第10話

「「「今週もお疲れ様―っ!」」」

 三人のグラスがガチャリと重なる。アスカ、由香里、瑞樹のいつものメンツ。瑞樹の家。

「いやー、この飲み会も久しぶりねー」

 ビールのリングを片手でもて遊びながらアスカが言う。

「そうだねー。二週間ぶり、って結構空いた?」

「そうよ! こんなにも由香里をはむはむ出来ないなんて、もう耐えられないわ~」

 ビールの缶を机に置き、瑞樹が由香里をぎゅっと抱きしめる。由香里も「やーん」とか言いながら、まんざらでもない様子。

「最近バタバタしてたからね。なんか社内でも、いろいろ変わったじゃない?」

 そう。最近は随分と忙しいのだ。何でも社内改革、ということで業務の見直しが行われているらしい。

 アスカのいる秘書課も例外ではなく、仕事が増えたり減ったりしていた。

 仕事が減るのはまあいいのだが、仕事が増えると――これは言うまでもなく大変なのである。なにせ、こなすだけではいけない。マニュアルを作ったりするのも、これもまた秘書課の仕事なのだ。

「でも、総合職の子の仕事減ってよかったじゃない? とにかく朝の変な出勤みたいなのなくなったんでしょ?」と瑞樹が言った。

「うん、やっぱりあの貼り紙が効いたらしいわよ。上の人なんか、『いかん、黒影が来た。これはいかんいかん……』とかぶつぶつ言っちゃって、なんだかかわいそうなぐらいだったわよ」

 しょんぼり、のところで肩をすくめる。

「ふーん。でも良くなってよかったんじゃない? 代わりに私たちの仕事が増えたような気もしないでもないけど!」

 そう言って、瑞稀がぐりぐりと由香里を撫でまわす。何か溜まっていたのだろうか、とアスカは思った。

「でも、これが普通なんですよね。私たちが出来る仕事は私たちがすればいいし、総合職の子しかできない仕事はあるわけで。適材適所ってワケじゃないですけど、なんかこうした方が会社が上手く回っていけば、みんな幸せになれるんじゃないですかね」

 ぐりぐりされていた由香里がいきなりそんなまともことを言い出したので、アスカと瑞樹はポカンと顔を見合わせてしまった。

――この娘は、そんな高尚な考えをしていたのか、それに比べて――

 二人して「うーん」と唸ってしまったので、由香里が慌てて「え、私何か変なこと言いましたか。ごめんなさい!」と謝りだした。

「いやいや、我が身を反省してたのサー」

 由香里にしだれかかりながら瑞樹がそう弁明する。

「そうそう、いやもう立派で。ホントに。皮肉じゃなく」

 グイと一缶飲みほしたアスカもそう続けた。

 言っていることはもっともで。でも、なかなか口に出して言えるものではない。人間そう思っていても、我が身可愛さが普通は勝ってしまうものである。

「いや、でもそんなこと言っても私も仕事増えたらそりゃしんどいですよ」弁明するように由香里が言った。「でもそれが仕事ですから」

 そう言ったあと、しまった、というように口を押さえたがもう遅かった。

 アスカと瑞樹は、再び顔を見合わせて今度は二人同時に由香里をぐりぐりといじめ始めた。

「この優等生め~。貴様みたいなのがいるから私の勤務評定が上がらないんじゃあ。くぬやろ~」

「きれいごとばっかり言いやがって~。きれいごとではおまんま食べては行けんのじゃ~」

 別段二人とも、由香里の言っていることが間違っていると思っているわけではない。ただ、そう思っているのだが、恥ずかしくて口には出せないのである。

 そうしているうちに、いつかはそんな思いもなくなってしまうのかもしれない――とアスカは由香里をいじめながら思った。

 言霊という言葉を思う。言葉には言霊という精霊が宿っていて、いつしか形になると言う。昔そう言われた言葉を、アスカは何の気なしに信じていたが、由香里を見ているとそういうのも大切なのかもしれないと感じてしまった。

 胸の中の小さな由香里は、これはこれでよく考えているのだ、と改めて尊敬してしまった。


「で、赤鳥君とはどこまで行ったのよ」ひとしきり由香里をぐりぐりし終えて、アスカは瑞樹へと話を振った。「せっかくパス出してあげたんだから、私にも聞く権利、あるんじゃなくて」

 それまで景気よく由香里をぐりぐりしていた手がピタリと止まった。

「それ、聞いちゃう?」

「聞いちゃう」

 そう答えたアスカに、瑞樹ははぁ~と酒臭いため息を漏らした。

「聞いちゃうか……」

「何、結局上手くいかなかったの?」

「うん、なんと言うか……」

 その後瑞樹がとうとうと述べたことをまとめると、以下のようになるらしい。

 まずラインを貰った次の日にデートの誘いがあった。映画でもどうか、というありがちな話。瑞樹、ウキウキでオッケーと返信。

 じゃあ平日のどこかで、ということになり木曜日の夕方から映画に行くことが決定。映画は話題のアメリカの高校生の戦隊もの。

 瑞樹は子供っぽいと思ったが、断るのもアレだし渋々、といった感じで鑑賞。

 終わった後、赤鳥くんボロ泣き。もうびっくりするくらい。なんでも大層感動したとのこと。その後のディナーも、いい感じのイタリアンで映画の感想を熱っぽく語られたのこと。瑞樹も映画を見て、それなりには感動したので話が結構もりあがったらしい。

 じゃあ、またねということでその日は終了。その後ラインで、俺ばっかり喋っちゃってごめん、との連絡。いいよいいよーと瑞樹大人の返信。実際全然良かった。

 しかし赤鳥から「いやそれでは俺の気が済まない。日曜日にもう一度、フレンチでもどうですか――」というご連絡。瑞樹、迷わずオーケー。あ、でもすぐ返事してがっつかれてると思われても嫌だな、とあえて朝がたに返信。「ごめーん、寝落ちしちゃったー(原文ママ)」とのこと。

 それで日曜日もイイ感じになって、今週末も飲むことになった。それで今金曜日の夜。

 ――とそこまで一息に瑞樹が喋ってしまったので、アスカはやっとこさ口を開くことができた。

「つまりはアレか。上手く行ってんだな。ノロケだったんだな、今のは」

 瑞樹が不敵な笑みを浮かべる。そして、「ふふ」と更に声を出して笑い、最後には「実はそうなのよ~!」

 おっほっほと遂に爆発。あきれた。少し心配して損しちゃった。

 ひとしきり笑って満足したのか、瑞樹はアスカたちに聞いてきた。

「で、あなたたちはどうなのよ。なんかいいことあった、ん?」

 幸せそうなのは勝手だが、こちらがそうではない場合もある、ということも分かってほしいとアスカは思っていた。

「いや、だって何もなかったわよ」

「どうして」

「だって理屈で言えば、赤鳥君をあなたに渡した時点で、私の持ち球は無いワケじゃなない? 違う?」

 なるほど、と瑞樹が膝を打つ。「確かに」

「私は緑沢さんにご連絡もらっちゃったんですけど、断っちゃいました」

 由香里がそう言って、テヘっと笑った。

「確かに、あの男と由香里の組み合わせはないわね」瑞樹が深刻そうな顔をして、「マッド・サイエンティストとロリっ娘。なんとなく、犯罪の臭いがする組み合わせになりそうね」

 それを聞いて、アカネも納得してしまった。あの神経質そうな緑沢という男、確かどこかの研究員だったとかいう話だったな。言われてみれば、マッドな感じはプンプンする。

「むしろ、アカネの方が似合っているんじゃないの?」

「いや、それはないわ」

 瑞樹の無責任な発言に、アカネはピシャリと返す。

「でも話が弾んでたような……」

 由香里が意味のない話を蒸し返す。

 確かにロボット談義はそれなりにもりあがったかもしれない。でも、それはあの男でなくてもよかった話である。

 もしかすると、どこかにはけ口を探していたのかもしれない。何のはけ口かはわからないが。

 アスカはガガーっとミックス・ナッツを掴み、豪快にぼりぼりとかみ砕いた。そして、缶ビールをごきゅりと飲み、空になった缶を机にガタリと置く。

「勝手なこと言わないでよ! なんであんなひょろっとした男と付き合わなきゃいけないのよ。私はねぇ、もっとこうゴリっとした、なんというか……」

「ゴリラ男?」

「ちっがーう!」

 瑞樹のチャチャと一掃する。

「ゴリゴリじゃなくて、もっと細マッチョみたいなのが良いの! プロレスラーでも、棒切れみたいなやつでもなく!」

「アスカ、案外望み高いのね……」

「知ってたけどね」

 由香里のつっこみに、瑞樹が答える。「案外この中で一番条件厳しいのって、アスカかもね。お局様まっしぐらよ」

 反射的に、お局様になった自分を想像してしまった。

 ――同期は誰もおらず、毎年キャピキャピした子が入社してくるのを母親のような気持ちで眺める。若い男衆はピチピチな新人どもを颯爽と飲み会に誘い、私には「おい、誰か誘って来いよ。失礼だろ」「いや、でも……」みたいな会話をしながら、一番気の弱そうなヤツが、「あの、よろしければ……」とかめちゃめちゃ嫌そうに誘ってくる。それを「あ、私まだ仕事あるから!」とありもしない仕事をでっちあげ「そうですか!」と急に元気になった新人君の背中を、ハンカチを噛みながら睨みつける。

――そんな未来はまっぴらごめんだわ!

「てゆーか、瑞樹はなんで青木君私に振りなおしてくれなかったのよ! 赤鳥君あげたじゃない!」

「うーん」

 そう言ったきり、瑞樹はうつむいてしまった。

「なによ」

「一応振りなおしたんだけど……」

 ううむ、と言って瑞樹は顔を上げて言った。

「長い話を短く言えば、オタク女は嫌なんだって」

 後頭部をトンカチで殴られた気がした、というのが比喩ではないほどにガックリ来た。

「そうよね……オタク女は嫌よね……」

 一気にガックリ来た様子のアスカに、由香里と瑞樹は顔を見合わせて「どーする?」と言った表情。

 ビールをちびちびと飲み始めるアスカに、仕方なしに、と言った様子で由香里が声をかける。

「まあオタク女だって、そういう人見つければいいじゃない。星の数ほど男はいるんだからさ」

「そうそう。それに黙っていたらオタクってのはわかんねーんだからさ。次はもっと、おしとやかに行こうよ。赤鳥君に、そういう合コンの球ないかどうか聞いてみるから。ほら、元気だしなって!」

 瑞樹にパンと背中をはたかれたものの、そんなことでは元気はでない。もっと何か、現実味のあるイイことが欲しいのだった。

「赤鳥君、そういえば商社勤務とか言っていたわよね。もしかして、もしかするとまたイイことあったりする、ってことある? というか、あるでしょう! 出せ~!」

 瑞樹の肩をガタガタと揺する。「わ、わかった~だからやめち~」と瑞樹が声をひねり出したところで、アスカは恫喝をピタりとやめる。

「ホント!」

「うん、流石に商社勤務だったら男集めるの得意でしょうよ。今聞いてみるから、そんな目をするのはおやめ!」

 濡れた子犬のような眼をするアスカがよほど嫌だったのか、スマホをがっと引き寄せテキパキとラインを送る。

「ほら、今聞いてあげたから、もういいでしょ」

「ありがとう、心の友よ~」

 柿ピーをぼりぼりとむさぼりながら、「できれば今週中がいいな~」と瑞樹に再度上目遣い。

「流石にそれは無理でしょ!」

 そう言って、瑞樹がビールをアスカからひったくる。

「あ、これいいやつじゃない! 私が買ったのに!」

「いーじゃない、減るもんじゃないし」

「減るのよ! ああもう楽しみにしてたのに~」

「食の恨みは恐ろしいのだ!」

そう言ってビール缶の取り合いをする二人に、「そう思ってもう一本買っておいたから」と言って冷蔵庫に由香里が向かう。

そんなこんなで、いつものように楽しげに金曜日の夜は過ぎていった。


「それじゃあ、赤鳥君によろしくね!」

 アスカが瑞樹に念を押して、由香里と共に瑞樹邸を後にする。

 時刻は再び夜の23時。女子二人でテクテクと歩くと少し怖い時間かもしれないが、国道沿いの割合明るい道なので、別段二人がそう感じたことは今まで無かった。

「でもさ、アスカもホント黙ってればモテそうなのにね」由香里が歩きながら話を振る。「でも黙ってられない、と」

 そうなのよ、とアスカはとぼとぼと歩き答える。

 はっきり言って、この黙っていられない性分が役に立ったことはほとんどなく、逆にこれで痛い目を見たことは多い。

 小学校の頃、授業中に手紙を回すのが流行っていた。別に正義感を気取ったつもりはないが、なんとなく嫌な気がしたので、学級会でそれを告発してしまたった。

 自分ではいいことをしたつもりも悪いことをしたつもりもなかったが、女子のグループにとっては都合の悪いことだったらしく、そのあと若干いじめられた。気づいたらいじめも終わっていたのだが。彼女たちの興味は移ろいやすかったらしい。

 中学の頃――別段荒れていた中学という訳ではないが――遊び半分で近所のコンビニで万引きするヤツがいたので、問答無用で通報した。どこからかアスカがチクった、ということがバレたらしく、怖いお兄さんに随分と詰められたが、これもまた気づいたらなあなあになっていた。

 こういった無垢な正義感が災いを呼んだ例なら人には負けない。随分怖い思いもしたのは事実だが、なんとなく言わずにはいられないのだ。そういう性分なのである。

 そして今回も、言わなきゃいいのになんとなくほとんど見ず知らずの黒影とかいうやつの擁護をしてしまったせいで、明らかに不利になってしまった。

 何かを言って得したことは、もしかすると本当にないのかもしれない。

 そう思うたびに、余計なことは言わずにおこう! と心に誓うのだが、ついつい口に出てしまう。

 なにも思ったことを全て行ってしまうワケではない。なんとなく、コレは違うなと思ったことが止められないのである。

「――まあアカネらしいけどね。自分を偽ってそれなりに上手くやれても、仕方ないんじゃない?」

 由香里がもっともらしいことを言う。

「由香里は上手く生きているわね」

 少し皮肉めいた言葉になってしまい、アスカははっと口をつぐんで由香里を見た。

 由香里は怒った様子もなく、逆にきょとんとした顔をして答えた。

「そんなことないよ。アスカのこと、格好良くて羨ましい! って思うこと沢山あるもの。言いたいことを全部言っちゃう人は沢山いるけど、なんとなくアスカってそういうタイプでもないのよね。なんとなく、その辺が恰好いいと思うの」

 モテるモテないは別として、とキャハっと余計な一言を付け加えて由香里は笑った。

 それを聞いて、「でもやっぱモテたいのよねー」とガックりとため息。

「でも、自分の考えを捻じ曲げてまでモテたいとも思わないでしょ?」

「いや、考えを捻じ曲げるとかいう、そんな大それた問題じゃないんだけど……」

「ううん。自分を偽らないのって、ステキじゃない?」

 恥ずかしいセリフを臆面もなく言ってのける由香里に、アスカの方がかえって赤面してしまった。

「いやあ、そんな、お恥ずかしい……」

「だから自信持って! 今週末合コンあるんでしょ! アスカ、ガンバ!」

 そういってやにわスキップしだす由香里。どう見ても、アスカを元気づけるためだとようやくアスカも気が付いた。

 性格は一朝一夕には変わらないし、事実これまでどうしようもなかった。これからも変わるとも思わないし――

 そう思うと、自然体で行こう、という気になる。

 夕闇に包まれてはいるが、なんとなく、重い荷物が枕になったような、そんな青空気分だった。

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