第11話

「ぴこん」と、アスカの前をゆく由香里のスマホが鳴る。

 あ、お母さんからだ――と由香里が画面を見て、むっとした表情で立ち止まる。

「どうしたの?」

「お母さんから、なんか妹が体調崩して倒れちゃったって、バイト先から電話があったらしいの」

 なんと、と驚くアスカ。

 由香里の妹は一度会ったことがあるが、確か今大学の二年生だったはずである。由香里に似て天真爛漫なイメージを想起させる、かわいらしい女の子だった。

「妹さん大丈夫なの?」

「うん、一応大丈夫みたいだけど……。お母さん夜勤だからすぐには迎えに行けないって。妹は大丈夫だって言ってるけど、心配だから私、行ってくるね!」

 そういって、早足になる由香里。待って待ってと、アスカもそれを追いかける。

「待って、私も行くわ」

 前を歩く由香里にそう声を飛ばす。

 自分でもなぜ行くかはわからないが、由香里が不安そうだった。自分の中ではそれで十分だった。

「ありがとう、でも……」 由香里が俯く。「なんかそんなの、悪いし……」

 嫌だ、と言われなかったところを見ると、由香里も心細いのだとアスカは思った。

「大丈夫よ! 友達じゃない! それに、私別に帰ってもやることないし!」

 努めて明るくアスカは返した。先ほどの元気づけのお礼、というワケではないが、自分はこうすることでしか由香里の力になれないのだ。

「うん、じゃあ……お願いしてもいい? なんとなく、私ひとりじゃ心細かったの。それに、妹のバイト先の店長さん、なんだか怖い人みたいだったし」

 由香里の心の不安を少し解消できた気がして、アスカは気持ちが少し楽になった。誰かの役に立つというのは、やっぱりいいことなのだ。

 しかし、その後に続く言葉が引っ掛かった。

「その店長さんが怖いって言うと、なんかめちゃめちゃいじめてくるとか?」

 そんなことはないだろうとアスカが尋ねると、由香里がぼそぼそと喋り始めた。

「話を聞いていると、そんなに悪い人ではない感じなんだけど、でもシフトがとにかく厳しくて、バイトが足りないです! って言っても全然増やしてくれないらしいの。サービス残業も多いらしいし……」

 いわゆるブラック・バイトではないか、と思った。よくある話だ。無理なシフト、半ば強制めいた早出とサービス残業。軍隊とみまごうばかりの号令……。

 話には聞いていたが、身近に被害者がいるとは思わなかった。アスカが思っているより、そうした被害の実態は大きかった。

「それ、ダメじゃん! すぐに辞めればいいのに。由香里の妹なら、バイトぐらいならどこでも口があるでしょうよ」

「でもあの子真面目だから。この前実家に帰った時も、店長さんと社員さんがかわいそう、とか言って慌ててバイトに行っていたし……」

 どこからかむくむくと怒りが湧いてきた。また不必要な正義感が邪魔をすると心のどこかで思ったが、こればかりはやはり止められない。

 ばっと駆け出し、大通りでタクシーを拾う。

 由香里が「え、そんな急ぎでもないし……」と言っていたが、はやる気持ちが抑えられなかった。

 いいからいいから、と由香里を後部座席に押し込む。

「どこまでですか」と運転手が問いかける。

 えーと、と頭を捻ってもアスカの口からは当然出てこない。知らないのだ。

「七山駅までとりあえずお願いします。さえずりの雫の、七山支店って分かります?」

 代わりに由香里がそう答えた。

「ああ、七山のさえずりの雫ね。承知致しました。なんかこの前事件があったらしいけど、お姉さんたち、なんか関係ある?」

 アスカと由香里は、えっ、と言って顔を見合わせ押し黙ってしまったのち、アスカが答えた。

「その話、もうちょっと詳しく聞かせて貰えますか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る