第4話 中央政権と地方豪族

 善光寺が出来てから550年、川中島の合戦の終わる372年前


中央政権の国造りの末端を科野は果していた。


 水内

1192年木曽義仲が征夷大将軍になった頃、旭山の中腹に善光寺守護所(木曽屋敷)を作る。

1220年ごろから藤原定家が善光寺守護所、善光寺領平芝守護所を木曽屋敷に置く。

この頃信濃には幾つもの荘園も置かれていく

1366年、管領・上杉朝房が信濃国守護になる。

1384年、斯波義種(しばよしたね)が信濃国守護になる。斯波家の二宮氏康が、守護代として、平柴に入る。

出張陣屋なので地方豪族を支配出来る訳もなく、高梨、栗田氏、井上、島津、小田切、・・・・・統治不能になる。

 筑摩

筑摩でも小笠原氏が守護を務めるが、地方豪族の乱立は収まらなかった。

仁科、穂高、飯森・・・・・が寺社領や荘園領を押収し、統治不能になる。

 小県

関東官僚の山内上杉は佐久、小県、上田荘では太田氏だけではなく小宮山氏を代官として小県に送るが、

地方豪族の海野、村上、禰津、大井氏、の台頭で統治不可能になっていく。

 諏訪・高遠

南北朝時代に北条の有力豪族だった諏訪氏は

足利の御家人の小笠原が、信濃の守護になるのが許せなかった。

桔梗ヶ原の合戦以前から諏訪氏は、軍隊を上社、下社共に養成しており、1400年には国人衆連合を組み、

小笠原氏に反旗を翻す(大塔合戦)諏訪氏上社は国人、下社は守護側に付く1449年には下社が焼かれ、

1480年、1518年にも、守護と豪族の争いの中心が、諏訪氏に有ったのかもと思わせるほど諏訪氏は戦乱を繰り返していた。

諏訪社生き残りの為、一族を半分に分け対立の両側に布陣するのは、当たり前の策であった。

主な勢力としては、越後長尾氏と縁戚関係を結ぶ高井郡の高梨氏、埴科郡の村上氏、

関東管領上杉氏の被官である小県郡の海野氏、 佐久郡の大井氏・伴野氏、安曇郡の仁科氏、諏訪大社の信仰を背景とする諏訪氏、

信濃国守護職の小笠原氏、木曽谷を領す木曽氏、伊那郡の保科氏・伊那小笠原氏・知久氏


地方豪族は元は朝廷の荘園や国領を営んでいたり、朝廷と物物交換で貿易していたのだから錦の旗は我にありなのである

荒れる信濃の統治は地域限定的になっていた。守護や地方豪族・武田との戦いは信濃平定まで続くのである。








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