第5話 過去夢
うす青い闇が漂っていた。
白い腕がゆらりと持ち上がる。青白い、やせた腕だ。
病気なのだろうか、うす青い部屋のベッドに横たわった人が、白いシーツの中から腕を伸ばしている。
「けいちゃん……けいちゃん」
弱々しい声に呼ばれて、男の子が駆けよる。
(圭太さんだ……これは夢? あたし、夢を見てるんだ)
「お母さん、大丈夫?」
男の子はベッドの横に座りこんだ。白いシーツに両手をかけると、左の手首に二つ並んだホクロが見えた。
「だいじょうぶよ。けいちゃん……これを、預かっていてちょうだい。お母さんの宝物だから」
白い手が何かをつかんで、男の子の手の上にのせる。キラリと光がこぼれた。 光っているのは銀色の猫だった。
布団をはねのけて、杏子は起き上がった。
このところ毎日のように同じ夢を見る。
新宿で圭太さんを見つけられなかったからかも知れないし、おばあちゃんの落胆した顔を見てしまったからかも知れない。
そう思っても、夢はくりかえし現れる。
杏子はパジャマの上にフリースのパーカーを羽織ると、リビングへ行って熱いカフェオレをいれた。
窓の外はすっきりした青空が広がっているが、マンションの五階からベランダ越しに見える風景は、霜が降りて白っぽい。見ているだけで体が冷えてくるようだ。
杏子はソファの上で膝かけにくるまった。
夢に出てきたあのお母さんと男の子は、おばあちゃんの娘さんと孫の圭太さんだろう。このまえキヨさんが、娘さんは病気で亡くなったと言っていた。だからあんな悲しい夢を見てしまったのだ。
圭太さんの写真から感じた寂しさは、きっとお母さんを亡くしたせいなのだろう。
そんなことを考えているうちに、夢の中の圭太少年の顔が、杏子の頭の中で、新宿のコンビニで働く青年の顔に変わった。
龍吾が名前を呼んだとき、驚いたように振り返った彼の顔。そして、杏子が写真を見せたときの、あの戸惑ったような瞳。
(あの店員さんは、本当に圭太さんじゃないのかしら?)
新宿からの帰りも今も、杏子は彼がウソをついたのではないかと疑っていた。
(……でも、あの店員さんは岩田というネームプレートをつけていた。志麻崎じゃなかった。あたしの力は、人違いをしたのかしら?)
そんな思いが、何度も浮かんでは消えてゆく。
自分の不思議な力に、それほど自信があるわけじゃない。今までさがしたものといえば、家の中で行方不明になった物や、どこかで落とした物くらいだ。あとは、いなくなったペットをさがした事もあるけれど、それにくらべると、こんどのさがし物は複雑だ。
岩田というコンビニ店員が圭太さんだという証拠はない。ただ自分がそう感じるだけなのだ。
杏子は携帯の写真をながめた。おばあさんから借りた圭太さんの写真を、携帯で撮っておいたものだ。もう見なれてしまった寂しそうな少年の姿からは、なにも感じとれなかった。
(もういちど……会いに行ってみようかな)
自分の能力ではどうすることも出来ないなら、会って確かめるしかない。見て、聞いて、自分の頭で考えるしかない。
「おはよう杏子ちゃん。土曜日なのに早いのね」
パジャマ姿のお母さんがリビングに入ってきた。
「おはようママ」
「ねえ杏子ちゃん、あなた近ごろ元気がないけど……もしかして、また、いじめられてるの?」
「えっ?」
「だって、じーっと考え込んでること多いじゃない? ママ心配なのよ」
お母さんはソファー座り、杏子の顔をのぞき込んで来る。
「いじめられてなんかいないよ。少ないけど友達もいるし、前よりは全然いいよ。考えごとしてるのは、学校とは関係ないことだから。安心してママ」
「そお? それならいいけど……」
「大丈夫だよ。スイミングも楽しいし、綾ちゃんとも上手くいってるから……」
後半部分はちょっぴりウソが混ざっていた。綾香とは何となくビミョーな関係なのだけれど、そんなことでお母さんに心配をかけたくはなかった。
(新宿には一人で行こう)
杏子が新宿に行くと言えば、龍吾はきっと一緒に行くと言うだろう。杏子よりもずっと、おばあさんのことを心配しているし、刑事になりたい龍吾にとっては、何よりも捜査のまねごとをするのが楽しいのだから。
龍吾のことは嫌いじゃない。龍吾にはなぜか気を使わずに話せる。あんなふうに話せる友達は、ほかには一人もいない。でも、龍吾と一緒にいると、綾香との関係を壊してしまいそうで怖かった。
● ●
翌日の日曜日、杏子はまた新宿のコンビニに向かった。
「いらっしゃいま……せ」
杏子が店に入ると、コンビニ店員の青年はがっかりしたような顔をした。
「また来たの? きみたち本当にヒマなんだな」
「きみたち?」
杏子が首をかしげると、青年は入口の方に向かってあごをしゃくった。入り口横の雑誌コーナーから、龍吾がひょっこりと顔を出す。
「遅かったな、シーナ」
「龍吾くん、なんでいるの?」
驚きのあまり、声が裏返ってしまう。
「なんでって、もう一度、岩田さんに話が聞きたかったんだ。おれさ、この一週間ずっと考えてたんだ。シーナが見つけた岩田さんは、本当に圭太さんじゃないのかなって。シーナもそうなんだろ?」
「うん……」
杏子はしぶしぶうなずいた。
「昨日スイミングでさ、おれが話しかけても、おまえちっとも話さなかっただろ? ピンときたんだ。一人で行くつもりなんだなって」
龍吾はちょっと得意げにニヤリと笑った。
(あたしが一人で行きたかった理由には、気がついてないんでしょうね)
杏子は小さくため息をついた。
ここで龍吾に会ってしまったら、せっかく内緒で来た意味がない。あとで綾香が知ったら、きっとまた文句を言われるに違いない。それでも、杏子はちょっぴり心強かった。
「あの、すこしでいいから話を聞かせてもらえませんか? 休憩時間とかあるなら、それまで待ってますから」
「わかったよ。さっき彼にも頼まれたんだ。わざわざ三十分も電車に乗って来たんだってね。今日の仕事は昼までだから、そのあと話をしよう」
店員の青年は腕時計をちらっと見て笑った。その腕時計のすぐ横に、二つ並んだホクロが見えた。
杏子は息が止まるほど驚いた。
(夢の中で、圭太さんの手首にあったホクロとそっくりだ……)
もちろん夢は夢だから、これが圭太である証拠にはならない。それでも杏子には、夢が本物の圭太を教えてくれているような気がしてならなかった。
仕事が終わると、青年は約束どおり杏子と龍吾をつれて中央公園までやって来た。広場のはしにあったベンチに腰を下ろす。
「ちょっと寒いけど、ここでいいかな? いま節約生活してるから無駄遣いできないんだ」
「はい」
杏子と龍吾はおとなしくベンチに座った。
「それで、きみたちは何が聞きたいんだい? 先週も言ったけど、ぼくは志麻崎圭太って名前じゃない。岩田慎二っていうんだ」
「それじゃ、岩田さんの知ってる圭太さんのことを教えてくれませんか?」
「えっ?」
思いがけない質問だったのか、青年の目が驚いたように見開かれた。
「ぼくの知ってる圭太は、そう、中学のときのクラスメイトだよ。目立たないやつだったな。三年間同じクラスだったけど、話をしたのはほんの少しだけだった」
「へえ、友達って訳じゃなかったんだ」
「まあ、そうだな」
「それなのに、おれが名前を呼んだときは、ずいぶん驚いたみたいに振り返ってたよね。目立たないクラスメイトの名前なんて、何年かたつと忘れちゃうんじゃない?」
「そんなことないよ。ぼくは記憶力がいいからね」
龍吾と青年は一瞬にらみあった。
「あの、その圭太さんのお母さんは、病気で入院してませんでしたか? たぶん、中学生くらいのときだと思うんですけど」
「えっ、いや、知らないな。そんなに親しくなかったからさ。きみたちのさがしてる圭太のお母さんは、亡くなったのかい?」
「はい」
「きみたちは、なぜその圭太をさがしてるの? 誰かに頼まれたの?」
青年はすこしだけ身を乗りだした。
「へぇ、気になるんだ?」
「ああ、気になるね。ふつう友達同士で人さがしなんかしないよね。それに、きみたちは小学生だろ? 家族の誰かをさがしてる訳じゃなさそうだし、すごく気になるよ。教えてくれないかな?」
杏子と龍吾は顔を見合わせた。
「教えたら、本当のことを話してくれますか?」
「え? まだぼくのことを圭太だと思ってるのかい?」
「思ってるよ。さっきシーナが、お母さんが病気で入院してませんでしたかって聞いたら、岩田さんは、そのお母さん亡くなったの?って聞き返したじゃん。入院してたからって亡くなるとは限らないだろ?」
龍吾は龍吾なりの考えで、青年の言葉を疑っている。
「ちょっと想像してみただけだよ。当たったのはまぐれだ」
青年はおどけて肩をすくめる。
「そんなはずないよ。岩田さんは、絶対におれたちがさがしてる圭太さんだ!」
龍吾は負けじと食い下がる。
「龍吾くん……」
「おれたちが、ここに圭太さんをさがしに来たのは、道で猫のブローチを拾ったからなんだ。二週間前の土曜日だよ。実はさ、シーナには〈さがし物〉を見つける特別な力があるんだ。おれはシーナの力を確かめたくて、ブローチの持ち主をさがしてみようって言ったんだ」
龍吾が話しはじめると、青年は疑うような目で杏子を見ていたが、そのうち龍吾の話に引き込まれていった。
自分たちの関係はもちろん、おばあさんの様子や孫だという青年のこと、お手伝いのキヨさんの話まで出して、龍吾は今までのことをわかりやすく説明した。
話が終わると、青年はもう一度、杏子の顔をさぐるように見つめた。
「本当に……そんな力があるのかい?」
青年の問いかけに、杏子はうなずいた。
「この前の子供の写真を見て、ぼくの居場所をさがしたって言うのかい?」
杏子はもう一度うなずいた。
「悪いけど、ちょっと信じられないなぁ」
青年はそう言って空を見上げた。
見ているのが空なのか樹なのかはわからなかったけれど、しばらくのあいだ空を見上げていた青年が、もう一度杏子の顔を見つめて提案をした。
「そうだ、鬼ごっこをしないかい? あれ、かくれんぼかな? とにかく十五分以内にぼくを見つけられたら、きみたちの話を信じるよ。きみたちが二十数える間にぼくはここから消える。きみに本当にそんな力があるんだとしたら、ぼくをさがすくらい朝飯前だろ?」
杏子と龍吾は、青年の提案を受け入れるしかなかった。
「なにか身のまわりの物を貸して下さい」
杏子がそう言うと、青年はボールペンをさし出した。
「これしかないんだ。じゃあ、目をつぶって二十数えてね。今から十五分スタート!」
青年はそう言うなり走りだした。
「あいつ、逃げるつもりじゃないかな?」
「まさか。とにかく二十数えようよ」
二十数え終わると、杏子は手にしていたボールペンを龍吾に見せた。
「わかった。こっちよ」
「え、あいつは向こうに走って行ったよ」
「途中でこっちに行ったのよ。大丈夫だからついて来て」
杏子は走りだし、龍吾が後を追った。
二人は中央公園を出て、高層ビル群の中へ走って行った。
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