第10話 誘拐事件
「ここが、その綾香ちゃんの家なのか? ずいぶん立派な家だな」
杏子から電話をもらった龍吾は、すぐに陽介おじさんにわけを話して、綾香の家に向かった。
「だろ? たしかお父さんが社長だって聞いたことあるんだ。だから狙われたんじゃないかな?」
広い前庭の向こうに建つ、白壁に朱色の屋根が印象的な、南欧風の二階建てが綾香の家だ。
陽介おじさんの車は、ゆっくりと綾香の家の前を通りすぎる。龍吾は助手席の窓から、綾香の家の様子をじっと見つめた。
「あの車は、森沢の家の車じゃないな」
南欧風の家にはあまり似合わない、黒いワゴン車が止まっているのが見えた。
「あれは警察だよ。誘拐事件の場合、たいていは工事関係者をよそおって家に入るからな」
「ああ、よく刑事ドラマであるよね。ってことは、森沢が誘拐されたっていうのは本当なんだ……」
龍吾はあこがれの捜査現場にいるようなウキウキした気持ちと、友達が誘拐されたかもしれないという緊迫感を、心の中で持てあましていた。
「ちょっと確認してみるよ」
陽介おじさんは、綾香の家からすこし離れた場所に車を止めると、どこかに電話をかけている。
龍吾は外をながめたまま、頭の中を整理していた。
『綾ちゃんが……誘拐されたかも知れないの』
龍吾の携帯に電話をかけてきた杏子の声は、いまにも泣きだしそうだった。
綾香のママから電話があったこと。慎二がヤバイ仕事を押しつけられて、それが子供の誘拐事件に関係しているかも知れないこと。そして慎二が、自分たち三人のこととおばあさんの病院を、誘拐犯らしき人間に話してしまったことを、杏子は話してくれた。
思いがけない事件が自分のすぐ近くで起こってしまったことに、龍吾の頭は混乱していたが、杏子が戻って来るまでに、綾香の家の様子をさぐっておくと約束したのだった。
(おじさんがいてくれて良かった……)
杏子からの電話を切ってすぐに、龍吾は今までの話を陽介おじさんに話した。
おばあさんと知り合ったことから始まり、綾香の誘拐事件に至るまでの説明は難しかったけれど、陽介おじさんはちゃんと話を聞いてくれた。
龍吾にとって、陽介おじさんの存在は何より頼もしかった。
「どうやら、間違いは無さそうだな」
陽介おじさんが、上着のポケットにスマホをしまいながらそう言った。
「うちの署の先輩から所轄署に聞いてもらったんだが、小学生の誘拐事件が起こったらしい」
「じゃあ……」
「綾香ちゃんが誘拐されたとみて間違いない」
「おじさん……医療センターに行ってよ。シーナの話しからすると、森沢は病院で誘拐されたかも知れないんだ。シーナも病院に向かうって言ってた。あいつ、森沢を捜すつもりなんだよ。おれも一緒に捜さなきゃ!」
「……わかったよ。おれが一緒のときで助かった。おまえ達だけで動かれたらと思うとゾッとするよ」
陽介おじさんはそう言って肩をすくめると、車のエンジンをかけた。
駅をはさんで反対側にある医療センターまでは、十分ほどで着いた。
駐車場に車が止まると、龍吾はすぐに駐輪場に向かった。もちろん綾香の自転車を捜すためだ。綾香のメタリックピンクの自転車なら、すぐに見つかるだろうと思っていたのだが、ぎっしりと並んでいる自転車の中から捜し出すのは、思ったよりも難しかった。
「龍吾くん!」
「シーナ? 早かったな!」
駅から走ってきたらしく、杏子は息を弾ませている。
「綾ちゃんの自転車さがしてるの?」
「そうなんだ。でもまだ見つからないんだ」
「あたしもさがすわ」
杏子も綾香の自転車を捜しはじめた。
自転車の並ぶ通路を眺めながら歩いていた杏子は、駐車場に一番近い列で綾香の自転車を見つけた。そして、そこから少し離れた道路の上に、見なれたクマのマスコットがついた自転車のカギが落ちていることに気がついた。
「龍吾くん! これ、綾ちゃんの自転車のカギじゃない?」
杏子の声を聞いて、龍吾がすっ飛んできた。
「ああ、そうだ! こんなクマがついてたよ!」
龍吾がカギを拾おうとするのを手で止めて、杏子は自転車のカギに手を伸ばした。
(お願い……綾ちゃんの居場所を教えて!)
ゆっくりとクマのキーホルダーをつかんだ瞬間、杏子の頭の中には、また音のない映像が映し出された。
自転車を止めてすぐ、メガネをかけた黒いコートの男に声をかけられる綾香。そして、車に押し込まれる綾香の姿が《視》えた。
(綾ちゃん……どこにいるの?)
カギを握りしめ、ぎゅっと目を閉じたまま動かない杏子のそばに、陽介おじさんが近寄ってきた。
「どうしたの? この子が杏子ちゃん?」
「シッ! おじさん静かにして!」
龍吾に怒られて、陽介おじさんも声をひそめた。
「そうか、杏子ちゃんはいま、綾香ちゃんの居場所をさがしてるんだ?」
「そうだよ」
龍吾も手を握りしめている。
心配そうに見つめる二人の前で、杏子が目を開けた。
「まだ近くにいるわ! 早く追いかけなきゃ!」
● ●
ガタガタという振動で、綾香は目を覚ました。
薬品のようなニオイで気分が悪い。頭もボンヤリして何かすっきりしない。手足を動かそうと思っても動かない。
(なにか変だ)
綾香はハッとして目を開けたが、真っ暗で何も見えない。
(目隠しされてるんだ)
そこまで考えて、綾香はようやく思い出した。病院の駐車場でメガネの男に声をかけられたのだった。
『お譲ちゃん、ペンを落としちゃったんだけど、この車の下にあるか見てくれないかな?』
たしかそう言われて、変だと思いながらも車の脇にしゃがみこんだら、いきなり変なニオイのする布で口をふさがれた。
(あたし……誘拐されたんだ)
そう思うと頭がパニックになった。何も見えず、手足も縛られていて動けない。 綾香は必死に考えることでパニックから抜けだそうとした。
ガタガタする振動で、たぶん自分は車に乗っているんだということがわかった。真っ暗で身動きもできないが、綾香は足を伸ばして横になっている。かなり大きな車なのだろう。
耳を澄ますと、声が聞こえてきた。
「……うやら、警察を呼んだみたいだな」
「失敗か」
「せっかくのAランクだったのになぁ」
その会話を最後に、ぐんと車のスピードが上がったような気がする。
(どうしよう……)
綾香はぎゅっと目をつぶった。
病院の駐車場で布で口をふさがれた瞬間、綾香は持っていた自転車のカギを放り投げた。頭で考える前に放り投げていた。無意識のうちに、自分の手がかりを残そうとしたのかも知れない。杏子がこれを拾えば、自分の居場所を見つけてくれるかも知れないと思って。
(違う……杏ちゃんは、あたしのことなんか捜さないわ!)
スピードを上げてゆく車の中で、綾香は必死に首をふった。
● ●
「お願い、急いで!」
陽介おじさんの車の後部座席で、杏子が叫んだ。
病院の駐車場で「龍吾のおじです」とあいさつした陽介おじさんに向かって、杏子はあいさつも無しに「車で来てますか?」と言い放った。
そのまま陽介おじさんの車に乗った三人は、杏子の指示どおりに幹線道路を都心に向かって走っている。
「白い車、細長い……ワゴン車っていうのかな、ちょっと工事の人が乗ってるみたいなやつ」
後部座席の真ん中に陣取った杏子は、運転席の陽介おじさんと助手席の龍吾に向かって叫んだり、静かに考え込んだりを繰り返している。
「……なんか、聞いてたのとイメージ違うんだけど」
陽介おじさんが小声でつぶやく。
「あの子が、友達に嫌われないように気を使ってる子なの?」
「だから、そういうタイプじゃないって言っただろ」
さらに小声で龍吾が答える。
「ああ……なるほど」
「言っとくけどさ、シーナはいま必死なんだよ。友達が誘拐されたんだぞ。おじさんたち刑事が仕事で捜査するのとは、必死さが違うんだよ!」
小声で龍吾が非難すると、陽介おじさんは口を閉じた。
「おれも白いワゴン車さがしてるんだからな」
ハンドルを握る陽介おじさんの隣で目をこらしていた龍吾は、白いワゴン車の多さに気がついた。自家用のきれいな車から、病院の送迎車に、簡単な工具を乗せているようなものまで色々ある。真っ黒なワゴン車に比べたら一般的すぎて記憶に残らない。
「多すぎて、これじゃわからねぇよ」
龍吾はうなった。
「ねえおじさん、所轄はどのていど情報をつかんでるの? 森沢の行方か、犯人の目星くらいついてるのかな?」
「それは、わからないな」
陽介おじさんは、チラリとバックミラーに視線を向けた。
後部座席でしずかに目を閉じている杏子は、手袋をしたままの手に、クマのマスコットがついた自転車のカギを握りしめている。
「おれは、お前たちの安全のために一緒に行動してるけど、あの子の能力に関しては半信半疑だ。正直に言えば、本当に誘拐された子のもとへ向かっているとは思ってないよ」
「はぁー、だから大人はダメなんだよ。常識に囚われすぎると損するぞ」
龍吾は呆れたように首をふった。
(おれだけは……シーナのこと信じてるからな)
龍吾がバックミラーを見ながらそう思ったとき、杏子が目を開いた。
「あの、大きな川の横を走る、高いところにある高速道路に行ってください!」
「大きな川? 荒川かな? まあとにかく首都高速だな」
陽介おじさんは車のハンドルを切り、高速道路の入口に向かって走りだした。
「もしかしたら葛西の方に向かってるんじゃないか? ほら、慎二が言ってた、子供を監禁している場所に向かっているのかも」
龍吾が飛び跳ねるように後部座席に振り返る。
「それなら、その慎二って人に聞けば、場所がわかるじゃないか?」
陽介おじさんが運転しながらそう言うと、
「ああ、そっか。どうするシーナ、電話してみるか?」
と、龍吾が杏子に声をかける。
「そうだね。龍吾くん、圭太さんに電話してみてくれない」
杏子は自分の携帯を龍吾にさし出した。
「え、なんで……」
龍吾は言いかけて、そのまま携帯を受け取った。
綾香のカギを握りしめたままの杏子の手を見て、龍吾には杏子の気持ちがわかったような気がした。
杏子は一瞬も気をそらしたくないのだ。綾香のカギから伝わって来るものがあったら、見逃したくないに違いない。だから龍吾に電話してくれと頼んだのだろう。
「わかった。おれが電話するから、シーナはそのまま森沢の居場所をさぐってくれ」
「うん」
● ●
車が止まった。
ガラガラガラ、とシャッターを開けるような音がする。
また車が動き出し、すぐに止まる。再びシャッターの音が響いた。
(……建物の中に入ったのかも)
綾香は怖くなった。ここは何処なのだろう。自分はこれからどうなるのだろう。考えれば考えるほど、不安で胸がしめつけられてゆく。
「あいつ、どこに行きやがった?」
怒ったような男の声が響いた。
「まさか逃げたんじゃないだろうな」
「子供はそのままだぞ」
「けっ、役立たずめ」
「まさか、警察にばらしたりしてないだろうな?」
「あいつだって警察には行けない事情があるだろう。だが、万が一ってこともある。取引きを急いだ方がいいかもしれないな」
男たちの声に混ざって、子供のすすり泣くような声が聞こえてきた。
(誰かいる。あたしの他にも、誰かつかまってるんだ)
自分ひとりじゃないという不思議な安堵感が、綾香を勇気づけた。
(誰でもいいから、どこかに移される前にあたしを見つけて! 早く来て、お願い!)
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