第7話 次郎三郎(真田幸隆)戸隠へ
村上義清の所領を上杉と武田が取り合い両軍が北信濃を
取り合う「川中島の合戦」の終わる 39年前
1525年
次郎三郎が戸隠に
飯縄山一帯は落合氏の所領であった。落合氏は佐久市落合から出た滋野(しげの)氏一族の武士で、葛山城を本城として、裾花川(すそばながわ)流域を領した。
表向きの歴史である、これが千日太夫の別名でもあり飯綱社でもある。
飯綱社の口利きで水内戸隠山本坊に修行に出された
十歳を超えたばかりの次郎三郎は、寺で読み書きを習い、月に数度、山伏修行に出かけていた。
食事も持たず、戸隠山本坊から放たれ、数人の隊で戸隠山に登り、高妻を経て本坊へ帰る
本坊は九頭竜から北東、西光寺は九頭竜から南西、飯綱社は瑪瑙山の東が領地だからである、
植林した竹林で水筒を作ることから修行は始まった、戸隠山に登り始めると水は無いが、飯綱山と戸隠山の間は殆ど湿地帯になっていた
食べれる草を探し、ハート型の葉っぱが付くツルを見つけ芋を掘り、木の根を掘り、果実を探す、山では食と護身が全てだった
クマや狼の群れからも逃れなくては、山篭りはできないのである。
自分たちの掘った、ムジナを狩る落とし穴にハマる時もある、
また、落とし穴で弱っている、猪などの獲物も、山篭りの食料になる
ヤマダニを集める修行もあった、ヤマダニは人を殺す事もあり、山城の士気を減退する事も出来る、
小さな傷でも十分旅人を足止め出来、病いを呼ぶ力が有った、
山に迷うと真言密教の修験者や飯綱天狗に合流してしまう事も有った
飯綱天狗には沢を挟んで何度も対峙した
眉毛がつながった、色黒の背の小さな天狗が先頭を切って
獣道を「オン チラチラヤ ソワカ」の念仏を唱えながら山の中を移動していくのである。真田の郷で奴と呼ばれていた蝦夷人に似ていた。
飯綱山伏は天狗と呼ばれ、背が高く、鼻も高く、赤ら顔の仙人たちが多い、里ではこの人達は直ぐに分かってしまう
郷にはいない赤ら顔の白い人が殆どなのだが、先頭の天狗は明らかに異質だ。
頭には大きな被り物をし、さらし紐で箱を頭に固定している、箱には経典の一部が入っているのだそうだ。
白い脚絆、白い足袋、白い襦袢、白い鈴懸、腰にはヤギの角の高い音の出る法螺をつるし、一本高下駄、まさに天狗、赤鬼が一番の印象だ。
法螺貝の音色で縄張りを主張していた。
戸隠天台密教は千日太夫の飯綱古代忍法と敵対しながらも修行中は、お互い自分の事で精一杯、まさに自分を守る術なのである。
修行にも慣れて来ると、断食の修行が始る、山に散在する岩窟や断崖の長屋と呼ばれる洞門に籠るのだ。
そのころ山伏とは言ってはいたが
山賊の類から豪族の兵隊だったり、隠密だったり、忍者、それを取りまとめる寺院・神社などが窓口になり、宗派と言われる領地が存在していた。
戸隠は日本武尊が古代イスラム、ユダヤ、月読族、古代日本民族統一の為の布教活動の最終段階の場所であったのかもしれない。
そのころ山岳崇拝を統治に使った数は異常である。善光寺も例に漏れない、寺で有りながら、僧兵の他に山城を配し、領までもっていたのである。
諏訪も神社でありながら城を持っていた。
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