人は解りあえる

 さて、いきなり「ガンダムシリーズ」のテーマみたいなタイトルで始まりました。

 実は先日、さるビジネスセミナーに参加する機会がありまして、そこで講師の方が語っていたなかに、ミステリの構造に直結するような話があり、非常な感銘を受けました。そこで、私自身が忘れないようにという意味はもちろん、これを読む皆さんともこの気持ちを共有したいという思いもあり、ここに書き記しておくことにしました。


 そのときの講話内容が「コミュニケーションについて」で、確かその中で「人の行動について」というような話題に触れたときだったと思うのですが(もはや肝心なところ以外はうろ覚えです 笑)、そこで講師の方が話してくれたテーマが、「人の行動には全て理由と意味がある」というものでした。

 けだし我々は、他者が行う「意味のない行動」あるいは「理解しがたい言動」というものを忌諱、拒絶し、ときには恐怖すら感じ取ります。それらは、世代間の意識のギャップといった身近なものから、およそ理解しがたい犯罪を犯した人間、あるいは認知症を患った人や、心に病を持った人に対してなど、誰しも多かれ少なかれ感じることはあるのではないでしょうか。そこまで世代や生まれ育った環境、身体的差違がなくとも、ちょっと引っ込み思案だったり、他者とのコミュニケーションを取ることが苦手な人に対して、「あいつは変だから」といった言葉で、簡単に「彼(彼女)は自分の理解の範疇外にいる人」というレッテルを貼って、意識無意識関わらず拒絶してしまうようなことがある、あるいは、あったという人はいらっしゃるのではないでしょうか。もちろん私も身に憶えがあります。

 ここで今回のテーマを振り返ってみましょう。「人の行動には全て理由と意味がある」一見どんなに理解しがたいように(乱暴な言い方をしてしまえば「狂っている」と)思える行動であっても全て、それを行った人にしてみれば、彼ら、あるいは彼女らなりに、立派に筋が通っている行動をしているに過ぎないのだと、その講師の方は言いました。


 さて、ここで、ちょっと想像してみて下さい。

 目覚めたとき、あなたは、どこか知らない部屋の椅子に座らされていたとします。部屋にはドアと窓がひとつずつあります。窓から見える景色からして、そこはビルの一室のようです。向かいにも同じようなビルが見えます。

 そこであなたは何だか息苦しさを憶えました。その理由が、部屋の空気が徐々に薄くなっていっているせいだということに気がつきます! 一刻も早くこの部屋から脱出するか、部屋に新しい空気を取り入れなければなりません!

 まず当然あなたは空気を求めて窓に飛びつくでしょう。ですが、その窓は嵌め殺しになっていて開きません。次にはドアに襲いかかるでしょうが、そのドアは施錠されており、内側から解錠することは出来ない構造でした。ドアを叩いて助けを呼びますが、全く返事は返ってきません。そうこうしているうちにも部屋の空気はどんどん薄くなっていきます、このままでは窒息死するのを待つのみ……。

 改めて室内を見回すと、部屋にあるのは、あなたが座らされていた椅子が一脚だけでした。ここであなたが取るべき行動は、ただひとつしかないでしょう。

 あなたは椅子を持ち上げ、それを思い切り窓に叩きつけます。窓ガラスは砕け、外から部屋に新鮮な空気が入ってきて、あなたは一命を取り留めることが出来ました。


 では次に、あなたが陥った今の状況を、向かいのビルの窓から見ていた人物がいたとします。その人の視点で、あなたの先ほどの一挙手一投足を見ると、きっとこういうことになるのではないかと思います。

 向かいのビルの一室に、椅子に座った人がいます。その人は起き上がると、やおら窓に飛びつき、嵌め殺しのその窓をガタガタ揺すり、次にはドアをガンガン叩き始めます。さらには何と、自分が座っていた椅子を振り上げ、それを窓に叩きつけてしまいました。けたたましい音とともに砕け散ったガラスがビル前の道路に落下していきます。室内に目を戻すと、なんということでしょう、椅子を叩きつけて窓ガラスを粉砕するという暴挙に及んだ当人は、さも満足げな表情を浮かべて深呼吸をしていました。

 呆気にとられたその人は、きっとこう思うのではないでしょうか。

「あいつは狂ってる」


 ですが、渦中に置かれた当人であるあなた自身は、自分が「狂っている」などとは当然思わないでしょう。椅子を叩きつけて窓ガラスを粉砕するという行為は、あなたが自分自身の命を守るために取った、最善最適にして選択の余地のない、非常に理にかなった行動だったからです。そこには「狂気」など一ミリも存在する余地がありません。ところが、「部屋の空気が薄くなっていっている」という状況を知らない第三者から見れば、あなたの取った行動は、常軌を逸脱した「狂気」以外のなにものでもなく映ってしまうことでしょう。


 もしかしたらこれは、この手のセミナーでよく使われる常套的なストーリーという可能性もあり、ご存じの方もいるかもしれません(私は初耳でした)。

 どんなに変に見える、あるいは理解しがたい人の行為、行動であっても、当人にしてみれば、それは「やって当たり前」かつ「極めて論理的な行動」である場合がほとんどであり、それをして「狂ってる」と突き放すのは、あまりに短絡に過ぎるということです。上に書いた「意味のない行動」あるいは「理解しがたい言動」というのは、あくまでそれを見ている人物の主観視点において「意味のない」「理解しがたい」ものなわけです。

 セミナー的には、「こういった誤解やすれ違いを生まないために、互いの立場に立って、情報の共有を密にすることがビジネスのうえでも、対人関係のうえでも大切なことなのですよ」みたいなことを言いたいがために出された例題だったかなと記憶しています(またも曖昧)。


 ですが、ここではビジネスとか対人関係とか一切関係ありません。もう私の言いたいことが理解していただけたかと思います。上記の例題は、「一見不可解な言動に対して、論理的な解答を与える」という、まさにミステリにおける「謎の構築」のシステムそのままではありませんか。

 この「謎」が成立するために必要なものは「情報の格差」です。あなたと、それを見ていた第三者との間では、「部屋の空気が薄くなっている」ことを知らなかったという「情報格差」があったばかりに、第三者の目から見れば、あなたの行動は「狂っている」と認識されてしまったのです。

 上記の「事件」でミソとなっているのは、被害者が遭遇している災難が「空気が薄くなる」という、不可視かつ痕跡が残らない現象であるということです。もしこれが「色の付いた毒ガスが送り込まれる」というものであったら、向かいのビルから目撃した人に「あの部屋で異常が起きている」と容易に察せられ、被害者が取った行動(窓ガラスを割る)も即座に理解されてしまい、結果そこに「謎」は発生しなくなります。


 このような「当人とそれを目撃した第三者との間に、情報の差があることにより生まれる謎」を自然に組み込めるミステリのジャンルは、なんといっても「日常の謎」でしょう。

 犯人が意図的に犯行を隠蔽したり、能動的に謎、あるいはトリックを作ったりする殺人事件などと違い、「日常の謎」で演出される謎の多くは、まさに情報のすれ違いや不一致といった、偶発的要因によってもたらされるものがほとんどです。

 遭遇した出来事に犯罪性も事件性もないため、当事者は警察に届けたり周囲に相談したりはしません(それどころか、当人にとっては、ごく当たり前の日常行動に過ぎなかった可能性もあります)。ですが、それを目撃した第三者は、当事者との情報格差のため事態を正しく把握できず、そこに「謎」が生まれてしまう。第三者はそれを疑問に思い、「どうして○○さんは、あんな奇妙な行動を取ったのか?」と探偵役に相談をしにいくわけです。そして、探偵の捜査、推理により、当事者(犯人)と目撃者(被害者?)との間にあった「情報格差」は解消されて誤解が解け、晴れてハッピーエンドと相成ります。「日常の謎」の多くは、いわば「相互理解」の物語だといえるでしょう。


 世の中には、他者と意思の疎通をすることを苦手とする、「コミュニケーション障害」略して「コミュ障」などと言われる人たちがいます。しかし、彼ら、彼女らとて、好きでそうしているわけでは当然ありません。出来ることなら、もっと流暢に会話をしたい、人の輪の中に溶け込みたいと思っています。ただ、ここで忘れてはならないのは、コミュニケーションというものは、ひとつの技能スキルだということです。得手不得手の個人差は確実にあります。コミュニケーション能力に秀でた人が、そうでない人を「コミュ障」などと言って笑うのは、自分の能力をひけらかして弱者をいたぶっているだけに過ぎません。

 大勢でサッカーをやることになって、その中にプロ級の腕前の人がいたとしましょう。その人が、プロでも追いつくことが困難なほどの絶妙なスルーパスを出し、それに反応できなかった素人プレーヤーに対して、「どうして今のに合わせられないんだ」と怒ったり笑いものにしたりするようなものです。大人げない話です。

 話が逸れました。閑話休題。

 もう、私もあなたも、もし「突然椅子を振りかざして窓ガラスを割った人」を目撃したとしても、「あいつはおかしい」だとか「狂ってる」だとかは決して思わないでしょう。どんなに不可解に見えても、当事者にとってそれは、やむにやまれず、そうするしかないゆえに選択された、極めて論理的かつ理由のある行動なのですから。全く同じ状況下に置かれたら、誰だって同じことをします。

 理解しがたい振る舞いや言葉に対して、「あいつはおかしいから」「狂ってるから」「コミュ障だから」と突き放してしまうのは楽ですが、それはただ単に思考停止をしているに過ぎないと私は思います。「なぜそうしたのか?」「あるいは、そうせざるを得ない理由があったのではないか?」そんな疑問を持つことは、周囲との対人関係をよりよいものに昇華させるだけでなく、ミステリ的思考力を鍛えるのにも役立つかもしれません。


 こうして考えてみると、普段、私たちが何気なく当たり前に行っている言動も、それを第三者的視点で俯瞰してみれば、意外と何をしているのか不明なことというのは少なくないのではないかと思います。あるいは、その言動から、ある情報を欠落させてしまえば、途端に「不可解な謎」に早変わりするというような。

 普段私たちが暮らす「日常」には意外なほど多くの「謎」が結構落ちている、埋まっているのではないかという気がします。

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