第11話 まつりあげられた選手
朝陽はダイヤモンドを回り、ホームベースの近くで克典を笑顔で迎え、ベンチに戻る。
まだ、ノーアウト。
この回の攻撃はまだ続きそうだ。朝陽は水を飲みながら、戦況を見つめていた。
「もう、スタミナがなくなってる。それ以上に、精神的に来ているか。四球に本塁打。どちらもバッテリーの責任以外の何物でもない。責任感が強いのもいいが……」
滝波について朝陽が言った。
「この回は、滝波が投げ続けている限り、そう簡単には終わらないな」
おそらく、それは間違いない。朝陽が冷静にそう言っているのだから。
高校野球を見ていて、中平朝陽の名前を知らないものはいないだろう。
高校生ナンバーワン野手。
昨年から走攻守いずれも高い評価がされていた。
2年生で春の甲子園で打率3割を越える成績を残し、ホームランも2本。守備ではセンターを任され、俊足で広範囲を守れることに加え、強肩でもあった。この夏の甲子園の打率は4割近く、そのほとんどが長打だった。
体のバネ、体幹の強さ、身体能力の高さは間違いなく特級であった。
朝陽がここまでの選手になったのは、一つは朝陽の性格によるものだろう。
極度の負けず嫌い。
この一言に尽きる。
月ヶ瀬高校に来る選手は言うに及ばず、強豪校に行く選手が負けず嫌いではないはずはない。
全員が全員負けず嫌いなのだ。負けず嫌いだから練習するし、耐えることができる。負けず嫌いは野球選手のみならずアスリートにとって必要な性格の一つだといえる。
しかし、朝陽はその中でも極度と言っていい負けず嫌いだった。
その上に、分析力が重なった。
何故打てなかったのか、何故盗塁できなかったのか、何故捕れなかったのか。朝陽は分析した。そして、できるまで修正した。できなかったことが悔しくて泣いたことが何回あったか分からない。
朝陽がいつも練習にも一生懸命に取り組むのも、試合で負けることがこの上もなく悔しいからだ。
それに、試合で勝っても悔しがっていることも多い。
朝陽にとって、1打席1打席が勝負だし、守備も一つ一つの機会が走者との勝負だった。野球には100%はない。どんなにいい打者でも10本のうち6本は凡打になる。プロ野球史上4割を打った打者はいない。
それが野球の面白さだろう。
上手くいかないことが多い。
だからこそ、朝陽は野球にのめり込んだ。面白かった。
試合で勝ったら嬉しい。朝陽にとってもそれはそうだった。しかし、朝陽はそれだけでは満足できなかった。よりいいプレーを、よりいい打撃を。満足のいく結果を残すことが出来れば試合には勝てた。
朝陽の場合、自分のプレーへの要求水準は朝陽が上手くなればなるほど、高くなっていった。
甲子園は教育の一環であるとは言いながらも、プロ野球の品評会としての側面があることは否めない。普通、高校野球で騒がれるのはやはり、その年のドラフトにかかる3年生だ。
しかし、朝陽は2年生ながら強豪月ヶ瀬高校のレギュラーになっており、しかも、1番打者。成績も抜群。脅威の2年生として、2年生時には既にその年の3年生と同じくらいに騒がれていた。
そして、今年。
3年生となった朝陽には、さらにマスコミが騒ぐことになった。意中の球団はあるのか。朝陽が今日、何打数何安打だの、ホームラン何本だの。今日は珍しくノーヒットだっただの。全部、数字でしかない。その数字をマスコミは嬉々として伝えた。
朝陽にとっては雑音だった。
インタビューをしようとする話もさらに増えた。試合後の話はなしにして欲しかった。それよりも試合中に気づいたことや気になったことを確認したかった。
ただ、村田監督は朝陽に言った。
「中平、野球に集中したいというのはよく分かる。でもな、お前はプロになるんだろ? 今のうちから、マスコミとの付合い方を学んでおくことはプロになった時にマイナスに働くものじゃない。幸い、お前は賢い。お前なら上手く付き合っていくこともできるはずだ」
村田監督ほど生徒の進路について親身になって考えてくれる人はいない。プロ、社会人、大学。どの進路が適切かを一緒になって考えてくれる。朝陽が月ヶ瀬高校を選んだのは、タイトルを取るプロ野球選手を何人も輩出しており、その選手の多くが村田監督を恩師と仰いでいたからだ。
朝陽は素直に聞いた。確かに、その通りだった。インタビューの受け答えもできるだけするようにした。
しかし、春先、朝陽はスランプに陥った。
どうも感覚がずれる。練習試合でも、安打は打てても、打球が上がらないことが続いた。その原因を分析しようとしても上手くいかない。
朝陽は、月ヶ瀬高校に入学して以来初めての感覚に陥り、選抜が近いこともあり、マスコミがこぞって朝陽の不調を書き立てた。
野球や勝負では豪胆なところがあるが、本来、繊細な朝陽にとって負担でしかなかった。朝陽は自分がチームに迷惑をかけていると思った。マスコミに追いかけられることでチームに迷惑をかけている。
そんな時、村田監督は、自分からできる限り、マスコミを遠ざけようとしてくれた。チームメイトがさりげなく自分の盾になってくれている。チームが朝陽を守ってくれていた。迷惑をかけているにもかかわらず。
朝陽は守られていることを自覚した。
どうせ皆に迷惑をかけているのだと、朝陽は開き直り、不調を同じ外野手の海斗に相談した。
そうすると、海斗はちょっと考えて、朝陽を全体的に見て、
「そういや、お前、でかくなってないか?」
と言った。朝陽には思い当たるところがなかった。
「どこが?」
「下半身」
「え? 下半身?」
朝陽は自分の下半身を見下ろし、一瞬、硬直した。
「いや、お前。何、考えてんだ? 真面目な話してんだろ? お前がボケてどうする。そうじゃなくて、太ももとかそこら。なんていうか、太もも周りの筋肉が思った以上についているんじゃないか?」
(……うかつだった。)
朝陽も言われて見れば分かった。ユニフォームが少し窮屈になっていた。
「まぁ、春の選抜を控えているところだ。気をつかう部分もあっただろうし、マスコミもいよいよ3年生ってことでうるさいし。そのせいで普段気づけるところがきづかなかったんだろう」
「……サンキュ」
「いいって。朝陽の弱音なんて珍しいもの聞けて、俺はすっげぇ嬉しいぜ。そのうち、自慢するからな。『あの中平朝陽は俺が育てた』って」
「じゃあ、俺は『俺はあの芹沢海斗の教え子だ』って言うか」
朝陽と海斗は二人して大笑いした。
ユニフォームを代え、そして、笑ったことでいい意味で力が抜けた朝陽はスランプから脱出し、春の選抜では大活躍することが出来た。
……朝陽は今、ネクストバッターズサークルにいる。
滝波が打たれ、打者が一巡し、再度朝陽に回ってきたのだ。
「……今、滝波が弱音を言えるやつが忍原高校にいるのかな」
ドラフト上位候補に躍り出た滝波。その滝波に引っ張られるように決勝戦まで来た忍原高校。滝波は忍原高校の中心であり、精神的支えであり、マスコミも集中する。だが、朝陽も経験したが、それは自覚症状なく選手を疲弊させる。
今、滝波が自分から弱音を言えるやつがいるのか。敵ながら、滝波を朝陽は自分と重ねた。
(滝波はいい投手だ。きっと、滝波はプロに行く。その時は分からない。だけど、今の滝波なら打てる)
1塁にはタイムリーを打った悠一、2塁にはヒット打った海斗がいる。
(俺は運がよかった。監督に恵まれた。チームメイトに恵まれた)
忍原高校が悪いチームだとは思わない。しかし、今の滝波を守ってやれるやつはいるのかと思った。
(滝波、俺には、いるぞ)
後に、プロ野球界に数々の記録を残すことになった中平朝陽は引退会見の時に
「数々の記録を残された中平さんですが、ご自身で誇れることは何ですか」
と聞かれ、笑ってこう語った。
「人間関係に恵まれたことです。ボクは運がよく、どこのチームでも監督、コーチ、チームメイトに恵まれました。それはボクにとって誇るべきことですね。それから、後、そうですね。今、月ヶ瀬高校のコーチをしている芹沢さんの最初の教え子だってことですね」
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