疑問符の謎

「Aさんが死体で発見されました」

 通話を終えた警部が皆に悲報を伝えると、

「ほ、本当ですか?」

 Bは、がくりと崩れ落ちて膝を突いた。

「……Aさんが殺された? どうして?」

 Cも白い指先をわなわなと震わせ、か細い声で呟いた。



 上記は、架空のミステリ小説の一部分です。この小説を最後まで読むと、Aを殺した犯人はBであることが判明するとします。Bは自分が殺しておきながら、「Aの死体が発見された」という警部の言葉に対し、さも知らなかったかのように「ほ、本当ですか?」などと芝居をしてみせていた、というわけです。


 さて、ここで問題が。Bの「ほ、本当ですか?」というセリフ。これは、アンフェアな表記なのではないか? と私は少し懸念してしまうのです。「どこが?」と思われた方もいらっしゃるでしょう。「登場人物のセリフに嘘が含まれていることは、何もおかしくはないではないか」と。全くその通りです。地の文に虚偽を書くことは本格ミステリ最大のタブーですが、セリフは別です。私が問題にしているのは、Bが嘘を言っているということではなく、そのセリフの末尾に「?」が付いているということに対してです。「?」は疑問符であり、つまり、これが付いたセリフは疑問文。自分が知らないことを問うている(問いかける対象がないときもあり得ます。モノローグなどに使う場合です)表現として使われる記号です。そう考えて見ると、Bのセリフが疑問文なのはおかしい。BはAを殺した張本人であり、「Aが死体で発見された」と聞かされても、とっくにご存じのはずだからです。「いや、だからそれを隠すために、わざと疑問文で言ったんだろ」と突っ込みたい気持ちは分かります。ですが、やはり私は釈然としないのです。「?」が付いているばかりに。


「?」は当然ですが通常発音しません。問題のセリフを音で表記したとき、「ほ ほんとうですか クエスチョンマーク」とはなりません。何を当たり前のことを言ってるんだ、と思われたでしょうが、つまり、「?」はセリフを表すカギ括弧の中に居ながらも、音として形を持たない存在であるわけです。感嘆符と呼ばれる「!」エクスクラメーションマークや、「……」三点リーダ(通常は二個組で使いますが)と一緒です。「!」は、そのセリフが叫びや大声であることを。「……」は、セリフの前後や途中の「間」という、文章では表現しづらい、実際に発せられたと仮定した言葉のニュアンスを伝えるために用いられているわけです。そこに虚偽はありません。セリフの末尾に「!」が付いたのであれば、そのセリフは実際に大きな声で叫ばれているのでしょうし、「……」が前後や途中に入ったセリフは、その部分では実際に口ごもったり、言葉に出来ない沈黙があったりしているはずです。

「どうしよう!」と呟いた。

「……おはようございます……先生……」と彼女はよく通る大きな声で挨拶した。

 などという使い方をする人はいないでしょう。「!」も「……」も、文章で表すのが難しい「本当」を伝えるためのものです。これだけではありません。「そこがセリフである」ことを表す「」カギ括弧。心の声や注釈などに使われる()括弧。といった、いわゆる「約物やくもの」は、文章世界(小説世界)においては全てが「真実」であるはずです。であれば、「?」も真実であり、Bの「ほ、本当ですか?」というセリフは、真にAの訃報を聞いて驚き、疑問を感じている、ということになり、これが「芝居だった」というのは、広義において「虚偽の表現」の範疇に入ってしまうのではないでしょうか。


 では、どうしたらよいのでしょうか。ただ単に、Bのセリフから「?」を抜くと、続く、同じようにAの死を聞いたCのセリフには「?」が入っているのですから(Cは犯人ではなく、Aの死を聞いて、「どうしてAが殺されたのか」ということを真に疑問に思っているわけですから、「?」が付いた疑問文のセリフを口にして当然です)、「変だぞ」と即座に読者から怪しまれてしまいます。「?」なしでもこの場面に通用するセリフをうまいこと言わせるか、何も喋らせずに、がくりと膝を突いて崩れ落ちさせる、などの対処法があるでしょう(ちなみにここで、セリフがないことを補おうとして、「悲しみのあまり、がくりと崩れ落ちて膝を突いた」などと書いてしまうのは蛇足です。Bは犯人であり、「Aの死に対して悲しんでなどいない」のですから、地の文で「Bは悲しい」とはっきり書いてしまうのは虚偽の記述になります。ですが例えば、殺害動機が、「Aが好きすぎて誰にも渡したくないから」という「好きだから泣く泣く殺した」的なサイコチックなもので、改めてAの死を耳にして「悲しんだんだ」ということにすれば一応アンフェアではなくなるでしょうが)。


 さて、このままではアンフェアな記述となってしまう冒頭の文章ですが、実は、記述を一切変えることなくフェアなものとしてしまう方法があるのです。それは「一人称」です。冒頭のものは、神視点から見た三人称ではなく、ある人物の目を通して語られた一人称の記述である、ということにすれば問題は解決します。記述者は当然、この時点でBが犯人であるとは全く知らないわけです。記述者の視点に立ってみれば、「Bが本当に驚いて疑問文を口にしたのだ」と勘違いして、Bのセリフの末尾に「?」を付けて表記してしまったのだとしても(つまりBの芝居に引っかかったということです)全くおかしくはありません。混沌は彼方に消え失せ、世界はここに完成しました。

 本格ミステリの文体に一人称が多い理由が分かりましたね。私自身、「一人称って便利だな」とつくづく感じています。


 しかしながら、一人称であったとしても、冒頭の表現がアンフェアの容疑を受けてしまう場合があり得ます。それは、「この文章がリアルタイムのものか、事件解決後に改めて書いたものか」という違いです。これがリアルタイムであった場合、何も問題はありません。記述者は今まさにBのセリフを聞いて、「疑問文に違いない」と確信している(騙されている)わけですから。ですが、冒頭の文章が、「数ヶ月前に解決した事件のことを回想して、記述者の一人称で書かれたもの」であったときはどうでしょう。記述者は、Bが犯人で件のセリフは芝居である、ということを当然知りながら書いているわけです。その場合、「?」と付けるというのはどうでしょう。アンフェアになりはしまいか? 微妙なところでしょう。記述者は「自分がそのとき感じたそのままを書いたんだ」とも、または、「ミステリ小説として成り立つように『演出』したんだ」と抗弁することも可能で、それは正しいともいえます。これに対する答えは人それぞれでしょう。


 さて、虚偽の疑問文に「?」を付けるのはフェアかアンフェアか? いかがだったでしょうか。読んで下さった皆様の中には、「そこまで気にして書いているのか」と呆れてくださった方も、「そんな細かいこと、どうでもいいだろ」と呆れてくださった方もいらっしゃるでしょう。本格ミステリ好きの淀んだ深淵を少しでも感じていただけたなら幸甚です。

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