第13話 校歌

 9回裏2アウト2ストライク。

 スコアは12対0。

 悟はただの一本のヒットも許していなかった。外野まで飛んだことも2回だけ。ごく平凡なライトフライ2本。


 観客達はもはや月ヶ瀬高校に対して畏怖すら抱くような気分だった。ネット上ではそれはさらに顕著だった。


「ラスボスってレベルじゃねぇな」

「これ、ゲームで言ったら、必ず負けるイベントと勘違いする」

「高校野球でこれだけの完成度のチームなんて初めて見たよ」

「完成度なら間違いなく最強候補」


 9回裏。忍原高校は代打を出した。

 代打攻勢というよりは思い出作りの意味が強い。もちろん、ヒットを打てば、忘れられない記憶になるから、モチベーションは高く、凡退していいと考えている選手など一人もいない。

 

 だが、実際にヒットを打てる選手は少ない。

 守備がどうしても苦手で、スタメンには選ばれないが、打撃は魅力だから代打としておいておくという選手が皆無というわけではない。

 もっとも、そのような選手であれば、できる限り鍛えてスタメンで使おうとするのが普通だし、守備位置的に負担の少ないポジションもある。

 

 つまり、代打に残されている選手はよほどの理由がない限り、レギュラー争いに負けた選手である。そうなれば、打撃はせいぜい今までのメンバーと同じか、大体の場合は劣るのが自然なのだ。


 そうした選手が、今まで複数の機会があって、レギュラー組が打てなかった投手を初回の対戦で打てる確率がどの程度あるかといえば、それは高くないと言わざるをえない。


 ましてや、相手は世代ナンバーワン投手の呼び声高かった藤沢悟。

 今まで9人で戦ってきた忍原高校。普段、滝波の球を見慣れているとはいえ、初めて甲子園の打席に立つ選手に悟の球が打てるはずもない。


 悟は2アウトをなんなくとった。


 そして、最後の打者となるべき打者が打席に入る。

 悟が投げ、打者がスイングする。ボールは甲子園の空に高く上がった。3塁側にボールが流れていくが、ファールグランドだ。

 サードの信司が追いかけて、落下点に入り、グラブを構える。

 

 白球がグラブの中におさまる。信司がその感触をしっかりと確認する。そして、そのまま腕を突き上げた。


「「「「「「「!!!!!!!」」」」」」」


 声以上の何かが響き渡った。

 マウンドに佳史が駆け寄る。ファースト克典が、セカンド大和が、ショート悠一が、ワンテンポ遅れてサード信司がマウンドに集まる。外野からもできる限りの速度で朝陽が、海斗が、駿が集まってきた。ダッグアウトからも選手が飛び出し、村田監督が満足げな顔でそれを見つめている。

 全員が一気にマウンドに集まり、人差し指で空を指した。


「月ヶ瀬高校、春夏連覇! 選手達がマウンドに集まります!」


 実況が叫んだ。 


 この時ばかりは、ベンチのメンバーも含めて全員の顔が崩れた。その表情は屈託のない高校生の表情そのものだった。


「いや、しかし、5回から投げたエースの藤沢君は圧巻のピッチングでしたね」

「そうですね。本当によせつけませんでしたね」

「夏の甲子園は月ヶ瀬高校の優勝で幕を閉じるわけですが、月ヶ瀬高校の勝因はどのあたりにあったのでしょうか」

「やはり、個々の選手の力もありますが、こと決勝戦に限っていえば、滝波君の対策をしっかり練っていたところでしょう。6回の攻撃は鮮やかでした」

「一方、敗れたとはいえ、忍原高校の快進撃は大いに甲子園を沸かせました」

「そうですね。今日は月ヶ瀬高校の壁にあたりましたが、いい野球をしていましたし、準優勝です。胸を張って、母校に帰ってもらいたいですね」

「はい。今年も優勝旗の白河の関越えはなりませんでしたが、鮮烈な印象を甲子園に残しましたね」


 実況と解説の話は両校の感想に移っていた。


「よっっっっしゃああああーーーーーー」

 ひときわ大きい大和の声が空を駈けた。

 そのあまりの大きさに、皆がもう一度笑った。

「さぁ、整列しよう」

 主将の信司が促して、皆が輪から出て行き、ホームプレートのところに並んで校歌が歌われる。全員がこれまでにない笑顔で歌っていた。校歌が終わり、選手が一斉に駆け出す。いつも通り応援してくれたスタンドに挨拶をするためだ。

 

 挨拶が終わり、顔を上げる選手達。

 ……だが、一人、頭を上げない選手がいた。他の選手がその選手の周りに集まって、肩を叩く。


 選手の口が動いていた。

(ありがとな)

(ほら、いくぞ)

 きっとそういうことを言っていたのだろう。


 だが、それでもその選手は顔を上げなかった。

 そのまま、膝を折り、帽子で顔を隠していた。


 ……主将の安本信司だった。最後の、ウイニングボールをつかんだ信司だった。


 その様子を見て、村田監督が信司のところまで来た。

「……よくやったな。さぁ、戻るぞ。まだ主将インタビューもあるからな」

「……はい」

 信司が立ち上がり、ダッグアウト前に戻っていく。


 全員が分かっていた。

 信司にとっての昨年夏の甲子園がようやく終わったのだと。

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