第26話

 オルガの根付く平原はまだ雪が地面を覆っていた。

 しぶとい冬の凍てつくような風が容赦なく吹き付ける。服を重ね着していても体の芯が冷え込んでしまいそうだ。

 遠目からでも、平原にポツリと点在するオルガは見えた。

 地面同様、白い雪に被り、見るからに寒そうだ。


 雪はエヴァの膝くらいまで積もっている。

 しかしこれぐらいの積雪、今のエヴァにはどうってことも無い。


 エヴァは背中のセンモルタを抜き放つと、軽く前方に振り、熱波を放った。

 放たれた熱波はその軌道沿いの雪を溶かし、白い雪原に茶色の筋が一本現れる。


 エヴァはその造り上げた道を悠々と歩いて、オルガの元へと向かった。

 雪を溶かしただけあって、造り上げた道はぬかるみ、歩きにくいことこの上ない。さらに歩いていくと、熱波の放った地点から離れてゆくほどに道に雪は残り、速いところでは凍ってしまっている。

 オルガの元に辿り着くあと少しというところ、気をつけていたのに凍った地面に足を滑らせ、盛大にこけてしまった。


『ははっ、人間は大変なものだな』


 オルガの視界に入っていたせいか、もちろん見られていた。


「そうね、竜なら空を飛べるものね」


 エヴァは罰悪そうに顔を歪めながら立ち上がる。

 オルガの黒い巨体は今、地面に伏した姿の上半分が雪が積もっている。しかしオルガは特に不快そうな様子はない。


「オルガ、寒くない?」

『我はもう晶樹となりかけている。寒い熱いは問題じゃない』

「でも木でしょう? 寒いのって良くないんじゃない?」

『大丈夫だ。晶樹は根さえしっかり張っていれば枯れる事も燃えることも無い。そういうものなのだよ』


 晶樹という摩訶不思議な植物について、エヴァが知っていることはあまりにも少ない。

 竜という生き物についてもまだ知り始めたばかりで、この寒い中無事かどうかも分からない。

 いやここで百年過ごしているのだから、無事のはずだけれど。

 でも爬虫類は寒いところが苦手だったはずだし、竜がどうなのか。

 こういうとき、前世の知識が不安を煽ってしまった。


 雪で屋敷に閉じこもっている間、竜たちと交流して知りえた竜の生態を記録として書き留めておいた。

 いつか何かの役に立つかもしれないと思ったから。

 もしかしたら晶樹という植物についても知りえたことは書き残しておいたほうがいいかもしれない。


「丈夫なのね。雪を溶かす?」


 エヴァは背中のセンモルタに手をかける。

 今度は水一滴残らないように気をつけよう。一滴でも残っていたら、凍ってしまうだろうから。


『いいや、そのままでいいよ。ひんやりして気持ちいいんだ』


 オルガにはまだ体の神経が生きているらしい。


『それよりエヴァは具合を悪くしていないかね。人間はこれだけ寒いと体調を崩しやすいと聞いたが』

「私は大丈夫よ。不死の呪いがあるから。病気にはならないの」

『だが、ずいぶん寒そうだな』


 晩秋に比べれば、今のエヴァはずっと重ね着している。その分動きにくいし、重ね着しても寒さのがわずかに勝り、手足はひんやりとしている。


「寒いだけよ」


 エヴァは強がって言った。言った途端に一層強い風が吹いて、反射的に体を強く抱きしめた。

 そしてオルガが何かを言う前に、エヴァが切り出した。


「みんなこの寒い中大丈夫なの?」

『竜は暑さや寒さに強いんだ。熱い所も寒い所もある、それが大地で、その大地を守るのが竜だからな。これぐらいどうってことはない』

「竜って本当に強いのね」


 環境の変化に適応する体も持つのか。ますます竜に弱点はないようだ。


「だからオルガも安心していられるんだわ」

『全くそうとは限らないがね』


 どこか不安げなオルガの様子がエヴァは気になって深く聞こうと口を開きかけたそのときだった。


『まぁ、エヴァも来ているのね!』


 背後から女性の声がして、エヴァが振り返ると、向こうの空に羽ばたく黒い点が一つ。

 近づいてくると、その点が臙脂色の鱗を持った竜だと分かる。

 オリゼだ。


「オリゼ!」


 久しぶりに会う彼女はどこも変わった様子もなかった。

 降り積もった雪の上に軽やかに着地して、雪に彼女の体を押し付けた。


『エヴァも元気そうね。ちゃんと食べてる?』

「もちろんよ。ちゃんと冬支度したもの」


 運よく冬支度を済ませられた、だけれど。でもとりあえず食うに困ってはいない。センモルタがあるから寒さには耐えられるし、暇をつぶすこともできている。

 ただ、雪でオルガの元に足が遠のき、他の竜たちに会えなかったのは寂しかった。


『そう、またお腹が空いたら言いなさい。何か狩ってくるわ』

「ありがとう。そのときはお願いするわ」


 巣立ちの儀を終えても世話を焼きたがるのはいかがなものかとエヴァは疑問だったが、オルガも立派に一人立ちしてなわばりも持っているアルバを何やかんやと心配しているので、そういうものなのかもしれない。


「そうだ、オルガ、実は聞きたいことがあったの。この地の北に魔法の品が取引されていた場所があったはずなの。今、そこをなわばりとしているのは誰かしら」

『魔法の品か。確かにそういう気配はあるな』

『もしかして前にアルバのなわばりだったところじゃないかしら?』


 オリゼの言葉にエヴァは軽く驚いた。


「そっか、アルバって昔北になわばりを敷いていたんだっけ」

『そうよ、あそこはアルバには荷が重いってことになって、セオンに譲らせたの。セオンなら強くて機転が利くから。でもどうして?』

「魔法の品を回収したくて……。そこのなわばりの竜に許可を得ようと思ったの」

『ふむ……』


 オルガは頷くと、何やら気難しそうな顔をした。

 オリゼも黙り込んでしまって、彼女を見上げると同じような表情を浮かべている。


「どうしたの?」

『いや、な。彼は、許可をしてくれないだろうと思ったのだよ』

「そんなっ、どうして?」

『彼は人間が嫌いなのよ』


 オリゼは深い深いため息と共にそう呟いた。

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