キャンパスに色を

山吹K

キャンパスに色を

描き進めていく鉛筆の音。

筆洗バケツに水が溜まる音。

そんな音が響く教室の中に私、花咲真白はいた。

私が下描きを進める中、隣に座る菊川凛先輩はキャンパスに色をつけていた。


「今日は、ここまでにしようか」

「そうですね」


教室には、私と先輩しかいない。

いつもはもう少し人がいるけど、今日はたまたま。

先輩のキャンパスを後ろから覗く。


「やっぱり綺麗ですよね、先輩の絵って」


菊川凛と聞けば、美術関連の人ならすぐわかるぐらい有名人である先輩。

そんな先輩の絵が私は大好きだ。


「真白は、俺の絵見るといつもそう言うよね」

「私、先輩の絵好きなんです。

ここのグラデーション部分とか、あとここのタッチとか」


私がそう語っていると、ぷっと吹き出した。


「俺よりも真白の方が俺の絵の解説、向いてるかもしれないね」

「流石に描いてる本人には思いは負けますよ」

「思い、ね」


そう言うと、先輩は絵の具を仕舞いだした。

そんな先輩を気に留めることなく、私は先輩の絵に夢中になっていた。


「真白はさ、なんで絵を描いてるの」


突然の質問に驚きながらも、私は答えた。


「描くのが好きだからです」


真っ白なキャンパスが色づくところ。

自分の思いを描いて、それを人に伝えることが出来るところ。

あげだしたら、キリがない。


「俺さ、自分の描く絵があんまり好きじゃないんだ」

「え……」


こんなにも綺麗なのに。

先輩の描く繊細な絵を見たら、きっと多くの人が目を奪われるだろう。

私と同じように。


「俺が本格的に絵を描こうって思ったのはさ、人を笑顔にしたかったんだ」

「笑顔に、ですか」

「昔から絵はよく描いてたんだ。

俺の絵を見てみんな笑顔になってさ、本当にそれが嬉しかった。

だから、もっと描こうと思ったんだ」


先輩は、片付ける手を止めて自分の描いた絵を見ていた。

その目は決して明るくなく、なんとなく霞んでいるように見えた。


「たくさん賞をもらった。

たくさん誉められた。

でも、俺の絵を見て笑顔になる人は減ったんだ」


そのとき、思い出した。

先輩がいつも自分の描いた絵を見る時、どこか暗い表情をしていたことを。


「俺の絵は、世間からしたら上手いのかもしれない。

でも、人を笑顔にできない。

価値がないんだよ」


違う、そんなことない。

そう言いたかったのに、声が出なかった。

先輩の儚げな表情を見たら、そんな安直的に言ってはいけないと思ったんだ。


「俺、真白の絵が好きだ。まだ若干ムラもあるし、ちょっと大雑把なところもあるけど。

でも、真白の絵を見た人ってみんな表情が明るくなるんだ」

「そんなこと」

「真白がさ、俺の絵に目が奪われるように俺も真白の絵に目を奪われていたんだよ。

だから、知ってる。

真白の絵は見た人を元気にしてくれる」


そんなこと知らなかった。

先輩が私の絵を見ていてくれたこと。

私と同じような気持ちでいたこと。

私の中の先輩は、憧れでもあって越えられない壁でもある。

多分一生越えられないとすら思っていた。

でも、そんな人が私の絵を好きと言ってくれている。

それだけで私は心の奥底から嬉しく思えた。


「真白、実は俺誰にも見せたことない絵があるんだ」

「見せたことない絵……」

「真白には見てもらいたいんだ」


そう言うと、先輩は教室の後ろの方にあるキャンパスの山から1つ取りだした。

そして、私の方へ向けた。


「え……」


そのキャンパスには、光に反射してキラキラ輝いている綺麗な海。

その上には大きな×印。

垂れ落ちるようなタッチで描かれた×印は、先輩が突発的に描いたことがすぐわかった。


「この絵を描いたのは、今描いてる絵の前。

完成直後に思ったんだ。

『なんでこんなの描いてるんだろ』って。

そんな風に思ったら嫌になって、勢いよく描いちゃった」

「それでこの×印が……」

「今描いてる絵も本当は、こうしたい。

でも、真白が楽しそうに描いてる姿見たらそんなことできなかったんだ」

「私の?」


そう問いかけると、私の顔を見て言った。


「真白、俺はもう絵を描くのをやめる」

「え……」


頭を鈍器でガツンと殴られたような衝撃。

嫌だ、嫌だ、どうして。

思うことはいっぱいあったのに、やっぱり声に出すことはできない。

必死に声を絞り出して、一言だけ言った。


「なんで……ですか」


今まで先輩の絵を見て笑顔だった人がそうじゃなくなったかもしれない。

でも、私みたいに新しく笑顔になる人が増えたのも事実だ。

なのに、なのにどうして。

言いたいことがたくさんありすぎて、何も言えない。

ただ、ポロポロと1粒2粒と涙が零れ落ちていく。


「真白、俺はやめるけど、お前は描かなきゃダメだ。

お前の絵は人を笑顔にする」

「それは先輩の絵だって」

「俺、気づいたんだ。真白と話してて。

描いてる真白本人が笑ってるから、きっと見ている人も笑顔になるんだよ。

絵を描くのが楽しくない今、俺の絵は笑顔にできない」


こうもキッパリ言われてしまうと、否定する言葉も浮かばない。

確かにそうかもしれない、と納得もしてしまった。

それでも、私はやっぱり先輩に絵を描くのをやめてほしくないと思った。


「先輩の絵は、1人を笑顔にするだけじゃ描く理由になりませんか」

「え……」

「先輩の絵を見て笑顔になる人、ここにいるじゃないですか。

それじゃダメなんですか、私じゃダメですか」

「真白……」


涙を止めようと必死に目を擦り、先輩に聞こえるぐらいの声音で言った。

届いてほしい、この思い。


「真白って、大人しそうに見えて意外と大胆っていうか、すごいこと言うよな」


意外な発言に私はポカーンとしてしまう。

驚いて涙も少し止まった。


「自分のためだけに俺に絵を描けってことだろ。

なかなかすごいこと言うよな」


先輩に言われ、ハッと気づく。

私はとんでもないことを言ってしまったのではないか。

少し恥ずかしくなり、顔の前で手を降る。


「そ、そういう意味ではなくて」

「別に怒ってるとかそういうのじゃないよ。

なんかすっとして」

「すっとって……」

「真白のために絵を描くのもありだと思えたから」


その笑顔はとても綺麗で。

先輩が綺麗な絵を描けるのは、先輩の笑顔がきっと綺麗だから。


「さあ、そろそろ帰ろうか。

暗くなっちゃったし」

「は、はい」

「それと今日一緒に帰ってもいいかな」

「え……」


ドクンと心臓が波打つ。

今まで一緒に帰ったことなんてなかったから。


「真白は鈍感だから、ちゃんとわかっていない気がするから」

「ど、どうゆうことですか」

「ほら、わかってない。早く帰るよ」

「先輩、ちゃんと教えてください」


パタパタと音をたてながら先を歩く先輩の元へ走った。

『真白のために』というのが私に好意を持っているからと知ったのは30分後ぐらいだった。

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