第5話

 爽やかな目覚めだった。

 これまで感じていた緩やかなダルさはもうなくて、頭がすっきりとしている。

 いくら死なないとはいえ、水を飲まなければ喉が渇くし、何も食べなければ空腹が続く。何も食べなければその分力は出ないし、気分も落ち込む。それがずっと続くのだ。


 寝台の傍らに転がした麻袋から赤い果実を一つ拾い、簡単に朝ごはんを済ませる。

 今日こそ、何か獲物が狩れる気がした。


 小さめの皮袋に使い勝手のいい小振りのナイフと昼ごはん用の果実を詰め込んで、屋敷を後にした。


 狩りをするにはまず獲物を探さないといけない。

 その辺を歩いていると見つけられるのだが、野生の動物はこの厳しい世界で生き抜いているだけあって、逃げ足も速い。エヴァはとても追いつけなかった。


 ならいっそ待ち伏せてみたらどうだろう。

 大きな木の下に獣の糞が転がっているのを見つけると、そう思い付いた。

 早速その木によじ登り、太くて頑丈そうで、すぐに飛び降れそうな枝に体を預ける。息を潜め、その日一日待ったが、獣は何も現れなかった。

 もう一日ここで同じように粘ろうか。

 それとも日が昇っているときは獣はここに現れないのだろうか。だとしたら、夜まで待ってみるのもいいかもしれない。

 だが夜だとエヴァが満足に動ける自信がなかった。月は欠けはじめている。日に日に夜の明るさが失われつつある。

 ふと頬を伝った汗を袖で拭うと、服が酷く匂っていることに気が付いた。

 もしかしてこの人間の匂いで獣は警戒してここを通らないのではないだろうか。百年間人間はここにいなかった。獣たちはこの嗅ぎなれない匂いを警戒しないわけがない。

 しばらく湯浴みもしていないし、この服も洗濯していない。

 着替えならあの屋敷にある。まずは身なりを整えよう。


 ペルディナスで生きていくには、サテンや絹の服は適していない。

 エヴァが離宮を飛び出すときに着ていて、今まで着ていた質素なワンピースも素材は良いものだと思われる。スカートの裾にはレースがあしらわれ、胸元にはビーズが縫われている。

 白いワンピースと認識していたけれど、改めてみるとあちこち汚れ、見るも無残な有様だった。

 屋敷の使用人区画にあった、男の使用人たちが使っていたであろうズボンやシャツに着替える。

 中庭の井戸で体を洗い、髪を櫛でとかす。

 水面に映ったエヴァの顔を見て、驚いた。

 前世の記憶が蘇った影響か自分の顔の認識が変わっていたのだ。エヴァなのは変わらないのに、水面に映った少女の顔を自分と認識できなかった。

 改めてみると、エヴァは綺麗な顔をしていた。美少女と言って差し障りない。そもそもエヴァの生まれは王女だ。顔がひどいわけがない。

 泥などで汚れてはいたが白い陶器のような肌、サファイアのような深い青色をした目、何より綺麗なのは白髪とは違う、瑞々しくて輝くような白銀の髪だ。

 不死の呪いさえなければ、また違った人生がエヴァにはあったのかもしれない。

 美しさや可憐さとは、時に正義となりえるのだから。


 その次の日、エヴァは再びあの木に上り、獣が通りかかるのを待った。

 木の根元に新しい糞が転がっているのを確かめている。だからエヴァがいない間にここを通っているようだ。

 今日も駄目なら、別の方法を考えなくてはいけない。


 涼しい風が吹きぬけ、エヴァが全体重をかけても軋みもしない逞しい枝。

 エヴァはいつの間にか完全に寛ぎ、瞼が落ちていることも気付かなかった。静かに寝息を立てる有様だった。


 そのときだった。

 下の方で物音がして、慌てて目を覚ます。枝は急な動きに揺れたものの、風が少し風が強まっていたこともあって、物音を立てたものは枝の上のエヴァに気付かなかったようだ。

 恐る恐る木の根元を覗きこむと、エヴァより一回り大きな猪が丁度排泄しているところだった。

 狙うなら今だ。

 エヴァは剣を構え、猪目掛けて飛び降りる。


 猪は、枝を蹴った音に驚いて体をずらしてしまった。結果、エヴァは猪のすぐ脇の地面に剣を突き立て、刀身は折れてしまった。


「あっ!」


 猪は上からの襲撃者に驚いてか、そのまま全速力で草の茂みに体を投げ入れ、あっという間に姿を消してしまった。


「あー」


 うまく行っていたのに。

 些細なことで失敗してしまった。

 大事な剣も折れてしまったし、散々だ。

 エヴァはため息を吐くと、折れた刀身を拾って、そのまま屋敷へと戻った。

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