第10話 4番

 この回は3番の朝陽からの攻撃だ。

 守りの忍原高校のマウンドに立っているのは、もちろん、滝波。


 朝陽が打席に入り、初球が投げられる。

 ……ボール。外角に外れる球だった。

 

 朝陽がうなづき、ベンチの方に視線を送る。それを受けて、ネクストバッターズサークルにいる駒田克典がうなづいた。


 2球目もボール。さらに、フルカウントまではもつれたものの、フォアボールとなり、朝陽が一塁に向かう。


「4番、駒田君」

 克典の名前がコールされ、克典が打席に入る。

 身長185cm、体重90kg。堂々と打席に入り、バットを構える。高校生離れした体格で、高校通算本塁打は79本。長打率も0.5を越えている。どこをとっても、4番打者として恥ずかしくない。むしろ、誇れる数字だ。


 しかし、克典には直接言われずとも、周囲はよく言っていた。

「どうして中平朝陽が4番ではないのか」

 それに対して村田監督の答えはいつも一緒だった。

「うちの4番は駒田克典で、3番が中平朝陽だ」


 無邪気な観客は知らない。

 彼らが重ねて来た練習の数を。


 無神経な大人は知らない。

 高校生がいかに繊細なものであるかを。


 無責任な外野は知らない。

 『中平朝陽の後を打つ』ことが、どんなものかということを。


 かつて、怪物と呼ばれた打者がいた。

「高校生の中に一人プロの4番が混じっている」

と言われ、

「怪物以上の怪物」

とも言われた。

 当然のように、4番打者。打席に入るだけでスタンドが揺れた。


 しかし、そんな怪物も甲子園2回戦で敗れている。1回戦の成績は4打数2安打3打点と怪物の名に恥じない活躍だった。

 2回戦は0安打0打点。

 後にメジャーでも4番を打つことになる打者。その伝説となる5連続四球がその試合で残された記録だった。


 当時の対戦した高校の監督は、四球は自らの指示だったことを明かし、散々に批判された。しかし、その監督は

「これも野球。相手校にどう立ち向かうか考えた結果なだけ」

と言い放ち、さらに

「彼に悪いことをしたとは思わない。彼はそれだけの打者だったということだ」

と付け加えた。


 完全に悪役となったが、それでもその姿勢は崩れることはなく、後に歴代でも指折りの甲子園勝利数を誇るに至り、若き日の決断として、監督側としても未だに伝説として語り継がれている。


 そんな悪役となった監督だが、後日こう述懐している。

「4番の彼には悪いことをしたとは思っていない。ただ、5番の彼にはひどく辛い思いをさせてしまった」


 怪物の後を打っていた5番打者には必ずチャンスで打席が回っていた。

 当たり前といえば、当たり前。五打席連続敬遠も決してどんな状況でもされていたわけではない。一打勝ち越し、一打同点。全てがその状況だった。4番が敬遠されて、チャンスはさらに広がっていた。

 しかし、5番打者は金縛りにでもあったかのように打てなかった。


「あの時は、『打たなきゃ、打たなきゃ』って体が動いてくれなかった。あんなにどうしようもなかったのは、後にも先にもあの1試合だけだった」


 強打者の後ろを打つ重圧はすさまじい。

 敬遠の後には打たなければならない。全てがチームの勝敗に直結する打席になる。それは、野球が1人の打者ではなく、9人の打者がいるからこその駆け引きだった。


 ……ある時、克典は村田監督に言われた。

「お前に打線で一番辛いところを頼む」

 克典には瞬時に分かった。

(朝陽の後ろを打つんだな)

 このチームで一番辛いところは、中平朝陽の後ろだ。それは克典にも分かっていた。しかし、そこに続く言葉には衝撃を受けた。

「4番だ。朝陽は3番に回す」

 ……このチームで一番の打者は間違いなく朝陽だ。それは誰から見てもそうだ。だから、新チームで4番を打つのは朝陽だろうと思っていた。

 

「……どうして、4番、なんですか」

 克典は言おうとしたわけではない。口から飛び出た言葉だった。


「朝陽な。ちょっと、騒がれすぎだ。克典、お前、アイツのこと分かってんだろ。それから、克典、お前がチーム1なんだ」

「……」

「だからだ」


 駒田克典は中平朝陽を一番観察していた。

『負けてたまるか』

 その気持ちが強かった。その気持ちを今でも持ち続けている。

 朝陽ほどの選手を見た時、多くの選手がしまう。克典の場合は曲がらなかった。


 誰にも負けない。チーム1の鋼の精神力。

 だからこそ、朝陽の後の4番を打てるのだ。この称号は克典が誰にも負けてないことの証だった。


 滝波の初球。


 刀のようにバットが綺麗に振り抜かれた。

 白球は、空を切り裂き、やがてスタンドに飛び込んだ。

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