本格ミステリはいかにして執筆されるか
今回は趣向を変えて、私が本格ミステリ小説を執筆する際、どのような進捗具合で進めているのかを、自分のスタイルを客観視してみる意味も含めて書いてみたいと思います。
ひと口に「本格ミステリ」と言っても、そのバリエーションは実に多岐に渡ります。たったひとりの、しかも素人作家のケースがスタンダードだとは口が裂けても言えませんし、特に私が書くミステリは非常にオーソドックスで、悪く言えば型にはまったワンパターンなものが多いです。ですので、これから「自分もミステリを書こう」と思って下さる方がいるなら、本エッセイは参考というよりも反面教師としてもらったほうがよいかもしれません。世の中はもっと斬新で尖ったミステリを欲しているはずですから。
1〈アイデア(トリック)出し〉
本格ミステリに限ったことではありませんが、まずアイデアが浮かばなければ何も始まりません。ミステリにとってアイデアとは、イコール、トリックであることに異論を挟む方はいらっしゃらないでしょう。世の中にはトリックなしで、人間ドラマや社会問題だけを材料に書かれるミステリもありますが、私自身が、そういったものは得意でない、というか書けないため、トリックは必ず必要になります。トリックのないミステリというのは、私にとっては怪獣や怪人の出て来ない「ウルトラマン」や「仮面ライダー」のようなものです。
トリックをどのように捻出するか。これはもう個人によって違うという以外ないでしょう。「こうすれば確実にトリックが思い浮かぶよ」などという王道はありません。ちなみに私の場合は、あまり実生活の恥を晒すようで恐縮なのですが、何か失敗をして、「どうすれば誤魔化せるか?」という考えがそのままトリックに結びつくことが多いように思います。もしくは、何か嫌なことをしなければならなくなったときに、「こんな目に遭う代わりに絶対に何かネタを見つけてやるぞ」という執念でトリックを思い浮かぶときもあります。いわゆる「転んでもただでは起きない」状態です。創作スタイルがネガティブですね(笑)。皆さんは真似をしないほうがいいかもしれません。
とはいえ、世の中に本格ミステリ作品は星の数ほどあって、今、この瞬間も新たなミステリ作品がどんどん生み出され続けています。どんなに凄いトリックを思いついたとしても、必ずそれは既存の作品の何かしらと被っているでしょう。もうこれは仕方がありません。故意的な盗用でない限り、トリック被りは気にしないほうがよいと私は思います。「どうせ前例があるんだろ」くらいの気持ちでいたほうが精神衛生上楽です。やっぱりネガティブでしょうかね。
盗用とまでは行かなくとも、既存のトリックに独自のアレンジを加えて使うケースもあります。ミステリを読んで、「ああ、このトリック、私ならもっと上手く使えるのに!」という気持ちから生まれることが多いですね。ですが、こういった経緯で生み出されたトリックは、オリジナルを越えることは稀な場合がほとんどだと思います。どんなに上手くアレンジして、オリジナルにあった欠点を補ったつもりだとしても、やはり元祖のインパクト、完成度の前には霞んでしまいます。「再生怪獣」や「再生怪人」同様、やはり「再生トリック」もオリジナルには遙か及ばないのです。
2〈プロット作り〉
プロットとは言っても、計画表のようなものを紙やワープロソフトで書き出すということは、私はほとんどやりません。大まかなストーリーの概要を書いておくくらいです。ストーリーは、これはほとんどのミステリ作家がそうだと思うのですが、今回使おうとするトリックを最大限生かせる設定、舞台、人物(職業)を自然に配置させられるような話を考えます。深海怪獣グビラを活躍させるのに、わざわざ宇宙を舞台にする人はいないでしょう(まあ、グビラは昨今のシリーズでは、陸上に上がって戦うことがほとんどですが)。
さて、具体的に犯行から捜査、解決に至るまでの流れを作るためには、やはり作者は犯人の立場に立って考えることが必要になります。私は自分の頭が追いつく限り、出来るだけ犯人には完璧に近い犯行を取らせることにしていますが、どこかでミスを犯してももらいます。そうしなければ、探偵が推理するための取っかかりが出て来ないからです。ただ、そのミスは白けるものにはしたくありません。犯人自身も気が付かないような些細なミスが理想です。一見、何のことはない、普通なら見逃してしまいそうな事象。でも、卓越した探偵の目だけが、それを「犯人のミス」として捉えることが出来る。エラリー・クイーンの『エジプト十字架の謎』における「ヨードチンキの瓶」に代表される、俗に言われる「論理のアクロバット」というやつです。「現場に犯人のものと思われる指紋があった。だから犯人は誰々だ」では「なんだよ」となりますが、「犯人は現場にあったヨードチンキの瓶を迷わず手に取った。だから犯人は誰々だ」となると、「えっ? どういうこと?」と俄然興味が湧いてきます。知的好奇心をくすぐられます。これこそが本格ミステリの醍醐味だと私は思います。そういった、探偵の解明を聞いて「なるほど」と思う気持ちを私は大事にしたいと考えています。
3〈登場人物配置〉
これが苦手だというミステリ作家は多いのではないかと思います。私もそうです。なにせ本格ミステリは基本、使い回しの効く登場人物というのはいません。探偵と警察組織の捜査側の人間以外は、事件が変わる度に総取っ替えになるからです。「犯人捜し」というミステリの大原則がある以上、犯人候補は数名欲しい。殺人事件であれば当然被害者も必要です。ひとつの事件で多いときは十名以上もの新規登場人物を作らなければなりません。しかも現実世界を舞台にした、比較的リアルなミステリであるなら当然、あまりにおかしなキャラクターの造形は出来ません。性別、年齢、容姿、性格、名前も当然必要になります。しかも、苦労して作った彼ら、彼女らは、この事件が解決するともう二度と出てきません。ミステリの登場人物というのは、なんと儚い存在なのでしょう。かといって、あまりにぞんざいな造形にしてしまうと「こいつは影が薄いから犯人ではないな」と簡単に読者に見破られてしまいます。現実には影の薄い人間なんてごまんといます。「人生は自分が主役のドラマ」みたいなことはよく言われますが、客観的に見たら、主役を張れるような突出した人間など、ごく僅かしかいないのが現実でしょう。なのに、ミステリの世界においては、誰が「犯人」という主役を張ってもおかしくない、個性的な人間ばかりを登場させることが求められます。
「ミステリってのは結局のところ、ファンタジーなんだよ」
山本弘 著『僕の光輝く世界』より
ミステリを書いていると、この言葉の重みを噛みしめるばかりです。
4〈執筆〉導入編
熱量:60mW(ミステリワット)
難度:80%
さあ、トリックを用意して、ストーリーも(大まかにではありますが)考え、登場人物も決めたら、いよいよ執筆開始です。
この項のサブタイトルに入れた「熱量」は、実際の執筆時に、私がどれだけのやる気を持って筆を執っているか(キーボードを叩いているか)を表した、「ミステリワット」という新たな単位です。続く「難度」は、それを実際に書く際の難しさを表しています。どちらも100を最高値とします。具体的にどういうことかは、このあと執筆の流れとともに説明していきます。
まず事件の導入部。当然ながら、それなりの熱量を持って執筆を開始します。ところが、そんな作者の気持ちはよそに、執筆難度は早くも80%という高い数値を叩きだしています。「作家書き出しに悩む」とは昔から言われることですが、ミステリは特にこの傾向が強いのではないでしょうか。プロの書いたミステリを読んでいてもそれは感じます。意気込んで読み始めたのに、「いつまで経っても事件が起きない!」と不満を感じたミステリというのは、誰しも一作は記憶にあるのではないでしょうか。込み入った現場の状況や特殊な舞台、複雑な人間関係が鍵となる事件の場合、いかに分かりやすく、かつ飽きずに読んでもらえるか。それを考えると、数行書いては消しを延々と繰り返すことも少なくありません。
5〈執筆〉事件発生編
熱量:80mW
難度:30%
舞台設定と登場人物の紹介を終えたら、いよいよ事件を起こします。ここで熱量は一気に上がり、難度はぐっと下がります。登場人物たちの前に死体が現れるという、一瞬前まで過ごしてきた日常が「殺人事件」という非日常にひっくり返る瞬間です。死体の描写、登場人物たちのリアクション。実に「書き甲斐」のある場面だと私は思います。犯人が死体に「見立て」を施した場合などは特にでしょう。伏線を仕込む楽しみもあります。
最初から死体として登場していない、それまで生きていた登場人物が殺される場合は、その登場人物にとって最大の見せ場となります。作者は持てる筆力の限りを尽くし、作品のために死んでくれた感謝の意を込めて、殺された人物の最期の姿を記します。
6〈執筆〉捜査編
熱量:40mW
難度:60%
首尾良く事件を発生させられたら捜査に入ります。この「捜査を描く」というのも曲者です。特に関係者への聞き込みなど、同じようなシチュエーションを何回も繰り返して書くことになります。「これは絶対読者は飽きるだろうな」と思いつつも、現実の事件捜査同様、これを省くわけにはいきません。作者も「退屈な場面を書いている」という負い目があるため熱量も下がり、難度も上がります。ですが、ここをおろそかにすると、大事な手掛かりを(読者に)提出する場面を逃すことになってしまいます。
特に気を遣うのは犯人に対する聞き込みです。作中段階ではまだ警察も探偵も(当然、読者も)、その人物が犯人であるとは看破できていないわけですから、他の無実の登場人物たちと同等なレベルでの聞き込みに終始させなければいけません。ここで変に差を付けてしまうと、「こいつへの聞き込みはぞんざいに終わらせたな。ということは、こいつは犯人ではないな」あるいは、「こいつだけやけに喋らせたな。こいつ怪しいな」と簡単に読者に犯人候補を絞られてしまいます。作者のバランス感覚が問われるところです。
ひとつの作品内で複数の事件が起きる場合、以上の5,6を何度か繰り返すことになります。
7〈執筆〉閃き編
熱量:90mW
難度:20%
「閃き編」とはどういうものかというと、探偵が何気ない手掛かりからトリックの正体を見破る場面のことです。ドラマ『ガリレオ』でしたら、「vs. ~知覚と快楽の螺旋~」をBGMに湯川が所構わず数式を書きまくるシーンです。要は、「論理のアクロバット」が読者に提示される場面。これは作者としてはテンションが上がります。ミステリワットも90という高数値を叩き出しました。難度も一気に下がって20%です。読者には、「えっ? 今のでトリック(犯人)が分かったの?」と驚いてもらいたい場面です。
8〈執筆〉対決編
熱量:100mW
難度:10%
いよいよ関係者(あるいは犯人ひとり)を前に探偵が推理を披露する、本格ミステリ最重要場面にして、作者のテンションが最も上がるところです。ミステリワットは当然のマックス100! 難度も10%です。同じ分量だとしたら、この対決編は他の場面の三倍の速度で書けるといいます(当社比)。この対決編を書くために、今まで面白くもない捜査場面をちまちまと書いてきたと言っても過言ではないでしょう。これまでにばらまいてきた数々の伏線を回収して廻る、この気持ちよさといったらありません。ただ探偵が喋るだけのひとり舞台には当然終わりません。「まさか見破られた!」という犯人の反応と、それでも抗弁する「悪あがき」。対決編は探偵の晴れ舞台であると同時に、犯人の見せ場でもあるのです。
9〈執筆〉終幕編
熱量:70mW
難度:70%
全ての謎は解かれ、事件は終焉しました。事件の最後、犯人はどのような結末を迎え、関係者たちはこれからどう生きていくのか。本格ミステリが、ただの犯人当て、トリック当ての遊戯に留まらない「ミステリ〈小説〉」という形をしている以上、決しておろそかには出来ない要素です。小説は終わっても、その中の世界では犯人も関係者たちも、寿命をまっとうするまで生き続けていくはずですから。
対決編に比して熱量はさすがに下がりますが、決して低くはありません。が、難度は高まります。どのような決着をつけるのがベターか、ミステリの作者はいつも悩みます。プロット段階である程度決めてはいますが、具体的に事件の全容を書き、登場人物たちを動かしてみたあとでは、当初の予定どおりの終わり方を迎えることに違和感を持つこともままあります。
私は事件の謎自体にはきっちりと片を付けますが、事件関係者たちのその後、内に秘めた思惑については曖昧なまま話を終わらせることが多いです。私は、説明すべき事柄を曖昧にして「読者の想像に任せる」という幕の引き方はあまり好きではありませんが(作者の「逃げ」と感じる、もしくは「説明する能力がない」のだと失望することすらあります)、その反面、読者の想像に委ねたほうがよい「余韻」も物語には必要だとも考えています。本格ミステリにおいて、事件の謎を曖昧に終わらせることは許されない以上、余韻を置く場所は事件関係者たちのその後や内面にしかないように思うのです(シリーズ探偵は次の事件でもまた出てきますから)。
それと私は、いわゆる「神の視点」はなるべく作中に持ち込まないようにしています。作品は「実際に起きた事件が解決されたあと、記述者(もしくは作者)が資料や関係者への取材をもとに、その事件を小説化した」という設定にしているからです。
「神の視点」とは具体的にどういうものかというと、例えば、事件解決後に時間をさかのぼって、犯人が被害者を殺害するシーンなどを三人称で描く、といったものです。要は、目撃者がおらず、映像などの物証もないのですが、それが実際に行われたのだということを担保するために作者が挿入する場面のことです。
実は、まだこの設定が固まっていない初期に書かれた私の作品の中には、冒頭に「神視点」による記述が存在するものがありますが、それは記述者の想像によるものだとしておいて下さい。
10〈執筆〉推敲編
熱量:50mW
難度:10~100%
さて、ラストまで書き終えたからといっても作品はまだ完成していません。どんなに短い短編でも、私は初書き一発で完成させられた小説は一編もありません。読み返すと何かしら必ずミスはあります。それは誤字脱字といったハード的なものに留まらず、登場人物の口調のぶれ、同じ説明の繰り返しといったソフト的なものにまで及びます。最悪の場合、ストーリー展開に矛盾が生じていることさえあります。これはつらい。その部分だけ書き直して修正終わり、とはならないからです。有機的に繋がった話の所々を逐一チェックしていくことになります。私の経験ですが、完成した小説は最低三回は通して読み直さないとミスはなくなりません(それでも完全に根絶させることは大変難しいですが)。
以上を経て一編の小説を書き終えると、私は独特な疲労感にいつも襲われます。「どうしてこんなことをしてるんだろう」という虚しさを感じることもあります。「疲れるだけだから、もう書かない」と思うときもありますが、また時間が経ってネタを思いつくと「書きたい」という欲求が湧き上がってきて、結局のところは「自分が面白いと思う」から書くのであって、「自分が読みたいもの」を書いているだけだということに気付かされます。自分が面白いと思っているものと、世の中が求めているものとの乖離に悩むこともありますが、これからも書き続けると思います。
私の師匠(心の師、有栖川有栖ではなく、実際の師匠)が言っていた言葉で、「絶対に失敗しない方法は、やり続けること」というのがとても印象に残っています。「失敗」というのは「結果」なのだから、「結果」に到達しないで「やり続けている」うちは失敗という結果が出ることはあり得ない、という意味です。私は「失敗」しないようにしていきたいと考えています(その前に寿命が尽きて死ぬかもですが 笑)。
すみません。最後、変な話になってしまいましたが、私のミステリ執筆工程、いかがだったでしょうか。参考(もしくは反面教師)にしていただけると嬉しいです。
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