第9話
エヴァは、猪の解体は当然初めてだ。
今ある限りの前世の記憶を探ってみても、やっぱりない。田舎とはいえ、猪や鹿とは縁のない地域だったためか、そういった記憶はない。
ともかくこの猪を食べられる大きさに分ければいいのではないだろうか?
エヴァは調理場にあった大きめの包丁を丁寧に研いで、猪の腹に突き刺した。
○ ● ○
最悪だ。
エヴァは何度も井戸から水を汲み上げては、頭から水を被る。
銀糸のような髪はところどころ赤い血が付き、手にも濃い血の匂いが残っている。
猪の解体は、一応終わった。
初めてにしては上々だとは思う。比べる対象がないから、よく分からないけど。
初めての解体、エヴァは多くのことを学んだ。
一番初めに突き刺した包丁は小さな穴を猪に空けた。その小さな穴から、ドッと猪の中に溜まっていた血が溢れ、エヴァは真正面からそれを受け止める破目になったのだ。
悲鳴を上げて飛び退いたがもう遅い。
結局エヴァは血塗れのまま猪の解体に取り掛かり、ようやく終えられた。
一度盛大に汚れてしまえばもうどうでもよくなるもので、服を一枚駄目にしてしまったが、大量の肉を手に入れられた。
これから獣を捌くときはまずは血抜きをしないといけない。
知識はないが、経験を得られれば何とかなる。
この地で人間はエヴァしかいないから、誰にも迷惑をかけていないし、自分の失敗も全て自分だけが困るもの。その完全自己責任がエヴァには気楽で心地良いものに感じられた。
今度はもっとうまく解体できるようになればいい。
今日は毛皮を剥ごうと思ったが、うまくいかなかった。
これから迫る冬に備えて、毛皮は多いほうがいい。
屋敷の中に毛布は何枚もあったが、全て埃臭くなっていて、使うとなると丸洗いする必要がある。
服や雑巾など普段使いの布を洗うには井戸だけで何とかなるが、毛布ほど大きいものとなるとさすがに井戸では大変だ。この地にも川があるだろうから、どこかにあるかだけでも確かめておかなければ。
快適に暮らしていくためにはやらなければいけないことが山積みだ。
ようやく得た肉をエヴァは揚々と調理場へと持ち込む。
埃被っていた調理場も、雨の間にエヴァが掃除をして使えるようにしてある。かまどには常に火が燻っていて、いつでも火を得られるようにしてあった。
雨の間、エヴァはとっても大きな発見をした。
調理場から行ける食糧庫の片隅に塩が残されていたのだ。
長期間放置されていたために固まり、削らないと使えないが、間違いなく塩だ。始め塩が入った麻袋は、口も堅く重いために中身を確かめることすら諦めていた。でも雨のときは時間があった。だから意地になって口を解こうとして断念し、結局麻袋を切り裂いて中身を知ったのだ。
削るのはなかなか骨だが、塩は必要だ。
これまで果物と水だけの生活に素晴らしい変化を与えてくれるのだから。
それに肉を食べるなら、やっぱり何かしら味が要る。果物ではそれを補えないし、塩は煮るにも焼くにも最適だ。
エヴァはかまどに薪を投げ入れ火を強め、鍋に水を注いで火にかけた。
どうやって食べようか悩んだが、簡単にスープにすることにした。肉と塩と水だけのスープ。貧相ではあるけれど、今のエヴァにとってはご馳走だった。
お湯ができるまでに時間がかかるので、その間に表で捌いた猪の後始末をすることにした。
残ったのは骨と内臓。
さすがに玄関前に放置するわけにはいかない。
屋敷からできるだけ離れたところに穴を掘って、埋めようと考えていた。
猪は大きく、解体する前では動かすこともできなかっただろう。しかし解体してしまえば、手間ではあるが、エヴァでも移動させられる。
馬屋に残っていた馬車を引っ張り出し、その荷台に空の樽を載せる。
もう馬はいないから、エヴァが引くしかない。そしてエヴァが引くのだから、そう重いものは運べない。せいぜい樽一杯分だ。
猪の後始末は何往復もしないといけないだろう。
そのときふと、エヴァの目が立てかけられたスコップに留まる。これから穴を掘らなければいけないのだ。スコップも馬車の荷台に載せた。
久しぶりの肉の味は、今まで食べたことのない味だった。
一応離宮で王女として育てられたエヴァにとって、信じられないくらいひどいもの。けれど煮ても固い肉は噛むほどに味を染み出し、なぜか美味しいと錯覚させる。
どちらにせよ、よく噛まなければ飲み込めないのだから、噛むしかない。
本当はもっと芋とか野菜とか入れて、だしを出したいが、物がなければ仕方ない。
はじめに持ってきた肉を全て細かく切り分けて、煮立つ鍋の中に放り込む。
しばらくこの味気ない肉スープが主食になるだろう。
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