第40話

『何を馬鹿なことを……』

「説明している暇は無いの。お願い。他の竜に魔物が取り付く前に」


 オリゼの様子を伺うと、臙脂色の竜に纏わり付く黒いもやは弱弱しくなっている。

 竜は魔物を殺すことができない。

 だからいくら今セオンがオリゼを攻撃したところで、魔物を倒せないのだ。

 それどころかオリゼが死んでしまう。

 竜が竜を殺すことはできるのだから。


 魔物は傷つくが、決して死なない。

 だとしたら他の竜につくことだってするだろう。

 そうしたら、竜たちのほうが疲弊してしまう。


 だからエヴァは自分に竜を取り付けると言ったのだ。

 この状況を打開できるのは、人間である自分だけだから。


『駄目だ、エヴァ。我は認めない。ここはセオンに任せなさい』

「オルガ……!」


 長であるオルガの言葉は絶対だ。

 却下されたらそれまでである。

 でもエヴァは何としても認めてもらいたかった。


 しかしそう思ったのはエヴァだけだったようだ。


 エヴァは何かに引っ張られたと思ったら、次は宙に放り投げられ、地面ではない固いが弾力のある何かに体を受け止められた。


『しっかり捕まって』


 アルバの声に無意識に従い、エヴァは彼の首に腕を回した。

 そして下から突き上げるような衝撃。上から押さえつけるような風圧。


 風圧が治まると、エヴァはアルバの首の後ろにしがみつき、空を飛んでいた。


「アルバ、ありがとう」

『お礼を言うのはまだ早いよ。何か考えがあるんでしょう?』

「ええ、とっておきが」

『どうすればいい?』

「私をオリゼの元に」

『任せて』


 アルバは頷く。


 セオンは再びオリゼを抱え、よりオルガより遠ざけようと飛び上がったところだ。

 オリゼは抵抗するも、傷による消耗が激しいのか、さっきよりも力無い。

 それはオリゼ自身の限界が迫っていることを意味していた。


 時間が、無い。


『行くよ』


 エヴァはアルバに応えるように首を回す腕に力を込める。

 それを感じたアルバは矢のように飛び、オリゼを抱えるセオンの元へ向かう。


『何だ、邪魔をする気か』


 抱える仲間が弱りつつも、決して魔物を倒せない。それどころか仲間を失いそうな状況に苛立っているセオンは、その苛立ちを近づいてきたアルバとエヴァにぶつけた。


「助けに来たのよ! オリゼを」

『人間風情が。下がれ』


 セオンは牙をむき出しにして、エヴァを威嚇した。


 だが好機は今しかない。

 アルバもそれを察しているのか、セオンに邪険にされていようとエヴァをオリゼに近づける。

 エヴァもオリゼに、彼女に纏わりつく黒いもやに手を伸ばす。

 これがきっと魔物。だとしたら触れればきっとこっちに取り付く。


 エヴァの指先が、何かぬめりとした生暖かい何かを感じた。

 そのときだ。

 その感じた指先から、その生暖かい何かがエヴァの腕、肩、胸、そして全身へと広がり、覆い尽くす。


「アルバ、セオン、離れて……!」


 それを言うのが必死だった。

 そしてエヴァの言葉通り、アルバはエヴァを全身をばねの様に弾ませて、放り投げる。

 黒いもやがオリゼからエヴァへ移動するのを見て、セオンはオリゼを抱えたままエヴァから遠ざかった。


 全身を生暖かくぬめぬめとした気色悪いものに覆われ、エヴァは今にも地面を転がりまわって、引き剥がしたい衝動に駆られる。

 空中に放り投げられたというのに不思議と風を感じない。

 そして視界が段々暗くなり、意識すらそれに奪われかける。


 それをさせるわけにはいかない。


 エヴァは背中のセンモルタに手を伸ばし、抜き放つ。

 エヴァの体をエヴァから奪おうと黒いもや、魔物も必死だ。

 すでにセオンに傷つけられていたことで、魔物も弱っていた。だからこそ、ただの人間であるエヴァも魔物に抗えたのだろう。


 落ち始めた。

 それが分かったのは、黒いもやの向こうの景色が上昇し始めたからだ。

 だとすると地面は近い。


 エヴァは抜き放ったセンモルタを逆手に持ち、剣先を自分の胸へと突き立てた。


 一瞬、ためらう。


 それをすることで感じる痛みに、恐怖した。

 だが、今は信じるしかない。

 生まれたときから抱えるこの呪いと、いつか空ろな意識の中で聞いたアルバの神の使者だという言葉を。


 そして一思いに腕を引き寄せ、赤い刀身で自分の胸を貫いた。

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