第34話

 アルバがエヴァの元に手伝いに来たのは、リジエテア王国の魔法の装飾品を見つけて十日近く経ってからだった。

 正確に日数を数えていたわけではないが、予想していたより遅かった。


「久しぶりね。アルバ」

『エヴァ、待たせてごめんよ』


 久しぶりに会ったアルバはちっとも変わっていなかった。

 その鱗も、無邪気な色を宿す円らな瞳も、すらりと伸びた細いけどしなやかな首も、エヴァの記憶にあるままだ。


「大丈夫よ。待っている間に片づけを終わらせたから。だから後は運ぶだけ」

『そうみたいだね』


 アルバは川のそばに山積みにされた野営地の残骸を見遣り、顔を引きつらせた。

 これからこれ全てをアルバが運ぶのだ。

 申し訳ないとは思いつつ、これでも減らした方なのだから勘弁して欲しいとエヴァは肩を竦める。


「それにしても何かあったの?」


 彼が遅かった理由が気になる。

 彼のなわばりは東の山脈の麓。それも山脈の向こうにあるグオルディアス王国からの唯一の道があった場所だ。もしかして王国からエヴァの追っ手が迫ったのか。

 エヴァの心に一抹の不安が過ぎる。しかし事実はエヴァの不安を裏切った。


『ハイセがね、怪我をしたんだ』

「ハイセ? 確か北にいる竜の一人だったわよね?」


 直接会ったことのない竜だった。しかし名前は聞いたことがあるし、この地の北になわばりを敷いているとも知っていた。


「怪我なんて、大丈夫なの?」


 竜は頑丈な生き物だ。人とは比べ物にならないほど力強くて、固い体をしている。そして大きい。

 そんな竜が怪我をするなんて、確かにただ事ではない。


『多分ね。命に関わることはないけど、でもしばらく休まないといけない。だからオリゼとなわばりを交換したんだ』

「へぇー」


 なるほど、こういうときにもなわばりの交換が行われるのか。

 オルガを守るという目的なら、その交換は実に理に適っている。オリゼのような経験豊富な竜がどうして比較的外敵の少ない安全圏になわばりを敷いているのだろうと疑問だったが、補欠だと考えれば納得だ。

 守りに穴を作らないように、外敵に付け入られないための仕組みだったのだ。


「でもハイセが襲われたってことは強い敵なのね」

『そうだね。僕たちも驚いてる。こんなに強い魔物が出るなんて……』

「魔物なんだ。その魔物はどうなったの?」

『ハイセが追い払ったよ』

「そうなのね。良かった」


 ハイセは怪我を代償にオルガを守ったのだ。


 竜は魔物を殺せない。それはかつて竜の神と今は大地の神となった男神とが交わした取り決めだからだ。だからオルガを守るために竜たちはその体を張らなければならなかった。

 竜は魔物を殺せないから、魔物は傷つきながらこの地から逃げ、そして回復してから再びオルガを狙うという。

 いたちごっこだ。

 そんなことが百年近く続けられている。

 そして竜が魔物を殺せないように、魔物も竜を殺せない。

 だから竜たちは延々とオルガが成長しきるまでそれを繰り返さないといけなかった。

 精々百年程度しか生きられない人間からしてみると、実に気の長いやり取りに思えた。


「あとでハイセにお見舞いに行こうかしら」

『しばらくはやめたほうがいいよ。今の彼は自分で立つことすらできないんだ』

「そんなに傷が深いの?」

『そうなんだ。他の竜たちの手を借りて、ようやくオリゼのなわばりにやってきたんだよ』


 聞けば聞くほど、ハイセは酷い有様だった。

 そして同時に彼となわばりを交換したオリゼが心配になる。


「オリゼは大丈夫かしら」

『大丈夫だよ。魔物だって手負いなんだ。すぐには戻ってこない。やつが次来るときはこっちはすっかり元通りだよ』

「そうだといいんだけど……」


 不安が拭えないエヴァを励ますように、アルバは野営地の戦利品の運び出しを促した。





    ●  ○  ●





 アルバに拠点としている屋敷の玄関先にまとめた野営地の戦利品を運んで貰い、エヴァは少しずつ荷物を中に運び込んでいった。

 リジエテアの腕輪があるのでいつもは苦労する運び込みも、今回はずいぶん楽に行うことができた。


 屋敷の裏の洗濯場に行くと、そこで水瓶から水を出して体を洗い、汗を流した。


 エヴァはこの後来る冬に向けて、屋敷の中にある浴室を手入れし、お風呂に入れるようにしようと考えていた。

 ではなぜ今までその浴室を使わなかったのかといえば、百年の間放置されていたことで設備がボロボロになっていて、水は流せず、さらに排水口も詰まっていたからだ。

 これを直すとなると一苦労だろうと、これまで手を出さずにいたのである。

 正直今のエヴァの技術を持ってしても、水道管を作ったり敷設するのは難しい。

 だから水が出てくる水瓶でも十分だった。


 それでもやはりお風呂に入りたい。

 お湯を沸かすことは簡単だが、入浴できるほどの量となるとなかなか難しい。それだけのたくさんのお湯を用意するのは骨で、それだったら常温の水に濡らした布で体を拭いたり、冷たい川に入った方が手っ取り早い。



 ペルディナスの夏は強い日差しが照りつける季節だった。

 閉ざされた山深いグオルディアスとも違う夏は、前世で過ごした日本の夏を思い起こさせた。

 それでも地面が剥きだしの土であるからか、夕方ぐらいから涼しくなり、夜はひんやりとした風が吹き抜けて過ごしやすかった。


 エヴァは拠点の屋敷に戻ってからは、おざなりになっていた回収品の選別や片づけをした。


 野営地や廃墟で回収した貴重品を拾い集め、拠点の屋敷の一室に詰め込んでいたが、そろそろその部屋に収まりきらなくなってきた。別の部屋を用意するなど、次の手を考えなくてはならない。


 リジエテアの腕輪や指輪、首飾りのように同じようなものが複数あることも珍しくない。しかしせっかく手に入れたのだから、破棄するなんてもったいなくてできなかった。

 どうせ腐るものではないのだし、埃を被ったところでどうということはない、と考え、エヴァは全てとっておくことにしている。


 回収品の片付けなども一段落つき、エヴァはオルガに会いに行くことにした。

 リジエテアの指輪と腕輪を付け、背中にセンモルタを背負う。そしてエヴァだけが分かる道でオルガが根付く場所に向かった。


 もうそろそろ地に伏した黒竜が見えるという頃、前方の空に大きな影に気付いた。

 すぐにその大きさと、翼から竜だと気付いたが見慣れた大きさよりも影は大きく、エヴァは首を傾げる。

 まるで何頭かの竜が固まって飛んでいるようだった。


 エヴァは歩調を緩めつつも足を止めず、オルガの下を目指す。

 エヴァがオルガの元に着いたとき、固まって空を飛んでいた竜たちはもう着いていて、オルガと緊迫した様子で何事か言葉を交わしていた。


 オルガと相対する三頭の竜。その竜に囲まれて地に体を投げ出す一頭の竜。

 その竜の鱗は臙脂色。

 オリゼだった。


「オリゼ!?」


 エヴァは自分でも驚くような悲鳴のような声を上げ、慌ててオリゼに駆け寄った。


「オリゼ! オリゼ! 一体どうしたの?」


 オリゼは傷つき、体全体を大きく震わせて息をしていた。

 固いはずの鱗を引き裂き、その右脇腹に大きな傷跡が残る。その傷跡からは赤々とした血が流れ、地にしみこんでいる。

 傷を汚さないためか、彼女は右脇腹を天に向け、横たわっていた。


『触れるな、人間』


 鋭い声が降って来て、エヴァの体は固まった。


『セオン、何もそんな言い方はない。この子はオリゼの子だ』


 オルガがいなすように声をかけた。

 ぎこちなく首を動かして、声がしたほうを見上げると、濃紺の鱗を持ちエヴァを睨みつけるように見下ろす竜がそこにいた。


 セオンだった。

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