第29話 傘の持ち主

 下校時間になると、雨が降ってきました。


「うわ、ふざけんなよ!」


 吉成さんは今日、学校に傘を持ってきていません。今回の委員会活動が長引いてしまい、もう親しいクラスメートや近所に住む子たちは学校に残っていません。


「お!」


 困っていた吉成さんでしたが、あるものを見つけて笑顔になりました。


「これ使っちゃえ!」


 傘置き場に傘が一本だけ残っていたのです。吉成さんは、ためらわずに傘を手に取りました。しかし、すぐに家へ帰りませんでした。




「これでよし……」


 あることを終えた吉成さんが校舎を出ようとすると、


「あ、その傘!」


 同じ委員会に所属する佐倉さんがやって来ました。委員長である佐倉さんは先生を手伝っていたため、今日最も下校時間が遅くなったのです。


「うるせーよ大声出して」

「それ私の傘よ。返して!」

「ちげーし、あたしのだよ!」

「だって私の名前が……」

「書いてねーよ! ほら!」


 怒った吉成さんは、佐倉さんの目の前に傘をつき出しました。


「あたしの名前が書いてあんじゃねーかよ!」

「え、でも……」

「じゃーな!」


 吉成さんは、その場に佐倉さんを残してスタスタと去りました。




「何だよ……止むのかよクソ」


 吉成さんが校門を出た直後、雨はピタッと止みました。吉成さんは不満そうに傘を閉じました。


「帰る前に、あんなに手ぇ焼いたのによ」

「元々ぼくについていたネームプレートを捨てて、ぼくの体にマジックペンで名前を書いたこと?」

「は?」


 閉じられた傘は吉成さんの右手を振り払いました。吉成さんと向き合った傘は、手元を使ってピョンピョンと跳ねています。


「ギャッ……」


 吉成さんの悲鳴は途切れました。傘が石突で吉成さんの喉を直撃したからです。


「お前の汚い言葉、もう二度と出せないようにしてやったからな!」


 傘の怒声を聞いて、吉成さんは声を出そうとしました。しかし傘の言うように、もう吉成さんは話すことができなくなってしまったのです。


「……!」


 吉成さんは泣きながら傘を睨んでいます。


「何だその目は!」


 怒りが増した傘は、次に吉成さんの両目を突き刺しました。何も見えなくなった吉成さんはショックを受けて、その場でバタッと倒れました。




「あれっ?」


 佐倉さんが学校を出ると、そこには救急車が止まっていました。学校の近所に住む人々が吉成さんを発見し、通報したのです。吉成さんは病院に運ばれました。




「……吉成の喉と目は、もう治らないとのことだ」


 数日後、先生は吉成さんの状況をクラスのみんなに報告しました。




「本当にっ……! すみませんでした!」


 さらに数日後、吉成さんはお母さんと一緒に学校に来ました。そして佐倉さん母子に謝りました。あの日、佐倉さんは吉成さんが学校を出た直後、自分の傘のネームプレートを見つけました。ゴミ箱にあったそれを拾った佐倉さんは職員室に向かい、自分が吉成さんにされたことを先生たちに報告したのです。


「うちの子は最低な子です! クズです! 恥ずかしいです!」


 耳は無事だった吉成さんは、お母さんからの言葉を聞いて傷つきました。


「泥棒!」

「貧乏!」

「罰当たり!」

「佐倉に謝れー!」


 吉成さんたちが学校から出ると、待ち構えていた子どもたちが心ない言葉をぶつけてきました。


「やめないか、お前ら!」


 その子どもたちは先生に叱られましたが、帰り道に吉成さんのお母さんは「自業自得よ」と娘に厳しい一言を放ちました。

 ひどい言葉ばかり聞こえても、吉成さんは言い返せません。苦しむことしかできない吉成さんは、やがて自らこの世を去りました。




「お母さん」

「はい?」

「私、この傘を見ていると気分悪くなる」

「……それもそうよねぇ……」


 吉成さんに返された佐倉さんの傘は、学校のバザーで売られました。そして事情を全く知らない人のものとなりました。

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