第19話

 アルバのなわばりにあった宿場町での収穫は、乏しかった。

 消耗品のろうそくや古着ぐらい。古着は洗えば使えそうだ。


 そもそもアルバのなわばりは狭く、宿場町が目ぼしい集落といえた。そしてこの場所はグオルディアス王国から山越えしてきてすぐ訪れる場所で、竜が現れる前はそこそこ栄えていただろうが、その後竜からこの地を奪還しようとしたグオルディアス兵たちも訪れたと考えられる。

 そうなると彼らも残された使えるものを回収しただろうし、何かあっただけでもマシかもしれない。


 しかしエヴァはしばらくアルバのなわばりに留まっていた。

 彼と共に空を散歩するのがすっかりお気に入りになっていたのだ。そしてエヴァだけでなくアルバも、エヴァと共に空を翔るのが楽しいようだった。

 アルバと共に空を飛ぶ度、二人の心がより一層近づくような気がした。

 今ではすっかりアルバがどういう姿勢をとったかというだけで、彼がどういう動きをしようとしているのか、感じ取れるようになっていた。


 そしてアルバと数日過ごして分かったことがある。

 アルバのなわばりは狭い。だから日課としているなわばりの見回りもすぐに終わってしまう。そしてなわばりの異常は全く無く、なわばりの見回りと異常への対処が主な役目であるために、アルバはすぐにやることがなくなってしまう。

 つまり暇なのだ。


 だからエヴァがアルバと共にいたとき、専ら二人は空を翔けていた。

 アルバと共に狩りもした。

 アルバは火を吹けるし(そもそも竜は基本として火が吹けるものらしい)、魔法も使えるものだから、エヴァもずっと快適に過ごすことができた。


「竜ってすごいわね」


 いつものようにアルバと共に空を翔けていた。

 アルバの首の後ろで上半身を起こし、エヴァはペルディナスの地を見下ろしながら呟く。


『どうして? 翼があるから?』

「それもあるけど、優しいってことかな」


 竜たちはエヴァに何かを与えることに惜しみない。

 オルガは知識を、オリゼは生きる糧を、アルバはエヴァに経験を。

 エヴァができることがあまりに乏しく、彼らに返せることなどまだない。もしかしたら一生かかっても返せないかもしれない。彼らも人間の短命さを知っているのに、それでもエヴァに与えようとしてくれた。

 まるで見返りを求めないかのように。

 いや本当にそうなのかもしれない。

 だとしたら、どれだけ優しい生き物なのだろうか。

 優しいという表現もおかしいのかもしれない。でもエヴァにはまだ彼らの行動を表現する言葉を知らなかった。


『よく分からないや。僕は自分のことをそう思ったことはないし……。うーんでもオリゼは優しいかな』


 エヴァは苦笑いを浮かべた。


「ごめんね、私もよく分かっていない。でもアルバたちに出会えてよかったって思ってる」

『僕もだよ。僕たちと話せるエヴァと出会えて、僕も嬉しいよ』

「ありがとう」


 エヴァはアルバの首の後ろを丁寧に撫でた。


 はじめアルバに乗ったとき、アルバは低いところを飛んでくれたから凍えなかった。しかし高度を上げていくとさすがのエヴァも厳しかった。それを踏まえて、アルバはエヴァを乗せたとき、彼女に魔法をかけてくれるようになった。

 その魔法は廃墟を探索するときに使ってくれたものと同じものだが、少し手を加えてあるそうだ。

 その魔法のおかげで、エヴァは高度が高いところを速く翔けても凍えず、風圧にも耐えられるようになったのだ。

 魔法もすごいが、アルバもすごい。

 たとえその魔法が無くてもエヴァは死なないが、アルバは仲間を凍えさせるわけにいかないとちゃんとマメに魔法をかけてくれた。

 そんな気遣いもあって、エヴァはアルバとの空の散歩を存分に楽しむことができたのだ。





    ○  ●  ○






 そして、その日もまた空を翔けていたエヴァとアルバに遠くから声が投げかけられた。


『アルバ、エヴァ、来なさい』


 オルガだった。

 竜は遠くにいる仲間に声を届ける術を持つ。それは魔法ではなくて、竜本来の能力だという。

 竜はなわばりを大事にする生き物。そのなわばりに無遠慮に足を踏み入れるのは無礼で、当然そのなわばりの主の許可を得たほうが良い。だからある程度の距離が離れていても、声を届けられる能力を持つ。


『オルガが呼んでる。行こうか、エヴァ』

「もちろん」


 長の言葉は最優先だ。

 ペルディナスになわばりを持つ竜たちは皆オルガについて来た者たちだ。だから長はオルガで、オルガの元を訪ねるのは日常茶飯事。だからオルガのところへ向かうとき、オルガのところからなわばりに戻るときだけは他の竜のなわばりに無許可で足を踏み入れていい事になっているそうだ。

 毎度許可を取っていたら、煩わしいのだろう。


 アルバに乗れば、ペルディナスの端にあるアルバのなわばりから、あっという間にオルガの元に辿り着く。竜で見れば、広大なペルディナスの地は坪庭のようなものかもしれない。


 そろそろかな、と顔を上げれば、地に伏した黒い竜が視界に入る。

 オルガだ。

 しかし今誰かオルガを訪ねているのか、別の濃紺の鱗をした竜が側にいた。


『シムドだ』


 アルバの声の調子から、シムドという竜はアルバも親しい竜のようだ。心なしか、彼らの元へ降下するアルバの動きも弾んでいる。


 アルバの動きに合わせてエヴァは上半身を持ち上げてそらし、翼にかけた足に力を込めて着地の衝撃に備える。

 アルバは細枝に留まるような慎重な動きで地に降り立つ。

 それでもエヴァには衝撃に突き上げられるが、備えていたのでうまく逃がすことができた。


『ほう、これは面白い』


 聞きなれない声に顔を上げると、濃紺の鱗を持った竜がエヴァたちを見ていた。

 声からして、経験を積んだ壮年の雄といったところか。オルガよりは若いが、長を務められるぐらい頼もしい竜だとエヴァは感じた。


『シムド。久しぶり』


 エヴァがアルバから降りると、アルバは居住まいを正して挨拶した。


『元気そうで何よりだ、アルバ。さて君は初めまして、だな。我はシムドだ』

「初めまして、シムド。エヴァよ」


 さすがに竜に握手という挨拶はなかった。

 その代わりに目を合わせるというのが、竜が親愛を示すやり方の一つだった。


『本当に君は我らの言葉が分かるのだな』


 シムドは驚きと不思議そうにエヴァを見下ろしていた。彼も体の大きさ、声の調子から何百年と生きているだろう。それでも人間と話をしたのが初めてだったようだ。

 エヴァはすっかりこの状況に慣れてしまったが、竜たちはそうではない。エヴァと話したことのない竜のほうが圧倒的に多いのだから。これから何度でも驚かれるだろう。


『そういえばオルガ、どうして僕たちを呼んだの?』


 エヴァをしげしげと見つめるシムドを置いておいて、アルバがオルガに聞いた。


『そうだったな。シムドがエヴァに頼みたいことがあるのだ』

「私に?」


 シムドは頷いた。


『そうだ。君は我らが外の人間に狙われていることは知っているかね』

「ええ、オルガから聞いたことがあるわ」


 竜は希少な生き物だ。そして強い。さらにその体は鱗一枚、爪一本に至るまで金になる。竜を一頭でも狩れば名声と富が同時に手に入るのだ。そしてそれを求める人間も後を絶たないことをエヴァは知っている。

 竜を求めてこの地に足を踏み入れ、そして竜たちにことごとく潰されているのだという。


 竜というものを間近で接しているエヴァだからこそ、いやエヴァでも思うのだ。たかが人間が竜に戦いを挑むなんて馬鹿げている。彼らとは違いすぎる。


 事実として、ペルディナスの竜たちはこれまで一度も人間たちに敗れたことなどなかった。


『我がなわばりはこの地の外側に面していて、よく人間が訪れるのだ。もちろん、すぐに蹴散らしているがね。だが問題が残っているんだ。人間が持ち込んだものがなわばりに残されていてな。燃やしてしまってもいいのだが、我は魔力を持たぬ。ゆえに何が起こるのか分からないのだ。

 だから人間であるエヴァに確かめて欲しいのだ』


 竜にはオルガやアルバのように魔法が使える竜とそうでない竜がいると知っていた。シムドは後者らしい。

 それでもペルディナスの外側、人間がやってくる場所になわばりを敷いているということは、それだけ強い竜であるという証明でもあった。


「待って。確かに人間のものなら私もある程度は分かるけど、私は魔法とか全然分からないわ」

『アルバと共に来れば良い』

『えっ、僕? 僕にもなわばりがあるのに』


 長い間なわばりを離れるのはさすがに抵抗があるようだった。


『少しの間なら問題あるまい。協力してやりなさい』


 オルガの言葉は絶対だった。


『ううっ、分かったよ。オルガ』

『礼を言おう、アルバ』


 と、シムド。


『まだ僕もエヴァも何もしていないよ』


 アルバは面白くなさそうに口を閉ざした。 

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