第35話
セオンは他の竜とは明らかに違う雰囲気を持っていた。
竜はみな守るための強さを持っている。それは鞘に収められた刃だ。しかし、彼は常にその刃が剥き出しになり、その鋭さが目に、体全体に現れていた。
彼は鋭い爪そのものだ。
そして今エヴァを見下ろすセオンの瞳には明らかな嫌悪が滲んでいる。
セオンは鼻を鳴らし、エヴァから顔を逸らした。
『オリゼの代わりに誰かを入れてくれ』
『すぐにそうしよう』
セオンの申し出にオルガは頷くも、その表情は渋い。
ハイセだけでなく、オリゼまでこのようなことになるとは、彼も信じられないようだった。
『オリゼは大丈夫かね』
『この状態が大丈夫に見えるか?』
セオンと共にオリゼを運んできた紫色の鱗を持つ竜がオルガに食って掛かった。声の調子からしても若い雄の竜だと分かるが、怒りのあまり長のオルガに無礼な口を叩いた。
だがオルガは気にした様子もなく続ける。
『しばらく彼女をそのまま休ませておいてくれ。彼女には今休息が必要だ。セオン、魔物はどうなった』
やっぱりオリゼを傷つけたのは魔物なんだ。
エヴァはオリゼを心配しつつ、竜たちの会話に耳を傾ける。
『オリゼが追い払ったようで、姿はなかった。だがまた戻ってくるだろうな。先日のハイセのときとは別の魔物だろう』
『気配からしてもそうだろう。それにしても厄介なことになったものだ』
オルガの言葉からも今の事態がこれまでにない危機的な状況にあるのをうかがわせた。
『安心しろ、オルガ。我らは必ず貴様を守る。この命に代えても。しばらく北の守りを固めるのはどうだろうか』
『そうすべきだ。サワンやマクスもそちらに向かわせよう。そうすればすぐに対処できる』
『そうなるとオルガの周りが手薄となる。南の竜たちでは駄目なのか』
『南は今人間たちが多く来る。特にシムドのところは酷い。だからそこに穴を作るわけにはいかないのだ。何、外周さえ固めておけば大丈夫だ』
『そうか、ではそうしよう。我らはもう戻る。オリゼを頼もう』
『大丈夫さ。彼女は強い竜だからね、すぐに元気になる。それに彼女の子もいるから、彼女も安心さ』
オリゼの子、それはエヴァを示す竜たちの通称でもあった。
セオンは気に入らない様子で再び鼻を鳴らすと、エヴァを見ることもなく、オルガを見つめて頷くと、数歩退く。それから力強く大地を蹴って飛び上がると、砂埃を舞い上げながら翼を羽ばたかせ、北の空へ急ぐように消えていった。
『オルガ、我らも戻ることにする。セオンほど外に面しているわけではないが、我らとて北になわばりを敷いている。用心に越したことはない』
『その通りだ。イヨン、トメス、オリゼをここまで連れて来たことに礼を言おう』
『仲間の危機だ。礼など無用。それでは失礼する』
紫色の鱗を持つイヨンと、それまでずっと口を閉じ他の竜たちの言葉に静かに耳を傾けていたトメスは、セオンに倣うようにそれぞれ北の自分のなわばりへと戻っていった。
そして残されたのは、地面に縫い付けられたオルガと傷つき体を大きく上下させるオリゼ、そしてエヴァだけだった。
「魔物はそんなに強いの……?」
『そのようだ。我らもここまで強い魔物は実に久しぶりだよ』
「前にもいたのね」
『ああ、だが、前のときは一体だけで、すぐにセオンが追い払った。だから二頭も連続して現れるなんて考えもしなかった』
「オリゼ、大丈夫よね……?」
オリゼの右脇腹の出血はさきほどよりは治まったようだ。それでも痛々しい傷跡が晒されている。
人間ならこんなとき傷口を塗ったり、薬を塗ったり、清潔な布を宛がったりするものだが、竜はしないようだった。
彼らの頑丈な体は、強い回復力も備えており、しばらく休めば傷は塞がり、また元気になるのだという。
『大丈夫だよ。すぐに元気になる。心配なのも分かるが、心配しすぎは帰ってオリゼを不安にさせてしまう。今はオリゼを信じなさい』
「ええ、そうね。オルガ、しばらくオリゼはここにいるのよね? 毎日通っても良い? オリゼに獣を差し入れたいの」
『今のオリゼは何かを食べるまで回復していないから、獣の差し入れは彼女が元気になってからにしなさい。毎日来る分には構わないよ。オリゼも喜ぶだろう』
「ありがとう。そうさせてもらうわ」
エヴァはそっと手を伸ばし、オリゼの首後ろの鱗をなでようとしたが、セオンの『触れるな』という言葉を思い出し、手を止めた。
『どうしたのかね』
オルガは中途半端なエヴァの手を不思議そうに見ていた。
エヴァは首を振り、手を引っ込める。
「なんでもないわ。長居してもオリゼが休めないだろうから、私も戻るわ。何かできることがあったら呼んで欲しい」
『そうさせてもらおう』
● ○ ●
オリゼは心配だったが、オルガに大丈夫だと太鼓判を押されたせいもあってか、不安はなりを潜めていた。
代わりにエヴァの心を占め始めたのはセオンへの恐怖だった。
今まで出会った竜たちはエヴァを好意的に見てくれて、快く接してくれた。
だから竜とはそういうもので、エヴァは竜に拒まれるとは考えもしなかったのだ。
しかしセオンは明らかにエヴァを疎んでいた。
その彼の態度が、彼の嫌悪が滲んだ目が、エヴァの忘れかけていたグオルディアス王国での日々を思い起こさせた。
かつては、あの目をほとんどの人に向けられていたのだ。
だからエヴァは人と目を合わせることが怖くて仕方なかった。
一度思い起こされると、まるで雨が地面に打ち付けるようにポツポツとあの頃のことが頭に浮かんでは消えてゆく。
ずっと忘れていた、触れずにいた、拒まれるという恐怖。疎む嫌悪の眼差し。
離宮にいたとき、常にその恐怖を抱き、眼差しにさらされていた。
だからエヴァは一人でいるとき、とても安心した。
一人でいると孤独に苛まれるけど、それでも恐怖に押しつぶされるよりずっとマシだった。
その夜、エヴァはいつの間にか寝入っていて、離宮での日々を夢に見た。
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