第7話 心のカケラ
その日の夜、龍吾はお風呂の中で今日の出来事を思い返していた。
(なんか忙しい一日だったなぁ。さすがのおれも、なんかぐったり)
湯船につかりながら、めずらしくため息なんかついてみる。
夕方までおばあさんが起きるのを待っていたけれど、暗くなるからとキヨさんに帰された。
明日また来るからと約束して、杏子と綾香とは病院で別れた。三人とも自転車を置いた所がバラバラだったからだ。
でも、なんとなくそのまま帰りたくなくて、杏子の姿をさがした。
ようやく見つけて、追いかけて、声をかけた所は、杏子の家だというマンションのすぐ近くだった。
「これ、おれんちの電話番号。あいつから連絡来たら知らせろよ。あと、おまえの番号も教えてくれよ」
千切ったメモ用紙を、龍吾は勢いよく杏子の目の前に突きつけた。
「龍吾くん、さっきは話を合わせてくれて、ありがとね」
電話番号を交換しながら、杏子はそう言って笑った。
「……うん。でもさ、森沢に気を使うの、なんかシーナらしくないよ」
龍吾は勇気を出して言ってみた。
「あたしも、そう思う」
「えっ?」
「なによ」
「いや、意外と素直なんだなって思って」
「自分でも、らしくないと思ってるよ。あたしね、綾ちゃんとは、形だけの友達だってわかってるの。綾ちゃんが、どうしてあたしに声をかけて来たのかはわからないけど、それでもあたしは綾ちゃんに助けられてる。綾ちゃんだけが、今のあたしとクラスをつないでるの。だから、綾ちゃんがどう思っていようと、あたしは感謝してるんだ」
「……そう、なのか」
言葉につまった。杏子がそれほどクラスの中で孤立しているなんて、思ってもみなかった。
「おれさ、シーナが初めてスイミングに来た日のこと覚えてるよ。おまえが入ってきた瞬間、なんていうか目が吸い寄せられたんだ。ふつうの女の子とは違うオーラみたいなもんがあって、すごく不思議な感じがしたんだ」
「なによそれ?」
「おれもよくわかんないけど、おまえの周りにだけ、なんかバリアみたいなものが張ってあるような感じがしたんだ。おれは今までいじめにあった事はないけど、でも今ならわかるよ。おまえが今まですごく傷ついて、それでも負けないで戦ってきたか……」
同情でもなぐさめでもなく、龍吾としては、精一杯の気持ちを伝えたつもりだった。
「それって、あたしがまわりに壁つくってるってこと? そんなの言われなくてもわかってるわよ」
杏子の反応にがっくりした。
ぶくぶくと湯船の中に沈みこみながら考える。
(おれが言いたかったのは、そんな事じゃないのに……)
初めて見たときから、気がつくと杏子の姿を目で追っていた。くせのある髪も猫のような瞳も、ほかの女の子とはまるで違っていた。ほんとうに目が離せなかった。杏子のことをすこし知った今は、前よりももっと気になって仕方がない。
「龍吾、いつまでお風呂入ってるの?
「えっ、うわっ、すぐ出るよ!」
ひとりで赤くなりながら、龍吾はあわててお風呂からあがった。
「おじさん、事件解決したの?」
バスタオルを頭にかぶったままリビングに入ると、ソファ前の床にあぐらをかいたお父さんと陽介おじさんが、ビールを飲みながら振り返った。
「まあな。それより龍吾、ずいぶんと長湯だったな。湯船で寝てたんじゃないのかい?」
「ちがうよ」
口をとがらせながら、龍吾は陽介おじさんの隣りに座った。
陽介おじさんはお父さんの十歳年下の弟で、仕事が暇なときはよく夕飯を食べにくる。すっかりお腹のでっぱったお父さんと比べると、陽介おじさんはすらっとしていてかっこいい。なにより刑事という仕事をしている、龍吾にとってはあこがれの存在だ。
「今日は一日中出かけてたんだって? お母さんが心配してたぞ」
「ああうん。ちょっと調べ物しててさ」
「なんだ、事件か?」
陽介おじさんがからかうように笑う。
「そんなんじゃないけど……あのさ、例えばさ、あるおばあちゃんが一度も会ったことのない孫を捜してたとするだろ、それで、見つけた孫がニセモノだったとするじゃない?」
「ニセモノ?」
「うん。例えばだよ。もしもおばあちゃんが死んじゃったら、そのニセモノがおばあちゃんの遺産をもらえちゃったりするの?」
「ずいぶん難しいこと考えてんだな。推理小説でも読んでるのか?」
「まあ……ね。それで、どうなの?」
「相続は管轄外だから詳しくないけど、戸籍がちゃんとしてれば、ふつうは書類の手続きで終わるんじゃないかな。その人が本物かどうかまではお役所は調べないと思うよ。もちろん、ほんとうにニセモノが相続すれば犯罪になるよ。相続サギかな?」
「だよね……」
「気になるなぁ。何を調べてるんだ?」
「だから、推理小説だよ。ああ腹へった。いただきまっす」
龍吾はローテーブルに並んだツマミの中から、唐揚げをつまんで口に入れた。
いつのまにかお父さんは床にごろ寝したままいびきをかいていた。お母さんと妹の珠美はキッチンのテーブルでご飯を食べながらテレビを見ている。
龍吾はもう一度おじさんの方を向いた。
「ねえ、陽介おじさんは結婚しないの?」
龍吾の何気ない言葉に、陽介おじさんは飲みかけのビールにむせて、苦しそうに咳きこみはじめた。
「なんだよ急に……。いまのところ予定はないけど、べつに独身主義じゃないぞ」
「なんだ、じゃあ彼女いないんだ。もうすぐクリスマスなのに悲しいね」
「刑事は忙しいからな。デートの約束してもドタキャンが多くて続かないんだ。おまえも刑事志望なら覚えとけ。もしかして、こんどは恋愛相談か? 好きな子でもできたのか?」
「べつに……好きっていうわけじゃないけど」
「ひゅーひゅー、どんな子なんだ?」
すこし酔っぱらったのか、陽介おじさんが龍吾の頭を小突いてくる。
「その子には、不思議な力があるんだ。なくした物をさがしたり、落とし物の持ち主をさがしたりできるんだ。でもそのせいで、ずいぶん前から学校でいじめられてるみたいなんだ」
「なるほど、それは辛いだろうな」
「同じ学校だったら、おれが助けてやれるけど、ちがう学校だし。あいつ、友達にすごく気を使ってさ、嫌われないようにしてんだよ。ほんとはそんなタイプじゃないのにさ」
「別の学校の子なのか。そりゃあ、仕方ないよ。学校で孤立するのはとても辛いって聞くよ。友達がひとりいるのといないのとでは、天と地ほどの違いがある。その子はたぶん、学校でのいじめや友達関係のことで精一杯なんだ。心に余裕がないから、おまえのことにまで気がまわらないんだ。しばらくは見守ってやるしかないよ」
「たしかに……おれのことなんて考えるヒマ無いよな」
龍吾は大きなため息をついた。
● ●
真夜中、枕元で携帯電話が鳴った。
半分眠ったまま杏子が電話にでると、圭太の声が聞こえた。
「……病院、明日の夕方行くよ。ただし、行くだけだ。名乗らない」
一晩中考えていたのか、とても疲れきった声だった。
「わかりました。あの、ありがとう」
杏子はそれ以上なにも言えなかった。会うと決めてくれただけでいいと思った。
圭太が今までどんなふうに生きてきたのか、杏子は知らない。
お母さんを亡くしたとき、圭太はひとりぼっちになった。その後どうやって生きてきたのか、想像するだけで悲しくなってくる。
圭太が名前を売った岩田慎二という友達も、もしかしたら圭太と同じような暮らしをしていたのかも知れない。二人には、まわりの人間にはわからない心の絆があるのかも知れない。
正義だけを振りかざして、他人が口出しできる事ではないんだ。
電話を切ってからしばらくたっても、杏子はなかなか眠れなかった。
まだ暗い窓の外を見ているうちに、いつか見た夢のワンシーンが浮かんできた。
『そのブローチだけは、必ず返してくれよ!』
『わかってるよ、お母さんの形見なんだろ。大丈夫だよ、用が済んだら返すよ』
暗い夜の公園で話す二人の青年は、圭太と慎二に間違いなかった。
すっかり忘れていた夢だった。思い出そうとしても思い出せなかった夢だった。
いきなりよみがえった夢の記憶に、杏子は戸惑った。
(これは……おばあちゃんに、二人の写真を見せられた日の夜に見た夢だ。なんで今ごろ思い出したんだろう)
これはただの夢なのだろうか、それとも本当にあったことを夢に見ているのだろうか。
すこし前に、病室でお母さんと話す圭太の夢を見たときから、杏子は気になりはじめていた。もしかして自分は、過去にあったことを夢に見ているのではないかと。
思いあたることは、ひとつしかない。圭太の写真を初めて《視》たときに、頭の中のスクリーンに映った録画の早送りのような映像。あの早送りのようなものの中に、過去に本当にあった出来事が映っていたのかも知れない。
(……でも、過去を視たことなんてない)
過去の出来事を《視》たことなど、いままで一度もなかった。あるのは〈さがし物〉をする力だけだった。
なにが本当で、なにがただの夢なのか、杏子には分かるわけもない。
(考えたってしょうがない……か)
杏子はカーテンを閉めて、もう一度ベッドにもぐりこんだ。
冷え切った体がふんわりとあたたかくなってきて、だんだん眠くなってきた。
(おばあちゃんの役に立ちたい……)
いま一番の願いはそれだけだった。
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