第3話 善光寺

 川中島の合戦の終わる 1010年前


欽明十三年(552年)、廃仏派の物部氏と崇仏派の蘇我氏のいさかいから

日本最古の仏像が廃棄された。

阿弥陀池に捨てられた、仏教伝来の折りに、百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像を若麻績東人が伊那に持ち帰った。

642年

蘇我馬子が物部守屋氏を攻め、仏教派が勝利すると、蘇我入鹿は推古天皇を立てるのである。

伊那に避難していた前立観音は水内に持ち込まれる。


都合の悪い歴史は地域神話に残り、地域の言い伝えに残る。歴史書では書けない、しかし庶民に痕跡が残るのである。


水内にはすでに年神堂(持統天皇の水内神)が有った

牛を中心とする古代縄文後期の象徴である。

水内も例に漏れず、仏以前は神なのである、それも蛇(ナーガ)八又の大蛇なのだ

都から西山古道を抜け、信濃への入り口となる裾花川下流の横山城の西に九頭竜(ナーガ)を祀る社が有った。

(水内の京からの街道は姫川から小谷を経て、奉納温泉から西山を抜け、鬼無里へ、裾花川を下ると年神堂である)

九頭竜(戸隠)・白髭神社(鬼無里)の里宮として建てられた社だ。


その後アマテラスをはじめとする、天皇を生きた神とする、中央政権の影響が科野の地にやってくる

出雲で建御名方神は政権抗争に敗れ、傷ついた体で、日本海沿岸経由で水内に逃れたが、追撃され 

妻は妻科神社でかくまわれ、建御名方神は横山城(年神堂)にかくまわれた。

後に上田の生島足島神社を経由して諏訪に至る

科野から出ないとの確約で諏訪に有った守屋社に幽閉されることとなる。

物部守屋氏、金刺氏、(イスラエル系)秦氏も移民だ

八ヶ岳山麓、諏訪側には夥しい縄文社会の遺構が点在している

諏訪の建御名方神は上社に分社され生神として明治初期まで神官を務めるのである。


「年神堂」に前立観音を合祀し、善光寺とする。山にまで行けない参拝者を迎い入れていた。

その後、・飯綱社・戸隠社の里宮としても機能を始める、又

横山城が善光寺の僧兵の本拠地でもあった

「年神堂」が建御名方神社として東に移動したのは明治になってからの話だ。

例の神仏分離だ


善光寺は無宗派だけではない、神も仏も観音も地蔵もナーガもモリヤも、皆いるのである

今でも善光寺本堂には 西から 前立観音、中央に本田善光一家(御三卿)がおり、東には年神堂が帰って来れる空間がある。

戒壇めぐりの入り口がその年神堂の帰って来る場所だ、別名「胎内めぐり」

諸説あるが善光寺のそれは九頭竜の胎内(子宮)なのである。


南北朝時代から明治まで

善光寺は年貢を集め、京に送る為の地方守護所の役目を担い、領民の保護を約束していた。

日本最古の仏像が北信濃に移ってから、善光寺は城、兼税務署だった。

水内に仏教が伝来する以前、神を中心に組が形成されていて、社と言われる自治体を形成し

地方豪族が力を蓄えていた。

三輪氏を初めとし栗田氏、高梨氏や小笠原氏が南北朝・室町・平安時代の北信濃で乱立していた

善光寺は中央政権からも地方豪族からも、領民、天皇からも特別で皇族出身の尼寺であった。


千曲川沿いの権力の象徴は古墳から仏教に形を変えていく。


現在管理しているのが大本願と大勧進だと言うだけでお年寄り程、仏教とは思っていない。

15世紀の末の戸隠抗争の名残が大勧進(天台宗)に残り、本願寺の勢力争いの名残が仏教として有るだけである。

若麻績東人は本田善光だと言われているが、なぜ大阪誉田の本田を名乗ったかに、謎の答えがある。

善光寺三尊像も「難波の堀江」から「偶然発見」の訳はなく、伊那へ避難させた人物が蘇我の馬子側、又は物部、滋野の中に居た

それが若麻績東人である。

「牛に引かれて善光寺」と言われているのは、仏教伝来前の水内の神々を、新しき馬文化に対する

古き牛文化を言い伝える為に、水内の人々が残した寓話であろう

馬子は丁未の乱で物部守屋を滅ぼしたが、妻は物部で善光寺の大黒柱は守屋柱、寺は尼寺、水内に一光三尊像を移動したのは女帝推古・・

水内神をここ北信の山間に祭ったのも持統天皇(女帝)だ

こうなると、物部氏の鎮魂の為に秦氏系の長野氏に寺を造らせ、若麻績一族を寺の運営に付けたのだろう。

牛に引かれて善光寺ではなく、牛文化守屋族の地に鎮魂の社を、と読み解く方が自然なのかもしれない。

善光寺の起源はユダヤ教の火炎神で「契約の箱」を仏教伝来以前、モリヤの避難民が持ち込んだのかもと・・・・夢が広がる


そして、それまでの牛の文化から、馬の文化を持つ帰化人が列島を変えていくのである。

縄文人、移民の弥生人、皇族避難、武家への変貌、そして共存

古代から一方に偏らず、新旧の共存による庶民の「錦の御旗」が善光寺であった。


そして馬の文化の末裔が真田(滋野)なのである。

滋野は木曽義仲(平家)挙兵の立役者であり、義仲と同じく馬職であった

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