第28話

 北の交易所に向かうために、まずエヴァがしたのは、アルバに会うことだった。

 オリゼの話ではアルバがかつてそこになわばりを敷いていたから、その地についても詳しいだろう。

 事前の調査は必要だ。

 そしてついで……いやこっちの方が本命かもしれない。

 セオンのことを聞き出すのだ。


 あれから何度かオルガやオリゼにセオンという竜について尋ねてみたが、二人はなかなか彼のことを教えてくれなかった。それどころか、エヴァを彼から遠ざけようとしているように見受けられた。

 そして何度かシムドや南のほうになわばりを敷く竜たちのほうへと行かせようとした。


 彼らのその行動がかえってエヴァの怒りと蒐集心を煽る。


 だから日に日に日差しが温かくなり、春めき、日陰だけに雪が残る頃、エヴァは自力でアルバのなわばりを目指すことにした。

 これまでアルバと会うとき、必ずオルガがアルバを呼び出してくれていた。だから自分の足でアルバの元に向かったことはこれまでなかったのだ。

 アルバのなわばりは、グオルディアス王国から延びる山脈越えの道の先。オリゼのなわばりにあったペルディナスの地図はすでに脳裏に焼き付けてある。


 きっと大丈夫。

 春になって獣たちも新芽や若葉を食もうと野に出てきたから、食糧も何とかなるだろう。狩りがうまくいかなくても、野の草で食べられると分かったものがある。

 それにエヴァは死なない。

 アルバのなわばりまでたった三、四日だ。飲まず食わずでも何とか辿り着けるだろう。


 エヴァはオルガのなわばりから東に進み、オリゼのなわばりに足を踏み入れると、エヴァの気配にいち早く気付いたオリゼがやってきた。


『エヴァ。どうしたの?』

「オリゼ。今日はここを通り抜けさせて欲しいの」

『私のなわばりを? どこにいくの?』

「アルバのところに。ほら、雪が溶けたでしょう? だからいろんなところに行ってみたくて。まずはアルバのなわばりに自分の足で行ってみようと思ったの」

『まぁ、そうなの。いいじゃない。アルバもエヴァが自ら会いに来てくれたと知ったら喜ぶわ。アルバと合流したら、またシムドのところにでも遊びに行ってらっしゃい。そろそろ獣の子どもが生まれる時期だから、柔らかくて美味しいのがたくさんいるわ』


 なるほど、春は獣たちにとって繁殖期。だから竜にとっては食欲の季節でもあるのだ。

 エヴァはにっこりと笑って、それに頷いた。


「いいわね。子どもの獣なら私にも狩れそうだわ」


 事実、落とし穴を用いた罠猟でエヴァが獲れたのは子鹿だけだった。そして一冬の間にその落とし穴はすっかり崩れてしまった。一人狩りでの腕を磨くには、丁度いい季節かもしれない。


 人間一人で何ができる。


 いつかおぼろげな中で聞こえた、セオンの言葉が不意に蘇る。


『エヴァ?』


 エヴァが突然険しい顔をしたからか、オリゼが不思議そうに顔を覗き込んでいた。


「大丈夫よ。この剣で一人で狩りが出来るか心配だったの」


 アルバとの狩りは数え切れないほど。でも一人で狩りはあれからしていない。センモルタがあれば何とかなるとは思うが、まだ試したことはなかった。


『そうなの。アルバのところに行くって事は、東に向かうのよね。私の東隣はサワンという名の竜の土地よ。アルバより年上だけれど、若い竜で好奇心旺盛だから、おしゃべりに付き合ってあげて』

「分かったわ。ありがとう、オリゼ」

『いってらっしゃい、エヴァ』





    ○  ●  ○





 屋敷を発ってから四日目の昼前、エヴァはようやくアルバのなわばりに辿り着いた。

 それが分かったのは、アルバが東からやってきたからだ。


『エヴァ!? どうしたの!?』


 アルバはとても驚いた様子だった。

 それもそうだ。彼はいつもオルガにエヴァと引き合わせてもらっているから。

 エヴァはアルバが想像通りの反応を示したのが面白くて、笑みがこぼれた。


「びっくりした? ここまで自分の足で歩いてきたの。アルバを驚かせようと思って」

『本当にビックリしたよ。呼べばすぐに言ったのに。雪は大丈夫だった?』

「積もって大変だったけど、何とかなったわ。春になってあなたに会えて嬉しいわ」

『僕もだよ、エヴァ。また一緒に狩りをしよう』


 エヴァは久しぶりにアルバに乗り、空を一緒に飛んだ。

 春になったばかりのこの季節、グオルディアス王国との国境である東の山脈は麓のすぐ上まで雪で白い。この様子だと山を越える道を使うにはもう二ヶ月ほどかかりそうだ。


 グオルディアス王国が濡れ衣を着せて、いなくなってしまったエヴァをどうするつもりかは全く分からないが、もし刺客なり捕縛の兵を送るなりしても、しばらくは大丈夫だろう。


 エヴァは空の散歩中、アルバの機嫌が良さそうなので、ついに切り出した。


「ねぇ、アルバ」

『ん? どうしたの』

「アルバって一度なわばりが変わったのよね?」


 アルバはすぐには返事をしなかった。


『一度だけ、ね。前はもっと広いところだったんだ』


 アルバはあまり話したがらない様子だった。それでもエヴァは彼の傷に触れないように気をつけながら話を続ける。


「それでも今のなわばりはグオルディアス王国との玄関口。また王国が攻めてくるかもしれないから、大事なところを任されたのね」

『そうだね。おかげでエヴァを拾えた』

「全くその通りだわ」


 どうしてなわばりが変わったの? と聞きたいところだったが、竜にとってなわばりはとても大事なもの。それを変わったということは何か特別な事情があるに違いない。アルバの様子からしても、彼にとっては不本意な事情でそうせざるを得なかったのだ。

 そこでエヴァは別の質問を思いついた。

 これなら彼の傷に触れないだろう。


「でもアルバ、どうして私を拾ったの?」

『だって、エヴァは僕たちの神の気配がするんだもの』

「私にかかった呪いの気配、よね」

『ああ、君を神からの使者だと思ったんだよ』

「あはは、私はさすがにそんなのじゃないわ」


 エヴァはただ山脈の向こうから逃げてきただけだ。立派な志も目標もない。生きるための衝動に突き動かされただけだった。


「でもどうして神の使者だと思ったの? ああ、そっか。それも私からその気配がしたからよね。でもあなたたちって使者が必要なの?」


 エヴァの目からは彼らはよくこの地とオルガを守っているように見える。

 まさに鉄壁だ。

 あのおぼろげな意識の中での会話をエヴァが聞いたことを竜たちは知らない。だからこそ、そこにそ知らぬ顔で迫れるのだ。


 アルバはまたもすぐには何も言わなかった。

 機嫌を悪くしたようでも、怒ったようでもない。どうやら何やら考え込んでいるようだ。

 そしてもう間もなくシムドのなわばりに入ろうかという頃、アルバは重い口を開いた。


『エヴァなら、僕たちが倒せない相手を倒せるかもしれない』


 と語り始めた。

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