池肉林、だったっけか?

 俺だって健全な男だ。こういうものを目にしたら、それなりに反応はしてしまうわけで。

 思わず口の中に湧いた唾をごくりと飲み込んでしまう。

 その音に反応したらしい友人がにやにやと笑いながら俺の顔を見上げた。

「おっ、熊徹も溜まってる感じ? やっぱそうだよな、男だったらそう来なくっちゃな!」

「ほら、熊徹も探してみ。この雑誌に載ってるおねーちゃんの中に、一人くらいは好みの奴がいるんじゃないの?」

「いやぁ、熊徹には彼女いるし。今更こんな写真なんかには興味ないんじゃない?」

 なっ熊徹、と俺に爽やかな笑顔を向けたのは、俊也だった。

 モデルもやってるイケメンが野郎と肩を並べてエロ本見てるなんて、世のファンが知ったら卒倒ものだろうな。

「……いたのか、俊也」

「えー、だっていいもの見せてくれるってみんなが言うからさぁ。確かに目の保養にはなるな! このお姉さんなんかおっぱい大きくて形もいいからオレは好みだな」

 言いながら雑誌に載ってる女の一人を指し示す俊也の指先が胸の先を触っているのはたまたまだろう……と、思う。

「いいよな、熊徹は彼女いるもんな。頼めばいつでも本物触らせてくれるんだろ? それだけじゃなくて色々やっちゃったり?」

「えっ、熊徹彼女いるのかよ、聞いてないぞそれ!」

 俊也の一言に反応してわっと群がってくる男たち。

 目が異様に力入っててちょっと怖いぞ、お前ら。

「どんな子!? 可愛い!?」

「うん、結構可愛い子だったなぁ。多分モデルとかアイドルとか全然いけるよあれは。何て言うか……守ってあげたい系、みたいな?」

「畜生、オレは告白されたことすらないってのに、何でこんなバケモノの親に彼女がいるんだよ! しかも可愛いとか、ずるいぞお前!」

「だからあれは彼女じゃないって言っただろ! 俊也、嘘を教えるな嘘を!」

 腕を掴まれたので慌ててそれを振りほどき、俺は声を張り上げた。

「あれは近所の幼馴染! 断じて恋人なんかじゃないから!」

「ふーん、手作り弁当貰う間柄なのに恋人じゃない、なぁ。少なくともあの子の方はお前に超矢印向けてるって感じがするけどな、まあいいけど」

「な、何で知ってるんだよ、俺があいつから弁当貰ったこと」

「何でって、オレ、現場見てたし。それにお前の弁当、包みとかおかずとか随分女の子らしくて可愛いなって思ってたしな。流石に分かるって、毎日そんな弁当見せられてたらさー」

 しれっと言う俊也の言葉に固まる一同。

「手作りの弁当……」

「しかも毎日……」

「くそっ、抜け駆けだ! こいつ、おれらを差し置いて一人だけいい思いしてやがる! 野郎共、こいつはおれらの敵だ! 吊るし上げろー!」

「お、おいっ、変な誤解するな! くそっ、俊也! お前が変なこと言うから!」

 俊也を除いた全員に羽交い絞めにされそうになったので、俺は慌ててその場から逃げ出した。

 一人だけ俺が理不尽な制裁を受けそうになっている様子をのんびりと眺めながら、俊也が笑顔を浮かべて右手をひらひらと振っていた。

「また明日なー、熊徹ー」


 木が少ない土地では、セミが電柱とか家の壁を止まり木にして鳴いている姿を見かけることがある。

 電柱にしがみ付いてジーワジーワと大音量で鳴いているそれを何となく見上げながら、俺は隣でくすくすと笑っている怜に言った。

「……そんなに面白いか、今の話」

「うん。ボクの学校は元々女子高だったらしくて男子生徒の数が少ないからさ、男の子がそういうことをしてるって話は聞かないなぁ。むしろ逆かな? 女の子たちが男の子の取り合いをしてるの。彼は私が最初に目を付けたのよ、あの人は絶対に渡さないわ、ってね。流石にそういう本を持ってきたりはしないけど、似たような話は結構してるよ。女の子ってさ、友達も結局はライバルなんだよね。素敵な恋をしたいって誰もが願ってる。自分の恋路を邪魔する奴は例えそれが親友でも許さない、ってね」

「でも、お前は仲良くしてるんだろ、そいつらと」

「うん。みんなボクと仲良くしてくれてるよ。一緒にお菓子シェアして食べたり、ファッション雑誌見てこの服可愛いって言ったり。今度ね、みんなでリスリサの新作見に駅前のショッピングモールに行こうって約束もしたんだー。楽しみだなぁ」

「リスリサ? 何だそれ」

「若い女の子に人気のファッションブランドだよ。知らない? てっちゃん」

「……さあ」

 子供の頃から柔道一辺倒だった俺が女に人気のファッションブランドのことなど知っているわけがない。

 まあ、怜が可愛いって言ってるくらいだから、さぞかし女らしい可愛い服を扱っているブランドなんだろうということくらいは想像できるが。

「……ねえ、てっちゃん。お願いがあるんだけど、いいかな?」

 怜が俺の顔を覗き込みながら問いかけてくる。

 僅かに小首を傾げた仕草が何だか小鳥みたいだ。

「何だよ」

「明後日の土曜日、てっちゃん確か部活ないって言ってたよね? ボクのショッピングに付き合ってほしいんだけど、いいかなぁ?」

 ……確かに、そのようなことを前に話したような記憶はあるが……

 俺は半眼になった。

「荷物持ちに来いってことか?」

「んー、まあ、それもないことはないけど。でも、違うよ。ボク、てっちゃんと一緒に色々なところに行って、色々なことがしたいの。ショッピングはその口実」

 きゅっ、と俺の人差し指と中指を握って。

 星のような煌めきが宿った瞳で、怜は俺の目をじっと見つめた。

「聞いてくれる? ボクのお願い」

 乾いた風が吹いて、怜の髪を撫でていく。

 ……俺は汗が滲んだ額を空いている方の腕でぐっと拭って。

 溜め息をひとつついて、答えた。

「……いいよ。付き合ってやる」

「やった、ありがとてっちゃん! 大好き!」

「暑いって。離れろよ」

 むぎゅっと俺の体にしがみ付いてくる怜を、首根っこを掴んで引き剥がす。

 すれ違った主婦らしい二人組のおばさんたちが、俺たちの方を見て最近の若い子は恥らわないのねぇなどと呟いているのが聞こえた。

 違う、そんなんじゃないんだよ。こいつは……

 微妙にもやもやした複雑な気持ちを腹の中に押し込めながら、俺は雲ひとつない輝いた空を見上げたのだった。

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