第9話 慎二の行方


「まずは、慎二のアパートに行ってみよう。帰ってないだろうけど、慎二を捜すのに役に立つかもしれないからさ」

 圭太はそう言って歩きはじめた。昨日まですっきりと晴れていたのに、今日は朝からどんよりと曇っていてとても寒い。

 約束どおりに駅まで迎えに来てくれた圭太と一緒に、杏子は地下鉄で葛西駅に来ていた。


「慎二さんは葛西に住んでるんですか?」

「うん、そうなんだ」

 前を歩く圭太は、杏子に振り返ってうなずいた。

(やっぱりだ!)

 杏子は、以前おばあさんに頼まれて慎二の住んでる場所をさがした時のことを思い出し、ひとり笑みを浮かべた。

「杏子ちゃん、きみがその……人の居場所をさがす時は、写真とか、なにか身のまわりの品が必要なんだろ?」

「はい」

「たとえばさ、慎二のアパートでもいいかな?」

「えっ?」

「だからその、部屋には鍵がかかってて入れないけど、アパートのドアとかに触ったらわかるかな? やっぱりドアじゃ身のまわりの品のかわりにならないかな?」


 圭太のはにかんだような笑顔を見て、杏子は思わず吹きだした。

「やったことはないけど、たぶん大丈夫だと思います。圭太さんって、面白いですね」

 思いきり笑った事で、落ち込んでいた気分がすこしだけ晴れた。

「あたしのことを信じてくれるのは嬉しいですけど、そんな風に素直に信じてくれるのって、なんか不思議な感じ。圭太さんって何歳なんですか?」

「十九歳になったばかりだよ」

 小首をかしげる圭太を見て、杏子は昨日のことを思い出した。

 おばあさんに謝っていた時、圭太は「ぼくは両親を早くに亡くしたけど、幸せな思い出はたくさんあった」と言っていた。たくさん愛されて育ったのだということが、いまの圭太を見てもよくわかる気がした。


「慎二とは、すこしの間だけど同じ施設にいたことがあるんだ」

 圭太は話しはじめた。

「中学に入ってすぐ、ぼくは母を亡くして児童養護施設に引き取られたんだけど、慎二も一カ月くらい同じ施設にいたんだ。ネグレクトって言うのかな、両親が家に帰ってこないとかで一時保護されていたんだ。ぼくと慎二はもともとタイプが違ったから、学校でもあまり話したことはなかったんだけど、同じ施設で生活したことがきっかけで、お互いに悩みなんかを話すようになったんだ。同じ傷を持つ者同士にしかわからない、ちゃんとした家庭があるやつには話せないようなことを、いろいろ話したよ。べったりした友達じゃなかったけど、中学を卒業してからもたまに会ったりはしてたんだ。あんな奴だけど、ぼくにとっては大切な友達なんだ」

 そう言って笑顔を浮かべる圭太に、杏子はうなずいた。圭太と慎二の間にある絆のようなものが、杏子にはわかる気がした。


 駅から十五分ほど歩いた所に、慎二の住んでいるアパートはあった。住宅街の片すみにたつ二階建てのアパートは、まわりから見ると少し古ぼけた印象があった。

「二階の一番奥が慎二の部屋だ」

 圭太がそう言って階段を上がってゆく。

 杏子は圭太の後についてゆき、廊下の一番奥にあるドアの前に立った。

「慎二、いたら出てきてくれ!」

 圭太がドアをノックしながら声をかけるが、部屋の中からは物音ひとつしない。

「やっぱりいないみたいだ」

 圭太が杏子の顔を見下ろす。

「やってみてくれるかい?」

「わかりました」

 杏子はドアの前で深呼吸をした。そしてゆっくりとドアのノブに手をかける。

 ひんやりと冷たいノブに触れたとたん、杏子の頭の中に映像が流れだした。音のない、暗い映像だ。


 夜。一つしかない灯りに照らされた薄暗い廊下。

 ドアをたたく男たち。何度も何度もはげしくドアをたたき続ける。

 そのドアの向こうで、真っ暗な部屋にうずくまるようにして頭を抱えている青年。おびえているのが手に取るようにわかる。

(……怖い!)

 そう思った瞬間、杏子はドアのノブから手を放していた。


「どうしたの? 何か見えたの?」

 圭太の問いかけに、杏子は我に返った。

「あっ……なんか、あったみたいなの」

 杏子はあわてて、いま見た映像を圭太に話した。

「そんなことまでわかるんだ……」

「ううん、こんなのは見たことない。夢でなら見た事あるけど。いつもは、さがしてる物がある場所が見えるだけなの」

「たぶん、杏子ちゃんが見たのは本当にあった出来事だよ。慎二の身に何かあったのかもしれない! 慎二の居場所は? 今どこに居るかわからなかった?」

 圭太の目が心配そうにゆれている。

「怖くなって手を放しちゃったの。ごめんなさい、もう一回やってみる!」

 杏子は再びドアに向かい合った。


        ●                  ●


 そのころ、龍吾は家でゴロゴロしていた。

 床暖房のきいた暖かなリビングでマンガを読んでいても、なかなかマンガに集中できない。

(シーナのやつ、大丈夫かな?)

 龍吾は杏子のことが心配でならない。

 圭太のことを信頼していない訳ではないが、実際に知り合って日が浅いし、さがしている慎二の方はどう考えても危険人物だ。慎二を見つけたとしても、なにか危険なことに巻き込まれたりしないかと思うと、のんびりマンガを読んでいる気にもなれない。


「なんだ、龍吾いたのか?」

 ソファの向こうから陽介おじさんが顔を出した。

「誰もいないのか? 玄関のカギが開いてたぞ、不用心だな」

 陽介おじさんはダウンジャケットを脱ぐと、ソファに座った。

「母さんと珠美はスーパーに買い物。おじさん、今日は休みなの?」

「ああ、今日は非番だ」

「せっかくの休みなのに、親戚の家にしか行く所がないなんて、おじさんもかわいそうだな」

「なんだ、そんなこと言うと、いい物やらないぞ」

「えっ、なに? なにかくれるの?」

 龍吾は床から飛び起きると、陽介おじさんの前に座りこんだ。


「ちょっと遅めのクリスマスプレゼントだ」

 そう言って取り出したのは、メタリックブルーの携帯だった。

「うそっ、やった! 欲しかったんだよー」

 龍吾は大げさに両手で受け取った。

「最近、おまえの帰りが遅かったり、一日中出かけてたりするって、お母さんが心配してたぞ。あんまり機能はついてない方がいいと思って、ちょっと旧型だけど、お父さんお母さんと、おれの番号も登録しといたから、何かあったらすぐに連絡するんだぞ」

「ありがと、おじさん!」

「近ごろ物騒だからな、子供の誘拐事件が増えてるんだ。おまえも気をつけろよ」

「おれ、誘拐されそうに見える?」

 もらった携帯に、さっそく杏子の電話番号を登録しながら龍吾が聞くと、ポカリと頭をたたかれた。


「真面目に聞けよ。都内はもちろん、関東各地で何人も子供が誘拐されてるんだぞ」

「知ってるよ。さっきもニュースでやってたもん。身代金の引き渡しに成功すれば子供は無事に帰ってくるけど、失敗すると二度と犯人からの接触はないんだろ? で、子供は帰ってこない。そのまま行方不明になっちゃうし、犯人の手がかりはない」

「わかってるなら用心しろ。おまえは一人前のつもりでも、大人から見ればりっぱなお子様なんだぞ」

「へいへーい」

「心配だなぁ」

 陽介おじさんは、がっかりしたように肩を落とした。


        ●                  ●


 杏子と圭太は、葛西臨海公園の中を海に向かって走っていた。

 もう一度、慎二のアパートのドアに手を触れた杏子が《視》たものは、人工の砂浜に座りこんだ慎二の姿だった。

 葛西臨海公園に遊びに行ったことがある杏子には、そこが公園のはしにある《西なぎさ》だということがわかった。

 公園の中は風が強かった。

 海に近づくにつれて風はどんどん強くなり、風に流されてきた黒い雲が、空を覆いはじめている。

 杏子と圭太は、冷たい風に対抗するように走り続けた。

 やがて門松が飾られたなぎさ橋を渡ると、ひとけのない人工の砂浜に、鉛色のにごった波が打ち寄せる寒々しい風景が広がった。


「慎二っ!」

 砂浜に座りこんでいる人影を見つけて、圭太が走りだした。

 人影があわてて立ち上がり、逃げ出して行く。

 圭太が人影に追いついて、飛びかかるように引きとめるのを見て、杏子もようやく走りはじめた。

 正直に言えば、杏子は慎二のそばへ行くのが怖かった。でも、ビュービューと耳もとを通りすぎる風の音がうるさくて、杏子には二人の会話が聞き取れなかったから、勇気をふりしぼって駆け寄った。

「放せ! 放してくれ!」

 慎二はまるで別人のようだった。寒さのせいか顔は青白く、なによりも目にいつもの鋭さがない。とても怯えているように見える。

「慎二、何があったんだ?」

「おまえのせいだ……おまえのせいで、おれは」


 慎二は圭太の腕をふり払うと、力なく砂浜に座りこんだ。

「おまえに渡した百万円……ヤバイ所から借りたんだ。あのばあさんの孫になれば、すぐに返せると思って。でも結局あんなことになって、おれ、返せなくて、やつらに……ヤバイ仕事を押しつけられた」

 圭太も、慎二のそばに座りこんだ。

「慎二、悪かったよ。そんな金だって知らなくて。でも、慎二がくれたあの百万のおかげで、ぼくは住むところと仕事を手に入れることができたんだ。すごくありがたかった。だから、いつか慎二に返すつもりで、お金ためてるんだ。頼むから、ヤバイ仕事なんかしないでくれよ! ぼくに出来ることなら、何でもするからさ!」

 圭太の言葉を聞いて、慎二は顔を上げた。

「おれ……怖くなって、逃げてきたんだ。どうしよう圭太!」

 すがるような目をして、慎二は圭太の両腕をつかんだ。


 そのとき、杏子の携帯が鳴った。登録してない電話番号だ。

『シーナか? おれ龍吾、じつは携帯ゲットしたんだ! そっちはどお?』

 のんびりした龍吾の声を聞いて、杏子はすこしホッとした。

「いま葛西臨海公園にいるの。公園の砂浜で慎二さんを見つけたところ。でも……ちょっとヤバそうなの」

「えっ、ヤバイってどーゆーこと?」

「まだ、よくわからないの。あとで連絡するね」


 杏子が電話を切ると、待っていたかのように、再び携帯が鳴った。

 こんどは綾香の家からだった。

「杏子ちゃん? 綾香と一緒じゃない?」

 電話は綾香のママからだった。

「いいえ。今日は、一緒じゃありません」

 杏子がそう言うと、がっかりしたようなため息が聞こえた。

「おばあさんの病院に行くって言ってたのだけど、杏子ちゃんは、いま病院じゃないの?」

「はい。今日は用事があって……」

「わかったわ。ありがとう」

 あわてたように電話が切られた。いつも上品な綾香のママらしくない感じだった。


(どうしたんだろ? 綾香だって携帯もってるのに)

 そう思うと、なんだか心配になった。

 携帯をじっと見つめる杏子の耳に、慎二の声が聞こえてきた。

「あいつら……子供を監禁してるんだ。おれ、子供の見張りを頼まれたんだけど、怖くて逃げて来ちゃったんだ。あいつら……もしかしたら、誘拐事件の犯人なんじゃないかな?」

「なん……だって?」

「ほら、身代金取れなくて、帰って来なかった男の子が一人いただろ? 監禁されてんの、その子じゃないかと思うんだ。あいつら、外国の組織にその子を売るとか言ってたんだ。おれ怖くて……」


「慎二、一緒に警察に行こう! いまならその子も助けられるよ。犯人が捕まれば、おまえも逃げ回らなくてすむじゃないか!」

「ううっ……でも、おれ」

 慎二がちらっと杏子の方を見る。

「おれ……あいつらに、あの子たち三人の事と、ばあちゃんの病院を教えちゃったんだ。もしかしたら、誰か狙われてるかも知れない……」

 杏子は、持っていた携帯を手から落とした。

「まさか……綾ちゃんが?」

「杏子ちゃん、どうしたの? 何かあったの?」

「綾ちゃんのママから電話があったの。綾ちゃんのこと捜してた……」

「まさか……」


 圭太は、慎二と杏子のふたりを、かわるがわる見つめる。

 杏子は砂浜に落ちた携帯を拾い上げると、圭太の方へ目を向けた。

「圭太さんは、慎二さんと二人で警察に行って、今の話をしてください。絶対に行ってくださいね! あたしは、帰って綾ちゃんをさがします!」

 圭太がしっかりとうなずくのを見てから、杏子は走りだした。

 走りながら、龍吾の電話番号をさがした。

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