第6話 密約

鬼無里白髭神社にて


戸隠は戸隠山顕光寺(とがくしさんけんこうじ)は比叡山延暦寺末寺「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれていた

比叡山、高野山と共に「三千坊三山」といわれる程になっていたのである、

ただ戸隠の違いは神仏が合祀され天台宗・真言宗の宗派が山(所領)と石(年貢)を分割しており、何より瑪瑙山を境に飯綱社が隆盛を極めていたのである

東に飯綱、西に真言宗「西光寺」に挟まれ、天台宗「戸隠山勧修院顕光寺」に残った天台修行僧が残っていた

飯綱社の千日太夫・戸隠天台宗・戸隠真言宗の戦いの最終段階だった、天台宗宣澄法師が暗殺(1468)されてから数十年戸隠抗争最終段階を迎えていた。


極居

「千日太夫殿、東光坊宣澄を亡くし数十年、我が領地は九頭竜の北、作が柏原では年貢が集まりません」

「今年も豊岡は豊作、本山は滅びまする

戸隠山勧修院顕光寺でも、当山派の西光寺は年貢を隠しておりまする」


千日太夫

「我が地も幕府の収めは苦しく、応仁の乱以降、何より国人(地方豪族)が年貢を詐取し

都の力は衰えるばかり」


極居

「飯綱はどちらか」


千日太夫

「言うに及ばず、我が社は都が主」

「善光寺には極居殿からお伝え願いたい」

「私は木曽屋敷に参ります」


極居

「毛無山の東を太夫にお任せいたします、誠照講は移転し堺とします、いかがか」


太夫はうなずき、返答を控えた


極居

「策、成就の後、我が滋野の上田平の実田から、男子を迎えます」

「戸隠は、戸隠山勧修院顕光寺のまま力を蓄え、国人と対峙致します」


太夫は戦国が水内の地にも嫌でもやって来たのを感じていた

すでに都・幕府・国人は誰もが御旗を掲げていたからである。

飯綱山から東光坊宣澄「火の鳥」伝説が流布するのである。


次郎三郎は戦国を生き抜く為、戸隠修行に出されたのである。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る