第5話

 芦原は六菱篠原銀行青葉支店の用心棒であった。

 用心棒というのは、もちろん正式な社員ではない。腕っぷしで買われた――いわば傭兵のようなものである。

 芦原は、不幸な青年であった。

 地元の工業高校卒業後、斡旋で地元の中堅工場に就職。真面目に勤務するも不況の煽りを受け工場が閉鎖。親会社が海外への発注に切り替えたらしい。その後沖仲士やパチンコ店などアルバイトを転々としながら――気付けば24歳になってしまった。

 24歳――という年齢をどう思うかはそれこそ人によりけりだ。大きな減点もなく、さりとて高得点も挙げることもできず、ずるずるとここまで来てしまった。定職にもつけず、夢も見られない。そういった状況に追い込まれてしまっているのが、本人だけの責任と果たして言えるだろうか。

 彼の最大の不幸は、その中途半端な正義感と、少しばかり腕に覚えがあったことだろう。悪いことはそこそこ見逃せない柔道二段。喧嘩もそこそこたしなんできた。少し突っ張っていたこともあった。

 有り体に言えば、全てが中途半端だった。


 事件後の彼の弁によれば、「真っ黒な大男がいきなり着て、シャッターを強引に開けようとしていた。最初は声をかけて止めようとしたが、完全に無視されたので、多少強引な手段に走った。その程度の権限は与えられていたから。そうしたら、もみ合いにすらならずぶっ飛ばされた」とのこと。そして、「気力をふるいおこしてもう一度掴みかかったら、気づいたら、今度は本当に本当にぶっ飛ばされていた。気づいたら、救急車」と続けた。

 ちなみに、もう一人の警備員は驚いて逃げ出してしまっていた、ということである。個人の幸せを考えれば、それが一番良い選択肢だったと言えるかもしれない。

 とにかく、彼は黒い忍者と邂逅した。そして負けたのである。

 もっとも当人たちは、勝ったとか負けたとかそのあたりで勝負してはいなかっただろう。


 事件のあくる朝、青葉支店支店長の横山はタクシーで職場へ急行することになった。いつもは重役出勤、とは言わないまでも9時出社だが、今日はそんなことは言っていられなかった。8時出社である。早出の部下から携帯電話に緊急の連絡が入ったからだ。

『横山さん! 大変ですよ、朝ついたら警備員の人が倒れていたらしく、それで銀行内部もむちゃくちゃらしく――』

 興奮した部下をどうどうとなだめ、言っていることをまとめるとこういうことらしい。

 なんでも、夜中のうちに警備員をはったおして何者かが侵入した形跡があり、銀行内部も荒らされていた。そして、朝早出で出てきた社員がそれを見つけた、と。そういうことらしい。

 この時点では横山に焦りはなかった。自分の落ち度は限りなくゼロに近いからだ。警備員の制止を振り切っている時点で犯人がどうしようもない奴なのは明白であるうえに、本行からのお達し通りの警備体制を敷いていたからだ。最近近所が物騒だった、という話も聞かないし、ましてや銀行強盗なぞ予想のしようがないからである。

 つまりは焦った表現をしなければいけないから、責任者として現場に急行しているのであって、自分でそれについてどうこうできるとも、危害が加わるとも思っていなかったのである。

 横山氏が極めて小市民的だと責めることはできないだろう。一般的に彼の立場なら、皆とは言わないが多くの人間がそういう――他人ごと的な――感覚になるだろうことは否定はできない。

 ただ彼の不幸は別の部分にあった。

 現場に到着して、タクシーを降りた瞬間に部下の青山課長が駆け寄った。

「支店長、盗まれたものはないそうですが――」部下の青山が続けて告げる。「なんでも、『黒忍者』の仕業らしく、」

「黒忍者!」

 そう言った横山は、青山の制止も聞かずテープを乗り越えて行内に飛び行った。

「――やられた」

 横山の見た行内の惨状は、目をおおわんばかりだった。

 まず目立つのは、見事に粉砕されたATM。金属バットのような鈍器で破壊の限りを尽くしたのではないかとしか思えないような状態になっている。画面はおろか、筐体本体ですら全く原型をとどめていない。何か爆発物を使った形跡すらある。

 そして、待合室のカウンター・ブースも見るも無残な姿になっていた。一か所のブースだけが、完全に粉砕されていた。これも同様に、鈍器でバラバラにしたような状態だった。

 どちらも破壊が目的の典型的な愉快犯の行動の結果のように思えたが、共通点があった。

 ATMもブースも一か所ずつしか破壊していないのだ。破壊している以上、業務に支障は出ないとは決して言えない。しかし、全てを破壊するという悪魔のような所業というより、むしろなんらかの警告めいたものを、横山は感じていた。

 そして最後に――というか最初から目に入っていたのは、床一面にばらまかれていたビラ。

 横山は、わなわなと震える手でそれを手に取る。



 いつもお世話になっております、非営利団体「裏の業務改善委員会」の黒影と申します。


入れ違いになってしまっておりましたら大変申し訳ないのですが、私共が再三警告した点についてご連絡させていただきます。

「公然の秘密」となってしまい行内の生産性を著しく低下させていた支店長の不倫。そして支店長以下数名が外貨預金の取引システムを不正に操作し、現金を着服しておられた件。この二点について改善が見られなかったため、このような事態に発展してしまいましたこと、大変残念と存じます。


我々が再三お願い申し上げておりますとおり、改善の兆しが僅かでも見られましたらこのような事態には発展してはいなかったと存じます。大変残念な結果となりましたが、このような手段を取らせていただいたこと、謹んでお詫び申し上げます。


また、これも再三のご連絡になり大変恐縮なのですが、我々は世の中でいうところの法律に反しているですとか、倫理的に問題があるとかそういった観点で行動しているのではなく、あくまで我々の正義に基づいて行動しているということをゆめゆめお忘れないようにしていただきたい。告発ですとか、訴訟ですとか、そういった観点では決してものごとを語ってはいないのです。

 今回は、残念ながら我々の正義とあなた方の行動が乖離してしまい、かつ行動に改善が見られないためこのような結果になってしまいました。返す返すになりますが、大変残念かつ、申し訳なく存じます。


今後ともよろしくお願い致します。


非営利団体「裏の業務改善委員会」 黒影



 この手紙を読んで、がっくりとこないようではこの業界ではモグリだ。

 横山支店長も流石にご存知であったらしく、がっくりと肩を落として待合室の椅子に倒れこむようにして座り込んだ。

「支店長、お気をたしかに……」

 青山課長が声をかけるが、当然ながら横山の顔に生気はない。

「青山君……君は勤続何年目だい?」

「は? ええと新卒で入行して、8年目であります」

「そうか。じゃあ『黒影』という名前を聞いたことはそろそろあるだろう」

「黒影――ですか。いや、少し勉強不足でして……」

 ふう、と大きく横山が息をつく。全てを諦めたような、これまでを包括して反省するような、そんな溜息のように青山には思えた。

「黒影というのはね、言ってみれば神出鬼没のよなおし集団だ。ビラにも本人達が書いている通りだ。「裏の業務改善委員会」ってのは伊達じゃあない」

「しかし、おおっぴらにこんな破壊工作をしているような奴らがのうのうとのさばっているというのは、全く解せません。少なく見積もっても、不法侵入、器物損害、それから、」

「もちろん、彼らもめちゃくちゃなことをやっている。世直し集団と言っても、真っ白な集団とは到底言えない。ただね、彼らは自分たちの『正義』を持っていて、それに反対する奴らを叩き潰しているんだろうね。分かり易く言うと、目的のためには手段を選ばない、そんな奴らだ。美学があるんだろうね」ふうとため息をつき、「時折彼らが『悪』に見えるがね。正義の味方気取りという評判もある」

 青山は鼻息荒く、

「私もそう思います。法を侵しているんです。それは悪でしょう」

「そう。だから彼らは真っ白な集団とは言えないんだ。もちろん彼らを目の敵にしている奴らもいる」横山は遠い目をして、「でも、いろいろ紐解いていくと――それは許されないなぁ、なんてことを被害を受けた奴らはやっていたりするんだよ。僕みたいに……」

「支店長……」

 ふぅー、と大きなため息を横山がつく。

「一体、どこで間違っちまったんだろうなぁ、俺は――」


 当日の夕刊には、果たして以下の一本の記事が載るにとどまったのである。

『15日(火)未明、横浜市青葉区内の六菱篠原銀行青葉支店に何者かが侵入した模様。被害総額は現在不明だが、警備員一人が軽傷』

 彼らはついに世間を騒がせるようなことはなかった。

 そして、人は事件を忘れてしまうのである。当事者に色濃い傷跡を残して……。

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