第17話
「オリゼに獣を贈ったわ」
落とし穴の一件から二日後、エヴァはオルガの元を訪れた。昨日訪れなかったのは、筋肉痛で寝込んでいたからだ。体力がついてきたとは思っていたが、まだまだ鍛える余地があるということか。
とっくにオルガは知っているだろうけれど、その報告にやってきた。
『昨日オリゼが嬉しそうに言いにやってきたよ』
「そうなんだ。でもまだオリゼのお世話になりそう。まだ狩りができるって胸を張って言えないもの」
昨日筋肉痛で死んでいた間にずっと考えていた。
落とし穴をどう改良していくか。
まずかかった獲物を地上に引き上げられるようにしなくては、それからもっと大きな獣をかかるようにもしたい。
『それでも君は巣立ちの儀を終えた。名実共にオリゼの子だ』
「オリゼの子? それだけで? 私は人間なのに?」
『オリゼが君を子として世話し、君はそれを受け入れ、応えた。ならば種族の違いなど関係ない。君たちは親子だ』
「そういうものなのね」
ずいぶん違いすぎる親子だ。
オリゼは雌だから、母に当たるのだろうか。
エヴァを生んだ母はエヴァを生んですぐに亡くなった。だからエヴァは今生でようやく母を得ることができたのだ。
そういえば離宮では母親役をする人がいなかった。
その代わり、物心着いたときにはもう彼がいた。
彼が離宮でのエヴァの全てだった。
「竜って親子で何かするの? 巣立ったらそれまでなの?」
『たまに会ったりするぐらいだ。一緒に狩りをしたりもするな。ああ、そうだ。エヴァ、君にも紹介しようと思っていたんだ』
オルガはそういうと、エヴァの背中の向こうの空に向かって呼びかけた。
『アルバ、来なさい』
エヴァはオルガの目線を追って、後ろの空を見つめる。
間もなくして、オルガと同じ黒い鱗を持つ小さな竜が翼を広げてこっちに迫ってきた。
小さな竜ではあったが、それはオルガやオリゼとの比較でそう表現しただけ。人間のエヴァと比べると、やはり大きい。それでも大きな竜に見慣れたエヴァからしてみると、その竜は可愛らしく見えた。
その小さな体のせいか動きが軽やかで、滑らかな動きでエヴァの横に降り立った。
大人の馬より少し大きいぐらいだろうか。
鱗がオルガと同じ黒だったので、小さなオルガのようだった。
『エヴァ、この子はアルバ。我の子だ』
「えっ! そうなの?!」
『いつか言っていただろう。我にも子がいる、と』
「そういえば、そうだったわ。初めまして、エヴァよ」
『初めまして、ではないと思うよ』
オルガの子、アルバの声は聞き覚えがあった。その声はおぼろげな意識の中で聞いた若い竜の声。それに思い至ると、エヴァの中でどんどん繋がってゆく。
彼はエヴァを拾った竜だ。
「そうだわ。あなたが私を拾ってここまで連れてきてくれたんだ」
『そう、君は僕のなわばりで倒れていた』
「東の山脈の麓に、ってことはあそこがあなたのなわばりなのね?」
『今の、ね』
アルバは不服そうにそう付け加えた。
「ありがとう、あなたのおかげで私はオルガやオリゼに出会えたの」
『オルガやオリゼから聞いてるよ。オリゼの子に迎えられたのでしょう? 良かった、もう君は僕たちの仲間だ』
「仲間? そうなの?」
エヴァはオルガを振り返る。
『オリゼの子となればもう我らの仲間だ。ようこそ、エヴァ』
「そうなんだ、すごい」
あの行為がこんなにすごいことになるなんて、思いもしなかった。まさか竜の仲間に迎え入れられるとは。
でもここに留まると決めたからには、それは都合がいいような気がした。
『僕たちも人間の仲間がいると心強いよ。特に君の中の力はとっても面白そうだからね』
不死の呪いのことだろう。
エヴァは彼らよりずっと身体能力で劣るが、死なないという点では唯一勝っているといえる。誇るべきかは分からないが。
「面白いって。それに私があなたたちの役に立てるとは思えないわ。あなたたちの土地に邪魔させて貰って言うのもおかしいけど」
『たまにこの地にやってくる人間を対処して欲しいんだ』
竜を富や名誉のために討ち取ろうとするものはオルガ曰く、後を絶たないという。竜たちはこの地とオルガを守るために当然そういう人間を片付けるのだが、竜としても無益な戦いは避けたいという。
だから事情を知るエヴァに彼らの説得を試みて貰ってはどうだろうか、ということらしい。
人と会うのが怖いエヴァは表情を曇らせる。
そのときオルガが失笑しつつ割り込んだ。
『しかし血の気の多い彼らが大人しくこちらの要求を聞き入れるとは思えないな。むしろエヴァが傷つく可能性のほうが高い。アルバは仲間を危険に晒すのか?』
『そういうつもりじゃ……』
どうやらその考えはアルバだけが抱えていたもののようだ。
オルガの助け舟にエヴァはホッと胸をなでおろす。
そしてオルガが口にした仲間という言葉がエヴァの心にじんわりと温かく広がる。
『それに外周の竜たちも血の気が多い。話し合いの場を設ける前に片付けてしまうだろうな』
どうやら人間だけでなく竜にも難しい話だったようだ。
オルガは話題を切り替えた。
『アルバ、お前のなわばりにも人間の古い巣があっただろう。そこにエヴァを案内してやりなさい』
『分かったよ』
アルバはせっかくの名案を退けられ、不貞腐れたように頷く。
未探索の集落は嬉しいものだが、また空の竜を追いかけると考えると気が引ける。昨日は筋肉痛が酷くて外に出るのを控えていたし、今日もまだ引きずっている。またの機会にしてもらおうか。せめて体が辛くないときにでも。
『でも僕のなわばりはここから遠いよ。エヴァ、飛べないでしょう』
人間には翼が無いから、仕方ない。
『ならお前の背にエヴァを乗せていけばいいだろう』
「え?」
オルガの提案にエヴァが驚いた。
『僕の背中に? 僕はいいけど、エヴァは大丈夫なの?』
アルバはエヴァを見遣る。
エヴァもアルバを見上げた。
確かにアルバは若い竜で大人の竜に比べて小さい。オリゼはその背に乗ることはできても、背中が広すぎてつかまるところがない。だから彼女の背中につかまって空を飛ぶとはとても考えられなかった。
しかしアルバは少し大きな馬ぐらいの大きさ。しがみつけば、いけるかもしれない。
何より面白そうだった。
たとえ空中で振り落とされても、エヴァには不死の呪いがある。妙な安心感がエヴァの背中を押した。
「いいわね。アルバ、私を乗せて飛んでくれない?」
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