挑戦者たち
「犯人が分かりました」
名探偵が高らかに宣言する。それを読んだ読者である私は、心の中で「おお」と感嘆するとともに、「本当に?」と懐疑の声も上げた。犯人が分かっただって? 私にはさっぱり見当が付かない。さては、この探偵、私が知らない何かしらの情報を得ているのでは……?
はやる気持ちでページをめくった私は、そこに書かれていた「読者への挑戦」という文面を読んで驚愕する。それによれば、作中の探偵は、今までに見聞きした、つまり「ここまで書かれてきた小説の内容」だけで犯人を推理することが出来ており、それにおいては、我々読者も全く同じ条件だというのだ。あなたは探偵と同じだけの情報をすでに得ています。さあ、あなたには犯人が分かりますか?「読者への挑戦」でそう私に語りかけてきているのは、この小説を書いた作者だった。
「何ということだ」私は一度本を閉じて額を押さえる。世界が揺らぐような衝撃に襲われた。これを読んだ私の驚きに共感していただけるだろうか? 私が今まで読んでいたこの物語は、「実際に起きた事件の記録」ではなく、「作者が考えた作り物」だったというのだ!
多少オーバーな表現になってしまいましたが、私が「読者への挑戦」に初めて接したときの気持ちです。皆さんも何かしらで「読者への挑戦」を初めて読んだときには、このような気持ちにならなかったでしょうか? なりませんでしたか? だって、まだ小説の途中だというのに、いきなり「作者」が出てきたんですよ! 作者っていえば、「作った」「人(者)」ですよ。で、その作者が何を言ってくるのかと思ったら、「私の考えた謎が解けるか?」と来ました。名探偵をはじめとした小説の登場人物たちは皆、作者が自分の考案した謎を提示するためだけに生み出された、まさに「駒」だったというわけです。世界の崩壊と言ってもよい緊急事態ではないですか?「あなたが読んでいた事件は、私が考えたものです。本当に起きたことではありません。あしからず」そう高らかに宣言されてしまっています。
いえ、いくら私が幼かったとしても、小説の中身が作り事だというくらい承知していました。ですが、その「小説の世界」という階層としては、事件は事実であり、名探偵も実在する人物のはずです。その世界に作者が降臨した。
「事件の謎を解いてみろ」という挑戦は分かります。ですが、どうしてその挑戦をするのが「作者」という、小説の階層を越えた部外者でなければならないのでしょう。小説の中だけで世界を完結させることは出来ないのでしょうか?
作者が作中に登場する。ギャグマンガではよくあることです。漫画家の
『ジョジョの奇妙な冒険』に
あ……ありのまま、今起こった事を話すぜ『シリアスで凄惨な殺人事件の話を読んでいたと思ったら、途中でいきなり作者が出てきた!』な……何を言っているのかわからねーと思うが、おれも何を読まされたのかわからなかった……頭がどうにかなりそうだった……作品の外から「あとがき」や「自作解説」として語っているわけじゃ断じてねえ。全く別種なものの片鱗を味わったぜ……
誤解されると悪いので念のために言っておきますが、私は「読者への挑戦」を否定しているわけでは断じてありません。「本格ミステリ」における素晴らしい構造のひとつで、発明と言ってもいいガジェットでしょう。
何よりこの「読者への挑戦」は、「本作がフェアに書かれた本格ミステリである」ということを宣言するという重要な役割も果たしています。「これ以降、新たに推理を左右する手掛かりが出てくることはない。また、文章に書かれていない場所で探偵が、自分だけが知り得た何かしらの情報を持っているということもない。探偵は間違いなく読者と全く同じ条件のもと推理を始めて犯人を指摘する」ということです。
これは考えてみれば、相当に凄いことだと思うのです。現実の事件では、容疑者の逮捕どころか、起訴されたあとになってから新しい証拠が出てきて冤罪が疑われる、などという事態はままあることです。
そう。だからこそ「読者への挑戦」は作者によって成されなければならなかったのです。なぜかって、事件において「今後、新たな手掛かりや証拠が出てくることは一切ない」という宣言が出来るのは、その作品を作り上げた作者という「神」だけだからです。この「挑戦」がもし作中の人物、例えば探偵によって宣言されていたら、どうでしょうか。「これ以降、新しい手掛かりは絶対に出てきません」作中の登場人物にこんなことを言わせても、「どうしてお前にそんなことが分かるんだよ」と突っ込みを入れられてしまうでしょう。探偵の推理に絶対的な保証をし、これから成される推理が不可謬であることを約束する。そんなことが可能なのは、作品世界の枠を越えた神である作者だけです。「読者への挑戦」が作者によって成されるのは、もっとも至極当たり前な話なのです。それをして「作品世界をぶちこわす!」などと言うのは、そっちのほうが見当違いの言いがかりであるのです。
さて、この本格ミステリの醍醐味とも言える「読者への挑戦」ですが、これについて、エラリー・クイーン作品を基にして面白い考察を行っている本があります。その名も『エラリー・クイーン論』で、著者はクイーン研究家の
飯城勇三によれば「読者への挑戦」には二パターンがあるといいます。それは「未来のメタレベル」と「神のメタレベル」です。両者の違いとして、「読者への挑戦」を宣言するのが作中人物であれば「未来のメタレベル」挑戦するのが作者であれば「神のメタレベル」となります。
「未来のメタレベル」からの挑戦の場合、そのミステリ小説は、「実際に起きた事件を解決後に小説化したもの」という設定となります。「事件解決後、新たな手掛かりも証拠も出て来ることはなく、探偵の推理が間違っていなかったことが分かったため、その事件を小説化して、探偵が真相を見破った時間軸に『読者への挑戦』を挿入した」ということです。事件が起き、解決した時間を振り返った「未来」というメタレベルからの挑戦というわけです。
「神のメタレベル」の場合、「作者がこれより先に、推理を左右する手掛かりも証拠も出さないと決めた時点で『読者への挑戦』を挿入した」となります。まさに「神」というメタレベルからの挑戦です。
この二つのメタレベル、いったい何が違い、どういった目的で使い分けられるのでしょう? それは、飯城勇三も著書の中で書いていますが、「何に対して『挑戦』しているのか?」を明確にするためです。「挑戦」の対象は大きく「トリック」と「推理」に分けられます。
ミステリ小説のトリックを考えたのは、言うまでもなく「作者」であるのは当たり前ですが、「作品内」の視点に立ってみればこれまた当然ですが違います。作品内世界で考えると、トリックを考案したのは「犯人」です。つまり、「読者への挑戦」の内容が「このトリックを見破ることが出来るか?」というものの場合、「挑戦者」は本来「犯人」であるべきなのです。ですが、事件の犯人がそんな挑戦をしてくることなどあり得ないでしょう。「俺の考えたトリックを見破れるかな?」などと藪蛇なことをするわけがありません。むしろ「トリックを見破ろうなんてしないでくれ。事件のことは忘れて、そっとしておいてくれ」と思うことでしょう。だからといって探偵が「挑戦」するというのもおかしな話です。「いや、トリックを考えたのは犯人であって、お前じゃないだろ」と突っ込まれてしまいます。「俺はこのクイズの答えが分かったけど、お前らは分かる?」という、非常に嫌みな印象を与えてしまいます。トリックそのものについて挑戦するのであれば、犯人の代弁者としてやはり世界の壁を突き破ってまでも、作者が出て来ざるを得ないのです。
一方「推理」を挑戦の対象とするのであれば、その挑戦者は探偵が相応しいでしょう。推理を挑戦するとはどういうことかというと、「私はこういう推理でトリックを見破った」という「推理の過程」のことです。「こういった手掛かりから、こんな推理をしてトリックを暴きました」という「私の推理方法について、読者の皆さんも考えて欲しい」というわけです。
この『エラリー・クイーン論』タイトルの通り、クイーン作品のほとんどについて何かしらのネタバレをしているのですが、非常に面白くてためになる名著です(評論・研究部門で2011年度の「本格ミステリ大賞」を受賞しています)。こんなことを言うと怒られそうですが、私はクイーン作品は、ネタバレした状態で初読してもいいのではないかと思っています。飯城勇三も言っているのですが、クイーン作品は「真相の意外性」ではなく「推理の意外性」を楽しむタイプのミステリです。少なくとも、本著が触れている内容については事前に知っていようが、クイーン作品の面白さを損ねることはないと私は考えます。むしろ、クイーン作品の押さえるべきポイントを予習してから読むという形になるので、狙いを絞って明確にクイーン作品を楽しめるということもあるはずです。ですので、機会があれば(もちろんクイーンの作品と合わせて)、ぜひ多くの方に読んでいただきたい本だと思っています。
本格ミステリの華ともいえる「読者への挑戦」その挑戦が誰から、どのメタレベルからされているのか。そういう見方をすると、ミステリを読む面白さがまたひとつ際立つのではないかと思います。
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