第13話
「どうも、ご無沙汰しております」
初めは運転手が誰に話しかけているのかわからず、きょとんとしてしまった。
返事が出来ないでいると、運転手が「先日の黒影です、どうも」と言ってきたので、心底驚いた。
「な――なにやってるんですか」驚きを隠せないで、「まさかこれも仕事の一貫、なんて言うんですか?」
黒影がこともなげに、
「そういうことになりますね。リクルーティング活動という枠組みになります」
「なんてしつこい……」半ば呆れてそう答えるのがやっとだった。「やっぱり私、そういうの興味ないですから」
何か黒影が答えるのを待ってしまったが、それきり黒影は無言だった。運転席の方をちらっと見ると、一般的な乗務員の格好をした大男が座っていた。こんなに目立つ体躯の男はそんなにはいないだろう。やはりあの黒影なのだ。
ついでだし顔を拝んでやろうと思ったが、制帽を目深にかぶっているのか目元がどうにも見えづらかった。
そこで初めて、この男のことを何も知らなかったということに、今更ながら気づいた。名刺をもらっただけだが、基本的に噂話ベースでしか、何者かは知らない。
「本業の方は、順調なんですか?」
タクシーが進む中、世間話程度にと思いアスカから声をかけた。
ふむ――と黒影が答える。直ぐに言葉にしないのは、コンプライアンス的に何かに抵触するからか。
「それは、我々の活動に興味を持ってもらった、という認識でよろしいですか?」
夜の国道を軽快に飛ばしながら黒影が答える。
「いや、只の世間話ですから」
「しかし」黒影の話すトーンが引き締まった。「この話を続けると世間話の範疇を越えてしまう」
――要するに、ぶっそうな話になるということを言っているのだろう。
別にリスクをとってまで、アスカは世間話をしたい訳ではなかった。
「じゃあいい」
そうつれなく返すことになったのは、自明である。
黒影もさほど気落ちせず、「そうだな」と返す。
全くコミュニケーションが成立していない。コンプラインアンスとは、とアスカは思う。なんたって生きづらい話だ。
そう考えていると、今度は黒影から口を開いた。
「妹さんは、無事でしたか」
初めに話しかけられた時と同じくらい驚いた。
「どうして、」
「我々の調査能力を甘く見ない方がいいですよ」
「いやそうじゃなくて――いや、それもそうなんだけど。なんでそんな話を調べているの、ってことよ!」
なんだそんなことか、という気配を醸して、
「だから何度も言っていますよね。クルーティング活動には糸目をつけないんです」
今一つ芯を食った答えになっていない。
「それはわかったわ。それは以前聞いたもの。でも、何で私をつけ狙うのかって話を今はしているの。ほとんど、というかまるきりストーカーじゃない!」
「つけ狙うとは……」黒影が続ける。「失礼な話でうね
「大体、私みたいな人間のどこか貴重な人材なのよ」
「決まっています。正義への思いと常識とのバランス。それに実際の業務遂行能力」
ため息をつくアスカに、黒影が堂々と宣言する。「やはりこういった人材は少ないのですよ」
そう言って、とうとうと一人演説を続ける。
曰く、我々は人材が命である。工場やその他アセットを保持しているわけではない。言ってみれば、人材重視という観点ではコンサルタントのようなものである。そして、一般にコンサルタントという職種は新卒採用に何千万円とも言える破格の金額をかけているらしい。我々も、当然それに勝るとも劣らない努力をしている。もっとも、ヘッドハンティング中心にはなるが。
「そして、所謂インターンも行っています――どうでしょう。見学していく気はないですか?」
「え」
私には関係ないけどね、とのほほんと聞いていたアスカであったが急な方向転換に耳を疑った。
「いや、要らないって! 全然要らないから、ホントに。第一現場って、一体何なんですか?」
「やっぱり、聞きたいですか? 我々の業務内容を」
ふふふ、と不敵に笑う口元が見えた。なかなかこの男、駆け引きを楽しんでいるようにも見える。
「うー、いいから教えてくださいよ!」
「それでは、この紙に一応サインいただきましょう」
黒影は、どこからかペラりと紙を取り出し、振り向かずにアスカに紙を渡した。「適当にペラっと読んで、サインいただければ。何、大したことは書いてはいません。ここで喋ったことは他言無用、というだけの話です」
はい、と続けてペンを手渡す黒影。怪しんでサインを渋るアスカに、黒影が声をかける。
「別に捕って食べようってワケじゃないですよ。そんな騙して即契約、といったことをするような我々ではないのでね。じっくり読んだ上でご署名いただければ、と存じます」
そう言われると、まあ話だけなら、と思うのはアスカだけではないだろう。
同僚の由香里に代表されるように、実は界隈で人気があるといえばある、そんな団体。その秘密を探る――というワケではないが一端を垣間見れると言うのは悪いことではないような気もする。
じっと契約書を読む。コンプライアンス云々の項目が多いが、強制的にツボをかわせるだとか労働を強いますとかいう話は見当たらなかった。
とりあえず、職場見学くらいは――という気持ちで一筆入れ、黒影に手渡した。
「まいど~」
横目でちらりとサインを確認し、ファイルに契約書を片付ける黒影。
「で、いつどこで見学するんですか?」
当然の疑問だった。こちとら社会人なので、休日でなければ厳しい。でも今週末は合コンがあるから、ちょっと厳しいんです――と切り出そうとすると、
「今から」
「え」
「大手町だ」
「い、今からですか?」
用意していた言葉を全て飲み込まなければいけなかった。かろうじて、一言だけ付け加える。「大手町の、どこなんですか?」
「さっきまで君が絡んでいたところだよ。さえずりの雫の本社にちょいと用事があるものでね」
ぴくり、とアスカが反応する。
「別に君が絡んでいたからそこを選んだわけではない。単に日程の話でね。別に明日なら明日また別の企業があるのだが、そちらの方が良いか?」
さえずりの雫。恨みがある、というわけではないが、なんとなく今まで好きになれなかったし、今日の一件でますますその傾向は強くなった。
「さえずりの雫、嫌いというわけではないんですが――好きになれません。あまり気が進みません」
それを聞いて、黒影が大きく頷く。
「うむ、我々もそういった気持ちで一杯です。もっとも、我々流に表現すると『我々の正義に反する』といったところになりますけどね。そういったところで、今日の業務は『再三の警告を無視した方々への、強制的な介入』といったところになります」
「強制的な介入って……」
「簡単に言うと、武力で以って相手を討つ、ということですね」
イメージが湧かない。現代日本では、ほとんどの物事が机上での交渉で進んでいると思っていたが、そういった決着方法ではないということだろうか。
「いわゆるドンパチってことですか……?」
恐る恐る尋ねるアスカに、「まあそれに近い」と飄々と答える。
ドンパチ、と自分で言って眩暈がした。乏しい知識でイメージを形作ると、賊がどこかに押し入って、ドスを振りかざして相手の鉄砲玉と対峙する。なぜか拳銃が当たらず、並み居る敵を次々に倒して、都合よくボスと対峙する。
なぜか、という点がポイントである。ドラマか何かの影響が多分に大きいが、そんなこと現実には絶対に興らない。そう思っていた。
黒影がギアを上げる。
聳え立つ塔。その真下にアスカと黒影はいた。
塔の名前は、さえずりの雫ビル。相変わらず悪趣味なビルですね、と黒影が毒づく。
そりゃそうよ、とアスカは思った。夜の夜中、草木も眠る丑三つ時に爛々と輝くそのネオン。その中心に控えるのは桃色にぎらぎらと光るさえずりの雫の看板。旬な芸能人が、さえずりの雫の制服を着て微笑んでいた。
「都会の夜空を汚す悪魔どもですね。この手で再び地獄へと鎮めてやりますよ」
拳をわなと震わせ、黒影がそう言うのをアスカは他人ごとのように聞いていた。
疑問は二点あった。
本当にこのビルをたった一人で壊滅させるつもりなのか。そんなこと、可能なのか。
横を見ると、自信満々に見える目つき。相変わらず、その目元しか見えないが。
「ねえ、本当に一人でこのビルに乗り込むつもりなんですか?」
一体いつ運転手の服装から着替えたの、という疑問は飲み込み、そう聞かずにはいられなかった。
黒影がニヤりと笑って、右手を上げて小さく叫ぶ。
「サスケ!」
するとどこからか音もなく、風のように黒装束の男が現れた。
「お初にお目にかかるでゴザル。拙者、黒影様の部下に相当致します、サスケと申します。以後お見知りおきを」
忍者服で、サスケ。どう考えても偽名だと思っていると、「もちろん偽名でござる」とサスケが続けた。
「アスカと申します。宜しくお願い致します」
「あいや敬語は結構。私のことは、黒子として扱っておくんなまし」
そう言って背中の巾着からごそごそと何かを取り出して、アスカに手渡す。
「これは?」とアスカが尋ねる。
「見学時の正装であります。本団体も一応は制服というものがありまして、こういった服に着替えていただければ幸いであります。ささ、どうぞこちらへ」
サスケが再びタクシーへと案内する。どうやらこの中で着替えろということらしい。
随分急な話ね、と思っていたが毒を食らわば皿まで。もともとノリの軽いアスカである。そのまま着替えてしまった。
「――くのいちの正装って、もっとキャピキャピしたものだと思っていたわ」
着替え終えてタクシーを降りたアスカがサスケに言う。
「あれ、そちらの方がお好みでござったか? それならそうと言っていただければ用意が……」
背中の巾着袋をガサガサとまさぐるサスケに、赤くなって「いいです!」と叫ぶ。
「なんだ、残念……」
聞き捨てならないセリフを残し、サスケが巾着を縛る。
何人『裏の業務改善委員会』の構成員がいるかは知らないが、今まで黒影しか当然見ていなかったアスカには、サスケの若干の軽薄さが少し身近に感じられ。どこか安心できた。
「でも、それはそれでアリでござるな!」
「アリってなんですか!」
ガツンとサスケの後頭部を殴る。イタタ、とも頭を押さえるサスケだが、この男の鍛え方も常軌を逸している。要はポーズなのである。
しかし、実際のところ忍者装束はアスカに似合っていた。
スラリと伸びた無駄のない肢体に、余計な機能を取り除いた、言わば機能美に優れた服はそれなりにフィットしていた。
「浴衣が似合う体形ということでゴザるな」
「それを言うんじゃない!」
再び鉄拳がサスケを襲った。「何が寸胴よ!」と言って、逃げるサスケを追う。
「すみません。でも、こんなことしてる場合ではござらんよ!」
サスケがタワーを指さす。「ほら、もうあんなところに」
見ると地上7階ぐらいの窓ガラスが、爆風とともに吹き飛んでいた。
「え、あれ誰がやっているの?」
「むろん、黒影様でござる。うちのエースからすれば、こんなうっすい警備赤子の手を捻るがごとく、でござるよ」
そう言った瞬間、先ほどの上の階から爆風が上がる。
「さあ、急ぐでござるよ。このままでは、サマー・インターンが成立しなくなってしまうでござる」
「これサマー・インターンだったの? 全然初耳よ」
「あれ、契約書読まなかったでござるか? まあどっちにしろ、来ておくんなまし」
乗りかかった船だ、仕方がないと疑問を胸にしまい、サスケに続いてタワーへと駆け出すしかなかった。
「うん。平常運転でござるな」
正面玄関から堂々と入ったサスケとアスカであるが、そこら中に人が取っ散らかっていた。
「ほれ、起きるでござる」
転がっているガードマンをサスケがつつく。「う、忍者が……」と呻いて、がっくりと力尽きた。
「これ全部黒影がやったの?」
「左様でござる。この程度の防御力で、『裏の業務改善委員会』のエースを止めるなど言語道断でござるな」
しかしこれはやりすぎではないのか。
一階だけでも見渡して、まともに立っているガードマンはいない。そしてもうもうと立ち込める煙。
――もしかして、黒影って破壊工作員?
そう思って七階を見上げるアスカにサスケが声をかける。
「基本的には、我々は影の集団でござる。だから、人知れず現れ人知れず消える――我々が存在することが間違っているのでござる。正義の為に戦うというのは、悪と叩き潰すということ」
いきなりこの人は何を言っているのだろうか。エスカレーターを走るアスカは、横を走るサスケを見上げた。
「だから、極力悪以外は討たないのでござる。簡単に言えば、必要がなければ周りを壊したりはしないのでござるよ」サスケが振り向いて、「これも全て煙幕でござる。無駄に壊しては、悪の親玉意外に被害が及ぶ。それは拙者共の本意ではござらん」
これで少し合点がいった。要は、悪いやつだけをぶちのめす、だから上の階は火の海ではなく、黒影が投げた煙幕の煙だ――そう言いたかったのだろう。
なるほど、と納得。なんとなく、黒影たちの掲げる正義が読めてきた。そんなに悪い正義でもないようだ。
そして問題の七階にたどり着いた。
燃え盛るカーペット、それを消さんとするスプリンクラー。水びだしになり嫌な音と時折電撃を走らせるパソコン。
「何が悪だけ討つよ!」
ばっこん、とサスケの頭を叩く。
どう見ても、やりすぎ。頭が痛い。
サスケの腰がピリリと鳴った。マナー・モードのしておかないのは忍者としてどうなのだろうか。
「はいサスケでござる……はい、そうでござるか……なるほど、21階。承知致しました」
ぴ、とサスケが電話を切る。
「どうしました?」
サスケを叩く手を止めてアスカが尋ねると、
「もうクライ・マックスだそうでござる。21階に行かなきゃ、見所が終わってしまうでござる。ということで、エレベーターを使うでござる」
こういう状況でエレベーターって使っていいのかしらん、と思うが手招きするサスケにそのまま続く。
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