第39話

 魔物がどうやって傷ついたオリゼを操っているかなんて分からない。

 そもそもエヴァは魔物どころか魔法も魔力もよく分かっていないし、竜のことだってきちんと知らない。

 だけど今確かなのはオルガが危ないということだ。


 エヴァはすぐに体勢を整えるとオルガの方へ駆けた。


 このままではオルガはオリゼを操る魔物に食われてしまう。

 幸い、操られるオリゼが傷ついているためか動きは鈍い。

 必死にオルガとオリゼの間に滑り込んだエヴァは、何とかオルガの前に立ちはだかることができた。


 そしてオリゼを見上げながら、ゆっくりと背中のセンモルタを抜き放つ。


「オリゼ……」


 竜と対峙するということは、こんなにも恐怖をかきたてられることなのか。

 傷つきながらも、四肢で体を支え、立ちはだかるエヴァを見下ろす臙脂色の竜。

 目の前の竜がオリゼと分かっているが、その瞳にオリゼの優しげな輝きは無い。


『何てことだ。オリゼ、目を覚ませ』


 オルガはもう動けない。だから必死にオリゼに呼びかけるしかなかった。


「オリゼ!」


 エヴァもオリゼに呼びかける。

 彼女が魔物に操られているのは非常にまずい。


 このままだとオリゼに剣を向けなければならない。それは絶対にしたくない。だがオルガを守るためにはそうするしかない。


「オリゼ! お願い。目を覚まして!」


 無茶なお願いだと思った。

 オリゼは今傷ついていて、魔物に抗うことができないのに。だからこうして魔物に操られているのに。


 そして竜は傷ついていても尚、竜だった。


 立ちふさがるエヴァをまるで虫けらのように見下ろす。

 そして軽く右前脚を持ち上げると、それを目にも留まらぬ速さで横ぶりに振り払う。

 エヴァは咄嗟にセンモルタを盾にして何とか直撃を避けるも、衝撃を殺しきれず、軽々と宙を舞った。


『頼む、誰か急いで来てくれ!』


 オルガは応援を必死に呼ぶ。

 彼の呼びかけはすでに二度目。しかしなかなか他の竜が現れる様子が無い。いくら竜の翼を持ってしても、すぐに現れるというのは難しいようだ。


 しかしすぐに来てくれなければまずい。

 エヴァ一人でオルガを守るのは難しい。


 傷ついているとはいえ、竜の相手をたった一人の人間が全うできるものではない。


 邪魔であったエヴァを軽々どかした魔物は重たい体を四肢で引きずるようにオルガへ迫る。

 オリゼが傷ついていたことが運よく魔物の動きを鈍らせているのだ。


「ダメ!!」


 エヴァは地面に伏した状態でその様を見ると、跳ね起き、再びオルガとオリゼの間に滑り込もうとする。

 しかし魔物とて馬鹿ではなく、同じ失敗を二度も犯さない。

 オリゼの長い尾で駆けつけるエヴァを振り払い、再びエヴァは吹き飛んだ。


 なんでこんなにも自分は弱くて情けないのだろう。


 エヴァは再び地面に叩きつけられる。そして目じりから痛みからか悔しさからか、涙が零れた。


 易々と邪魔者を排除した魔物は、一度は足を止めたものの、再びオルガに迫る。


「オルガ!」


 エヴァは叩きつけられてまだ頭がフラフラが、すぐに立ち上がる。しかし左足首に痛みが走り、膝を付いた。

 どうやら地面に叩きつけられるときに、ぶつけてしまったらしい。


 こんなときにドジを踏む自分が腹立たしい。


 ゆっくりとしかし確実に魔物はオルガに迫っている。

 何とか立ち上がろうとするも、今になって二度も地面に叩きつけられた痛みが主張を始める。


 エヴァは痛みに顔を歪ませながら何とか立ち上がり、走り出そうとした瞬間、一瞬暗くなる。


 そして大きな塊がオリゼにぶつかり、今度はオリゼが吹き飛んだ。

 彼女にぶつかったのは、濃紺の鱗を持つ竜だった。


『セオン、よく来てくれた』

『間に合って良かった。一体これはどういうことだ』


 セオンの声は驚きもこもっていたが、落ち着いていた。

 それが彼の経験の多さを物語っている。


『魔物がどうやったのか、オリゼに取り付いているようだ』

『なんてことだ、完全に取り付いているのか?』

『分からぬ。だがああやって操るぐらいはできるようだ』

『厄介なやつめ』


 セオンがオリゼに体当たりして、とりあえずオルガから引き離したことで、エヴァはほっと胸をなでおろした。

 できるだけ左足に体重をかけないように立ち上がり、センモルタを片手にオルガの元へ向かう。


『エヴァ、大丈夫かね』

「ええ、これくらい何ともないわ」


 血は出ていないが、怪我をしたエヴァはもうすでに呪いが働き始め、怪我を治りつつあった。

 このときばかりは呪いに感謝した。


『下がっていろ、人間』


 セオンが振り向きもせずに言った。


「私も戦うわ」


 エヴァはセンモルタを握りなおす。

 しかしオルガはセオンの味方であった。


『いいや、エヴァ。オリゼはセオンに任せてくれ』

「そんな」

『彼ならオリゼに対して手加減ができる。エヴァもオリゼを失いたくなかろう』


 そういわれたら、もう従うしかない。

 エヴァはセンモルタを握ったまま、セオンから数歩退く。


 セオンは一早く駆けつけたようで、まだ他の竜の姿が見えない。


『まずはここより連れ出す』

『それがいいだろう』


 オリゼは少し遠ざかったとはいえ、まだオルガの近くにいる。竜ならその気になれば一息に距離を縮められる距離だ。

 オルガを守り、そしてオリゼを助けるためにも場所を変える必要があった。


 セオンはすぐに動いた。

 まだ体勢を整え切れていないオリゼに飛びつき、その体を掴み、飛び上がる。

 思わず息を飲むほど逞しい跳躍だった。

 翼を広げ、より高く、オリゼを持ち上げ、飛び去ろうとする。

 が、オリゼは傷ついていても竜だった。


 オリゼも翼を広げ、セオンの動きを邪魔し、もがいて彼の拘束から逃れようとする。

 まだ傷を癒しきっていないあの体であの激しい動き。

 間違いなくオリゼは激痛に襲われていることだろう。


 エヴァはセオンとオリゼの中空での攻防を不安げに見ているしかできなかった。


『オルガ』


 遅れてアルバがようやく辿り着いた。


『アルバもよく来てくれた。我を守ってくれ』

『もちろんだよ。それが僕たちの役目なんだから』


 頼もしい息子にオルガは目を細めた。


 中空ではオリゼが長い尾を振り回し、セオンから逃れたところだった。

 翼があるとはいえ、まだ本調子ではないオリゼは飛ぶことはできなかった。その巨体を真っ逆さまに地面に落とし、衝撃が地面を駆け抜ける。


「オリゼ……」


 このままではオリゼが死んでしまうのではないか。

 エヴァはそんな不安に駆られた。


 しかし今はただセオンを信じるしかない。

 オルガは彼はオリゼに手加減ができると言った、その言葉を信じた。


  いつの間にか他の竜たちも辿り着いたのか、上空に留まりセオンとオリゼを見守っていた。


『あれはもしかして魔物か? オリゼに取りついているのか』

『だとして魔物をどう引き剥がすのだ?』

『魔物がその体を使えないと分かれば別のものに取り付くだろう』

『それでは埒があかない』


 竜たちは次々に言い合う。

 彼らにとっても竜に取り付く魔物など経験したことがないようだった。


『魔物だけを何とか倒せないか』

『難しいだろう。誰かを犠牲にするしか……』

『しかしそれは……』

『別の者に取り付く前に何とかできないか』

『しかし我らとて、やつがオリゼに取り付いていたことを気付けなかった』


 竜たちの会話に耳を傾け、エヴァ自身、この状況の突破口を探る。


 そのときだ。

 まるでそれは天啓のようだった。

 エヴァはなぜ自分が今ここにいるのか、分かったような気がした。


「アルバ」


 エヴァはオルガを守るように立つアルバに駆け寄った。


『エヴァ、どうしたの?』

「お願いがあるの」

『今?』

「ええ、今。私を乗せて空を飛んで欲しいの」

『エヴァ、一体何をするつもりだ』


 オルガが尋ねた。


「私に魔物を取り付けるの」

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