赤丸ケネ

高校1年の2月、持病が悪化したため僕は1ヶ月間入院することになった。


病室は大通りに面している3号棟の2階。204号室にはテレビが1台と母親が持ってきてくれた折り紙(折り方の説明書つき)だけ。病気よりも退屈が原因で死ぬことを危惧していた。


折り紙をしながらテレビを見て過ごす。そんな生活は何日間か繰り返せば飽きてしまうものである。入院して3日目の夕方、鶴を50匹折り終えた僕は病室の窓から見える大通りを眺めていた。斜めに見える太陽がやけに眩しかったのを覚えている。まだ2月だというのに、道路沿いの花壇では一匹の蝶が舞っていた。



それは、一目惚れだった。


道の向こうから歩いてくる女子高校生に目を奪われた。彼女は何故か口角が上がっていて、スキップするように通り過ぎていく。


その姿を見ているのは僕だけだった(少なくとも、当時の僕にはそう感じられた)。

つまり、その瞬間、彼女が僕にとって特別な存在であると同時に、僕も彼女にとって特別な存在となっていたのだ。

そんな意味不明な自己満足感に浸って、その日は彼女を想いながら寝た。


翌朝。彼女はまたこの道を通った。しかし、厳密に言えば彼女は昨日の彼女ではなかった。あの陽気な雰囲気は消え、浮かない顔をしている。手には赤い花がプリントされている傘を持っていた。


なぜ昨日とは打って変わって今日の彼女はあんなに陰気だったのか。昨日の彼女と今日の彼女で違うところは一つだけだった。


それは傘をもっているということだ。


僕は安直にこのことを彼女の変貌の原因とみなした。まさに「恋は盲目」である。


そして、こう考えた。

彼女は雨が嫌いなのだ。

だから傘を持ちながら憂いていたのだ。

雨が降らなければ今日の夕方とびきりの笑顔で道を通るだろう。

もしかしたら、この病室の方を向くかもしれない。

もしかしたら、そのまま僕に笑いかけてくれるかもしれない。


「恋は盲目」どころの話ではない。


これらの考えは全て大真面目なものだった。

僕はまず、雨が降らないようにする方法をてるてる坊主をティッシュで作りながら考えた。こんな子供じみたものではダメだ。もっと論理的で高確率な方法はないものか、と。


ある言葉を思い出した僕は、すかさずスマホを開いてワード検索をした。



「バタフライ効果」


「気象学者のエドワード・ローレンツによる、蝶がはばたく程度の非常に小さな撹乱でも遠くの場所の気象に影響を与えるか?という問い掛けと、もしそれが正しければ、観測誤差を無くすことができない限り、正確な長期予測は根本的に困難になる、という数値予報の研究から出てきた提言に由来する」


証明されてもいないのに、2年前の僕にはこれが最適な方法であるように思われた。

なにかアクションを起こせば、雨は降ってこないに違いない。時刻はまだ10時前。雨が降り出すと予報されているのは午後4時頃だ。時間はたっぷりある。


最初のプランはこうだ。


折り紙で紙飛行機を折る。

それを外へ飛ばす。

紙飛行機が上空まで風で運ばれる。

本物の飛行機に衝突する。

極微細な衝撃で飛行機の進路が1mmずれる。

それに伴い大気にも変化が現れる。

その結果、雨は降らない。


もはや妄想の域に達している。どうやら当時の僕は論理的という意味も高確率という意味も履き違えていたらしい。しかし、繰り返すようだが、僕はガチだった。すぐに紙飛行機を折って上空目がけて投げた。10秒後に窓の外で力なく落下していく存在には全く気が付かなかった。


盲目と言っても、さすがにこれだけで雨が降らなくなるとは思っていなかった。新しいプランを考えなくては。



それから6時間あまりが経過した。


僕は似たようなヘッポコプランを8つ程度まで実行し終えていた。もうできることはない。あとは笑顔の彼女を待つだけだ。トイレの洗面台で髪型を整えた。




前日彼女を見かけた時間を少し過ぎた頃。窓の外でポツポツと音が鳴っている。計画は全て失敗に終わったのか。


彼女はおそらく下を向いて歩いてくるだろう。もしかしたら泣いているかも。

それでも彼女を見ないよりは見る方がいいに決まっている。僕は落胆しながらも彼女が通るのを待った。



今朝の、花柄の赤い傘が見えた。


僕の眼前を通り過ぎて行った彼女は僕がずっと求めていた、とびきりの笑顔を浮かべていた。



しかし、傘を握っていたのは彼女ではなかった。胸の中に灰色の幸せが満ちていくのを感じながら、僕は堪らずベットに伏せた。



春が来たと勘違いしたのだろうか。季節外れの間抜けな蝶は雨に濡れながら、傘にプリントされた無機質な赤い花の蜜を懸命に吸おうとしていた。

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赤丸ケネ @akamarukene

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