第4話 人さがし


 翌日の日曜日、朝早くから駅で待ち合わせをした杏子と龍吾と綾香の三人は、新宿に向かう電車に乗っていた。


「綾ちゃんのママ、よく許してくれたね」

 杏子がそう尋ねると、綾香はすました顔で肩をすくめた。

「ママには図書館で勉強するからって言ったの。新宿に行くなんて言ったら、絶対に外に出してもらえないもん。ほら、最近よく小学生が誘拐されるでしょ? ママすごくうるさいの。杏ちゃんはなんて言ったの?」

「あたしは……映画に行くって、書き置きしてきた。パパは出張でいないし、ママは疲れてまだ寝てたから」

「おれはねぇ、スポセンのプールに行くって言ってきた。昼はハンバーガーでも食うからいらないって言っといた」

「みんな……うそついちゃったね」

 杏子がつぶやくと、龍吾も綾香も黙ったままうなずいた。

 家族に嘘をついたことは、なんとなく気がとがめる。でも、本当のことを言ったら反対されるような気がしたのだ。

「しかたないさ。昨日のおばあちゃんの様子を見たら、なんか力になりたいって思うのが普通だろ?」

 龍吾の言葉に、杏子は昨日のことを思い出した。


 昨日、あの男が帰って行ったあと、三人がおばあさんのいるリビングルームへ行くと、おばあさんは声を出さずに泣いていた。

「おばあちゃん! どうしたんだ? あいつになんかされたのか?」

 龍吾が車いすにとびつくように座りこむと、おばあさんは涙を流したまま笑って手を振った。

「あらやだ、恥ずかしいところを見せちゃったわね。何でもないのよ。あら、新しいお友達を連れて来てくれたの?」

「あの……森沢綾香です」

 戸惑いながら綾香があいさつすると、おばあさんは涙をぬぐってにっこりと笑った。

「おばあちゃん、なんで泣いてたんだよ? おれたちに話してくれよ」

 龍吾に追及されたおばあさんは、困ったように視線をさまよわせ、立ったままおばあさんを見つめていた杏子と目があった。


「あのね……杏子ちゃんが拾ってくれたブローチね、あの子に返しちゃったの。ごめんなさいね。あの子にとっては……お母さんの形見だっていうから」

 ぽつりと、つぶやくようにおばあさんは言った。

「あの人が、おばあちゃんのお孫さんなの?」

「ええ……そうらしいの」

 そう言ったおばあさんは、ちっとも嬉しそうには見えなかった。捜していた孫が見つかったら、それがどんな子だとしても、もっと嬉しそうな顔をしそうなのに。


「おばあちゃんは……さっきの人が本当のお孫さんじゃないって思ってるんでしょ? このまえ見せてくれた子供の写真、あの子が本当のお孫さんだと思っているんでしょ?」

「杏子ちゃん……」

「おばあちゃん言ったよね? あの写真の二人が、同じ人かどうか確かめたかったって。それで、あたしは違うって言った。別の所に住んでる別の人だって。もちろん、あたしが間違えてるのかも知れないけど……」


「杏子ちゃんの言うとおり、私も別人だと思っていたのよ。あの男の子の写真は、家を出て行った娘が、一度だけ送ってくれた手紙に入っていたものなの。私には、あの写真の男の子と彼が同じ人には思えなかったのよ。でもね、探偵さんが連れてきた彼は、戸籍もちゃんとしてたし、身分証明書も母子手帳も持っていたの。あのブローチもあの子が落とした物だった。志麻崎圭太しまざきけいただっていう何よりの証を持っているの」


「しまざき……けいた?」

「ええ。私があの子のことを疑っている事に気がついたのかしらね。私があのブローチを見せて、お母さんの事をいろいろ聞いたら、急に怒りだして……とても恨んでいたって言うの。結婚を認めなかった私のことを、娘はずっと、恨んだまま死んでいったって……」

 おばあさんはまた涙をこぼした。

 杏子よりずっと大人で、長い人生を生きてきたおばあさんが、なんだか小さな子供のように見えた。


「おばあちゃん……あの、あたしに、あの子の写真を一日だけ貸してくれませんか? あたし、圭太さんさがしてみますから。きっとさがしてみますから」

「おれもさがすよ! シーナと一緒に圭太さんさがすの手伝うよ!」

「あっあたしも一緒に行くわ! ぜったい行くから!」

 杏子と龍吾と綾香の提案を、おばあさんは断った。そんなことはしなくていいからと。それでも三人は、何度も何度も頼んでやっと写真を貸してもらった。

 寂しそうな顔をした少年の写真は、いま、杏子たちとともに新宿に向かっている。


        ●                  ●


 日曜日の新宿は、思ったよりもずっと人であふれていた。

「シーナが見たのは高層ビルだから、西口に向かうぞ!」

 駅を出てすぐに、下調べしてきたらしい龍吾が先頭を歩きだすが、すぐに逆流する人の流れに押し戻されてしまう。

 横断歩道をわたる人の多さに、杏子はなんだか、自分やまわりの人間が全部アリになったように思えてならなかった。

「龍吾くん、はぐれちゃうから手をつなごうよ」

 綾香が龍吾にむかって手をさし出すのが見えた。杏子は気を利かせて、わざとすこし後ろを歩いた。

(本当に、新宿にいるのかな?)

 汚れないように透明のケースに入れてきた写真を手に持って、杏子は高層ビルの方を眺めたが、人が多くて落ちつかないせいか、思うように集中できない。

「おいシーナ、はぐれないように手をつなごうぜ」

 いきなり目の前に手がさし出された。

 龍吾がまっすぐにさし出した手を、杏子はじっと見下ろした。

 そういえば、誰かと手をつなぐなんてことは何年もしていない。そう思うと同時に、三年生の頃の記憶がよみがえってくる。


 学校の行事で、隣の人と手をつながなくてはならないことが何度かあった。ろこつに嫌がるクラスメイト達の顔。ささやき声。さし出した自分の手を引っ込めるときのあの気持ち。

 杏子は〈さがし物〉をするとき、さがしたい物の写真や、さがしたい物を思い浮かべた友達の体にふれる。それだけで、それがどこにあるのか《視》えるのだ。

 そのせいか、みんなはだんだんと、杏子と手をつなぐことを恐れるようになった。手をつないだだけで、自分の秘密まで知られてしまうのではないかと思ったのだろう。

 もちろん、杏子にそんな力はない。ふれただけで何でも《視》えてしまうような、そんなマンガに出てくる超能者のような力はないのにと、杏子は不思議に思っていた。

 初めの頃は、みんなに分かって欲しくて必死で説明したけれど、やがて、みんなは自分の信じたいことしか信じないのだと、杏子は理解した。

 いつのまにか、説明することもあきらめて、みんなと手をつながないことは〈普通〉の事になった。そんなことでいちいち傷ついていたら身が持たないから。


「どうしたんだよ?」

 龍吾の手が伸びて、杏子の手をつかもうとする。

 杏子は反射的に手をひっこめた。

「あたしは大丈夫。二人のすぐ後ろを歩くからさ」

「そうよ、杏ちゃんは写真の人をさがすんだから、気持ちを集中しなくちゃいけないでしょ! さあ、行きましょ」

 綾香がぐいっと龍吾の手をひっぱった。

 不満そうに口をとがらせた龍吾の顔が、杏子に向かって「なんだよー」と言っているように見えた。


 三人は人ごみの横断歩道をわたり、高層ビルの間をぬうようにして歩きはじめた。

 唯一の手がかりは《高層ビルの近くにあるコンビニ》だ。人の多い新宿にいるせいか、杏子の能力はちっとも役に立たなくなっていたから、三人はとにかくコンビニをさがして歩きまわった。

「もうだめ、疲れた。ちょっと休もうよぉ!」

 綾香が歩道の端にしゃがみこんだ。

 時計を見るともう十一時をまわっている。一時間以上歩きまわっていたことになる。

「どっかでお昼にしようか?」

 ビルの一階にあったガラス張りのハンバーガーショップを見つけて、三人は早めのランチをすませた。

 窓際の席からは、よく晴れた空と高層ビル、それから近くにある中央公園の緑が見える。

 ぽかぽかと暖かい空気に、すうっと体の疲れが消えてゆくような気持ちがする。

「なかなか見つからないな」

 龍吾がつぶやいた。

「ごめんね。あたし、うまく集中できなくて」

「もしかして新宿じゃないんじゃない? 杏ちゃんが見たのは高層ビルでしょ、東京にはこのくらいの高層ビルはあちこちにあるんじゃない?」

 なんとなく、綾香の言葉が冷たく感じる。

「うん、そうかも……」

「あたしはさぁ、べつにその人が見つからなくてもいいんだけど、きっとあのおばあちゃんはがっかりするよね」

「おい森沢、おまえ一言多いぞ!」

「だってぇ」

 杏子は、おばあさんの家で圭太さんの写真を見た時のことを思い出した。

 高層ビルの風景を見たとき、自分はどうして新宿だと思ったのだろう。そう考えはじめたとたん、龍吾と綾香の会話がスッと消えていった。

 頭の中のスクリーンに、とつぜん映像が見えはじめる。それはコンビニで働く大人になった圭太さんの姿だった。

「いる!」

 杏子は立ち上がった。

「二人とも、ここで待ってて!」

 杏子はダウンジャケットとショルダーバッグ、それにごみの乗ったトレーをかかえて走り出した。

「おい待てよ、シーナ!」

 龍吾の制止もきかずに杏子は店を飛び出すと、そのまま新宿の町を走りはじめた。

 中央公園の森が見えなくなり、高層ビルもなくなった。

 華やかなオフィス街から、急にべつの町に来たような感じのする寂しげな通りぞいに、そのコンビニはあった。

 外から店の中をうかがうと、レジカウンターの中に男の店員が立っているのが見えた。


「シーナ!」

「杏ちゃーん!」

 龍吾と綾香の声がした。

 驚いて振り向くと、二人が息を切らせながら駆け寄ってきた。

「見つけたのか? このコンビニがそうなのか?」

「待っててって言ったのに……」

「こんな時に待ってなんかいられないよ!」

 今にも食いつきそうな龍吾とは対称的に、綾香は落ちついたようすで店内をのぞいている。

「ねぇ、あの人なの?」

「わかんない。でも、ここにいるって感じるの」

「ふーん」

 綾香は杏子の顔をのぞき込んだ。微妙な表情をしている。

「あたし……綾ちゃんの前では、〈さがし物〉したことなかったよね?」

 杏子が綾香と友達になったのは一年前だ。五年生ではじめて同じクラスになり、夏休みが終わってからすこしずつ話をするようになった。その頃には、杏子は〈さがし物〉をしなくなっていたのだ。

「ないよ。ウワサではいろいろ聞いてたけど……」

 この一週間、杏子と綾香の間に漂っていたビミョーな空気が戻ってきた。

 すこしタレ目で、かわいいお人形さんのような綾香の顔に、冷たい仮面が貼りついている気がする。


「うっそ、もったいねぇ! シーナの近くにいるのに、一度もシーナの力を見たことないのかよ? おれなんか、もう何回も見てるぜ」

 龍吾が得意げに言うと、綾香がふくれた。

「だって、三年生のときから、みんな杏ちゃんのこと怖がってたのよ。あたしが声をかけるまでは、杏ちゃんは友達もいなくていつも一人だった。今だって、みんな近寄らないようにしてるわ。さがし物をたのむ子なんていなかったもん。」

「それがもったいねぇって言ってるんだよ。シーナは困ってる人の役に立つ、すっごい力を持ってるんだぜ。大人になったら刑事になって、未解決事件をつぎつぎ解決するんだ。すごいだろ?」

 龍吾の頭の中では、刑事ドラマのようなシーンが浮かんでいるのだろう。空を見上げて拳をふり上げている。

「なにそれ?」 

 綾香が目を丸くする。

「刑事になるのは龍吾くんでしょ? あたしは刑事になりたいなんて、一度も言ってないからね」


 杏子はなんだか体の力が抜けたような気がした。でも、そのおかげで、綾香との間に流れていたビミョーな緊張感は消えていた。


「とにかく、中に入ってみようぜ」

「そうだね」

 三人は、なるべく自然に見えるように店に入って行った。

「いらっしゃいませ!」

 店員の青年が声をかけてきた。明るい声だ。笑顔もさわやかで、写真から感じていた寂しさはすこしも感じない。


「あの人だよ。間違いない」

 レジ正面の通路に立って、杏子はつぶやいた。

「じゃあ、試してみるか?」

 龍吾が小声で言った。

「どうやって試すの?」

 綾香が聞くと、龍吾は親指を立てて二カッと笑った。

 龍吾は、レジの中の店員が背を向けたのを確認して声をかけた。

「圭太さん! 志麻崎圭太さーん」

 龍吾の声に、店員が振り返る。

 驚いたようなその表情を、杏子は見逃さなかった。

「志麻崎圭太さん、ですよね?」

 龍吾がカウンターに近づくと、店員は笑みを浮かべた。

「お客さん、残念だけど人違いだよ。ぼくは岩田っていうんだ。岩田慎二(しんじ)。ほら、ここに岩田って書いてあるだろ?」

 コンビニの制服の胸についているネームプレートを見せて、店員は笑った。

「それじゃ、どうして振り返ったんですか?」

「それは……ぼくの友達に同姓同名のやつがいたんだ。だからつい驚いてさ。きみのさがしてる圭太は、ぼくに似てるのかい?」

「えっと、その……」

「顔も知らない人をさがしてるのかい? どうしてその圭太をさがしてるの?」

 店員は追及し、さすがの龍吾もたじたじだ。

「あの、あたしたちは、この人をさがしてるんです。ずいぶん前の写真なんですけど」

 杏子はカウンターに近づいていくと、透明のケースに入れた写真を店員にさし出した。

「……これは」

 ちらりと店員の顔を見上げると、驚いたように瞳が泳いでいる。

「見覚えありませんか?」

「いや……ないな」

 杏子の視線に気づいたのか、店員は杏子に笑いかけた。

「残念だけど、ぼくの友達でもないみたいだ。さあ、悪いけど帰ってくれないかな」

 やさしいけれど断固とした調子で、店員はそう言った。

 杏子たちはすっきりしない気持ちのまま、帰るしかなかった。

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