第3話
ペルディナスと呼ばれた地はとても広い。
西には国境となる大河、東には聳え立つ山脈、その間がペルディナスだった。いつか見た地図では一国に相当する広さはあったはず。
オルガはこの地の中心からわずか東よりのところに根付き、竜たちはオルガを中心にこの地を分割して守っているという。
竜がオルガに害成すと考えるのは主に人間だった。
それも仕方ないだろうとエヴァは思う。
オルガの中で芽吹いた晶樹という植物は、存在が希少でその見た目の美しさ、不可思議さで蒐集家なら喉から手が出るほど欲しい品。それがこの地にあると分かったら、大枚叩いて傭兵を送り込むだろう。
最も、普段目にしない希少生物竜がいるから、と腕に覚えのある者はこの地に乗り込んでいるようだったが。
とりあえず、忌み嫌っていた不死の呪いのおかげで竜と言葉を交わせ、危険性はないと判断されたエヴァはこの地に留まることを認めてもらえた。
オルガからは竜たちを傷つけないでくれと言われたが、エヴァは身一つで王国を飛び出してきた。武器も何も持っていないし、竜の頑丈な体は少女のエヴァがどうこうできる代物ではなさそうだ。
まずオルガが危惧する事態は起こらないだろう。
逆に竜がエヴァを傷つけても、エヴァは死なないから安全といえば安全かもしれない。
オルガの元を後にしたエヴァはこの地での居場所を作ることにした。
オルガは交易都市として栄えていた地から離れたところに根付いていたので、彼に一番近い集落跡は十軒ほどの小さな村だった。
歩いてそこまで行くと、一軒一軒中を見て回っていく。
何か使えるものがあるかもしれない。
しかし竜の出現によってこの集落が放棄されたのは百年も前。十軒ほどの家は石材と木材を組み合わせて建てられていたため、木材が使われた部分は朽ちているところが見られた。
窓にガラスははまっていた様子は無く、栄えていたペルディナスの地でも貧富の差はあったようだ。
それでもペルディナスはなだらかで豊かな土地だと言われていて、交易で栄えていたが、畑作や酪農でもグオルディアス王国を支えていたようだ。
百年という時は無情だった。
淡い期待を抱いて家々を回ったエヴァは落胆した顔で集落跡を出てくることとなった。
それから向かうのは、集落跡から離れたところにあった大きな屋敷だ。
貴族か商人の邸宅か別荘か。遠目から分かるほどその建物が大きいのが分かる。さらにその屋敷を囲うように鉄柵が伸びている。
もしかしたら、この辺り一帯の地主の館かもしれない。
近づいてよく分かったが、この屋敷は明らかに立派だ。石材を積まれた建物は百年という時の間にその壁を蔦や苔で彩っていたが、窓にはガラスがはまり、百年前のその姿を、形そのままに残していた。
そろそろ日が暮れる。
集落跡を探索して疲れていたこともあって、今日はここで休むことにした。
○ ● ○
エヴァの見立ては正しかったようだ。
錆びだらけの門扉をこじ開けて、草が生い茂る石畳を乗り越えて、ようやく玄関に辿り着く。幸い鍵はかかっていなかった。扉を押し開けると、埃っぽい古い香りが漏れ出して、何度か咳き込んで、体を扉の隙間に滑り込ませる。
西日が玄関扉の上にある大きなガラス窓から壁に橙の光を伸ばす。
反射した橙の光は温かく玄関ホールを照らし、エヴァを出迎えた。
荘厳、というべきか。
玄関ホールは吹き抜けで、天井には青い星とそれを中心に広がる星空が描かれている。ホールに面した二階の廊下には細やかな装飾が成された手すりが並び、屋敷に入ったものを圧倒する。
エヴァはグオルディアス王国の離宮で暮らしていたが、これほど立派なものではなかった。
元々離宮は老朽化したので取り壊す予定だったが、エヴァが生まれると、エヴァを閉じ込める檻になった。取り壊す予定だったために、価値のあるもの、使えるものは全て取り外された後で、エヴァのために元に戻されることはなかった。
離宮もかつてはこの屋敷のように立派なところだったのだろう。
在りし日の離宮に興味などなかったが、この館の荘厳な有様に心が動かないわけがなかった。
幸運にももうこの屋敷には持ち主はいない。
いたかもしれないけれど、百年も前。持ち主の子孫が屋敷を相続しているかもしれないけれど、ここまで来られまい。
だとしたらエヴァが居ついても問題は無いだろう。
竜たちは人間の家や道具には全く興味がないらしいから、エヴァが好きにしていいはずだ。
屋敷の中は百年前で時間が止まっていた。
半地下にある使用人区画には作りかけの食事、中途半端なところで止まった洗濯、モップが無造作に置かれた廊下。全てが百年分の埃の下にあった。
運が良かったことは、この屋敷の窓にはガラスがはまっていて、換気用以外の窓が開けられていなかったことだろう。建物が頑丈に造られていることもあって、内部の状態は今まで見て回った家の中では最良だった。
日が沈み、調理場にあったマッチで灯りを作ろうと思ったが、この日は満月で、その必要はなかった。
二階を探索しているときだ。ふと草むらと化した中庭を見下ろすと、大きな発見をした。
「あれって、井戸?」
エヴァの背丈ほどある草に埋もれた中庭に、確かにレンガを積んで描かれた円があった。朽ちかけた木枠には滑車がぶら下がり、脇にはブリキ製のバケツが転がっていた。
これは二階に上がらないと見つけられなかった。
実を言うと、エヴァはもう何日も飲まず食わずだ。
最後に何か食べたのは、離宮を飛び出す前のこと。王国を西へ駆けているときはとにかくお腹が空いて仕方が無かったけれど、山脈を越えるころにはもうお腹は鳴らなくなっていた。
途中で水でも飲めばよかったのかも知れないけれど、逃げているときは逃げることで頭が一杯だった。
それに水を求めてやってきたエヴァを追っ手が待ち伏せている可能性もあった。
とにかく山脈を越えないと、エヴァは安心できなかったのだ。
空腹や渇きは辛いが、やはりそれでもエヴァは死ぬことは無い。
ずっと空腹と渇きが続いて、生きてはいるけど力が出なくなるのだ。まさにその状態がずっと続いている。そんな状態だと、頭がうまく回らないようで、今日の間に水を探す機会は幾度と無くあったが、すっかり忘れていた。
井戸を見つけたことで、ようやく喉が乾いていたことを思い出したのだ。
しかし中庭は草だらけ。
井戸に辿り着くにはあの草を何とかしなければならない。
今のエヴァにはそれをどうにかする気力が全く湧かなかった。
とりあえず、寝よう。
寝て少しでも体力を回復させれば、あの井戸までいけるかもしれない。
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