第30話

「あ、そうだ。マクスのなわばりに行ってみたい」


 シムドに挨拶したあと、エヴァとアルバはちょっと狩りをして、満腹になったから平原のど真ん中で日向ぼっこをしていた。

 暖かな日差しと心地良い風、アルバに寄りかかって目を閉じると、いつの間にか眠ってしまっていた。

 夢を見たのかどうか定かではないが、不意に冬になる前にペルディナスの中心だった街に行きたいとオルガに言ったことを思い出し、目を覚ました。

 あの時その街は今、マクスという竜のなわばりで、オルガからマクスに話を通しておいてくれる、と言っていた。もうマクスに話は行っているだろうから、あとはエヴァがそこに行くだけだ。

 マクスという竜のなわばりはオルガの西。エヴァの屋敷からも歩いていける距離だ。しかしマクスのなわばりにある中心地の探索を行ったなら、アルバの手を借りたい。


『マクス? いいよ。でもエヴァってマクスに会ったことあったっけ?』

「まだ会ったことはないわ。でも彼のなわばりに前から行ってみたいと思っていたの。あそこに古い人間の大きな巣があったでしょ?」

『ああ、そういうこと。僕も手伝う?』


 冬前の竜狩りの片づけでアルバは大活躍をした。

 だからかつてこの地で一番栄えていた街を探索するのに、彼の力は不可欠である。


「ぜひ、お願いしたいわ。また頼ってもいい?」

『もちろん』


 アルバは口や表情で渋るときもあるが、結局は付き合ってくれる。いい竜だった。

 だからエヴァもできるだけ彼の申し出を引きうけるようにしている。

 アルバの申し出というのはたいてい狩りなので、断る理由もない。


「マクスってどんな竜なの?」

『炎より氷を扱うのが上手だよ』


 そのことは確かオルガも言っていた。


「その氷って魔法なの?」

『そうだよ。ここには魔法が使える竜がたくさんいるけど、氷を扱わせたら彼に勝てる竜はいないよ』

「よっぽど器用なのね。その、彼は人間が嫌いってことはないわよね?」


 セオンと同じく、人間を嫌う竜だったなら、なわばりに入ることを良しとしないはずだ。きっと大丈夫と思いつつ、確認する。


『マクスはそんな竜じゃないよ。むしろエヴァに興味があると思う』

「そう、それなら良かった」

『それじゃあ、行こうか』


 エヴァはアルバの首の後ろに跨ると、アルバは軽やかに大地を蹴り、二人は空へと飛び出した。




    ○  ●  ○





 アルバの背中に乗ることに慣れると、どれだけの時間でどれだけの移動が出来たか、そして今誰のなわばりにいるのか、何となく分かるようになっていった。

 竜たちのように、そのなわばりの匂いが分かるわけではないけれど、エヴァにはその距離や経験、つまり勘で分かるようになっていた。

 東の山脈を越えたのが前の晩秋。冬が去り、春になった。そう考えると、エヴァはもう半年近くペルディナスにいることとなる。

 まさかこんなことになるとは思わなかったけれど、ここでの生活にすっかり慣れてきたようだ。


 もう間もなくオルガのなわばりに入り、オルガの姿が見えるだろうと思い、アルバの首から上半身を持ち上げる。

 地上に地に伏した黒い竜を見つけて、思わず頬が緩む。

 だがそのオルガの前に、また別の竜の姿を見つけた。また誰かがオルガの下を訪ねているようだ。

 濃紺の鱗が艶やかで、まるで大きな竜の形をしたサファイヤのように思えた。


『セオンだ』


 アルバが思わず零すと、まるで彼を避けるように進路を西に取った。


 記憶にある限り、かつてアルバとセオンは口論をしていた。さらにアルバは彼になわばりを譲ったことがある。

 それらのことを考えても、アルバがセオンのことを良く思っていないのは明らかだ。それでも表立って何もいえないのは、セオンが竜たちの中で確固たる実力者だったからだとエヴァは予想する。


「彼がセオンなのね?」

『うん、まさか話したいなんて言わないよね?』


 アルバは会いたくないようで、エヴァに確認するように問いかける。

 本音を言うと、話して北の交易所への進入を許可して貰いたいが、アルバや他の竜たちとの関係を悪くしたくない。だから今はやめておこう。


「言わないわ。今用があるのはマクスだもの」

『そうだね。良かった』


 アルバは心底安心したように、西へと進路を変えた。そしてすぐにオルガとマクスのなわばりの境に辿り着く。


『そろそろマクスのなわばりだよ』

「早いわね」

『オルガは何も自分のなわばりの中心にいるわけじゃないからね。マクスを探そう』


 アルバやオリゼは彼らのなわばりに入ったらすぐにエヴァを出迎えたが、マクスは違うようだった。


『彼のなわばりは広いんだ。大きな人間の巣を抱えているからだよ』


 その大きな人間の巣、というのがかつての交易都市であるペルディナスだった。

 マクスのなわばりに入ってすぐにその巨大な廃墟が遠くに見えた。かつて繁栄の限りを尽くしたその街は百年経った今もそこに鎮座し、かつての栄光を色濃くうかがわせた。

 とても大きな街だったんだ。

 エヴァはあんなに大きな街を見たことがなかった。

 街には幾重にも城壁が囲い、その街が何度も拡張されたことを示していた。上空から見ないと、それにすぐに気付けなかっただろう。

 さらに街には高い建物が立ち並び、多くの人が暮らしていたと分かる。

 そんな街が百年前にある日突然廃墟になってしまったのだ。

 誰がそんなことを予想しただろう。

 竜の出現すら予想なんてできなかっただろうから、きっとこの地を後にした人々が残したものは山の、いや山脈のようにあるだろう。


 それを全て回収するのは、一年や二年で済まないはずだ。

 エヴァは街に一歩も入らずに、その街の探索が完遂できないだろうと判断した。


「すごいわね。あの街をもなわばりにしているなんて大変でしょうね」

『あの中にマクスの気配はないから、きっと別のところにねぐらがあるんだね』

「竜があの中にいたら、百年のうちに廃墟は瓦礫の山になっているでしょうね」


 近づくほどにはっきり見えてくるペルディナスの廃墟は経年劣化で朽ちていたり崩壊していたりするところもあるが、竜が寝転んでできたような破壊形跡は見られなかった。

 そもそもあの街に竜が寝転べそうな広いところはあまりなかった。

 身を隠すにはいいかもしれないが、竜とはいえ、壊れやすいものの中で眠るのは嫌だろう。


 結局、この地の主マクスはペルディナスの廃墟から離れたところにある森の中にいた。


『おお、よく来たね。アルバ、それにエヴァだったかな』


 マクスという雄の竜は緑の鱗を持っていた。

 冬でも葉を落とさない森の木々の中に身を潜める彼は、森にうまく溶け込んでいた。上空から見下ろしたら、すぐに竜がいると分かるけれど、地上でその森の中を歩いていたら、彼に気付くのは難しかっただろう。

 彼の身の潜め方は実に上手だった。


「初めまして、マクス。お邪魔させてもらうわね」

『構わないよ。話は聞いていたからね。あの人間の巣を調べたいのだろう?』

「そうよ。だからしばらく立ち入る許可を得たいのだけれど、いいかしら」

『もちろんだ。君のねぐらはオルガの近くだったね。だとしたら、ここまですぐじゃないか。しばらくとは言わず、好きに出入りするといい。ここは外周ほど危険はないし、我のなわばりは広いからな。見回りだけでも大変なのだ。エヴァが度々訪れ、我を手伝ってくれるとありがたいな』

「ありがとう、でも私にできることって限られているから、あなたの助けになるとは思えないわ」

『あの人間の巣を調べてくれるだけでも十分助けになるよ。人間の残した物は我には分からぬ』


 良かった、アルバの言っていたように、マクスもエヴァに好意的な竜だった。

 これまで会ってきた竜がたいてい好意的だったから、竜は元々そういう生き物なのかもしれない。

 逆にエヴァも言葉が通じると分かったから、いろんな竜に会ってみたい。竜たちもそう思っているのだろうか。

 だとしたら、人間嫌いのセオンはやはり特別な事情があって、人間を嫌っているのだろう。

 オルガやオリゼがセオンを庇うほどだ。きっと相当の事情なのだろう。


『そういえばエヴァは人間の魔法の物に興味があるんだったね』

「オルガから聞いたの?」

『ああ、その背中の爪がそうだったね』

「そうよ、私の自慢の爪なの」

『立派な爪だ。あの大きな人間の巣にもそういう気配があるから、ぜひ探してみるといい』

「本当!? ありがとう、マクス」

『どういたしまして。後でどんなものが見つかっただけでも教えてくれるかね。人間の道具というのは実に興味深いからね。我らも参考になることがあるのだ』

「ええ、ぜひそうするわ」


 マクスは氷を扱わせたら右に出るものはいないという。

 それは彼が彼なりに自分の特性を存分に伸ばしたからだろう。

 彼には自信に裏打ちされた余裕が垣間見える。


「マクス、許可をくれてありがとう。ぜひこれから行ってみるわ」

『いってきなさい。気をつけるんだぞ』

「うん、本当にありがとう」


 エヴァはマクスに何度もお礼を言うと、再びアルバに乗って、大きな人間の巣、かつてのペルディナスの中心の街に向かった。

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